燐光 <シーズン1>   作:るり子/janegoe19th

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3章
1幕


「いたぞ!女王だ!」

名を呼ぶ声がする。声のした方に剣を抜きながら目を向けた。一番近くにいた角のある重装兵を一睨みすれば、臆したのか槍を持った手が強張った。

「退避、退避!」

退避? 一度こちらを追う素振りを見せながら何故だ? ――その答えは自ずと分かった。雨音に混じって、矢の音がする。おぞましい程の数だ。ユーディトは退避を始めた先程の兵の背中を蹴り飛ばした。取り落とした盾を拾い上げて構える。

一呼吸の間もなかったように思う。無数の矢が盾越しに降り注ぎ、そのうちの数本が金属を貫いて鏃の先を目前で覗かせた。使い物にならなくなった盾を投げ捨てると、「第二射、構え!」という声が耳に届く。砦で兵が機械に矢を設置していた――もう一撃くる。遮蔽物はない。別の重装兵達が数名、盾を手にユーディトを取り囲んだ。盾と厚い鎧を纏っていようが、矢の雨の中に身を晒すことには変わらないのだ。彼らは捨て身の覚悟で今ここにいる。恐れを成した者などここに立つことはできないだろう。金属がぶつかり、こすれる硬い音に囲まれながら、突破口を探して目を凝らした。

「――ユーディト様!」

耳馴染む声の直後に、取り囲む一人が吹き飛んだ。上空から飛来した斧の正確な投擲に、頭をかち割られていた。ヴェールがかかったような薄曇りの白い空に、黒麟の機影が一つ。それは急降下して接近すると、兵士達の頭上を掠めるほどの低さを威嚇するように滑空し、立ち向かおうとした二、三人を轢き飛ばした後、再び空へ翼を広げて舞い上がった。

直後に二射目が放たれた。重装兵達は盾を構えて守りに入る。百本を優に超えるであろうそれらが、ユーディトの頭上に降り注ぐことはなかった。飛翔する矢が向かった先は高い位置を狙っていた。飛行戦力に対して優位を取れない彼らにとって、今優先して仕留めるべきなのはユーディトではなかった。

ユーディトの目には、シャーロックとモリオンが全速力で遠ざかり、矢を限界まで引きつけた後に反転したところまでしか見えなかった。矢が次々と降り注ぎ、その姿は高度を落としながら、森と山を形作る稜線の境界に消えた。

 

血液が沸騰するよう感覚が、身体中を駆け巡っていく。目の前のこの者達を全員殺さなければ――と思った。

 

蹄の音を耳にして、馬の首ごと切り落してくれよう、と反射的に剣を構える。振り向いたユーディトの目に映ったのはムネモシュネの赤の鎧と、後ろにシャルルを同乗させたユーリシュカの緑の鎧だった。

「姫様!」

ムネモシュネが伸ばした手に掴まって馬の上に身体を引き上げる。「シャーロックが射られた!」と叫べばいつになく語気を強めてムネモシュネが言った。

「分かってる!――すぐに、すぐに探しに行きますから。今はここから離脱することを考えて!」

憤っているのは自分だけではない。それに気付いて、少し身体に帯びた熱が冷めた気がした。三射目は飛んでこない。代わりに一度退避した筈の兵士達がまた集まり始めていた。

「みなさん、僕の声からできるだけ意識を反らしてください! 数が多すぎて、うまく対象を絞れない!」

何をする気だ、と問う間もなく、シャルルは大きく息を吸い込み、魔力を帯びた「歌」を紡いだ。その声を耳にした瞬間、頭の中に金属をねじ込まれたような不快な感覚がした。ちかちかと明滅し、張り裂けそうな瞳の奥で、どうしてか母と妹の姿がちらついたが、意識を反らせというシャルルの言葉を思い出して、ユーディトは頭を強く横に降った。

現実へと戻ってきたユーディトの目には奇妙な光景が映った。双子は冷や汗を流しながら耐えているようだ。そこまではまだいい。奇妙なのは集まり始めた兵の方で、ある者は頭を抱えて涙を流しながら絶叫し、またある者は地面に倒れ伏して呻き、ある者など気が狂ったように、何もない場所に何度も何度も剣を突き立てて笑っていた。立っているのは片手の指で足りる程の人数で、その者達も辛うじて正気を保っているのがやっと、といった様相だった。

どうなっているんだ――何にせよ誰も追いかけて来ない。雨の音と絶叫の入り混じる戦場を四人は駆け抜けていった。

 

 

 

 

 

オブシウスは女王一行を取り逃がした、という旨の報告を受けていた。報告を終えた兵に下がるように言い、彼はゆっくりとこちらに近付いてくる。眼鏡の奥の、角と同じ黒曜の色をした瞳は酷く事務的で、何の感慨も抱いていないように見えた。

「……舐められたものね。捕虜に縄もかけないで、挙句目の前で戦況報告?」

ワンは、王座にもたれかかりながら気を失っているミサキの額の汗を、ハンカチで拭ってやりながらそう吐き捨てた。

「友に縄をかけるのは気が引けます。何にせよここにいるのは、戦う術のない者ばかりです。武器を取れる者は皆牢の中ですよ。貴女だってそうでしょう?」

……その通りだ。ワンは掌を握り締めた。

どうせならクーデターの将らしく冷たい顔をしてみせたらいいものを。奪い取った筈の王座にも座らず、あろうことかそこにまだミサキを座らせているのだ。

「女王は逃げおおせましたが、竜騎士を墜としました。君の弟の作った武器は優れていますね、ワン。我々でも飛行兵を迎撃できる。無論、飛行兵だけでなく広い用途に仕えますが。お陰で刃向かうものをまとめて制圧できましたよ」

「フィーアの開発したシューターを使ったの? 自国の者を殺す為に?」

「ええ」

「そう…………あの子、きっと怒るわ」

オブシウスは兵士を呼びつけてミサキを見張っているように告げると、ワンを連れて王座の間を出た。友とは言え、どんな問いにも彼は耳を貸さないだろう。だがワンは口を挟まずにはいられなかった。

「どうしてクーデターなんか」

「鉱人が主体の国に作り直す。それだけです。知能に長け、寿命も長い我々が国を動かすべきだ。…………人間を迫害しようとか、虐殺しようとか、そういう意志は私にはありません。ただ、鉱人には鉱人の、人間には人間の、適した役割がある。昔はそうだったのではありませんか、ワン」

「昔そうやって駄目だったから……今こうやって、鉱人も人間も関係ない国を作ろうとしていたんじゃない。『昔は良かった』なんて今を侮蔑する意図で口にする奴にロクな奴はいないの、経験上ね」

 

渡り廊下の柵の向こうでは、こんな騒ぎなど知らぬ、とでも言いたげに閉じた蓮の花に、小降りになりつつある雨が滴り落ちていた。

連れて来られたのは大広間だった。先の一戦で戦死した者の死体が並べられている。どれも丁寧に布をかけられており、ぞんざいな扱いはされていないようだ。

――少しだけ安堵した。もし彼らが、死せる者達を手荒に扱うような真似をしていたら、ワンは何も考えずに、彼が友であると言う最後の一線を超えて、襲いかかっていただろう。

オブシウスは一つの遺体の前で止まった。それだけ棺に納められていた。

 

「私怨がないと言ったら嘘にはなります。故に、それも含めてすべてが本心です。ミサキの代で、閉鎖的なリゥスイは終わりを告げた。隠匿のヴェールは取り払われ、角の無いものとある者の隔たりは少なくなった。遅滞していた文化は大きく発展した。ですが、それは全て光の面です。光があればそこには影が射します。光が強い程に、暗く。

 …………公平と自由の名のもとに、どれだけの者が不満を募らせていたのか分かりますか? 学問所で鉱人と共に学ぶようになった子供が、嫉妬心をかられて相手をいじめ殺した話は知っているでしょう。逆に鉱人が人間を殺したこともある。それらは氷山の一角でしかありません。」

 

彼はゆっくりと棺の蓋を開けた。その中を目の当たりにしたワンは、息を呑んで崩れ落ちた。

――トロワだ。長く美しい髪の黒さはそのままに、だが血の気の失せた肌はより白く、白蓮の花に満たされた棺の中にいた。

 

「皮肉なものです。鉱人と人間の内乱を、命を投げ打って止めた舞巫女を――かつて模した彼女が、同じ道を辿るとは」

彼女を殺したのは僕です、と言いながら、彼は短剣をワンの前に投げ落とした。

「トロワはフリードを庇って、僕の放った剣に貫かれて死んだのです。フリードは川に落ち、アルはその後を追って飛び込みました。死体はまだ上がっていません」

アルとフリードまでも。様々な感情が頭の中を駆け巡り、ワンの手に短剣を拾わせた。

「……あの子は、フリードに思いを寄せていたのでしょう?」

「ええ、そうよ! 健気で可愛い私の妹――。知っているなら、どうして、どうして――こんなことが、出来るの……!」

「――彼女だって!」

オブシウスは、終始淡々としていた筈の声色に、突如激情を滲ませた。

「あの男にさえ惹かれなければ、こんなことにはならなかった筈だろう! 私達は分かり合えない!父上は間違っていた!我々は境界を取り払うべきではなかった!」

 

憎いならそれで僕を刺せばいい、と彼は言った。

ワンは何も出来なかった。

 

 

 

 

 

王座の間へ戻れば、ミサキが薄目を開けている。少し安堵してその体を強く抱きしめた。ワンの腕の中で、彼女は低い声で笑った。乱れた髪の下から投げかけられた視線は、オブシウスへ向かっている。

「これから、どうするつもりだ……?」

「女王の首を取って、国内とルベウスを牽制します」

「ふ、ふふ……お前は、何か勘違いしているようだがな……あれが、仁義や義理だけで動くとは、思わぬ方が良い……それはあれの一部に過ぎぬ……始めて顔を合わせた時、妙な感覚がしたのだ。それがやっと…………何なのか、ようやく…………分かった。」

疲弊していてもなお、その赤を失わない唇が笑みの形を取った。

 

「――あれを突き動かしているのは怒りだ。怒れる獣の巣をつついたな、オブシウス」

 

 

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