十年もすれば愛称も耳に馴染んだ。フリード、と声をかけてきたワンの、穏やかな瞳がこちらに向けられた。髪を飾るティアラのような辰砂水晶の角が、明るい日差しを帯びてキラキラと光った。
「妹がお弁当作って来たって。皆で一緒にどう?」
編笠を僅かに上げて「いや、俺は」と断りの返事を入れかけたところで、「あ〜疲れた疲れた」と背伸びをして、肩を杖で叩きながら入り込んできた声で遮られる。ワンの妹のアルだ。額から蒼針水晶の角が伸びている。
「私も混ぜてよ、腹ペコなんだ」
「ご苦労様。じゃ二人も行きましょうか」
「フィーアは?」
「別にお弁当作って置いて来たって」
どうやら断らない事を前提に話が進んでいるようだ。こうなったら逃れようがない。悪い気はしないでいる。
フリードは編笠を外して二人の後に続いた。
「でね! ミサキ様ったら、色気が欲しいなら、色を変えるよりスリットを深くしろだの何だの!」
「首領は好意でおっしゃっているんだろうけどな、うん」
「ミサキは昔から、『脚出しとけ』みたいなところあるものねぇ……」
彼女達は四きょうだいだ。全員が黒い髪に水晶の角を持つ。今日は上の三人しか揃っていない。弁当を作って持って来たのは三女のトロワだ。彼女の角は二つに結い上げた髪の結び目の辺りに、蝶が羽を広げたような形のものであった。
何やら制服の色の話をしているらしい。確かに、先日顔を合わせたトロワの制服は白だったが、黒に変わっている。それに関して、首領にからかわれたようだ。
「お洒落は楽しいけどたまに嫌になるわ……。ひたすら己との格闘じゃない。男の人ってそういうのはないのかしら、ねぇフリード」
胡桃の入ったパンに卵を挟んだものを食べていたところで、自分に話を振られた。
「……制服の色を変えたのか?」
「そうよ。見ての通り。白じゃなんだか子供っぽい気がして」
「似合ってるじゃないか」
「あ――ああ、そう。ありがとう。ま、貴方ぐらい顔が良けりゃ、何着ても様になるでしょうね!」
トロワはバシバシと肩を叩いた。褒められているのか、からかわれているのか。判断がつかない。
話はお洒落の話題から、リゥスイを訪れたサフィルス女王一行の話になる。真面目な空気になるかと思いきや、ワンが女王の従騎士に声をかけたが、いまいち手答えがなかっただの、一緒にいた双子の性別が分からなかっただの、ルベウス皇帝だという少年が可愛らしかっただの、大して真面目でもない話だった。
昼休憩の時ぐらい、仕事から離れているのも悪くはあるまい。むしろそうでないと休憩にならない。暖かく穏やかな秋空の下で、他愛もない話を耳にして過ごせるような時間は尊いものだ。
……祖国で語らうような友もいたかもしれない。だが、もう失われて久しい。元の上司であろう、女王の顔を見れば何か思い出すかもしれぬぞ――とは首領に言われたが、何も記憶が蘇ってくることはなかった。
ともあれ、この地に安息を見出すことを、あの女王は咎めないと言った。それは建前ではなかったように感じる。
「……あら、お昼はまだなの? 良かったら皆もどう?」
ワンの声がした。姉妹達の会話が止まる。大剣を背負い、耳の後ろから伸びる黒曜の角と短い銀髪に、眼鏡をかけた鉱人の男が、複数の兵士を連れて通りがかった。首領の側近のオブシウスだ。ワンと首領とは、幼馴染であると聞いている。
彼はワンには答えず、フリードを見るとその色白の顔に、嫌悪感を隠しもせず「……角なし、」と小さく呟いた。それを耳聡く拾ったのか、トロワが「何、ケンカ売ってんの?」と立ち上がる。
「……呑気ですね、ワン。客人とは言え、侵略者となるかもしれない相手がいるというのに。落ち着いて食事なんか取っていられませんよ」
「貴方は殺気立ちすぎよ、オブシウス。はぁ……トロワちゃんも落ち着きなさい」
「だってワン姉様!……ちょっと、フリード? どこ行くのよ!」
どうしたらいいのか困惑しているアルに、弁当の礼を言ってフリードは席を外すところだった。トロワの声が背中に突き刺さったが、振り返らなかった。
木陰に身を潜めて髪を結い直し、編笠を被り直したところでトロワがやってきた。
「ちょっと貴方……! 悔しくないの、あんな風に言われて?!」
息を切らせている。走って追いかけて来たのだろうか。大した距離ではないが、魔道士の体力では辛そうだ。
「……大丈夫か?」
まだ口を付けていない水筒を差し出すと、彼女はそれを一気飲みし、キッとフリードを睨み上げた。普段は愛想の良い彼女ではあるが、目を吊り上げた形相でとてつもない気迫を放っていた。思わずたじろぎ、傘を深く被って目を逸らすと、「こっち見なさい!」とそれを奪われた。
人に顔を晒すことは好まない。人見知りするのだ。元々そうであったのかは分からない。
その上、ここでは自分は異邦人であり、角のないことも相俟ってよく目立つ。それが良い事ばかりならば構わないのだが、生憎とそうでもないこともある。だから編笠を深く被り、あまり顔を晒さないようにして来たのだが。
「えーと、……俺は気にしてない。あの人はいつも、俺に対してはあんな感じだろう」
「貴方が気にしてなくても、仕事仲間をバカにされて私は悔しいわよ! 今時年寄りでも……その、『角なし』なんて言ったりしないわ」
彼女は躊躇いながら、時代遅れの蔑称を口にした。あの側近にそう呼ばれるまで、そんな蔑称があることも知らなかった。気にしていない、というのは事実だ。
ひとしきり喚いて冷めたのか、あるいはあまり反応のないフリードに呆れたか、トロワは溜息を吐いた。そして、「ついでに」と違う話題を口にした。
「……奉納祭の舞い手の件だけど。やっぱり貴方に頼みたいわ」
彼女は背伸びして傘を被せてくれた。冗談だろ、という言葉が思わず口をついて漏れ出る。
「余所者の俺が立つような場所じゃない」
余所者、という言葉に気を悪くしたのか、彼女はあからさまに眉根を寄せた。
「自分が余所者だと思うの、いい加減やめたら? 少なくとも、私はそうは思わないわ」
奉納祭は毎年この時期に行われる。二代目リゥスイ首領の時代に起きた民族紛争を、自らの命を投げ打って止めた舞巫女を祀るものだ。時代が流れた今は、死者への鎮魂という形に広義の解釈がなされて伝わっている。奉納祭の最終日には、巫女の舞を模した神楽舞が死者達へ捧げられる。神楽舞を捧げた者が、次の年の舞い手を選ぶしきたりだ。
「第一、舞い手は“巫女”なんだから、男の俺じゃ務まらないだろう?」
「あら。男性も“神子”として舞台に立ったことは一度や二度じゃないわよ? 他の候補の子達も貴方を推してるわ」
「他の候補もか?」
「ええ。正直なところ、あの舞は鉱人にはキツいのよ。私だって去年は激痩せして、ひと冬の間調子が悪かったもの。ああ、誤解しないで頂戴ね、だから貴方に辛い役目を負わせようって訳じゃないのよ……。とにかく、貴方が第一候補だってミサキ様にも言っておくから。腹を括っておいてね」
そろそろ昼休憩も終わりの頃合いだ。一方的にまくし立てたトロワは、ひらひらと手を振って踵を返した。嵐が過ぎ去って行ったような気分だ。
気が強いが優しい子だ。小言を言いながらも自分のことを気にかけてくれる。彼女がいなかったら、記憶を失って見知らぬ場所で生きる生活はもっと暗いものになっていただろう。