燐光 <シーズン1>   作:舞茸亭金瑠璃

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4幕

活火山が点在するリゥスイ、特に大火山があるクマノでは各地に温泉が湧くという。滞在中使うようにと当てがわれた離れには、庭に囲われた野外の浴場が付いていた。露天風呂、という名前らしい。

 

髪を結い上げて湯につかっていると、カラカラと引き戸を開ける音がした。剣はいつでも抜ける位置に置いてある。柄に手をかけたところで、湯煙の中から「待たれよ、女王」と声がした。宴では随分と酔っていたように見えたが、今はそんな様子もない。真珠のように白い肌と美しい黒髪、そして柘榴のように艶を帯びた赤の瞳と角が、篝火の下で鮮やかに浮かび上がった。

 

「風呂にまで剣を持ち込まずとも警備の者がいる。それとも我らが夜襲をかけるとでも思ったか」

「いや――それは」

「冗談だ。仮にそなた達を仕留めるつもりなら、国に入る前にもうやっている――しかし女王よ、剣は錆びぬのか?」

ミサキはそう言いながら湯の中に入ってきた。一度柄にかけた手を戻す。

「三英雄・紅竜バイルの肋骨と逆鱗を鍛えた剣です。手荒に扱ったことは一度や二度ではありませんが、壊れる気配を見せませんね」

「流石、竜族の遺物といったところであるな。羨ましいのう。我が国にも、初代首領にして三英雄、大魔術師フェイツェイから伝わった魔道書があったが、内乱の折に喪失してしまった」

「後世に遺して行くべきものなら、貴女ならこれからでも作っていけるでしょう。気に病むことはないと思いますが」

化粧は落としている筈だが、それでもなお赤い唇に彼女は仄かに笑みを浮かべた。王として、女としての誇りと矜持と自信。それが全身に表れている。

「ところで――我がここに参ったのはな、そなたと内緒話をする為だ。内緒話にはこういった場所が向いておるのでな」

少し声を落として首領は言う。その声色に王としての覇気はなく、どこか感情的に思えた。

「先日のことだが、ルベウスに偵察に行ってな――女王よ、そなたは先代ルベウス皇帝オルヒの乱心の理由を知っているか?」

「いえ……存じ上げません」

オルヒの乱心は隠匿のヴェールに包まれている。シャルルですら、その理由を知らないようだ。

「そもそもとして、オルヒは城の中で“炎の紋章”を使い竜になった。その際に城の一部が崩落している。物理的な痕跡も瓦礫の下……とばかり思っていたのだがな。当時、先代皇帝の元で執事をしていた者と接触した。その者が手がかりになりそうなものを密かに回収して、持ち出しておったのだ。当人も当時の記憶をしっかり憶えている」

 

先代皇帝は厳しい王だったが、それだけではなかったことは記憶に残っている。娘の懐妊を誰よりも喜び、そして出産の代償の死を誰よりも悲しみ、遺された孫たちを我が子のように、深く愛していた。いつだったか招かれた晩餐会では、孫達のことを誇らしげに語っていた。若かりし頃は自ら騎竜を駆り、軍を率いて蛮族を制圧し、愛する妃には歌を贈ることもあったそうだ。シャルルは歌が得意だが、そんな所は祖父譲りの才能なのかもしれない。そんな皇帝が何故、というのは、ユーディトだけではなく、誰しもが思ったことであろう。

 

「これはルベウスだけでなく、我がリゥスイとてそうであるし――サフィルスも例外ではなかっただろう。国というのは一枚岩ではない。様々な思惑と勢力が存在している。皇帝は国内の、いや、もっと近いところ――共に政治を執り行う為政者達の中にいる者どもに、手を焼いておったそうな。要は、皇帝のもとで美味い思いを出来なかった連中だ。その連中が、後に何になったかは考えるまでもないだろう。“議会”の連中だよ。オルヒは当時既に齢八十、我とてそれぐらいの歳であるが、人間と鉱人では流れる時が違う」

賢帝故に、彼は焦燥したのだろう。その先に語られる言葉は、ユーディトの想像から大きく外れることはなかった。

「執事はオルヒの手記と研究記録を持ち出していた。手記には焦りの言葉が記されておった。それだけではない、側にいた執事殿もそれを感じ取っていたそうだ。『自分が居なくなった後、国はどうなってしまうのか』、『幼いシャルルとキルシーを誰が護るのか』。オルヒの研究記録には――“炎の紋章”の力を、自身の延命に使うことが出来ないかと調べていたようだな」

「その果てがあの乱心……いや、乱心などしていなかった。皇帝は……」

彼は最後まで皇帝であろうとしていたのだ。気丈そうな首領が、声を落とすのも分かる。これではあまりにも居た堪れない。こんな惨い話があっただろうか。

「ああ。それが事故だったのか、あるいは意図的に“炎の紋章”を解放したのか、今となっては分からぬがな。これが真実に限りなく近いであろう。……オルヒとは短くない付き合いだった。あれが賢帝と呼ばれた時代も知っておる。オルヒは良くやっていたよ。惚れ惚れするほどいい男であった。

――だから、乱心して国を滅ぼしたなどと言われるのが私は我慢ならない。この話は誰も知らぬ。ルベウス国民でさえも、今の皇帝でさえも――」

「……シャルル殿には?」

「伝えねばならぬだろな。あの子は賢い故に――ああ、賢い故に、だ。受け止める器量は持っているだろう。話すこちらの方が覚悟するぐらいにはな。数日中に私から伝えるつもりである、そなたの口からは言わないでいてほしい」

内緒話は以上だ、と彼女は言った。ユーディトは返事の代わりに目礼を返すと、湯から上がった。

 

 

 


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