「──ふっ。今後とも、ぜひ御贔屓に。」
そんな言峰の言葉を背に、保健室を目指す。
…まぁ購買部から保健室は数歩でいけるのだが。
サクラメントは数えるほどしかなかったのに言峰の要求を呑み、プレミアロールケーキを買った。否、買わされてしまった。
おかげ様で財布の中は氷河期に突入することになってしまった。
サクラ迷宮でエネミー狩りでもして再び貯めるしかない。
しかし、金銭状況がいくら悪化することがわかっていても商品を買ったのは、幾たびもの死線を潜り抜けてきた自分の勘によるものだ。
端的に言えば、不買による
流石にそんなことはないだろう、と思われるだろうが、あの神父は侮れない。
代替案として、食べた瞬間あまりの辛さで肉体が現実逃避をしてそのまま昇天するような激辛麻婆豆腐を食べろ、なんて案を出してきそうな神父だ。
それと比べたら、切り詰めてでも商品を買う方を選ぶことは比べるべくもない。
やはり、人の善意には素直に応じるのが吉だ。
あの要求を善意と呼べるかはわからないが。
保健室の前に立つ。
中を窺うように聞き耳を立てると、2人分の声が聞こえる。
──間違いない。この声はアーチャーとサクラだ。
そう思い、保健室に入ろうとするが、扉にかけていた手が止まる。
何故かは自分でもわからない。
しかし、ここで自分が保健室に入ってはいけないような気がしたのだ。
なので、そのまま盗み聞きすることにした。
中から聞こえてくる声は、ただの日常会話をしているような声音だ。
しかし、そのためだけに保健室にいるわけではないだろう。
そんな思いと共に、SGの到来を期待しながら、会話を盗み聞きする。
「───なるほど、悪くない。
味付けもちょうどよい。これならマスターも気に入るだろう。」
「あっ、ありがとうございます。」
「なに、礼は不要だ。
お互い、マスターを支える身として当たり前のことをしたまでだ。」
どうやら料理について話しているようだ。
大方、サクラが料理の味見をアーチャーにお願いした、というところか。
マスターと言っているので自分のことだろうが、自分と料理。一体何の関係があるのだろうか。
「しかし、意外だったな。まさか君がそんなことを頼んでくるとは。
何かあったのかね。
マスターに味が悪い、と酷評でもされたか。」
「せ、先輩はそういうことは言いません!
──ただ、少し気になったんです…。」
「自分の味覚が、本当に正しいのかどうかが…。
ここ最近、お弁当の味見をしても淡泊な味しか感じられなくて…。」
…。そういうことだったのか。
前に凛はこう言っていた。
サクラは迷宮探索が進むほど壊れていく、と。
その影響が味覚にまで及んでいることを危惧したのだろう。
なので、アーチャーに味見をしてもらったのだ。
本当に、自分の味覚が正しいのか確かめるために。
そんな状態になっても弁当を作ってくれるサクラには感謝しきれない。
あの弁当の優しい味は自分も好きだった。
その味を維持するために、サクラがこんなに苦悩していたなんて──
そんな事実に目を背けたくなる。
このまま、この会話を聞かなかったことにして立ち去りたくなる。
しかし、それはできない。
第一、それはあまりにも無責任だろう。
自分にはサクラの苦悩を晴らすことなんてできない。
せいぜいサクラの体を労わったり、サクラメントの譲渡ぐらいしかできない。
しかし、それでも、サクラが作ってくれる弁当が、そんな苦悩の先にあるものだと知り、感謝することが最低限の礼だろう。
一度背けた意識を再び保健室に向ける。
自分は知らなくてはならない。
一つでもサクラのことを理解するのが、自分の役目だ。
──それで、サクラが救われることを信じて。
「なるほど、そういう事情だったか。
しかし、何故私に?
味見だけなら生徒会の面々に頼めばよいだろう。」
「以前、先輩が言ってたんです。
アーチャーさんは料理が上手だって。
なら、味見だけじゃなくて色々教えてもらえるかな、と。
保健医として、日々の努力は欠かせませんので!」
「──確かに、彼には以前料理を振る舞ったが…。
その余波がここまで来ているとは…。」
「でも、お料理ができるサーヴァントっているんですね。
なんというか、意外でした。
私も長年ムーンセルで聖杯戦争に関わってきましたけど、初耳です。」
「英霊も多種多様いる。
中には、自ら狩りとった獲物を自身で調理する者もいただろう。
そういう視点から見れば、料理ができるサーヴァントがいても不思議ではない。」
「確かにそうですけど…。
アーチャーさんって生前は執事だったりとか?」
「それなら、今頃はアーチャーではなくバトラーとして喚ばれているさ。」
「執事がサーヴァントになっても聖杯戦争で勝ち抜けないと思いますが…。」
「執事というものは案外侮れないものだぞ、桜君。
私が生前会った執事には、格闘技を嗜んでいる者がいた。
料理の腕では勝てたが、戦闘の面だと結果は明白だった。
…とまぁ、執事も多種多様ということだ。覚えておくといい。」
「あっはい。でも私は、そういう人たちとは会えませんので…。
お料理ができる人と会ったのはアーチャーさんが初めてですし。」
「ムーンセルでは食事の意味はないからな。
生存に必要な要素は常に給与されている。
しかし、たまには仲間と食事を楽しいみたいものだろう?
精神衛生上、必須なことさ。」
「はい、確かにそうですね。
ところで質問なんですけど、アーチャーさんの得意な料理は何ですか?」
「私は基本なんでも作れるが…。
そうだな。しいて言えば和食だ。」
「和食ですか!私も今和食を勉強中でして…。
良かったら、教えてもらってもよいでしょうか?」
「ふっ、いいだろう。
元より君はそれを期待していたのだろう?
なら、私にそれを拒む理由はない。
人に料理を教えるのは久方ぶりだがね。
──と、その前に。
お前も出てきたらどうだ、マスター。」
…まさか、気づかれていたとは。気配遮断が上手くできていなかったか。
「そもそも、お前にアサシンの真似なぞ無理だ。
それとも、かつて彼が目にしたアサシンはそれほど雅だったのだろうか。
保健室の扉を開け、中に入る。
相変わらず、サクラの手入れが行き届いている綺麗な部屋だ。
机の上に置かれている、出来立てと思わしき弁当が目に入る。
色鮮やかで美味しそうな弁当だ。
──サクラが作ってくれる弁当だから、美味しいに決まっているが。
「せ、先輩!?いつからいたんですか?!」
割と前です。
弁当の下りあたりからです。
「さて、話を盗み聞きしていたお前は知っているだろうが今から桜君が和食を作る。
お前には、それを食べてもらう。」
「えっ、ちょ、アーチャーさん!?
私、そんなに上手に作れませんよ!?
そ、それに…。」
「気にするな、私も横でついている。
味の云々なら、不安になれば私を頼るといい。
それに、君なら大丈夫だろう。」
「その期待は嬉しいんですけど…。
でも、先輩はいいんですか?」
無論、いいに決まっている。
サクラの和食を食べれる機会なんて滅多にない。
こんなレアイベントを避けて通る、なんてあまりにも勿体無い。
是非、自分に食べさせてほしい。
「──!はい!私、いつも以上に頑張っちゃいますね!」
「…私もセンパイと一緒に、ご飯食べてみたいな…。」
どこかで、そう呟く声がする。