榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

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桜岡霞の章
第27話から第29話


第27話

 

 office SAKURAOKAの事務所のソファーに深く座り、桜岡霞は悩んでいた。今はバイトの娘達は学校に通っている時間だから居ない。

 事務所には独りだけ。机の上にはテレビ局から送られてきた企画書と契約書が置いてある。

 今まで熟読していた。それこそ初めて最初から最後まで読んだ。

 

 内容はテレビ局からの依頼で、夏の特番の仕込みについてだ。「貴方の近くにあった本当に怖かった話2011」この特番の1コーナーの企画についてだ。

 

 都内近郊のとある曰く付きの廃屋に、そこそこ売れ始めたアイドルやモデルの女の子を同行させて探検。

 彼女達に何かあれば、その場で対応するのが依頼内容だ……これは夏に視聴率が取れる心霊関係に、売り出し中の彼女達の人気上昇を狙っての事だ。

 勿論、桜岡霞本人が登場する事による彼女のファンによる視聴率アップも盛り込んでいた。

 

 しかし……

 

 桜岡霞は最近知り合った先輩霊能力者の影響で、準備なく現場に乗り込む事。素人を同行させる危険。

 曰く付きとは言え理由が有って霊となった者の事を考えると、簡単に視聴率アップの為だけに仕事を請けて良いか悩んでいた。

 

「以前なら即請けたわ……名前も売れるしお金も入る。根拠の無い自信も有ったから。

でも、今は……この企画内容では、請けてはいけないと感じている。あの筋肉馬鹿の影響かしらね」

 

 出来るならば……事前に曰く付きの廃屋の調査から始めたい。

 そして何故、心霊物件になったかの原因を突き止めてから除霊したい。面白半分に素人を引き連れて曰く付きの廃屋に入って、出たとこ勝負で除霊する……

 なる程、テレビ局には美味しいネタだ!何か有れば、リアルな心霊現象を得られる。

 その“ナニ”かの対応に失敗した時の保険が私。つまり失敗した責任を負わなければならない。

 今までは余りテレビ局の契約書なんて読まず、内容も確認しなかったけれど……

 

「請負とは請け負った時点で負けなんだよ!だから内容を確認し、責任の所在を明らかにしておくんだ」と、教えてくれた彼を思う……

 

 契約書に先にサインをさせてから仕事を始める。確かに気を付けないと撮影中の事故責任の殆どが私になっている。

 良く今まで無事故でいられたものだ……何か有れば賠償金や霊症のケアで大変だったわ。

 

 あの糞ディレクターめ!スケスケだかヌレヌレだか訳の分からないアダナだけでは物足りず、責任まで私に押し付けるつもりだったのね……

 でも、でも私では契約書の内容変更の交渉なんて難しいわ。出来なくはないと思う。

 でも海千山千のテレビ局関係者に、太刀打ち出来る自信は無い。何か抜け道的な事をされそうな気がするの……

 随分と考え込んでしまったのだろう。

 

 気がつけば時間は11時30分。

 出勤後、直ぐに書類を読み始めてから3時間近く考え込んでいた計算だ。

 

「やはり榎本さんに相談しましょう。貸しが2つも有るから無下には断れないでしょうし、丁度お昼時だし昼食をご一緒しながら相談すれば良いわ!」

 

 前回の件で、抜け駆け的に事件を解決し……被害者の母娘の為に、その成果を秘密にしている優しい人だもの。

 私のお願いくらいは聞いてくれるはずよね?

 デスクに移動して固定電話のボタンをプッシュする。勿論、短縮ダイヤルに登録済み。

 暫く呼び出し音が鳴り響いた後に、あの聞き慣れた声が聞こえたわ……

 

「もしもし?榎本です……」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 事務所のデスクに座り、最近有った出来事を考える……片手に持った缶コーヒーを弄びながら。

 横須賀の心霊マンションの件を「箱」が強制終了させた……生霊かと思えば、まさかの怨霊化したストーカーだった。

 まぁロリっ娘が一人幸せになれたのだから、良かったのだろう。

 うん、多分良かった筈だ!良かったよね?二人程、同業者がお亡くなりになったのが残念だが……

 僕が行く前に殺されてたから、関係無いと割り切る。

 マンションオーナーだって死亡者二人の物件なんて嫌だろうし、同業者だって返り討ちに合うのは覚悟しているだろう。

 この商売は、死者と命の遣り取りをするのだから……思考がダーク寄りになったのをパソコンのインコサイトの掲載写真を見て癒やす。

 

 ロリっ娘は大好きだが、鳥類も大好きだ!特にキエリクロボタンインコとかオカメインコとか……

 癒やされるなー。暫しパソコンの画面に見入っていたが、卓上ホルダーで充電中の携帯が鳴りだした。

 持ち上げて画面を見れば「桜岡 霞」の文字が……何故かお嬢様な彼女に懐かれている気がする。

 彼女は美人だし、話していて楽しいしフードファイター仲間だが……ロリじゃないから仲間止まりだ!育ち過ぎだから、無理だ!

 

 大切だから二回言いました。何て心の中で思っていても、おくびにも出さずに通話ボタンを押す。

 

「もしもし?榎本です……」

 

「こんにちは、榎本さん。ご機嫌はどうかしら?」

 

 オッサンにご機嫌?いや、機嫌は良いですよ。流石はお嬢様だ。社交辞令も普通じゃないぞ。

 

「機嫌と言うか……まぁボチボチでんなー、ですかね?」

 

「何故疑問系なの?それに関西弁なのかしら?」

 

 クスクスとオヤジギャグに反応してくれる。意外にノリは良いんだよね。

 

「それで?何か用ですか?」

 

 お互い経営者だし、そんなに暇な訳でもない。僕も山崎不動産の社長から、手が空いたら連絡が欲しいと言われている。

 長瀬綜合警備保障の仕事が一段落したから、そろそろ連絡を入れないとダメなんだが……

 

「えっと……お願いが有るのよ。出来れば相談に乗って欲しいの……お願いしますわ」

 

 相談?お願い?嫌な予感がするんだけど?まさかテレビ局の件かな?

 

「えっと……忙しくなりそうな予感だから、無理かなーって。駄目かな?」

 

「駄目です。例の貸しを返して頂きたいの。勿論、お礼はしますわ」

 

 結構強引に話を進めて来たな。まぁ話位なら聞いても良いか……

 

「うーん、じゃ話だけでも聞こうかな……それで、電話で事足りる内容かな?」

 

 話が複雑なら、一度会って話し合った方が良いだろう。

 

「有難う御座います。これから横須賀中央に向かいますから、昼食でもご一緒して話を聞いて下さらない?」

 

 昼食だと!桜岡霞、また懲りずにフードファイトを挑むのか?

 

「分かった!その挑戦を受けよう。場所は京浜急行線の汐入駅に有るダイエー前のセンターグリルだ。

米軍仕込みのネイビーバーガーやステーキ各種が質・量共に豊富に有る。

勝負だ、桜岡霞よ。12時半に汐入駅改札前で待つ!」

 

「えっ?ちょ……何を……」

 

 彼女は何かを言い掛けたが、構わずに電話を切る。奴との対戦までに一時間も無い。

 体調を整えなくては……ベストなコンディションで挑む為に、トイレの個室に向かった。

 出す物を出して、胃と腸にスペースを作らねば!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 京浜急行線汐入駅は米軍基地の有る、比較的に外国人の多い街だ。それ故にドブ板通りと言う米兵相手の商売をする店が連なった商店街が有る。

 昔は治安も悪く怪しい飲み屋が多かったが、今は観光地化して歩き易い。

 最近はご当地グルメとして、横須賀海軍カレー・ネイビーバーガー等の食べ物や軍港クルージングとして海上自衛隊横須賀基地と米軍基地に停泊している軍艦を間近で見れるツアーも有る。

 榎本からフードファイトを挑まれ、比較的お腹周りの緩い服に着替えて直ぐに事務所を出た。

 京浜急行線は10分間隔で快速特急が運行しているので、約束の12時半よりも早く着いた。

 改札を出て周りを見渡せば……向かって右手側がバスロータリーになっていて、その近くの自販機の前に筋肉が立っていた。

 

 不思議……体格の良い外国人が多く通っている中で、あの筋肉は存在感が負けてない。

 

 何と言う筋肉!

 

 ジーパンに革ジャン、インナーはラガーシャツかしら?悪くないコーディネートだが、色合いがカジュアル過ぎるきらいも有る。

 あの体格なら、もっと……あっ、私を見付けたらしく手を振ってくれたわ。

 笑顔を浮かべ小走りで彼に近付く。

 

「こんにちは、榎本さん。カジュアルな服装は初めてね」

 

 彼は自分の服装を見回し

 

「いや、客先に出向く時は背広だし現場には長瀬綜合警備保障の制服か動き易く目立たない服装にするからね。今日はフードファイトを挑まれたから、普段着だ」

 

 やはり脳筋グマめ!彼の胸板を遠慮無く叩く。

 バシッと良い音が鳴り響いて周りの人達が、私達に注意を向ける。

 

「違うわよ!フードファイトじゃなくて、相談に乗って欲しいの!」

 

 全く衆人環視の中で目立ってますわよ。毎回思うけど、叩いた私の手が痛いわ。

 本気で叩いたのに平然としてるし……

 

「ん?分かった分かった。勝負に勝ったら相談に乗るから。さぁ行くよ。予約入れてあるから待たさないからさ」

 

 何時の間にか「相談に乗って下さい」が「勝負に勝てば相談に乗ろう」になってるわよ?

 

「お待ちなさいな。コラ、勝手に話を進めないで……」

 

 スタスタと歩き出す彼の左腕に抱き付く。丸太みたいに太い腕だ。

 

「ちょ、おま、くっ付かないで」

 

 この脳筋グマは、見た目と違い照れ屋さん。だからスキンシップに過剰な反応をするの。

 躾(しつけ)的な意味で、スキンシップをする様になったわ。反応が面白いのよね。

 

「早くお店に案内しなさいな」

 

 見上げる様にして催促する。渋々と彼は歩き出す。きっと優しいから女性に強く言えないのだろう。

 バスロータリーを横切り134号線を渡ると直ぐにダイエーだ。

 

「あら、ダイエーの中なの?」

 

「いや……ダイエーじゃなくて、アレだよ」

 

 榎本さんが指差した先には、ダイエーの敷地内だけれど独立した建物が見える。

 

「センターグリル……あら、お店の前に客車が有るわ」

 

 古風な電車が一両隣接している。本物かしら?

 

「センターは駅を表してるんだ。だから店内も電車に因んだ内装になっている。ほら、行くよ」

 

 腕に絡んでいるからか、歩き出す時は声を掛けてくれる。きっと引っ張ったりするのが嫌なのね。

 ちょっとした優しさが嬉しい。オートドアを潜り店内に入ると、80年代のアメリカがテーマみたいね。

 いや、開拓時代かしら?イマイチ統一感が無いわね……

 窓際のソファー席に案内されたけど、流石に窓側を譲ってくれたわ。でも店員さんとの遣り取りは馴れた感じだわ。

 つまり彼のホームであり、私にはアウェーか……メニューを差し出す彼に対して、沸々と闘志が湧いてきたわ!

 

 どれどれ……なる程、ステーキ屋さんだけは有り種類は豊富ね。

 パスタ系も有るわ。悩むわね……

 

 彼が手を上げて店員を呼んだわ。私は未だ決めかねているのに?

 

「何時もの奴に、バーベキューチキンとコーンサラダ。それに生を一つ……いや、桜岡さんも飲む?」

 

 こっコイツ、素面で相談乗る気無いわね?

 

「勿論頂くわ。それと彼と同じ物をお願いします」

 

 フードファイトなら、同じ物を食べないと勝ち負けがハッキリしないからね。

 

「えっ?此方のお客様の何時ものとは……750グラムのフィレステーキですが!大丈夫なのですか?」

 

 ウェイターさんが、私のお腹周りを見て不思議そうに聞いてくるけど。

 

「構いませんわ。オーダーは以上よ。但しメニューは一つ置いていって下さいな」

 

 びっくりした顔で、お辞儀をして下がっていく。たかだか750グラムのステーキでビビるなんて!

 彼を見れば、何を当たり前な事を的な顔ね。やっぱり大食い仲間って良いわ。

 普通だと不思議な生き物を見る様な目で見るのよ。私達は珍獣じゃなくてよ!

 

 

第28話

 

 四人掛けのソファー席に山のように並べられた料理!周りのお客さんも注目の中、普通に食事を始める。

 やはり750グラムのステーキは大きいわ。成人男性の握り拳位の大きさが有るわね……

 

「「いただきます!」」

 

 ナイフとフォークで切り分けながら食べ始める。うん、美味しいわ。

 付け合わせのマッシュポテトも野球ボール位のボリュームが有るけど、味はクリーミーね。多分、ジャガイモを裏ごしして生クリームを混ぜていると思う。

 榎本さんを見れば、食べる前に全てを切り分けているわ。大きな手にナイフとフォークを持って、器用に切り分ける姿は……

 躾の行き届いたクマさんみたいね。暫くは無言で食べる。

 ステーキを完食したタイミングは、計った様に同時だわ。

 

「やりますわね。この私のスピードについてこれるのは榎本さんくらいよ」

 

「ふん。体の容積は半分以下の桜岡さんが良く言う。勝負はバーベキューチキンだな」

 

 鶏の半身を使い焼き上げたボリューム満点のチキン。

 此方の付け合わせは、ブロッコリーにインゲン・ニンニクスライス・人参と野菜が盛り沢山ね。

 

「まだまだ余裕よ。では、いただきますわ」

 

 上品にチキンを切り分ける。榎本さんも器用にチキンを切り分けているわね。

 野趣溢れる手掴みじゃないのは嬉しいわ。ウチも一応は上流階級だし、旦那様のマナーには五月蠅いか、ら?

 

 いえいえ、違うわよ。落ち着いて、霞。落ち着くのよ。

 

 ほんの少し動揺した間に、既にチキンを切り分け終えて食べ始めてるわ。私も負けられないの!

 ビーフステーキを完食し、チキンのバーベキューは顎的にキツい。残りはコーンサラダだけだわ。

 お腹は余裕綽々だけど顎が痛いの……食べる手を止めた私を心配そうに見るわね。

 

「食べ過ぎて、ぽんぽん痛いの?」

 

 ちょ、ぽんぽんって子供じゃなくてよ。

 

「顎が、痛いの。流石に咀嚼する力は普通の女の子なのよ。この勝負は負けね……」

 

 顎が回復するのを待つのは勝負ではアウト。私の負けね……ナイフとフォークをテーブルに置いてギブアップ。

 

「お腹は平気なんだ。じゃゆっくりデザート食べますか?此処のお勧めはラズベリーチーズケーキだよ。あっコーンサラダは貰うよ」

 

 そう言うなり、私の分のコーンサラダに手を伸ばす。サラダ自体の量は少ないけど、やはり肉はクマさんの得意分野な訳ね?

 次はお寿司かスィーツで挑めば、何とかなるかしら……見る間にコーンサラダを完食し、生ビールを飲み干す彼を見てリベンジに燃える!

 コーンサラダを完食してから、ウェイターを呼びラズベリーチーズケーキと紅茶を二つ注文。

 確か珈琲は余り好きじゃないのを覚えてくれていたのかしら?負けたからには、相談は出来ない。

 

 当たり障りの無い雑談で時間が流れて行く。

 

 次こそは負けないわよ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 今回の勝負はハンデを考えなかった僕に非がある。つまりは引き分けだ。

 そのつもりで彼女のコーンサラダを取り上げ、変わりにデザートを注文した。

 デザートを食べながらの会話は、当たり障りの無い雑談だ。一向に相談を話してこないけど……

 ケーキを食べ終わり、紅茶を飲み干せば店を出なければならない。レシートを持ち席を立つ。

 

「そろそろ出ようか?忘れ物の無い様にね」

 

 何か言っている彼女を抑えて、会計を済ます。結構楽しい食事だったな……

 

「で?喫茶店に入る?それとも事務所に来るかい?」

 

「えっ?」

 

 おぃおぃ、本題の相談を忘れてないよね?何時までも話さない桜岡さんに水を向けてみる……

 

「相談だよ、相談。勝負はハンデを見込まなかった僕の負けだ。何か相談が有るんだろ?

この辺の喫茶店は相談をする場所としては不適切かな……」

 

 汐入駅の周辺の喫茶店は……メルキュールホテルのラウンジしか思い浮かばない。でもホテルは対外的にマズいだろうな。

 彼女は「お茶の間の巫女さん」だから、知名度が高い。

 

「私の負けでしょ?同情は要らないわ……」

 

 結構頑なだな。

 

「完食のタイミングは一緒でしょ?次は顎の疲れないメニューを選ぼう。

僕の場合は生トマトは苦手だから、これが入っていた時点で負けを認めるけどね」

 

 数少ない食べられない物。生トマト……ケチャップやトマトジュース、それに煮込んだりすれば平気だが生は無理だ。

 小学校の頃、当時の給食は今よりグレードが低かった。トマトなど今の品種では考えられない程、固く青臭かった。

 好き嫌いを認めない担任から「正明ちゃんがトマトを食べないと、他のお友達がお昼休みを遊べないんだよ?」とか今なら裁判沙汰な強要をされ、同時も嫌いだったトマトを一口で食べて牛乳で流し込んだ……

 

 そして「ウエッ!ゲロゲロゲロ……」その担任の顔に向かい吐き出したんだ。

 

 当然、担任は激怒。親を呼び出された。当時は学校の先生も体罰が容認された時代。

 悪い事をすれば、当たり前に拳骨!それは教育の範疇なら、素晴らしい事なんだが……

 質の悪い教師なんて、何時の時代も居る。放課後に呼び出された爺さんが、担任に対して説教を始めた。

 

 ただ「貴方の息子さんは好き嫌いが激しい。ご家庭でも指導して下さい」とでも言いたかったのだろう。

 

 しかし説法を生業としている住職に、根拠も無い話が通じる訳が無い。結局一旦帰ったが、その後に校長が頭を下げにきたらしい。

 田舎で檀家衆を抱える住職に、転勤で来た校長や担任が適う訳が無い。

 

「何を黄昏ているのかしら?」

 

「いや、子供の頃に嫌いなトマトを強要した担任の顔に吐いたのを思い出したんだ……それ位トラウマなんだよ」

 

 呆れた顔の彼女と、取り敢えず僕の事務所の方に歩いて行く……相談事なら周りに聞かれたくないだろう。

 だから事務所が一番良いかな?彼女を伴いドブ板通りを歩いて行く。

 最近は観光地化したが、同時の面影を残す店も有る。ワッペンや刺繍の大将・肖像画の武谷・スカジャンの大熊、名前は知らないが米軍放出品を扱う怪しい店など、アメリカと日本のコラボレーションな商店街だ。

 勿論アメリカスタイルのバーも有るが、昼間は閉まっている。

 暫くドブ板通りを歩いていると、彼女には珍しいのだろう……キョロキョロと左右を見回している。

 

「ねぇ?大通りは綺麗だけど、脇道は怪しいわね。何か怖いわ」

 

 こらっ!腕を絡めるな、腕を……此処は僕のホームなんだよ。

 

「ゲームのシェンムーでも舞台になったけど、まだまだ夜は治安が良くないね。勿論昔に比べたら各段に良いけど、ちょっとしたスラム街な雰囲気でしょ?」

 

 本当は脇道や怪しい店に入らなければ殆ど安全な商店街になっている。これも地元のイメージアップ戦略と商店街の努力だと思うけどね……

 

「ふーん……あっ、あれ!凄いわね、あれがスカジャンなのね?」

 

 店頭に吊された竜や風神雷神、それに鷹?鷲?の刺繍を凝視している。

 

「通称スカジャン。本当は横須賀ジャンパーまたは空飛ぶ東洋の竜が人気だったから……スカイドラゴンジャンパーの略とか言われてるね」

 

 横須賀では当たり前な事だが、それは地元だからの知識だ。随分と感心している。

 

「兄ちゃん、美人な彼女に買ってやれよ。この揚羽蝶とか女性でも喜ぶぜ」

 

 立ち話を聞いていたのだろう。商売のチャンスと、すかさず商品を勧めるが……

 紫のベースに金糸銀糸で揚羽蝶の刺繍を施したスカジャンは、彼女には似合わないだろう。

 見れば桜岡さんも笑顔が固いし……

 

「いや、また今度考えるよ?」

 

 お断りの決まり文句を言って立ち去る。その後は此処がネイビーバーガーで有名なハニービーだとか、ドブ板で一軒だけの行き着けの鰻屋だとか紹介しながら横須賀中央駅まで到着。

 駅前広場を通り過ぎて坂を少し登った先に、僕の事務所が有る。ゆっくり歩いても20分位の距離だ。

 二度目となる事務所来訪だが、特に問題は無いだろう……事務所に戻り応接セットに通してからお茶を用意する。

 とは言え普通の日本茶だが、寒い時期には有り難い。

 エアコンの暖房を入れたが、暖かくなるのに時間が掛かるからね。

 でも石油ストーブは面倒臭いからなぁ……

 

「粗茶ですが……」

 

 湯呑みを彼女の前に置いて、向かいのソファーに座る。

 

「あら、ご丁寧に有難う御座いますわ」

 

 チクショウ、やはり見てくればお嬢様だな。湯呑みを持つ動作も、何か上品だ。

 

「……ん?何かしら?」

 

「いや、何でもない。それで相談事とは何だい?」

 

 彼女の顔を凝視していた事を誤魔化す様に質問を被せる。桜岡さんは、鞄から何やら書類を取り出して僕に差し出してきた。

 A4サイズの紙の束だが、結構な枚数が有るな……受け取って表紙を見ればタイトルに

 

 「貴方の近くにあった本当に怖かった話2011」と有り、例の梓巫女シリーズの企画書だ。

 中を流し読みすれば、有りがちな女性タレントと心霊スポットを巡る内容だ……しかも事前準備無く、いきなり現地に乗り込みだよ。

 普通、その建物の所有者なり管理者に許可を得る筈だけど……敢えて書類には書いて無いのか、それとも他に意味が有るのか?

 

 場所は八王子市の山中か……企画書なのに場所の特定も曖昧だし、廃墟の資料や写真も無い。

 でもホテル名は書いてあるな。これなら調べる事は可能だろう。

 しかし企画書自体は数枚だ……これは企画書じゃないな。

 その後ろには、何だ?契約書?やたら約款が多いし字も小さいな……ポケットから眼鏡を取り出す。

 こんなExcelなら文字の大きさが4位な文字なんか見えるか!

 

「榎本さん、まさか老眼なのかしら?」

 

「違います!近眼なの、コンタクトは体質的にダメなの。でも運転免許はギリギリで眼鏡無しで平気だよ」

 

 失礼な物言いの彼女を軽く睨んでから、契約書の約款を読み始める……うん、見事な程に責任の区分を明確にしている。

 これ、僕も参考にコピーさせて貰おうかな。余りの文字数の多さに10分近く読んでいただろうか?

 じっと僕の様子を伺う彼女に聞いてみる。

 

「桜岡さんは、ちゃんと読んだかい?」

 

「ええ、読みましたわ。初めて契約書を隅から隅まで読んだわ。見事に責任が私に有る事になるわよね……」

 

 良かった。ちゃんと学んでくれたんだな。契約書のサインをする前に、ちゃんと読んだのか。

 

「そうだね……少し桜岡さんに不利な内容だ。特に現場での責任者になってるよ。

これは君の企画だから、責任の殆どは仕方ないと相手は言ってるね。

でもペラペラの企画書には、君が主体で進める内容じゃないし。

どちらかと言えば、テレビ局が企画から準備・進行・現場での権限が有る。

この辺の一文に……現場撮影の進行について乙(桜岡霞)は甲(テレビ局)に最大限の配慮をするって有るよね。

実際は現場の責任者は桜岡さんだけど、テレビ局の立会者が何か言ったら配慮してね!

でも最終的に判断し許可したのは君だから、責任は君持ちだよ。って意味だよ。

何か有った場合の保障の殆どは桜岡さんだし、事故の損害も相手は請求出来る内容だね。どうするの?」

 

 契約書は大切だ。しかし、これは少し酷いと思う……

 

「……だから悩んでいるのよ。逆に企画を持ち掛けるか、それとも契約内容を変更して貰うか。

どちらも私だけでは難しいの……何か良いアイデアは無いかしら?」

 

 縋る様に此方を拝む彼女を見て考える。下手に強気に出れば、企画自体無くなるか他のタレント霊能力者に替えられるだけだろう。

 さて、どうするか……

 

 

第29話

 

 フードファイトを挑んで来たと思えば、テレビ局の仕事内容の相談だった……早く言えば良いのに?

 いや、相談を持ち掛けられたけどフードファイトになった?何故だっけ?

 向かいに座る、困った顔をして此方を見詰めるお嬢様を見て思う。

 確かにこの内容では、何か有った時に彼女の人生が被害者の補償で終わる内容だ。幾らお嬢様とは言え、個人で負担するのは辛い。

 てか、安全管理の殆どを彼女に押し付ける内容は酷いだろう。普通に考えて、交渉内容は幾つか思い浮かぶ……

 

 一つ目は、この契約内容をバラすぞって脅す。勿論、グレーゾーンな部分を法的に指摘する。

 発注者の責任の部分をだ。まぁ、なら結構ですで終わりだな。他にも売れる為ならと無理をする奴は居るから……

 彼女の望む進展は、ちゃんとした除霊のプロセスを踏む事だと思う。

 

 だから2つ目は、逆企画を提案する事だ。でもテレビ局的に地味な調査とか平気か?

 何か彼らを惹き付けるネタが必要だけど……本物の心霊物件でも宛がってやろうか?

 でもテレビ局的に本物はヤバいので、放送ではダミーを混ぜてるって聞いたな。

 衝撃映像など半分以上は偽物だとか……曰く付きの映像の取り扱いが難しいと言う事か?

 確かに除霊もしてない写真や動画を無闇やたらと電波に流すのは考え物だ。

 

「難しいね……これを不当と突っぱねる事は簡単だ。けど、なら企画自体を他の方にとか言われて終わり。

桜岡さん的には、除霊のプロセスを踏んだ流れにしたいんだろ?

でも地味な調査はテレビ局的には受け入れ難い。彼らは視聴率を求めるからな……」

 

「そうなのよね……でも出来れば曰く付きと言われてしまった霊の真相を調べて成仏して欲しいの。

これじゃ自宅に土足で踏み込んで喧嘩を売る内容じゃない?」

 

 ちょっと驚いた。暫く見ない内に、いや結構会ってるけど……そんな考え方を持ってるなんて!

 出来れば彼女の望む展開にしてあげたい。んーどうするか?

 気持ちを切り替える為に、温くなったお茶を一気飲みする……うん、渋くなってる。

 

 新しいお茶をいれる為に一旦席を立つ。急須に新しい茶葉を入れお湯を注ぐ。

 お茶請けに買っておいた坂倉本舗の豆大福を奮発するか。

 

「はい、熱いよ。それと地元の老舗和菓子屋の豆大福だよ」

 

 湯呑みと豆大福を渡して、自分も豆大福をパクリ。うん、上手い。この甘さを控えた上品なこし餡が良いんだ。

 

「んで提案だけどテレビでは映さないが、事前に桜岡さんが現地入りをして心霊物件の調査と準備をする。

これは契約書にも……

 

乙(桜岡霞)は甲(テレビ局)の関係者の安全に最大限の配慮をする。

 

って有るから、逆手に取って事前準備をしないと危険だからと説得させよう。責任を桜岡さんに押し付ける為の一文だから、向こうも危険と言われれば断れない」

 

 これで行き当たりばったりの出たとこ勝負は回避出来るだろう。

 

「でも……それってテレビでは放送されないかもしれない部分ですわよね?」

 

「確かに編集でカットかダイジェストで少し使うだけかもね。でも桜岡さんのやりたいプロセスは踏める。

テレビ局は視聴率が重要だ。だから妥協が必要だよ。それに君がやりたい事は出来る筈だ」

 

 曰く付きと言われてる原因の霊を助けたい。なら過程は割り切りも必要だろう。

 気がつけば10個有った豆大福が残り4個だ。

 

 あれ?僕はまだ2個しか食べてないよ……

 

 彼女を見ても特に口をモグモグさせてないし、僕の倍も食べた様には思えないし。

 

「ん?どうかしましたか?」と微笑む彼女の口元は、豆大福の粉が少し付いている。

 

 つまり僕が気付かない内に4個も食べれたのか?凄いテクニックだ……

 

「いえ、何でもないよ。さて事前の調査や準備は出来る可能性は見えた。

後は責任区分だけど……これは難しいね。精々が現場では桜岡さんの指示に従う事くらいしかない。

本来危険だから素人は同行させたくない。

しかし番組の企画上、彼女達を同行させないと意味は無いんだよね……同行する彼女達にも一筆念書をとるか」

 

 彼女達も危険を承知で、この企画を請けた筈だ!若しくは心霊現象なんて信じていないか……

 でも危険な場所に行くからには、幾つかの基本的な身の振り方と桜岡さんの指示に絶対従う事。

 何か怪我や霊障が出ても、自己責任の範疇で。これ位なら、テレビ局側も交渉に応じるかな?

 誰だって自分の危険はお断りの筈だ。ましてや他人の怪我等に気を使うのは難しい。

 責任をテレビ局側に余りいかない様にすれば、或いは責任区分も緩和されるかも知れない。

 これで駄目なら、桜岡さんの方を止めるしかないだろう……何もテレビ以外が仕事では無い筈だ。

 

「参加するアイドル達にも、自己責任にするの?可愛そうじゃないかしら」

 

「僕には、これ以上は桜岡さんの責任を軽くする方法は考えつかないよ。アイドル達も売れる為に無理をするんだから……

それで辞退するなら、それまでだよ。因みに、これ以上の妥協案で仕事を請けようとするなら僕が桜岡さんを止めるから……」

 

 知り合いが不幸になるのを知っていて止めない訳にはいかない。

 文句を言うなら物理的に監禁か、呪術的に腹下しでもして動けなくするだけだ。

 

「なによ、保護者みたいな事を。でも、どうやって止めるつもりかしら?」

 

 そう言って、彼女は挑発的に微笑む。

 

「具体的に?物理的には監禁。呪術的には下痢。兎に角、動けなくして止めるよ」

 

「なっ?何を言ってるのよ!それに監禁や下痢って犯罪じゃない」

 

 僕も無言で微笑む。でもイケメンじゃないから、微笑むが恫喝の笑みになるから困る。ほら、桜岡さんもドン引きだし……

 

「それだけ無茶苦茶な契約と仕事の内容って事だよ。どうする?交渉するなら同行するよ。

もう乗りかかった船だし、目立ちたく無いけど君だけじゃ交渉は無理だ!」

 

 本当はテレビ局など関わりたくもない。でも……このお嬢様一人じゃ無理だし、交渉だけなら……甘い考え方だな。

 「箱」に関わってから地味に生きてきたが、ここで心変わりするなんて。

 自然と口元が緩む……

 

「何よ、怖い顔をしたと思ったら微笑んで。本当にお父様みたい。良いわ。その条件で交渉しますわ」

 

 桜岡さんの説得は一応の成功か?彼女はテレビ局への交渉には同行する旨を伝えたら、帰っていった。

 日時を決めて連絡をくれるそうだ……彼女を玄関から送り出して考える。

 時刻は既にオヤツの時間を大分過ぎていた。随分話し込んだものだ。

 湯呑みや豆大福のお皿を片付けて、自分のデスクに座る。桜岡さんには話していないが、交渉は揉める。

 問題は霊的な被害の補償と、普通の労災との区分けが今回の交渉のキモだ!

 どの道、除霊の危険を話しても……そのハプニングもテレビ局的には美味しい。

 だから先程の内容では纏まらない。ならば、どうするか?

 

 簡単な事だ。現地に先入りして準備・調査。

 

 これを何としても約束させる。最悪はテレビ局には関係無く調べても良い。それと責任区分を普通の労災と霊的な傷害に分ける。

 これは霊能力者だから、霊障は引き受けるが一般的な怪我等はテレビ局側の責任者に取らせる。

 少し大変だが、難しくは無い筈だ。彼らだって普段行っている事だから……

 それさえ契約書に明記してしまえば、コッチのモノだ!後は調査・準備の時に除霊迄終わらせてしまう。

 これなら(過去に)曰く付きだった廃墟に、単純に肝試しに行くだけだ。

 これで僕達の手に負えない奴が居たら、その時は強い力を持つ霊が居る。

 廃墟に近付けば、僕達では対処出来ない。どうするんだ?的にして、責任を相手に委ねれば良い。

 もし強引に進めれば、その時の責任は全て向こう持ちだと約束させ一筆とるか上司に連絡させる。

 

 彼女の負担は減るだろう……僕の負担は増えるけど。彼女に内緒の方向性は決まった!

 後は裏付けと交渉を有利に進める準備だ。僕は携帯のアドレス帳から、爺さんの代からお世話になっている松尾法律相談所を探す。

 相続の時にお世話になった個人弁護士だが、本来は企業相手の相談が主な仕事内容だ。

 だから仕事の契約の時に同席して貰い、アドバイスをしてもらう。

 大抵は弁護士を同席するとビビる!

 これはグレーゾーンな契約内容を理解して結ぼうとしている相手には覿面(てきめん)だ!

 松尾先生は同郷で爺さんの後輩だ。御年73歳だが現役で働いている。小柄で頭髪は真っ白、短く刈り込んだ髪型に鋭い眼差しの老紳士だ。

 和服を好み、ちょっと目にはヤクザな大親分な感じがする。

 僕を子供の頃から知っていて、やれオシメを替えたとか恥ずかしいネタを知っているんだよね。

 数回のコールの後、電話が繋がった。

 

「はい、松尾です」

 

「松尾先生、ご無沙汰してます。榎本です」

 

 強面だが、話し方は丁寧で優しいんだ。だから電話で話した後に会うと、みんな驚く。

 

「ああ、正明君か。久し振りだね。急に電話をするなんて、何か有ったかな?

それともやっと嫁さんを見付けて、紹介してくれると嬉しいのだが……」

 

 松尾先生は死ぬ前に僕の嫁さんと子供を見たいと煩く言うのだ。だから頻繁には連絡をしないんだけど……

 

「いえ……少し仕事の契約について問題が有りまして。出来れば交渉の場に同席をお願いしたいのです」

 

 出来ればテレビ局に呼ばれたら、その場で話を纏めてしまいたい。即断・即決を出来る準備をしておきたいんだ。

 

「ほぅ!厳しく教えた筈の正明君から、そんなお願いとは。余程の事かな?詳しく聞こうか」

 

「実は知り合いがテレビ局と契約をするのですが……」

 

 松尾先生が同席してくれれば、問題は無いだろう。後はコピーした、この企画書の物件を調べられるだけ調べよう。

 上手くすれば、交渉の必要の無いガセネタの廃墟かも知れないから……そんな淡い期待は直ぐに霧散した。

 コレは、厄介な建物かも知れないぞ……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 帰りの電車の中で吊革に掴まりながら、先程の相談事を考える。最初は渋った癖に、結局は最後まで面倒を見てくれそうな感じ。

 あれだけ目立つ事を嫌がっていたのに、テレビ局まで一緒に行ってくれるって……榎本さんにとって、私の位置って何なのかしら?

 

 同業者?大食い仲間?それとも友達?少なくても恋人ではないわよね。告白してないし……

 

 いや、その、えっと、告白って私は何を考えているのかしら?真っ赤になって首を激しく振ってしまった為に、周りの注目を集めてしまったわ……

 でも本当に、彼は私の事をどう思っているのかしら?

 奇態を晒し恥ずかしくなったので、次に停車した駅で降りた。

 

 金沢文庫駅……駅自体は普通だが、ホームの反対側に車両を待機させる引き込み線が何本も有る鉄道マニアでなくとも楽しめる場所。

 普通の電車だけでなく、モーターカーと呼ばれる工事用の黄色い作業車はレール削成車?

 青色の独特な形の電車も有る。アレは走りながらレールの傷を測定し研磨するらしいわ……暫く眺めていると次の快速特急が来たので乗り込む。

 やはり適度に混んでいて座席には座れないが、どうせ次で降りるのだから扉脇の手摺に捕まり外を眺める。

 ボーッと眺めていると、やがて電車は京急上大岡駅に到着した。さて、事務所に帰ったらテレビ局に連絡して日程調整ね。

 榎本さんも今週中なら午前・午後開いてるけど、一応何日か候補をあげてくれって言ってたし……

 これから忙しくなるわ。

 


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