「おはようシャーロック! おーい、起きてますかー? おーーはーーよーーー!!!」
鈍痛を訴える頭に声が突き刺さる。身を起こし、声のした方を見れば昨夜、鍵を閉め忘れたらしい窓が開いており、そこから相棒のモリオンの黒鱗と、細い銀髪を朝日に白く煌めかせたムネモシュネが顔を出していた。
「……声量を下げてくれ。」
「相変わらず寝起き悪いね」
「誰のせいだと?」
「僕でーす」
窓に近付いてモリオンの頭を撫でてやると、彼女は首を伸ばし、喉を低く鳴らして甘えてきた。
「ね、海沿いにお洒落な食事処を見つけたんだ。朝ご飯そこで食べようよ」
「俺は遠慮しとく。食欲が……」
「だめ。君がちゃんと朝ご飯食べるように監督しなさい、と姫様からの命令です。とゆことで、僕はこの子と外で待ってるね!」
一方的にそう言ってムネモシュネは窓を閉め、モリオンを連れて窓の向こうに消えた。主の名前を出せばそうしてくれると思ったのか、はたまた本当に主からそう言われているのか。何にせよ待たせたら悪い。まだ少し気怠い身体を引きずって上着を手に取った。
テラス席からは、朝のまだ登り切らない陽が、南方らしい鮮やかな色彩の海面を照らしているのが見渡せた。海上の通路を兼ねた、桟橋の上を行き交う人々が徐々に増え始めており、一日の始まりを明るい喧騒で告げている。
「は? 朝ご飯それで終わり? 人体舐めてんの?」
トマトのスープを口にしていると、パンのお代わりを三回したムネモシュネは、信じられないとでも言いたげな目を向けた。
「荷物も少なくなったし、今日はそんなに体力使わないだろう。食べたことには違いないんだから」
「む〜……」
鉱人は摂取した栄養を角に多く取られる。故に、体質的に筋肉がつきにくく、華奢な者が多い。体力も角のない者に比べたらずっと少ない。自分のように少食かつ、武術を嗜む者には困った体質だ。それでも食べなければ、騎竜を駆り斧を振る筋力を維持出来ない。時々そんな二律背反に疲れて手を抜きたくなる。
「もっと食べないか?」とスープの付け合わせのパンを差し出せば、ムネモシュネは少し躊躇した後受け取った。食い盛りである。結構なことだ。
モリオンは傍で花を食べていた。近くの花屋が事情を聞いて、廃棄予定のものを譲ってくれた。花が好きと聞くと可愛らしく聞こえるが、彼女にとっての好きとは食べ物の好みのそれだ。
満足したらしい。フォークとナイフを置いて、一息吐くと、ムネモシュネは呟いた。
「……マリー、幸せになれるかな」
昨夜、この町の港から船で経った娘の名だ。彼女は、リゥスイにいる恋人の元へ嫁ぐことになり、村でささやかな宴を催して送り出した。ムネモシュネとシャーロックは村から港までの荷運び兼護衛で、この港町を訪れていた。
「――ああ、なれるさ。マリーはしっかり者だったろう。きっとうまくいくよ」
「そうだね」
今頃あの娘は伴侶となる者の元へ辿り着いただろうか。空には雲一つなく、昨日彼女を乗せて行った船の行く先も、もしかしたら同じ晴れの空を見ているのかもしれない。こんなご時世だ。愛する者と幸せになるぐらい、誰にも邪魔されずに成し遂げられて欲しいと願った。
食事を終えた後、馬宿から愛馬を引き取って戻ってくると、シャーロックは鉱人の女性に絡まれていた。
「俺も現地人じゃないから詳しくないんだ。すまない」
「あら、じゃあせっかくだし一緒に散策しない? 私ね、休暇でクマノからこっちまで遊びに来たの」
「何のお話? 僕もまーぜてっ」
そう言って話に割り込む。女性は「あら」と赤を引いた唇で柔らかに笑った。毛先に朱が混じる腰までの黒髪に、深いスリットの入った丈の長い服。角はティアラ状で、白を帯びた鉱石には花が咲くような形の赤が混じっていた。綺麗な人だ、と思った。
「なぁんだお連れ様がいるんじゃない。つかぬことを聞くのだけれど彼氏さん?彼女さん?」
「彼氏さんでも彼女さんでもないかな。まぁ僕は勝手に兄貴分だと思ってる感じ? ところでお姉さん、何かお探しだったんじゃないの」
「お昼でもお酒が飲めるところを探してたのよ。店が分からないなら、そうねぇ、観光案内所はどこかしら?」
「ここだと停泊所のところが近いかな」
「そう、助かるわ。ありがとう」
嫌な顔をすることもなく、悔しがる素振りもない。女性は手を振ると優美な所作で踵を返す。これが大人の女ってやつか……とムネモシュネは感心した。モリオンはどうだろう。モリオンは賢く人懐こい騎竜ではあるが、それ故に嫉妬したり、思うところがあったりはしないのだろうか。そちらに視線を向けた。
彼女は女性ではなく海の方を見ている。その目線の先を辿っていくと、帆を広げた船影が近付いて来るのが見えた。随分と貧層な船。帆も船体も薄汚れており、漁船にしてはお粗末な有様で、当然観光船な訳がない。何だろう、あれは――そんな考えが脳裏を過った時、空気を震わせて放たれた砲弾の音がその疑問の答えを導き出した。甲板に見える荒くれ達の姿で確信を得る。
少し先を行っていた女性も立ち止まり、近付いてくる船影を見ていた。彼女だけではない。異変に気付いた人々の間には徐々に動揺と恐怖と混乱が伝播しつつある。
「……モネ」
「うん、分かってる。鎧、持ってきて良かったね」
自警団には民間人の退避を優先するよう伝えた。そして、海賊の撃退には自分達も手を貸す。とも。少し警戒した態度を取られたが、それも船から飛び移って来た一人を、槍の投擲で仕留めるまでの話であった。
やはりこういった時は臨機応変になるべきだ。そう思いながら、人の流れに逆らい桟橋に馬を走らせる。誘導で徐々に民間人が移動し始めていた。これぐらいまで人の密度が減れば、思う存分に槍を振り回せそうだ。
赤い鎧が目を引くのか、自警団よりもこちらに敵が集まってきている。叫び声を上げながら飛びかかってくる海賊を槍のひと薙ぎで牽制する。弾かれたのは賊の方だった。賊が体勢を崩したところに、正確な斧の投擲が頭上から飛来する。賊は海中に没し、血の筋だけを僅かに浮き上がらせた。降下し、橋の縁に突き刺さっていた斧を回収したシャーロックが「少し離れていてくれ!」と声を上げた。少し褐色を帯びた肌に輝く金色の瞳が刹那、交錯する。彼は斧を取った手と反対の手に、既に魔道書を構えている。それらの意図に気付き、愛馬に引き返すよう合図した。
続々と船から海賊が乗り込んで来る。一人一人では大した戦力ではないが、やはり数で来られるのは分が悪い。そろそろかな……と空を見上げれば、空中で静止するモリオンと、その上で魔法を展開するシャーロックの姿が見えた。紫電が降り注ぎ、賊達へ殺到していく。
「やるじゃない、あなた達」
そう背後から声をかけてきたのは先程の鉱人の女性であった。その手には闇魔法の魔道書がある。
「お姉さん、僕達のことは気にしないで避難していいよ」
「お気遣いなく。私ね、国家公務員なの。こういう時は仕事しろって上司に言われてるのよ」
彼女が腕を翳すと、ムネモシュネの横を闇魔法が掠め飛んで行った。その黒い奔流が背後にいた剣使いと、弓使いをまとめてなぎ倒し、海面へと叩き落とした。
「援護するわ」
「ありがとう、お姉さん!」