歓迎の宴、とは聞いているものの、どう見ても歓迎する方が大いに盛り上がっている。首領もすっかり酒が入って上機嫌だ。酒を注いでやるべきか、と思い陶器の器を手に近寄ったが、
「良さぬか。お主らは客であろう、我らに酌などせずとも良いのだ!好きに飲め!食え!わはは!」
……とつっぱねられてしまった。ユーディトの記憶にあるもてなしの宴というのは、もう少し荘厳なものであり――言ってしまえば、要するに堅苦しいものであった。国が違えば文化が違うのは当たり前だ。決してこの賑やかさは嫌いではない。双子は宮殿の兵士と世間話をしており、シャルルは女中達に囲まれている。楽しそうで何よりだ。
「なぁ〜女王よ。そなたの竜騎士……随分といい男であるな?」
盃を片手に近寄ってきたミサキは、ユーディトの耳元でそう囁いた。渦中の彼はというと、すぐ近くで自分のことが話題に挙げられているのに気付いていないようで、黙々と食事をしている。料理を運んでくる者に「可能ならば酒より食事を」と密かに耳打ちしたのだが、その通りにしてくれたようだ。他の者より膳に盛られた料理が多い。気に入ったのか、いつもより表情も穏やかにしっかり食べてくれている。
「私は角だけで人を見たりはせぬが、あれの角は美しいな。それに鉱人だというのによく鍛えておる。身体つきなどまるで彫刻のようではないか。……どうだ、我に輿入れさせぬか?」
茶を吹きかけた。
「そなたでもよいぞぉ? 悪い話ではないだろう。我がそなたを娶れば、サフィルスは正式にリゥスイの庇護を受けられる」
「ご冗談を、首領殿。あれは私の騎士です。くれてやる訳にはいきません。そして私は女です」
「リゥスイは同性婚できる」
「そういう問題では……」
「はいはい首領、女王様が困っていらっしゃいますよ」
助かった。ユーディトは心からそう思った。宮殿の蓮池の船頭をしていた女性、ムネモシュネ曰く“逆ナンお姉さん”――ワンだ。
「お気になさらないでいただければ。首領は酔うと誰にでも婚姻を迫るのです」
把握した。ワンがそう言った側から、首領は通りがかった女中に「お前は髪が綺麗だな、気に入った。我に輿入れせよ!」と声をかけていた。慣れている様子で女中は軽くやり過ごしている。
「……はぁ、しかしなんだ。楽団の一つでも呼べば良かっただろうか。暇はしていないか、女王よ」
「いえ。部下達も、皇帝陛下も楽しんでいるようですから」
盃を置き、扇を広げたミサキが気怠げに呟いた。これだけ賑わってなお、足りないとでも言いたげだ。
「楽団も良いが、我は演舞や模擬試合を見るのが好きでな。……そうだ。そなたの騎士達と我の兵で一戦設けぬか?」
「模擬試合ですか。私は構いません。当人達に聞いていただければ」
「はーい!一番槍ムネモシュネ、謹んでお相手させていただきまーす!」
手を上げたのはムネモシュネだ。それを見たミサキの紅を引いた唇は、悦を帯びて笑みの形をとった。これは代理戦争では……と僅かに過ぎったが、おそらく彼女はそこまで深く考えていない。
一番槍を務めたムネモシュネは、人間で槍使いの老兵士に敗れ、二番手のユーリシュカは魔法剣使いに勝利した。夜も更け、この模擬試合を以って宴を終了するとの触れがなされた。人々の視線は嫌が応にもこの一戦に集中している。
相手は、先日顔を合わせたフリードだった。大広間から外にせり出すようにして作られた舞台へ移動したシャーロックは、侍女が持ってきた斧を手に取った。魔道書は腰に下げている。
「君の話を聞いて他人事とは思えなかった。……俺は“星の民”だ。君のように流れ着いてユーディト様の元にいる」
「奇妙な偶然だな。………すまない、王女付きの騎士であるのならば、きっと貴殿のことは目にしている筈なのだが、思い出せない」
「気にすることはない。だからといって、かつての君の忠誠心が消えてなくなる訳ではないだろう」
はじめ!という審判の声が上がる。
フリードの手元が動いた。武器は腰の剣だけではないのか――時間差で二本、放たれた短刀を弾き落としている間に、獲物を見つけて降下する水鳥の俊敏さで彼は接近する。高い位置を狙って繰り出された切り上げを後方に跳躍して回避し、剣ごとねじ伏せようと斧を振り下ろした。大振りの一撃を僅かな動きで避けると、彼は器用に手の中で剣を逆手に持ち替え、やはり高い位置を狙って突き立てた。
鉱人の角は弱点の一つだ。彼はそれを狙っている。長身に角の大きさ分の上背が加わるシャーロックはいい的だ。だが、先を多少欠いた程度ならば平気だ。角は日々生え変わって自然剥離する。欠けた角の先が背後で落ちる小さな音を聞いた。臆することはなく、仕切り直しを狙って踏み込む。この間合いではお互いに近すぎる。一度体勢を整えなければ武器を振るえまい――そう思ったところで、シャーロックは自分の身体が浮き上がるのを感じて息を呑んだ。間合いを仕切り直すどころか、さらに接近したフリードが投げを繰り出したのだ。
斧が手から落ちる。角を庇いながら横に転がって受け身を取り、膝立ちで再び彼と対峙した時には、既に魔法の詠唱が済んでいた。魔力の高まりを察知したらしい、固唾を呑んで見守っていた観客達がどよめいた。
フリードの明るい色の瞳がすっと細められる。こちらを捉えんと構えた指には持てるだけの短刀が握られていた――どちらもこの一撃で仕留める気だ。いいだろう。瞬きの刹那には飛来するシャーロックの魔法と、獰猛さすら覚えるフリードの瞬発力。速い方がこの一戦の勝者だ。
「――待て待て待て!やめだやめ!!舞台を吹っ飛ばすつもりかお前たちは!」
焦りを滲ませたミサキの声が上がる。続いて、安堵したような落胆したような声も。
二人はそれを耳にして、同時に武器を下ろした。
「やだ、まだ飲んでるんですか首領」
夜風に当たっていると、書簡をいくつか手に抱えたワンが顔を出した。警備の報告に来たようだ。宴の後だろうが仕事はしっかりこなしてくれる。酒も飲んでいなかった。彼女の美徳の一つだ。
「ただの茶だ。もう今日は飲まぬ」
宮殿の蓮池は、警備の為に夜通し篝火が焚かれている。伏した乙女の瞼のように閉じた蓮の花がその灯りで仄かに橙を帯び、夜の闇の中に僅かな陰影を滲ませていた。行き交う警備の者の朧気な輪郭は、さながら亡霊のように頼りなく揺らめいている。
「……オブシウスは? 宴の途中で席を外したようだったが」
「事務仕事が残ってるって。明日でいい仕事は明日やればいいのに」
「まぁ、元々あのような場は好まぬ者だ。だがな、あれは詰め込み過ぎだ。いつか壊れてしまいそうだ。さて、どうしたものかな――あれを私の傍から離れさせる訳にはいかぬ。優秀だからな」
ワンと共に長い付き合いになる。先代首領に師事し、共に学んだ時からだから、もう七十年と少しだろうか。次の首領として指名されたのは、先代の息子であるオブシウスではなくミサキだった。この長い付き合いもここで途切れるかと思ったのだが、友として支えさせてくれと彼は願った。そしてミサキはそれを叶えた。
「話はトロワから聞いたぞ。頭から煙を噴き出しそうな勢いで直談判された」
「…………どうしてこうも、あの子はフリードにだけあんな風に当たるのかしらねえ」
別の器に、茶を注いでワンに差し出す。小さな声で彼女は礼を言って受け取ってくれた。
「鉱人ばかりで兵を構成する訳にはいかぬ。それに鉱人だろうが、人間だろうが、どちらも我の大切な国民だ。我は誰にでも公平であるつもりなのだがな……時々、これで良いのかと自信を失いそうになる」
「貴女は良くやってるわ。貴女が首領になるまで、この国の文化は余所より十年も遅れてたじゃない。鉱人と人の距離だってずっと遠かった。昔の時代に戻りたい……っていう人もたまにいるけど、私は嫌よ」
「ふふ、お前にそう言われるとな……つい舞い上がってしまうではないか。褒めてくれるな」
酔いは覚めた。酔いが回るのも早いが覚めるのもあっと言う間だ。ミサキは髪を払うと、ワンに書簡を机の上に置いておくように指示し、蓮池の見渡せる高楼を後にした。
【幕間】
「我はもう少し湯に浸かっているつもりだが、ところで。そなたの騎士に赤いのと緑のがあったろう。あれは男か?女か?」
「ユーリシュカ……緑の方は兄と聞いていますが。赤……ムネモシュネは、何と言うかその、私もよく知らないのです」
「何と! ……どちらか気にならぬか?」
「好奇心がないと言ったら嘘にはなりますが。男か女か分からなくとも、別に私自身困ったことはありませんでしたから」
「ここは間もなく男女混浴になる。そなたの騎士がもしここに来たら、湯あみ着越しでも流石に性別が分かる!」
「そもそもあの子に、自分の性別云々という意識があるかは疑問です。男女の区別を付けることにどれほどの意味があるか……まぁ、お好きになさってください。あの子も気にしないでしょうし。ですが、どうか湯あたりなさらないでくださいね?」
「ああ~負けたーーー!!くーーーやーーーしーーーいーーー!!!」
「敗因は君にあるよ。相手が老兵だと侮ったろう? 老いてなお槍を持って前線にいるっていう時点でお察しだろう。ほら、温泉卵食べるか」
「食べる!!おいしい!!!」
「みなさんお揃いで。こんばんは」
「まだ食べてるのか、モネは」
「陛下こんばんは!あとシャーロックも!卵食べる?」
「俺はいい。」
「僕に一つください」
「君達はもう風呂は済んだのか?」
「ああ、私もムネモシュネも一番先に入らせていただいた」
「そうか。…………何だか騒がしくなったな。どうしたんだろう」
「首領が湯あたりだそうです。そんな声がしますね」
「そっかー。お大事にだねぇ」