犬飼一族の試練を終えた、全体的には満足の結果だった。
特に新しい式神の悪食は見た目は黄金の巨大ゴキブリだが使える、胡蝶さんの霊力を僕経由で浴び続けているので急速にパワーアップしている。
大量の式神札や扇子や指輪等の術具は微妙だが急いで必要になる物でもないし暇を見て調べれば良い。
特に妖(あやかし)を支配下に置ける銅板は貴重で、胡蝶は役立ちそうな妖が居れば使おうと考えているみたいだ。
僕的には胡蝶と悪食が居ればお腹一杯なのだが、これから加茂宮一族と事を構えるだけに異能を持つ妖を捕まえたいみたいだ。
犬飼のラスボスは胡蝶でも手に余るみたいだったから全力で食って貰ったが、それは後悔していない。
彼女自身の力を底上げ出来たし制御が怪しい妖を手元に置くには危険過ぎる。
何より狐っ娘の結衣ちゃんが犬を怖がるので最初から無理だったんだ。「正明さん、犬臭いから近くに寄らないで……」とか言われたら僕は……って電話?
今後の事を考えながら車を運転していたら胸ポケットの携帯電話が鳴りだした。
車を路肩に寄せて停めてから携帯電話を取り出す、山道で対向車は少ないとはいえ道交法は守りたい。ディスプレイを見れば「五十嵐巴」の文字が……
「はい、榎本です」
『榎本さん、酷いです!試練を終えて帰るなら一声掛けてくれても良いじゃないですか?』
む、少し怒ってるのか?この感じは友達と遊びに行っても黙って勝手に先に帰る不思議ちゃん扱いか?
「ああ、申し訳なかったね。犬飼の爺さんには断っておいたけど……」
『それで無事に試練は終えたのですね?』
言い終わる前に言葉を被せられたけど、そんなに試練が気になってたのかな?
「ええ、無事に終わりましたよ。もっとも最後の試練は犬飼一族の初代が使役していた犬神でしたが、僕は犬飼一族の血を引いてないので戦いになりました。
結局、犬神といえども畜生霊ですから祓いましたが……」
胡蝶が苦労した相手だ、『丹波の尾黒狐』と同じ位の強敵だったのだろう。
僕が使役出来たかは疑問だ、能力的には勿体ないと思うが制御出来ない力など逆に危険でしかない。
『初代の使役した犬神をですか……それは大変でしたね。私達も犬飼一族の方々との話し合いも一応終わりましたので、これから帰ります』
話し合い、つまり今回の件の手打ちが出来たって事だな。
廃業し現当主を失った犬飼一族が東日本を勢力下に置く亀宮家の有力一族である五十嵐に無理は言えなかっただろうな、残された爺さん達も大変だろう。
「そうですか、それは良かったですね」
『それで……ですね。あの……今回の件のお詫びも兼ねて今晩の夕食を一緒に食べませんか?お祖母様達も同席したいと言っております』
お祖母様達?あの護衛の二人もって事か……
距離を置きたいのが正直なところだ、既成事実の積み重ねは良くないし余計な事にもなりそうだ。
今回の試練の件は聞かれたくない事の方が多い、特に300年前の式神札を大量に手に入れたとなれば陰陽道の連中から接触が有るだろう。
場合によっては力ずくでも欲しがる連中が居ないとは限らないし……次期当主の五十嵐巴さんは比較的まともだし縁も出来たから、現当主との急速な懇親は不要かな?
「悪いが予定が有るんだ、明日は早一番で帰る予定だからね。それに流石に疲れたから早く休みたい」
五十嵐の婆さんの目的は大体分かる、もっと縁を強めたいのだろう。後は試練で手に入れた札や術具の情報とかで善意の詫びじゃないと思うな。
『そう言われてしまうと……短時間でも構いません、お願いします』
この子、地味な割に意外に押しが強いんだよな。
だが此処まで言われて強硬に断るのも、これからの関係を考えると問題有りか……これが派閥に属する事の問題と面倒な部分なんだよな、一人だったら関係の無かった事だ。
「うーん、困ったな……」
今夜は祝杯も兼ねて昼間に食べ損ねたラーメンに餃子、ライス大を食べたかったんだが五十嵐一族の現当主と次期当主と一緒じゃ無理だな。
相応の店となると僕の伝手では直ぐに押さえられない……
「店は其方で予約して下さい、僕は一旦ホテルに戻って用事を済ませます。明日も早いし七時開始位にしましょう、決まったら電話して下さい」
どの道お詫びなら僕から店を指定するのは変だろう、相手が手配する事だからな。
今は撤収の準備と、この術具や御札類の宅急便の手配をするか……手元に無ければ今回の懇親会で追及される事も少ないだろう。
『有り難う御座います。では決まり次第、直ぐに連絡しますね』
そう嬉しそうに言って電話を切られた……
ヤレヤレ、悪い娘じゃないんだけど独特の押しの強さが有るな。一応亀宮さんに連絡を入れておくか、派閥の問題だし彼女はハブられる事を嫌っているから……
◇◇◇◇◇◇
「良かった……お詫びの件、OK貰いました。直ぐにお店を探しましょう」
今でも電話越しで話すだけでも緊張するわ、悪い人では無いのは理解していても心の何処かで未だ怖いと感じている。
お祖母様や芝塚、東海林達の見守る中だったので余計に緊張して携帯電話を持つ手が汗で濡れてしまったわ……
「ふむ、巴にだけは気を遣うか……我々は敵一歩手前だからな。あの霊圧、今でも心臓が締め付けられる思いじゃ……」
「確かに信じられない程の巨大な霊圧でした……」
「本当に……土居達が連れて来た子飼いの連中などトラウマを植え付けられて、もう使い物にならないでしょう」
ああ、あの私が榎本さんの腕に縋り付いてる時の事ね……榎本さんって根っこは優しいかもしれないけど脅す時は手加減無しなのかしら?
「兎に角だ、巴とは良好な関係を築けそうだから一安心じゃな。下手にアレと敵対しては我ら五十嵐一族も山名一族の後を追う羽目になる所だったぞ。
さて、車を出してくれ。市内のホテルに戻ろう。榎本殿との懇親会はホテルの特別室にて行おう、亀宮グループのホテルの方が双方安心じゃろうて」
「ホテルのですか?榎本さん、グルメらしいですから何処か有名なお店を予約した方が良くないですか?」
あの昼間の食事からして名物料理を好むと思うわ、鹿とか猪とかの肉を美味しそうに食べていたし……
携帯電話の電波の関係で停めていた車が走りだす、廃業するとはいえ立派な屋敷の犬飼邸から離れて行くが、あの老人達は朽ちる迄ここに留まると言っていたわ。
「今日の今日で有名店は無理じゃろ?防犯上の問題……は、無いな。アレを害せる存在など亀宮様達、御三家の当主クラスじゃろうな。
もう今回の様に利用は出来ないだろう、他の連中には悪いが我々で打止めだ。もっとも我々とて一つ間違えば衰退していたのだから、危険な賭けに勝てたと言う事か……」
ブツブツと独り言を言っているけど今回の件は御隠居衆の陰謀だったみたいね、そんな腹黒い連中と当主を継いだばかりの私が張り合っていけるのかしら……
御隠居衆と言っても派閥の現当主達の集まりだから高齢者ばかりではない。風巻家の当主も未だ四十代半ばの筈だし、二十代の私だって大丈夫よね?
「お祖母様、独り言で今回の悪事の件がバレましたわ。あまり榎本さんを軽く見過ぎると逆襲されますよ」
個人で私達、五十嵐一族の動きを読んで最善に近い対応をしてくる相手なのよ、初音様の予知を持ってしても計り知れない力を秘めた存在。
今は私に配慮してくれる形だけど完全に味方では無い、これから誠意を持って関係を築かないと……
「分かっておる、まさか五十嵐一族に真っ向から挑んで来る程の覚悟を持っていたとは……見掛けによらず穏便故に交渉の余地が有ると考えていたが甘かったわ」
ああ、事後処理に巻き込もうとした事ね。確かに一歩も引かず突き放した対応だったわ、もし私が好感度を上げる事に失敗していたら……
「場合によっては全面対決になりましたね。
そもそも霊能力者として圧倒的に開きが有りましたから、勝つ要素は交渉しか無かった。それも亀宮様に頼られたら無理だったのです、あの方は彼に依存していますから……」
初めて出会えた恋愛対象になれる男は、自分と敵対しない為だけに派閥に加わってくれた。
しかも防御特化の自分をも守れる程の力を持っていて気さくに接してくれる。
私も初音様と言う加護持ちだから分かる、他人と違う私達は心の何処かで同じ境遇の人を強く求めている。
「全く今思えば如何に無謀だったか分かるわ。さて、巴よ……」
「はい」
「約束通り本家に戻ったら直ぐに跡目襲名の儀を執り行うぞ。その時に榎本殿にも出席して貰える様に頼むのだ、アレが出席してくれる事に意味が有る」
私が五十嵐一族の当主になる……土居達不穏分子が一掃された状態で、亀宮様の想い人に出席して貰って……
「全てはお祖母様の計画通りに進んだ訳ですね。私達は一族の結束と跡目襲名の為に彼を利用し成功した。
今後の亀宮一族の中でも重要な鍵となる榎本さんと縁を持つ事が出来た、他の御隠居衆を出し抜いて」
「ふむ、引退する儂には関係無い話じゃな。お前の五十嵐一族なのだ、お前が一族の繁栄の為に何をするかは、お前次第じゃよ」
不気味に笑うお祖母様から目を逸らす。
「私……次第ですか……」
改めて一族を率いる責任の重さについて考えてさせられた、果たして私は当主として綺麗事だけで行動出来るのだろうか?
窓の外を見れば既に緑の木々から灰色の建物群に変わっていた、随分と話し込んでしまったのね。
五十嵐一族の繁栄と衰退の鍵は榎本さんだと思うわ、後はどうやって良い関係を築けば良いのだろうか……
◇◇◇◇◇◇
ホテルに到着し上着を脱いでベッドに倒れこむ……
「内容の濃い一日だったな、犬飼一族の試練に五十嵐一族の派閥問題。得られた物は多いが苦労も一緒に背負い込んだ感じがする」
今後は亀宮一族の中で風巻家と五十嵐家と付き合っていく事になるだろう。
諜報部隊を抱える風巻家は問題無いが、未来予知が主体の五十嵐家とは付き合い方が難しい。
主力が芝塚さんと東海林さんでは正直力不足じゃないかな、単純な格下戦力が増えても仕事は有利にはならない。
「胡蝶さん、五十嵐家の自動書記っていうか未来予知って役に立つのかな?」
呼べばニュッと腹から上半身だけを現した胡蝶さんが首を傾げる。
「む、未来予知か?今回の件を考えても大した役には立たないだろうな。別に無くても問題は無さそうだぞ」
妖を合計で五匹も食べた為かご機嫌な胡蝶さんだが、瞳の金色が少し濃くなってる気がする。
悪食もパワーアップしたみたいだ、具体的には長距離を飛べる様になった。
今も部屋の隅々を走り周り眷属による早期警戒システムを構築し始めたので、ホテル内は悪食の眷属で一杯だ。
但し天井内とか排水管とか見付かり難い場所を移動しているのでホテル従業員が騒ぎ出してはいないのが救いだな。
「ふむ、今回の対応か……」
試練の数はハズレ、黒は悪食の事なら正解、その他は何を予知したんだろう?
一応、土居達の暴走と襲撃の場所と時間は予知したみたいだが間に合わなかったし。いや暴走を予知したから僕の所へ来たけど間に合わなかったのか?
「未来予知、思ったよりも使えないのかな?株価や宝くじの当選番号とか分かれば金儲けは出来るけど……」
「だが結果として一族の膿を取り除き次期当主となる自動書記女は、正明と縁を結ぶ事となった。これを見通していたなら大した物だろうがな」
あの慌て様は演技じゃないと思うから、そこまで読み切ってはいない。今回は彼女の一族を思う一途な行動にほだされた感じかな……
腹から生える彼女を抱き締めてポンポンと背中を軽く叩く。
「それよりも、胡蝶が強化されただけでも試練を受けた甲斐が有ったよ」
「む、そうか?正明が良いならば問題無しだな」
無邪気に微笑む胡蝶を見て、随分とこの中身凶悪な彼女に惹かれてしまっていると実感した。