燐光 <シーズン1>   作:るり子/janegoe19th

5 / 27
3幕

皇女の姿は探すまでもない。

部屋の前に立つ、顔をよく知った護衛の姿にアンネマリウは安堵した。自分の息のかかった者達に、皇女の身の安全を任せられるのが頼もしい。私腹を肥やし、目先の利益に飛びつくことしか考えていない議会の連中と、それに媚びへつらう堕落した帝国軍人達が、いつ皇女を亡き者にしようかなんて、分かったものではないのだ。

今日は珍しい人物がいる。今年の春先に私設部隊へ迎え入れたばかりの、重騎士の少女だ。名前は確か――

「コレー、夜警明けなのではなくって? ご苦労様。どうしたの?」

「あ、アンネマリウ様……これは、その……先輩方に差し入れを持ってきたのであります!」

一房だけ黄金色が混じる真紅の髪はよく目立ち、女性の、しかもまだ年若い少女の重騎士故に尚更目に留まる。悪い意味で目につくのではないのだから、特に口煩く言うこともない。

コレーは掌に収まるくらいの、薄い紙で包装された小さな包みを二人の護衛に渡していた。護衛も貰い慣れているのか気さくな態度で接していたように見えた。

「隊員同士仲が良いのは良いことだわ。何を頂いたの?」

「琥珀糖ですよ、アンネマリウ様」

「コレーったら器用なんです」

「まぁ」

彼女はどういった顔をしたらいいのか分からない、といった顔で目を泳がせていた。普段の彼女の立ち振る舞いや雄々しい槍捌きと、製菓が趣味というのがどうも結びつかない印象だ。彼女のこの様子を見ると、そう思われているかもしれない、という自覚はあるようだ。

「まだ琥珀糖は残っていて?」

「残っておりますが、あまり形が……」

「構わないわ。私にも分けて頂戴――ああ、そうね。せっかくだから貴女もこちらにいらっしゃいな。」

 

 

 

 

 

「――失礼致します、皇女様」

 

返事はない。ぴったり二呼吸の間を置いて、両隣の護衛が両開きの扉を開いた。今日のように、他に人を入れることは滅多にない。議会の連中など以ての外で、彼らに触れさせんが為に、乳母という立場にものを言わせて隊を作ったのだ。自分が直接面と向かって会話を交わし、人格や経歴を調べ上げた部隊員だからこそ、ここに招き入れた。

アンネマリウは、寝台の傍の机にティーセットを置き、コレーに座るよう命じた。三つのティーカップに茶を注ぎ、一つは取っ手を皇女側に向けて机に起き、もう一つはコレーに差し出す。今日はオレンジとハーブをブレンドしたもので、爽やかな香気が部屋の中に広がった。

コレーから貰った琥珀糖は、青い小花が描かれた小皿に盛り付けた。寒天を溶かした砂糖水を固めて結晶化させて作るものだ。上手く作るのは難しいが、彼女は見事に仕上げている。青く着彩され、中には削って入れた金箔が星屑のように煌めき、さながら青金石のようだ。

「……畏まらなくて良くてよ。貴女が不躾な振る舞いをしないことは、私もよく分かっているわ。そうでなければ私の『日課』に貴女を招き入れたりはしないもの」

「は、はぁ……」

「お茶の味はどう?」

「すごくスースーします」

「そう。甘さが欲しかったらこちらの蜂蜜を入れるといいわ」

緊張して味どころではないだろうコレーを横目に、アンネマリウは皇女キルシーに目を向けた。

天蓋付きの寝台に降ろされた薄い幕越しで、皇女は今日も眠っている。部屋の中は優しい香りで満たされ、皇女の眠りを妨げぬように位置を調整された窓からは、日中は心地よい陽光が、夜は星月が見えるようになっていた。

 

この部屋の扉一枚を隔てれば、そこは薄汚い欲望の渦巻く世界が広がっている。彼女は既にそれに触れ、その結果としていつ目覚めるとも知れぬ深い眠りの中にいる。

皇女は三年前に、城の堀に転落して溺れた。皇女は幼なかったが、聞き分けの良い、しっかりした子供であった。危険だから立ち入らないようにと言った場所には決して近付かず、愚図りもせずに取り決められた一日の執務をこなしていた。

あの時、皇女は双子の兄である皇帝と座学の予定が入っていた。……だから、柵のない堀の側になど近付く筈がない。座学の予定を疎かにする筈がない。何者かが皇女を謀ったのだ。

 

議会の呼んだ医者など当てにならないと突っ撥ねて、国のあちこちから名医を掻き集めて皇女を診せた。だが誰もが首を横に振った。皇女は心臓が動いていて息をしているだけで、奇跡でも起きない限り目覚めることはないだろうと。頬も唇も薄紅を帯び、髪は金糸雀の黄金に今も輝いているというのに。

皇女の側にいると娘を思い出す。元はと言えば、召し抱えられるきっかけは内乱と、それを原因とした娘の死だ。重ねずにはいられない。愛らしい声も、もう届かない微笑みも。

そんな痛みを抱えながらも、側にいるのは後悔か、彼女を守れなかった罪滅ぼしか。

 

ただ一つ、はっきりと言えるのはまだ彼女は全て失われていないということ。

もしかしたら聞こえているかもしれない。届いているかもしれない。だからこうして、時々彼女の側で語らうようにしている。皇女は年頃の少女だ、きっとこの琥珀糖のような綺麗な菓子を気に入ってくれるだろう。

 

 

 

 

 

「よぉ、コレーじゃないか」

槍に私物をひっかけて帰路につく途中、そう声をかけられた。何だか夢か幻でも見ていたような気分で歩いていたのだが、棘のある声に否応なしに現実へと引き戻される。

「どうした、緩いツラ晒しやがって」

「“魔女様”のお相手は務まったのか?」

赤を基調にした鎧を纏う姿はルベウス帝国軍人だ。巡回中なのであろうが、顔に締まりはなく威厳は感じない。議会が政権を掌握してなお、国の為に尽くそうとしている者達は確かにいるのだが、こういう奴ばかり悪目立ちする。

「一体どういう色目を使ってあの女に取り入ったんだ?」

「女ばかりを集めるのが趣味なんだろう、あの魔女様は。いつまでも若くていい女なのも、他の女の精力を啜ってるからだって聞いたぜ?」

鹿のような紫金水晶の角。激しい金色の瞳。褐色を帯びた肌。何でも肌の色は、内乱で殆どが死に絶えてしまった民族の特徴だという。彼女が妖艶で美しいのは同意だが、上司の悪口は聞き捨てならない。

「何寝ぼけたこと抜かしてやがるんだテメェらは。頭が性欲と直結してんのか?」

「天下の“弓騎士パーシアス”の孫もこんなんじゃなぁ。もしかしてあの弓騎士も色目――」

反射的に槍を向ければ、怯んだ男の「ヒッ」という息を呑むような小さな悲鳴が上がる。布に包んだ荷物が石畳の上に落ち、ガシャンという音を立てた。

「あたしのことは何言おうが構わないけど、じぃさんを侮辱されちゃ黙っちゃおけねえな」

「なんだ、やんのかコレー。重騎士のお前が軽装兵に敵うと思ってんのか?」

「ああ~、お待ちなすって若い皆さんがた。おお、こわいこわい……」

すると、睨み合ったコレー達の間にのろのろと割り込み、立ちふさがる者があった。腰を曲げ、杖をついた老女だった。顔が見えない程目深に被ったフードの下から、鮮やかな赤色の角が伸びて見えている。

「国民同士で争っても何も楽しいことありませんですじゃ。ここはこの、通りすがりのお節介焼き赤鬼ばばに免じて、どうかどうか……」

興ざめしたらしい。多少なりやる気であった兵士は舌打ちをして、品の無いことを聞こえるように言い合いながら去って行った。コレーは溜息を吐いて構えた槍を下ろした。人通りが少なくて幸いだった。騒ぎになったら部隊の者にも迷惑になる。自己嫌悪を噛みしめていると「お嬢さん、忘れ物だよ」と老女が曲がった腰で荷物をよたよたと拾い上げ、手渡してくれた。

「ああ、悪いなばぁさん。中に鎧が入ってるんだ」

「こんな重いのを毎日着てお仕事してるのかい?えらいねぇ」

「ありがとう……さっきはすまねぇな。じいさん馬鹿にされてカッとなっちまった」

「気持ちは分かるけどねぇ。大切な人を馬鹿にされたら、誰だって悔しいから。じゃ、ばばはこれで」

「おう、気をつけてなばぁさん。困ったことがあったら連中より、あたしら『ベラ・リリン』に言ってくれよ?」

「頼もしいねぇ。そうさせてもらうよ、ほっほ」

老女は日中だというのに活気のない大通りを歩いていく。その姿が曲がり角に入って見えなくなった頃コレーは溜息を吐いて近くの壁に背中を預けた。仰ぎ見た天に、黒衣を纏う天馬騎士の姿が数機行き交っている。皇女親衛隊「ベラ・リリン」の隊員だ。自分も含め、彼女達は身に纏う鎧や服を、ルベウスの徴である紅ではなく、それ以外の暗めの色にするよう命を受けている。だからすぐに見分けがつくのだ。演習中か……と思ったが、どうも様子が慌ただしい。やがてそのうちの一騎が、大きく弧を描いてこちらに向かってきた。

「コレー!」

彼女が自分を呼び掛けたのとほぼ同じに、街の中から煙が上がった。悲鳴も聞こえてくる。

「夜警明けのところごめんなさい。山賊が山を越えてやってきたの。手を貸して」

「何だって? 警備の連中は――」

言いかけたところで止めた。先輩の天馬騎士は苦笑いで返す。十年前だって復興を疎かにしてまで侵攻を選んだ国だ。その場凌ぎの使い捨て、誇りのない軍人達に何を期待できよう?

「嫌になるわね、まったく。ああ、代休は後で申請して頂戴ね」

「……了解です、先輩。すぐ行きます」

さっきの老女は大丈夫だろうか。腰が悪そうにしていたが……。コレーは鎧を身に付けながらそう思った。

 

 

 

 

城の正門から続く大通りの先には、時を刻むことを止めた時計塔が聳えているのが見える。誰も手入れしようとしないのだ。薄曇りの下、行き交う人々の顔は誰も彼も明るくない。もう、明るい表情を浮かべることなど忘れてしまったかのようだ。元はと言えば、十年前にかつてこの国の皇帝だった男の行為が原因であるのだが――悔やんだところでもう、賢帝だった頃の皇帝と、強く誇り高き祖国は戻って来ないのだ。

思わず立ち止まる。煙の匂いを鼻先に感じたからだった。家から煙が出ている。微かにパチパチと建材の燃える音も耳に届いてきた。陰鬱とした街に、喧騒がわっと広がっていく。

ルベウス帝都・ファーレナは崖と険しい山々に囲まれた天然の要塞の中に位置している。東西南北にある門を抜けて街に入るのが一番容易だ。首都の護りの任を任せられている軍人達の話を盗み聞けば、狼藉者は門ではなく山を越えてやってきた賊達らしい。市井の警護を任されている筈の部隊と半ば喧嘩腰に話をしている女達は、皇女親衛隊だった筈だ。皇子を連れて帝都を逃れた後も、何度か情報収集にここに戻ってきているが、相変わらず私設部隊とは思えない練度だ。どうも彼女らの部隊が賊の相手をする、ということで話が纏まったらしい。

 

「早く!避難所まで走って!」

 

真紅の髪の少女重騎士が声を張り上げていた。賊が屋根から屋根を飛び移って接近し、落下しながら少女に向かって斧を振り下ろす。少女は臆することなく、髪と同じ真紅の瞳を大きく見開いて大盾を構えた。ガン!と高い金属音が響く。そのまま彼女は賊を蹴飛ばした。石畳の上を転がり、こちらの足元まで滑り込んできた賊に矢を抜いて突き刺した。つい、癖でとどめを刺してしまったが、本来自分はここにいてはならない身だ。多少迂闊であった。顔を見られないよう、フードを深く被り直す。

「なんだ、じいさんやるな。退役軍人か?手伝ってくれんのか?」

少女の声。「……ああ」と短く返した。気の強そうな娘だった。髪と瞳の真紅は鮮やかで、頭頂部からツンと伸びる癖毛だけ金色をしていた。

 

コレー。

 

懐かしい名が記憶の中の深い場所から浮き上がってくる。自分が表向きには皇子と共に“死んだ”後は、知人が院長を務め、二人でよく顔を出していた孤児院へとその身を移した、と人づてに聞いていた。まさかこんなところで再会するとは――

「ひぇえ!ばばを!このばばをお助けくだされ!」

今度は老女の声がする。声の方に向けて矢を放つと、賊は短い悲鳴を上げて崩れ落ちた。

「やっぱり……今行くよばぁさん、あたしと一緒に避難所へ行こう」

「…………私は時計塔へ向かう。大通りに敵を留めてくれれば射撃援護しよう」

「助かるよじいさん!仲間にも伝えておく」

「飛行兵には高度を下げすぎないように言ってほしい。流れ矢に当たる恐れがある。そなたはくれぐれも無茶をしないように」

「ああ、ありがとう。じいさんも気を付けてな」

男児のように勇ましく気が強い子だが、優しい子だった。今も変わっていない。柔らかな午後の日差しのような、懐かしく温かい記憶が蘇る。落陽を待つばかりの国に何を見出し、彼女は槍を取ったのだろうか。

それを聞くことが許される時間は今は無い。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。