燐光 <シーズン1>   作:るり子/janegoe19th

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2章
1幕


大股で渡り廊下を歩いていると、すれ違った侍女が足を止めて一礼する。朱色に塗られた柵の向こうには蓮の花が満開になっていた。リゥスイ首都・クマノは一年中温暖で、滅多に雪が降ることもない。蓮の花は途切れることなく人々の目を楽しませてくれている。

「お前、姫の姿は見たか?」

「いえ。まだ一度も……」

少し後ろを歩く部下のオブシウスに、リゥスイ首領ミサキは問いかけた。

「どんな顔か気にならんか?」

「今から会われるのですから、焦ることもないと思いますが」

池を跨ぐ渡り廊下を越えると、離れへ辿り着く。普段は一人になりたい時に使っているが、見栄えが良いので来客を招いたりすることもある。よく手入れされた庭木の向こうに、共と思わしき背の高い男の角が見えた。こちらが配置した兵に、ここで待っているようにと東屋の方へ案内されていく。

「お前はここで見張っておれ。誰も通すでないぞ」

「はっ」

裏門をくぐって入る。中は焚かれた香の香りが仄かに漂っていた。侵入者対策で、どこを歩いても床板が軋む。客人もその音に気付いただろう。襖を開ければ、既に覚悟を決めたような顔の若い娘と、場にそぐわぬと思う程に落ち着いた佇まいの少年が待っていた。

 

少年の方はまだいい。しかし娘の方は――どうも違和感が拭えずにいる。美しい青石の瞳は、黒い炭が静かにその中に炎を抱いて燃え上がるような美しさを秘めていたが、それでいて酷く不安定ささえ感じてしまう。相当の想いをして彼女はここまでやってきたのだろうが、この違和感は何なのだ? 覚悟だけではない。

これはもっと危うく激しいものだ。

 

「――お待たせ致した、ご客人。改めて自己紹介する必要もないだろうが、ここは形式に則って名乗ろうではないか。私は五代目リゥスイ首領・ミサキであるぞ」

「十数年ぶりにお目にかかります。サフィルス第一王女ユーディトと……」

「ルベウス皇帝シャルルです。はじめまして」

 

王族諸共に複数の領土を失い、人々から笑顔と活気が消え失せたサフィルス王国。寄生虫がやがて宿主を殺すが如く、落日を待つばかりのルベウス帝国。まともな統治が行われているのは実質的にリゥスイ連合だけのようなものだ。その気になれば両国を捻り潰すことも容易い、と思われているのかもしれない。

最も、現実的ではない。大陸最強と言われたルベウス帝国軍は、全盛期に比べたら練度は落ちているだろうが、帝国を掌握する議会の一声があればいつでも牙を剥くだろう。ルベウスの竜騎士部隊はリゥスイにとって脅威だ。魔法には長けるが武術は不得手な鉱人の多いリゥスイの兵は、地上の魔法部隊が主力になる。こちらの航空戦力は気休め程しかなく、それら相手だと部が悪い。

もし、サフィルスに攻め入れば自身の支持は失墜する。リゥスイにはサフィルスからの難民がいる。国民の気質も中立寄りだ。

どう転んでも何の得にもならず、そして何より――ミサキがその気にならない。

 

「そなた達を疑っている訳ではないが、念には念を入れねばならぬ。“炎の紋章”を見せてくれぬか」

そう言えば、二人は食い下がることなく、掌に収まる程の大きさの宝玉をこちらに見せた。昼の光の中でもそれは淡く燐光を放っている。サフィルスのものは青玉、ルベウスのものは紅玉の輝きを。それを見届けたミサキは、帯の中に忍ばせた小袋から、自らの所有する“炎の紋章”を取り出した。こちらは翡翠の輝きだ。三つの宝玉は共鳴し、熱を帯びている。

「間違いないな。お主らも知っておろうが、宝玉が熱を帯びるのは正しい持ち主の元で揃った時だけだ。光るだけならば、これを用いて“竜”になることが出来る者が触れればそうなるが――」

ミサキの生まれる前であったが、リゥスイの宝玉が宮殿で働く鉱人に盗まれたことがあったらしい。その力を解放される直前にその者は矢を射られて死に、すんでのところで大惨事は避けられたが、その際に宝玉は、確かに若者を“竜”にすべくその力を以って応えようとしていたという。ぞっとしない話だ。

「ふふ、正式な場ではないとは言え、こうして三国の代表が揃うとは。数奇なものであるな?」

ミサキは畳の上に腰を下ろすことなく、着物の裾を少し払って王女ーーいや、今は“女王”である娘に近付いた。

「まずはお礼を。サフィルスの民を先んじて受け入れてくれたこと、誠にありがとうございます」

女王は口を開く。鮮やかな青玉の瞳は、目を合わせただけで気圧されてしまいそうな圧を感じる。彼女の母親だった女も、瞳の色こそ違えどよく似た眼差しをしていた。

「礼ならば私もしなければならぬな。港町で、そなたの騎士が海賊を追い払ってくれただろう。我が民を救ってくれて感謝する。サフィルスの民なら今も元気にやっておるぞ――ああ、我が宮殿の警備兵にもサフィルスの者がいる。後で手配しよう。顔を見せてやってくれ。

……さて、生憎と我も忙しいのでな。早速だがそなた達の申し出について話をさせてもらう。結論から言うと、リゥスイからの直接的な支援は出来ぬ」

二人はこちらの反応をあらかた予想していたのか、目に見えるほど動揺はしなかった。

「だがそなたが手紙に記した通りにしよう。この件に関して、我が国へお前達が牙を剥かぬ限り――我は黙認する。リゥスイはあくまで中立――だが、個人の意思までは強制できまい。女王ユーディト、及び皇帝シャルル一行のリゥスイ滞在を許そう」

襖を開けて手を叩くと、側に控えていた侍女が音も無く歩み寄って来る。彼女に、この離れに来客の準備をせよと告げた。

「滞在中はこの離れを使うと良い。後で建物の案内をさせる。それと、客人をもてなす宴を開かねばならんな!女王と皇帝、久しぶりの顔見せになるのだから、疲れた顔ではいられまいぞ? ちゃんと王の顔を作っておけよ」

 

 

 

 

 

観光気分……という訳にもいかない状況であるが、首領ミサキに、「来客の準備の間に一周してこい」と舟に放り込まれたのでは仕方あるまい。

母は、女であるからと舐められることを嫌った。この国の首領も、同じ類のものであるだろう。“赤鬼”という物々しい異名も頷ける。

王には王である故の風格があるのだ。ミサキのように、あるいはシャルルのように、そしてかつての母や父のように――

 

首領の住む屋敷の周りには池が広がり、屋敷に近づくにつれ濃く鮮やかな色合いになるように蓮の花が植えられている。通路として木製の橋が渡され、護衛の兵士と思わしき姿と、それに混じって住民と観光客が行き交っていた。

船頭達が長い櫂を手繰りながら、蓮の間に舟を進ませている。編笠と、詰襟で丈の長い民族衣装が兵士の制服らしい。リゥスイはサフィルス、ルベウスとも大きく異なった文化を持っている。どこを見てもその風景は異国情緒に溢れ、新鮮な驚きを呼び起こした。

 

橋を挟んだ向こうを行く舟では、ムネモシュネとシャルルが手を振っていた。楽しんでいるようだ。ユーリシュカは揺れのせいかあまり顔色が良くない。

三人の乗る舟を操る白服の船頭が、傘を上げてこちらに片目を瞑って見せた。その目線の先は同じ船に乗る三人のうちの誰かでもなく、ユーディトでもなく、その後ろのシャーロックに向けられている。

「あっ、こないだの逆ナンお姉さんじゃん!」

ムネモシュネがそう言った。ユーディトは背後のシャーロックを振り返って尋ねた。

「何だお前、逆ナンされたのか?」

「そうなるんですかね……公務員ってそういうことだったのか」

「たまたまよ! 探ってた訳じゃないわ!」

地獄耳らしい。振りまかれる愛想をどうしたらいいのか分からないのか、シャーロックはさりげなく視線を明後日の方向に逸らした。

 

「素晴らしい眺めだな。随分と観光客もいるようだが」

そんなやり取りはさて置いて、ユーディトはこちらの船頭に尋ねた。船頭は「はい」と短く答える。

「これだけ兵士がいれば、良からぬことを企む輩も躊躇うだろう。それにこの足場で暴れ回れるのは相当の手練れではなければ難しそうだ。観光資源としての利用と、警備の両立……よく考えたな」

水面に手を伸ばして触れる。ゆっくりと進む舟の動きに合わせて、泥の上に澄んだ水を湛える水面が波打った。

「……気をつけてください。落ちたら我々でも拾い上げられません」

船頭の男が言った。

「この池の蓮は特殊な性質があります。本来の根の他に、落ちた生き物がいるとそれに絡んで沈め、養分としてしまう細い根を持っているのです。多くは小動物や虫ですが……」

「人もその範疇だ、と。まるで食虫植物ですね」

シャーロックが呟いた。

船頭が顔を隠すように目深に被った傘の下からは、橙とも薄紅ともつかぬ長い髪が流れている。腰に下げた剣は随分使い込まれているように見えた。

「船頭殿。君はサフィルスの人間か?」

船頭は少しの間を置いて肯定した。ミサキの采配に違いない。

「傘を取って顔を見せてくれないか。……国を守れなかったことを攻めることはしない。君がここで生きたいのなら、私はそれを止めない。ただ、最後まで戦い抜き、生き延びてくれた君の顔を見たいんだ……駄目かな?」

舟がゆっくりと止まる。船頭は振り向いて、頭の後ろで緩く結ばれた傘の紐を外し、顔を晒した。左目の下に泣き黒子のある、明るい黄緑色の瞳をした青年だった。角はない。細身に黒を纏った、中性的で流麗な印象の割に、落ち着いた低い声をしていた。

「君の名前を聞かせてはくれないか」

「ベルフリード。今は“フリード”と」

「フリード、私を恨んでくれてい。だが、言葉をかけるぐらいは許してくれ。君はどうやってここに? ……ああ、舟を進めてくれて構わない」

フリードと名乗った青年は、編笠を被り直すと、少し舟の速さを落として語り始めた。再び舟は動き出す。

「……実は、その……覚えていないのです。死に瀕した際に、自分の名前と、剣の扱い方以外を忘れてしまいました。俺は川辺で倒れていたそうです。他に流れ着いた者もいたとのことですが、生きていたのは俺一人で――身に付けていた鎧から、サフィルスの兵であることは間違いない、と」

「そうか、随分と恐ろしい目に合わせてしまったのだな……すまなかった、君達を守れなくて」

かつては剣を捧げた相手からの謝罪の言葉に動揺したのか、彼は僅かに吐息を飲み、櫂を操る手に力を込めた。それは怒りか、それとも、もっと穏やかな感情なのか。後者であればいいと思った。青年の顔は見えない。

「……到着しました。こちらの屋敷内のものは自由に使って構わないそうです。宴は明日、七の刻よりそちらの大広間で」

「分かった。ありがとうフリード、ミサキ殿にお会いしたら重ねて礼と、蓮の花が素晴らしかったことを伝えて欲しいのだが」

「確かにお伝えします」

岸辺には純白の蓮が咲いていた。シャーロックが先に降り、ユーディトの手を取って上陸を手伝った。

フリードの舟が遠ざかってゆく。少し遅れて双子達の舟も到着した。

 

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