燐光 <シーズン1>   作:るり子/janegoe19th

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3幕

視界が揺れていた。壊れた家ばかりだ。すぐ近くで咆哮が響く。見上げた薄雲の空に、鈍色の鱗をぬらと光らせたその巨影は竜だった。長い尾が、それ自体が意思を持った生き物のように鎌首をもたげて、積み木をなぎ倒すように家々を打ち据えた。悲鳴が上がったが、それは家が潰れてなくなったのと同時に唐突に途切れ、何も聞こえなくなった。

そんな惨状を目にしても“彼”の歩みは止まらない。地響きを上げて大地を踏みしめる巨体に臆することもなく。“彼”が恐れているのは他のことだ。やがて、その視界に泣いている子供が映った。銀色の髪の幼い少女。“彼”は、彼女に向かって手を伸ばす。

伸ばしたのは自分ではなかった。これは視界ではなく、投影されたいつかの光景を見ているのだ。

背が高く、精悍な顔立ちをした、少女と同じ髪色の青年。少女の上に大きな影が落ちた。巨竜の脚だった。

 

彼は絶叫する。

 

……そこで、夢から覚めた。

 

 

 

 

 

グレーテルが数人を引き連れてやってきた時は、クーデター側に差し出されるのかと警戒したがそうではなかった。むしろ逆であった。村で匿ってくれるという。

風呂に浸かるどころではない事態だが、雨上がりの森の中を駆け回った汚れを落とせるのは率直に有難いと思った。身体を清め終わり、村の者が洗ってくれた服に袖を通す前に、ユーディトは宝玉に向かって問いかけた。

「……夢を見せたのはお前か?」

答えはない。ただ蒼色の燐光が仄かに揺れているだけであった。

 

外が騒がしい。もう追っ手が来たか、と剣を構えたが、その必要はなかった――フィーアだった。先程までのユーディト達と同じように泥を浴びた姿で、肩で息をしている。充てがわれた空き家に通して休ませてやり、彼の息が整うまで待った。やがてフィーアは、黄色の瞳を怒りにぎらつかせながら口を開いた。

「クーデター側の奴等から話を盗み聞いた。首領とワン姉さん達が捕虜になってる。フリードは攻撃を受けて川に落ちて、アル姉さんはそれを追いかけたって。トロワ姉ちゃんは……フリードを庇って――」

「トロワは――死んだのか」

フィーアは首を縦に振った。あの可憐な少女が――にわかには信じ難い話であった。つい先日も顔を合わせ、会話を交わしたというのに。彼女とはたった数日の邂逅だ。だが、それでも胸の中に穴が空いたような気分になる。

「あの時、女王様が行った後――しばらくしてあいつらがやって来たんだ。僕は裏口から逃げた。本当は喋っちゃいけないんだけど、こんな状況だから……。軍で使う兵器や武器の開発も僕の仕事のひとつなんだ。シューター……矢を発射する装置も僕が開発した。僕はまだ子供かもしれないけど、それでも、開発したものが何に使われるか分かってるよ。アレは人殺しの道具だ。でも――それでも、人を守る為のものだ。それを……あいつらは同じ国民同士で殺し合う為に使ったんだ!」

フィーアは叫び、拳を床に振り下ろした。家具のない部屋に、その音はやけに大きく反響する。怒りに荒い吐息を漏らし、悲しみで肩を震わせる彼の姿が痛々しい。涙一つ流せない程の業火に彼は焼かれていた。

「この国であれを一番効率的に動かせるのは俺だ。だから手元に置いておきたかったんだろうが、もうそうはいかない。新しい兵器でも何でも作ってあいつらを殺してやる。トロワ姉ちゃんを殺した償いは、あいつらの命で――」

「落ち着け、フィーア」

その肩を強く叩けば、怒りに揺れる瞳がユーディトを見上げた。彼の激情は痛い程良く分かる。自らを燃やし尽くすまで消えぬ憤怒の火――だがそれが消えた時には灰さえも残るまい。……彼は、それではだめだ。昨日の自分を見ているようだった。

「君の怒りは私が引き受けた。 ――我々はクーデター派を制圧する。君の持っている知識を貸して欲しい」

 

 

 

 

 

フィーアと合流出来たのは幸運だった。大まかではあるが、クマノの宮殿へ続く蓮池の地形を把握できた。

そして幸運がもう一つ――戦うならば我らも共に、と名乗り出て来てくれた者が集まってきたのだ。宮殿から逃げ延びた者の他、中にはかつて、サフィルスで騎士として母に剣を捧げていた者もいた。それでも戦力差は覆せないが、孤独な戦いでないことは心強い。

 

「ユーディト様、丁度いいところに」

村に匿って貰ってからさらに翌日のことだった。シャルルは元の調子を取り戻したように見える。出来る限り人目につかぬよう、木陰に立っている彼の腕にはカラスが止まっていた。

「宮殿へ向かう目処は立ちましたか?」

「すぐにでも行きたいところではあるがな、生憎と私は軍略には疎い。シャルル殿の意見も聞きたいと思っていた」

「……そのことなのですが、」

シャルルが持つ紙は白紙のように見えるが、よく目を凝らせば僅かな凹凸が刻まれている。盲者用の触覚文字だ。‪

「パーシアスから情報が届きました。ルベウスの反現体制派閥からの情報だそうです。ルベウスに不穏な動きあり、と」

「まさかリゥスイへの進軍を……?」

「いえ、まだそこまでではありません。ですが、議会でそういった話題も挙がっているとかで」

「それならば尚更、クーデター派が全権を掌握する前に動かねば手詰まりになるな。首領殿のことも気がかりだ。そう簡単に処断されることもないとは思いたいが――」

人質は生かしておいてこそ意味がある。それが分からぬ程愚かではなかろう。

「……もう一つ、これは報告ではなく相談なのですが」

表情を曇らせながら、シャルルは申し訳なさそうな声色で告げた。

「パーシアスが、合流に当たりシャーロックさんを、その……迎えに寄越して欲しいと」

彼は重傷だ。熱こそ引いても、傷が一日や二日で癒える筈もない。平気そうに振る舞っているが、ユーディトの目は誤魔化せない。見ていられない――そうして、逃げるように彼の姿のないところにやって来たのだ。

「……すまないがそれは聞けん。双子のどちらかでは駄目か。あの二人ならば、森の中だろうが馬を走らせることが出来る。今、あれを飛ばせる訳にはいかない」

「はい。僕もそう――」

シャルルが言いかけて息を呑む。彼の耳はユーディトより先にその気配を捉えていた。噂をすれば――シャーロックだ。主の姿が見えなくなったものだから、探しに来たのだろう。傷が痛むのか、少し険しい顔をしていた。

「お前、いつからそこに」

「申し訳ありません、ユーディト様。盗み聞きするつもりはなかったのですが」

「構わん。聞いていたのなら話が早い」

「シャーロックさん、すみません。貴方と友達になれたのが嬉しくて。貴方のことを手紙に書いたのです。だから……」

「陛下、どうかお気になさらずに。もう飛べます」

「お前、本当に聞いてたのか? 私はお前を飛ばせる訳にはいかない、と言った筈だが。お前は、自分の身体を使い倒すようなやり方を改めろ。昔から、いつだってそうだ」

「失礼ながら申し上げさせて頂きます、ユーディト様。私が戦えない今、ユーリシュカとムネモシュネを、貴女の元から離す訳にはいきません」

「それは――」

双子も貴重な戦力だ。どちらかを迎えに行かせれば、その分だけこちらの戦力が減る。言い分は良く分かる。だが、首を縦には振れなかった。

「……駄目だ。一人減るならば、減った分をかわりに私が殺す。それで問題ない。第一、戦えないのならばどうやって自分の身を守る? 当然奴らは空の警戒もしているだろう」

「雲の上を飛びます」

「雲の上だと?」

確かに、雲の上ならば矢も届かず、彼らは追っては来れまい。追っ手として飛行部隊を差し向けて来ない辺り、彼らはそもそもとしてそれを掌握していないのだ。シャーロックは、黄金色の瞳をこちらに向けた。月光よりも激しく、それでいて優しい瞳。真摯な眼差しに射抜かれて、眩暈のような感覚を覚えた。

「何度か訓練で経験しています。どうか――信じてください。私を」

「う……ずるいぞ、お前。その言い方は……」

溜息を吐く。シャーロックはこちらが首を縦に振るまで意見を曲げないだろう。信じろ、なんて不確定要素の大きな、それでいて重い言葉を持ち出した以上は。

「……分かったよ。ただし絶対に交戦するな。自分から戦いを仕掛けるなんてもってのほかだ」

「心得ました。シャルル殿、構いませんね?」

「ユーディト様とシャーロックさんがそう仰るなら……僕は止めません。不本意ですが」

シャルルは双方の合意が取れたところで一応は納得したようだ。言葉通り、心底不本意そうではある。

「すぐに支度します、場所を教えて頂けますか」

「分かりました、では地図を――」

何故そこまでするのだ、と胸が絞られるような感覚に苛まれる。やはり殴ってでも止めるべきだっただろうか。時間がないことを少しだけ有難く思った。これ以上深みに嵌ることを避けられる。少し目を閉じて、気分を切り替えた。

 

「――明日だ。明日の夕刻より打って出る」

 

 

 

 

 

「先日は申し訳ありませんでした。その……ありがとうございます。――私を励ますために、あのようなことを。私の、わがままを……」

飛び立つ間際、シャーロックはそう言った。何のことだ、とユーディトは答えた。

夢でも見ていたのだろう、と。

 

目的地には着いただろうか。上手く合流出来ていればいいが――ユーディトは一度目を閉じた。王としての在り方を全て学ぶ前に、護るべき祖国を失った。薄れてはいるがまだそこにある、父と母の記憶を依り代に身体を、心を奮い立たせ、兵達にかけるに相応しい言葉を探していく。

――優しい父。木漏れ日に揺れる慎ましい野花のような慈愛。

――気高い母。劔のように白く猛る熱情と誇り。

宝剣の柄に口付けて、剣を地に突き立てた。それを待っていたかのように、兵達が武器を打ち鳴らす。

 

「――君達が私の元に集ってくれたことに感謝する。生憎だが、私は指揮官としては不十分だ。シャルル皇帝陛下のような聡明さも、ミサキ首領のような指導力も持ち合わせていない。あるのは、これだけだ」

突き立てた剣を引き抜いて構え、振り下ろす。白銀の刀身に、傾きかけた陽の朱色が眩しく反射してぎらついた。

「勇敢なるリゥスイの民よ、共に戦えることを誇りに思う。

誇り高きサフィルスの民よ、今こそ恩義を返す時だ。

戦術に関しては君達の方が優れているだろう。君達で各自判断し、最善を尽くせ。私はそれに剣で答えよう――どうか、私を導いてくれ。」

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