東海林さんのクレクレオーラを躱して犬飼本家へ戻る。
勿論彼女も立場を理解しているので強引に迫っては来ないが、失われた技術の御札は喉から手が出る程欲しいだろう。
満腹で車の後部座席に揺られていると眠くなるな……敵地で油断はしたくないのだが、緊張し過ぎて絶賛居眠り中の五十嵐さんの頭が僕の腕に当たっている。
規則正しく浅い息使いを感じるが、特に何とも思わない。今朝からバタバタと大変だったんだなと思い放っておく事にする。
「榎本さんは……その、この後どうするのですか?」
「ん?残り二つの試練を制覇したら帰りますよ。他にも仕事を請けてますし、今回のは完全なイレギュラーでしたし……」
週末に風巻姉妹からの報告を聞く予定だ、確か横浜そごうの竹葉亭の鰻を食べる約束だし。
「いえ、そうでは無くて……亀宮の一族としてです。亀宮様と結婚なされるんですよね?」
「なんで?」
脊髄反射で即答してしまったが、僕は亀宮さんと結婚する気は0だ。
「…………いえ、その……今、亀宮一族の中で噂になってます。一つ目は亀宮様と結婚するだろう。
二つ目は風巻姉妹を愛人にして、何れは風巻家を継ぐだろう。実際に噂の根拠を確かめた事はないので人伝(ひとづて)なのだが……」
ああ、成る程ね。佐和さん美乃さんの話は本当だったんだな、五十嵐一族の上層部にまで伝わっているんだ。
当然だが若宮の御隠居も知っているだろうけど噂を否定も肯定もしない。
「誤解ですよ、僕は亀宮一族の派閥には入らない、あくまでも亀宮さんと敵対しない為に、他の勢力からの誘いを断る為の便宜上の措置です。
亀宮さんは自分と同じ様な力を持つ人が周りに居なかったから僕に親しくしてくれている。まぁ少し過剰な気もするが……
佐和さん美乃さんも誤解ですね、一緒に仕事をする機会が多いからでしょう。やっかみか嫌がらせの類ですよ。勿論、嘘の噂を広めた方には相応の報復は……」
風巻姉妹の報告を聞いてから実行するよ。一度噂を消しておかないと未婚の三人が酷い扱いを受ける事になる。
何だよ、愛人って!嫁の貰い手が無くなるじゃないか!
「アレ、五十嵐さんが魘されているよ」
目の間に皺をこさえてるけど、何か辛い夢でも見てるのかな?
「榎本さんから渦巻くドス黒い何かが駄々漏れてますよ」
ああ、復讐したいオーラでも出ていたのかな?まだまだ僕も未熟者って事か……
◇◇◇◇◇◇
五十嵐さん達と別れて七ノ倉の試練に挑む。此処からが本番だ、気合いを入れよう。
『胡蝶さん、鍵を開ける前だけど何か感じるかい?僕は嫌な感じがする……』
『ふむ、霊感か?確かに中に何か居るのを感じるがボヤけて認識出来ないのだ。この倉自体にか他の方法かは分からないが強い認識阻害の術が働いている』
認識阻害か……そんな術を掛ける位だ、相当な相手と思った方が無難だな。
『鍵を開けるよ……』
古めかしい錠前に鍵を差しガチャリと捻ると問題無く開いた。閂から錠前を抜き取り床に置いてから観音開きの扉の右側だけ開ける。
勿論、中からは見えない様に体を扉の影に隠しながらだ。
90度開けた所で先ずは持参したケミカルライトをくの字に曲げて三本放り込み、その後に悪食の眷属を中に大量に入れる。
「視界共有だ、悪食!」
カサカサと七ノ倉の中を這い回る100匹近い黒い虫達。狭められた視界は薄暗くピントが合わなかったが、10秒位で何とか見える様になった。
ケミカルライトの淡い光に浮かび上がる倉の中には……
『これは……何だろう?って、やられたか?』
一瞬で視界が暗転に視界共有が切られた、つまり悪食の眷属は倒されたんだ。僅かに見えたモノは半裸の若い女だったが下半身が芋虫だった。
赤い着物の単衣を羽織っていただけだった様な?
『胡蝶さん、今見えたのって何かな、妖怪?下半身芋虫だったよ?』
『そうだな、今でこそ珍しいが昔は結構居たぞ。上半身の女は擬態で本体は下半身の虫だ、名前は確か宿(やど)し虫だったか?』
宿し虫?人を擬態で宿すみたいな?
「久し振りの人の匂いじゃ。顔を見せてたもれ」
喋ったぞ、いや擬態なら喋れないと意味は無いのか?
「警戒してるのかえ?可愛い坊やじゃな、喰わぬから顔を見せてたもれ」
『胡蝶さん、大丈夫かな?こんなオッサンを可愛い坊や扱いだぞ?』
『ふむ、話位は聞いても良かろう?奴は我の事を感じてはいないみたいだ。油断を誘えるだろう』
300年も閉じ込められていた妖(あやかし)だ、興味は有るが興味を満たす為に危険に挑むのは……
「やれやれ、可愛い坊やは我が怖いのかえ?」
「ええ、怖いですね。初めまして、何と呼べば良いですか?」
意を決して半分だけ扉を開けた部分に立つが、未だ中には入らない。ソレは扉から差し込む光により全体が良く見えた。
上半身は美人と言っても差し支えないだろう、見た目は20代そこそこで長い黒髪を腰まで垂らしている。
美人画の日本的美人と言ったら分かりやすいのか、現代では好みの分かれる顔立ち。
赤色の単衣を同じく赤い帯で締めているが胸元が大きく開いている。胸は控え目だが肌は雪の様に真っ白、だが腰から下は濃紺の芋虫だ。
「呼び名かえ?人の名は無いぞえ、主は?」
閉めていた片側の扉も開けて中に光を差し込む。アレ?何かシャリシャリと咀嚼音が聞こえると思ったら下半身芋虫の先端が本体の口なんだ。
悪食の眷属を食べてやがる!
「僕は愛染明王を信奉する在家僧侶ですよ」
左手をフリーに右手は背中に回してナイフの柄を掴む。
「では盟約に従い主を試すぞえ。勝てば力を貸し負ければ主を食らう。準備は良いかえ?」
今思ったが上半身の口は動いていない、つまり喋っていないのだ。下半身の芋虫の口は悪食の眷属を食べ続けているから無理。じゃ誰が僕に話し掛けてるんだ?
『胡蝶、他にもナニか居ないか?』
『む、天井だ、天井にぶら下がって居るぞ正明!』
慌てて見上げれば、蓑虫みたいに三体ぶら下がっている!
「良く気付いたねぇ……」
そう言うと天井の三体は僕に向かって飛び掛かって来た。芋虫の下半身を器用にくねらせて……
「胡蝶、頼む!」
大きく左腕を振って手前の一体目を食らう。ギュポンと音を立てて吸い込まれる宿し虫。落ちてきた残り二体は器用に飛び跳ねている。
「ほぅ、『よ』を倒したかえ、『ふ』『み』よ、気を引き締めて行くぞえ」
「「ええ、『ひ』姉様」」
ひふみよで一二三四かよ?分かりやすいが『ひ』と呼ばれている奴がリーダーだな。
『ひ』は右側から落ちてきた奴で最初の奴は『ふ』で左側の奴が『み』だな。全く同じ顔が三つも並ぶと怖いけど擬態だからマネキンと思えば良いか……
『胡蝶さん、ヤレるかな?』
『ふむ、中々手強いな。宿し虫は、その名の通り芋虫だから糸を吐くぞ。気を付けろ』
糸を吐くね……蜘蛛よりは蚕のイメージだろう。
「ドチラも絡め取るから一緒だけどさ!」
掛け声と共に隠し持っていた拳銃で『ひ』と呼ばれた右側の奴の芋虫部分を撃つ!300年前じゃ精々が火縄銃だから威力は段違いだ。
二発撃つと衝撃で後ろに仰け反る。その隙に駆け出して真ん中の『ふ』の擬態した頭を掴み吸い込む。
連携しそうな奴等は各個撃破しないとキツい。左側の『み』が擬態の口を開けて糸を吐き出してきたのでバックステップで躱す。
やはり身体能力が格段に向上してる為か思った通りに体が動く、動かせる。
漸く起き上がり此方を向く『ひ』が糸を吐き出して来たので右手に絡み付かせる。
「中々やるが、もう無理かえ?糸に絡め取られて死ぬが良い!」
擬態の口から吐き出された糸は右手に絡んでいるから、力ずくで引き寄せる!
「なぁ?」
近寄った『ひ』を左手で吸い込めば残りは一匹だ!しかし『ひ』の吐いた糸に絡まれた右腕はガッチリと固められて使い物にならない。
掌を開く事も出来ないからだ。
「やるじゃないかえ。我が姉妹を倒すとは驚いたぞえ。だが片手が使えぬ状態でどうするのじゃ?」
未だ隠し玉が有りそうだな、でも残り一匹なら周りを警戒する必要が無い。だから……
「胡蝶、頼む!」
左腕を突き出すと手首からモノトーンの液状化胡蝶さんが噴き出した!
「え?ちょ?何じゃこれは?ぐっ、待って……負けを認める、だから……だからっ!」
擬態の部分が僕に手を伸ばして懇願する、ちゃんと口をパクパクして懇願する様に……うん、美人の縋る様な表情は良心に訴えるが、僕は既に心が痛む感覚が鈍い。
だから全く平気だ。
「済まないが、もう配下とか眷属とかお腹一杯なんだよ。じゃ、さよなら」
「そんな!約束が違うではないか?我は、我を負かせた奴の……嫌じゃ……いや……」
犬飼一族の初代当主との約束とは違うからな……もしかしたら手加減していたのかも知れない、仕える主を殺してしまっては又何年も待たねばならないからな。
最後の『み』は加茂宮の連中と同じくスライム状の胡蝶の中で溶かされていった……
犬飼一族の初代と言っても榎本一族700年物の胡蝶には勝てなかったみたいだな。
美幼女体型となり素っ裸な状態で腹を擦る胡蝶を見て思う、本当に常識はずれだな、と……
「うむ、久々の妖(あやかし)尽くしの贄だったな。満足だ」
本当に嬉しそうにニカッと笑われてしまった。
「満足なら良かったよ、それで今日の内に最後まで試練をやろうと思うんだ。五十嵐一族とゴタゴタが有ったから引き延ばさずに終わらせた方が良いよね?」
今日解決して明日の朝には帰ろう。高梨修の件で風巻姉妹の調査報告も聞かないと駄目だし若宮の御隠居ともきっちり話をしないと駄目だ。
「ふむ、食傷気味になってしまうかも知れぬが仕方ないか……だが回収すべき物は集めるぞ。この倉の結界札は前のとは違っているな。
宿し虫を閉じ込めていたのだから、より強力やも知れぬ。後は……この倉の試練のご褒美が用意されているぞ」
ご褒美?パターンから言えば試練の次の偶数の倉にお宝だけど、七ノ倉と八ノ倉は両方試練の筈じゃなかったかな?
倉の中を確認すると右隅に小さな箱が無造作に有り、その上には八ノ鍵と手紙が乗っている。
「箱なんて初めてだな……手紙か、胡蝶さん読んでくれるかな?」
古文無理な僕は手紙を取って胡蝶に渡す。良く見ると鍵が大小二本有るけど小さいのは箱の鍵かな?
床に可愛らしく女の子座りをして手紙を読む胡蝶が、先程まで殺し合いをしていた場所なのにと違和感を感じる。
不用意に箱を開ける気もないので他にも何か無いか悪食に倉の中を物色させる。
大分慣れたな、悪食と眷属の指示も……悪食達は結界札を八枚、それと劣化防止札を四枚、それと組紐かな?
品の良い紫色の組紐を二本捜し出してきた。
「綺麗だな、とても何百年も前の紐とは思えないな……」
手に取ると霊力を感じるので後で胡蝶に調べて貰うか。
「胡蝶さん、変な紐を見付けたよ」
「ん?やたらと物に触るなよ。この手紙だが、最後の試練について書かれているぞ。
八ノ倉に棲むのは妖(あやかし)ではなく犬飼一族の開祖が使役していた犬だ。最後の最後で漸く犬飼一族の力の源がお目見えだな」
開祖?つまり犬飼一族の初代が使役した畜生霊って事か。大婆さんの日本狼も凄い力を感じたけど、当然それ以上に強力な霊なんだろうな……
「犬の霊か……胡蝶さん、その霊は祓うか食べようよ。犬は狐っ娘の結衣ちゃんが嫌がるんだよね」
赤目や灰髪達も可愛かったけど魂を天に還したんだよね。でも犬の霊って捜査には役立つのも確かだけどさ。
「正明よ、強力な使役霊を養い子の為に不要とは……馬鹿かお前は!」
本気で胡蝶さんに叱られました。