「姫様、どちらへ行っていたんですか!」
宿へ戻れば、ぷりぷりと怒りながらムネモシュネが出迎えてくれた。
「いくらまだ大きく動いてないからって、危ないですよ!んもう~」
「君達は過保護すぎる、皇帝陛下を見るといい」
「……皇帝陛下は逆に肝が据わり過ぎです」
「そうですか?」
ユーリシュカが軽い苦言を呈したが、シャルルは気にしていなさそうだ。
「村に傭兵を向かわせた。私が直々に相手して強さを確かめたから腕は確かだろう。これで少しは安心……だといいが」
村の皆は今頃夕飯の時刻だろうか。村を経ってまだたった数日だが、随分遠くに来てしまった気がする。
「皆さん、状況確認と報告をいくつかしたいのですが、よろしいですか?」
「ああ、構わん」
シャーロックは外で見張りをしつついつもの鍛練をしている。彼には後で伝えなければ。
シャルルが地図を広げた。一見、変哲のない地図のようだが、よく見れば紙に僅かな凹凸がある。それに指で触れて確かめれば、目で見ずとも地形を把握することが出来るのだ。シャルルの白い指先はまず、リゥスイとの国境に近いサフィルスの小さな町に留まった。
「現在地はここです。当面の目標は戦力の確保となるでしょう。それに当たりまずはリゥスイへ接触します。ユーディト様、僕の伝書カラスには合流できましたか?」
「脚に青いリボンの結ばれたカラス、だろう? 確かに手紙は渡した」
「ああ、良かったです。天候にもよりますが数日で届くでしょう」
「リゥスイは王都とその周辺からの難民を受け入れて貰っている。今もそこで暮らしている人々がいる筈だ。リゥスイがこちら側についてくれるのが一番好都合だが……」
「あの国は基本的に中立ですからね」
母の時代に交流があり、自分も首領とは顔を合わせたことがある。縁がない訳ではないが、どう転ぶかは未知数だ。
「直接の協力は仰げずとも黙認して貰えないか、といった旨も書いた。正直、あまり期待はしていない。私が生きているということだけでも、何らかの形で周知できれば上々だと思っている」
「その際はまた新たに別の方法を考えましょう」
十年という歳月が変えたものはユーディトの環境だけではない。王都からリゥスイに逃れた人々の中では、新たな人生を歩み始めた者もいるだろう。そんな人々を強引に駆り立てるつもりは毛頭ない。
シャルルが何かを指先で探していた。ムネモシュネが、小さな駒を彼の手に握らせる。
「ありがとうございます、モネさん。……戦力に関してですが。パーシアス……えーと、僕の仲間が、ルベウス側でこちらについてくれる人がいないか当たっているそうです。」
「パーシアスだって?」
ユーリシュカが驚きを隠せない様子で呟いた。
「あの弓騎士パーシアスですか?」
「誰それ?」
ムネモシュネはピンと来ないようだ。ユーディトは掻い摘んで教えてやる。
「先帝オルヒ殿の時代から皇帝一家に仕えていた騎士だ。話したことはないが、私も顔は知っている。たまたま目が合ってしまったシャーロックが、思わず顔を引きつらせたぐらいの覇気を持った老騎士だった」
「へぇー、あのシャーロックがねぇ。」
「矢は天敵だからな…………君と一緒に殉職した、と聞いたが、今もお元気でおられるのか」
「ええ、年々元気になっているくらいです。合流はもう少し先になりそうですが。ルベウス側で人が集まれば、サフィルス東側の大橋と、西側の平野で挟撃できます」
東側の大橋に円柱の駒、西側の平野に角柱の駒が置かれる。
「王都周辺の領土は………この辺りまでが支配下です。そうでない領地で、一番近いところはバセット領ですね。ユーディト様、こちらのことはご存じですか?」
「バセット家は古くから付き合いがある。王都の守りを担っていた名家だよ。跡取りで嫡男がいたと思うが、生憎と十年前で情報が止まっている」
「ここに拠点を持てたら理想的ですよね。情報を探っておきますね」
「ああ、そうしてくれると助かる。何から何まで、頼ってばかりで申し訳ないが……」
「構いませんよ。僕に出来ることなら何だって」
同じく国を追われた身で、彼は何を思い駆け回って来たのだろう。ひとまずはリゥスイの反応待ち、ということになりそうだ。
「……始まるね」
ムネモシュネが呟く。無垢な飴色の瞳は、いつになく強い光を宿していた。
宿の庭へ、杖をつきながらシャルルが出て来た。中での話は終わったようだ。
付き添いもなく一人である。彼には別行動中の仲間がいるそうだが、合流するという話は耳に入っていない。その仲間は、どうやらユーディト達を皇帝の身柄を預けるに相応しいと判断したようだ。皇帝が自ら身を任せたのなら間違いない――とでも思ったのかもしれない。よく分かる。盲信と忠義の間に身を置く我が身にとっては。同じ立場だったら同じことを考えるだろう。主が道を違える筈がない、と。
「ああ、シャーロックさん。お疲れ様です」
まだ声変わりしていない声色で名を先に呼ばれた。まだ声をかけてすらいないというのに。視覚に頼れない分、他の感覚で補っているということは想像に容易いが、それでも良く分かるものだと思った。彼は、紅と蒼の二色の瞳をこちらに向ける。美しい瞳だ。まるでルビーとサファイアのような。
「……どうかされました?」
「あ、あの。シャーロックさんは竜騎士でいらっしゃるのでしょう。いつから竜に?」
「はい。内乱の少し前から訓練を始めて……本格的に乗るようになったのはサフィルスに来てからですね」
「すごいなぁ。ご存知かもしれませんが、僕のお祖父様……先帝オルヒも、お若い頃は竜騎士であったそうです。僕も竜騎士に憧れていたのですが、もうそれも叶いそうにありません。せめて、貴方の話だけでもお聞きしたいなぁと」
「ご興味がおありですか?」
「はい!」
「陛下がお望みならいつだって。宜しければ、乗ってみますか?」
「えっ、良いんですか?」
「構いません。ですが、少し訓練が必要になりますよ」
「訓練、ですか。大丈夫です、ちょっと怖いですが、乗り越えます!」
微笑ましい。笑みを堪え切れずいると「今笑いましたね?!」と声が飛んできた。
「……失礼しました。陛下が楽しそうなもので」
「ああ、畏まらなくて結構です、僕のことは陛下ではなくシャルルと呼んでください。さっきのことは約束、ですよ。僕、楽しみにしてますから!」
正直なところ少し驚いている。歳不相応な風格を持った少年だとばかり思っていたが、それだけではない面も持ち合わせているようだ。王であれ、人間には違いない――ということか。もっと話をしたい、とシャルルは言ってきた。ならば続きは立ち話ではなく宿の部屋で、と提案すれば彼は嬉しそうに頷いたのだった。
これから往く先は決して明るいことだけではない。せめてひと時でも安らげれば、と思うのは欺瞞だろうか。