父島を出発して丸一日モータークルーザーに揺られて伊豆大島に到着、船上では何もする事も手伝える事も無く食べるか寝るか広大な海を眺めるだけだった。
あの告白の後、一子様は特に様子も変わらずベタベタもせず適度な距離と配慮をしてくれるので僕も変な気を使わずに済んで助かった。
流石は略奪愛だけじゃない人身掌握術にも長けている、たまにスキンシップはしてくるが嫌味に感じる事が無いのが凄い。
快適なクルージングを終えて見上げた大島は、父島とは違い本土から距離も近く観光地化されている。
前回は一子様の下僕であるお土産屋の店主の所に行ったが今回は普通に観光ホテルらしい。
入港するのでデッキに上ると既に一子様がモータークルーザーの先端に立っていたので横に並ぶ、一寸憧れているがタイタニックごっこはしない。
「今日は伊豆大島温泉旅館に予約を入れています、温泉に浸かり美味しい名物料理を食べて鋭気を養って下さいな」
彼女は既に上陸の準備の為にパーカーとキュロットスカートに着替えている、船上ではビキニを何回か着替えて目の保養でしょ?と笑っていた。
因みに高槻さんも水着姿だったがワンピースタイプだった、ハニートラップか単にサービス精神かは分からないがロリコンの僕は精神に僅かながらダメージを受けた。
「伊豆大島温泉旅館?大島って温泉出るんだ」
「火山地帯ですからね、三原山が噴火して島民全員が避難した事も有りましたよ」
ああ、確かに噴火して島民避難のニュースを聞いたな、僕が未だ小学生低学年頃だったから1986年だ。
四国の田舎に親戚を頼って引っ越して来た家族が居たな、確か同じ小学校に転校して来た男子が居たけど名前は忘れた。
「うん、思い出したよ。でもさ、港に出迎え多くない?」
波止場には『大歓迎・我等が女神様』って横断幕が張られて二十人近い男達が居るけど、隠密行動は三郎を倒したから取り敢えずは気を使わなくて良いのか?
南国特有の日差しと海の香りを全身で感じながら女神様に寄り添われているが、僕は彼等の視界には入って無さそうだ。
流石は有料会員が四桁だけあり全国に青年から中年迄の広い層に一子様ファンが居る、いや下僕と言うかシンパと言うか……
身の危険を感じて接岸する前に彼女から離れて高槻さんの隣に移動する、モブ巫女さん達が桟橋にタラップを設置すると周りに男達が集まり口々に歓迎の言葉を投げ掛けているな。
「怖い、三郎だって何とも思わない僕が今確かに恐怖を感じている。一子様の人心掌握術は殆ど洗脳に近いな、味方なら心強いが敵に回すと奴等も敵になるのか……」
純粋に女神を信奉する無垢なる信者と言葉にすれば綺麗だが、実際は狂が頭に付きそうだ。
現代社会でも数はそれだけで暴力だ、何も直接的な戦闘力だけで優劣を競えない、集団による情報戦(悪意ある噂話)での社会的な死は絶対に避けたい。
(狂)信者達を従えた一子様の10m後ろを高槻さんとモブ巫女さん達に囲まれて付いて行く、コレはコレで美女に囲まれているのだが嬉しくは無い、だってロリコンだから。
◇◇◇◇◇◇
伊豆大島温泉旅館は旅館と言っているがホテルの方が似合う鉄筋コンクリート四階建で風雨に曝された外観は歴史を感じさせる風格が有る、敷地の庭は広く南国特有の椰子の木々が植えられ特産の椿も見えるが残念ながら時期が違い花は咲いてない。
正面口の自動扉の前に六人の着物姿の仲居さんが並んで出迎えてくれた、入口脇の黒板には白い筆書き文字で『歓迎・加茂宮様御一行』と書かれ他にも何組かの宿泊客の名前が書かれている。
亀宮さんの所は若宮リゾートグループが有り日本各地にホテルを経営してるが加茂宮はどうなのかな?
「いらっしゃいませ、加茂宮様。お待ちしておりました」
和服の仲居さんの後ろからスーツ姿の支配人が現れて一子様を案内するが、彼の目にも狂信者の光を見た。
「春日井、世話になります。こちらは榎本さん、大切なパートナーだから失礼の無い様に十分に注意なさい」
「パートナー……で御座いますか?失礼しました、当旅館の支配人の春日井です」
一瞬パートナーの件(くだり)で視線がキツくなったが、慇懃無礼に腰を90度曲げて挨拶をしてくれた。
「お世話になります、短期で一子様と仕事上のパートナーとして雇われた榎本です」
「おお、そうですか!コチラこそ宜しくお願いします。
当旅館の自慢は屋上の大露天風呂です、今は貸し切りですので存分に御堪能下さい。直ぐに夕食の準備を致します、先ずはお部屋に案内致しますので寛いで下さい」
そう言うと仲居さんが手荷物を受け取り先導する、チェックインとかの手続きは不要みたいだ。
案内されたのは最上階の角部屋と並びの四部屋、話し合いの末に角部屋401号室は一子様と高槻さん、真ん中の402号室が僕で次の403号室と404号室がモブ巫女さん達。
一子様と二人で相部屋は本当に勘弁して欲しい、状況証拠が積み重なると嘘でも真実になる、全く迷惑な話だ。
部屋の中に入り見回す、十二畳の和室と窓際には四畳程の板の間が有りソファーセットが置いてある、トイレと内風呂が有り冷蔵庫の中身はコーラとビールだけ。
つまり最初から僕は独りで部屋割も決まっていたんだな、備え付けのドレッサーを開けて中からタオルを取り出し温泉に向かう、久々の温泉は楽しみだ。
◇◇◇◇◇◇
露天風呂は男女別々の室内大浴場とは別に貸し切りタイプの小さめの浴槽だが正面から海が一望出来る、遠くの沖合に漁船らしき船影が見える。
新しいのは昨年屋上を改造して四つの個室タイプの露天風呂を造ったそうだ、総桧造りの浴槽に御影石の洗い場、天井は東屋風になっていて僕一人なら足を伸ばしても十分な広さが有る。
念の為に鍵は掛けた、流石に一子様も風呂には突撃して来ないだろう、来ないで下さい。
昔で言う硫黄の臭い、今は成分の硫化水素の臭いがするのが温泉に入っている醍醐味だな。
簡単に身体を洗いタオルを頭の上に畳んで乗せる古来からの作法に則り浴槽に身体を沈める、三郎に撃たれた脇腹の傷痕が少し痛むが問題は無い。
「生き返るな、風呂は命の洗濯だって逃げちゃ駄目な少年も言ったっけ」
両手でお湯を掬いバシャバシャと顔を洗う、流石のフルカスタムなモータークルーザーでも風呂は無かった、シャワーだけだったので本当に汚れを洗い流すだけで浴槽に浸かる事は無かった。
父島で楓さんに世話になったが忙しかったから身体を拭くだけだったし、ゆっくり出来たのは久し振りだな。
身体をのけ反らせて浴槽の縁に頭を乗せる、見上げた空は夕焼けの赤に染まりつつある、つかの間の休息を楽しむ。
「二子・三郎・五郎・七郎の四人は僕が食べて生き残りは一子・四子・六郎・八郎・九子の五人、だが九子は誰か一人を食べている。
四子・六郎・八郎の内生き残りは二人、一人は一子様に食べさせないと駄目だ」
『ああ、後一人先に食えば最悪でも力は互角だな、逆に二人共に九子に食われたら厳しい』
僕の独り言に胡蝶さんが脳内会話で応えてくれた、確かに九子に三人食われたら四人食べた僕と胡蝶でも勝つのは厳しい。
僕も胡蝶との混じり合いが進み当初よりも力が上がっているし雷撃の勾玉や赤目達も手に入れた、あと一人なら九子に食われても何とか大丈夫らしい。
だからその後の事も考えて御三家のパワーバランスを保つ為に、一人は一子様に食わせる事にした。
事件が解決しても加茂宮家が弱体化すれば、伊集院家が乗り出してくる、阿狐ちゃんは一族の繁栄に積極的だから何れ加茂宮家を吸収合併してしまう。
だが新興の武闘派勢力だから地盤固めとかノウハウとかも無さそうだし最悪は亀宮家とも事を構えそうだ、常に戦わないと勢力の纏まりが維持出来ない可能性も有る。
実際に一子様には感謝している、僕等だけでは他の派閥の当主と戦う事は難しく情報一つ集めるのも大変だった筈だ、協力してくれて報酬まで貰えるのだから一人は食わせてあげたい。
「いかん、逆上せた……もう出よう」
掛け湯をして身体から温泉成分を洗い流してから露天風呂から出る、少し長湯してしまったみたいだ。
◇◇◇◇◇◇
「あら?長湯だったわね」
「やはり日本人は浴槽で足を伸ばして湯に浸かりたいですね、シャワーは味気無いのです」
風呂上がりに部屋でコーラを飲んでいたら一子様が訪ねて来た、お供は居ない。
彼女も温泉に入って来たのだろう、浴衣姿で髪を頭の後で纏めている、妙になまめかしいのに参る。冷蔵庫の扉を開けて固まる、中にはビールとコーラしかないが正解はどっちだ?
「ビールを頂こうかしら?」
アサヒのスーパードライとグラスを二つ取りテーブルへと向かう、座布団に正座する洋風な美女は何とも似合わないモノだな。栓抜きは要らない、親指で押し上げる様に蓋を開けてグラスに注ぐ。
「あら?私を酔わせて何がしたいの?」
悪戯っぽい目で見られたがビールは自分でリクエストしましたよね?
一子様が自分の分のビールを注いでくれた、普通の男には絶対しない、彼女は男達に奉仕される側だからな。
「今後の方針かな、残りは三人だけど一人は九子に食われている、誰だか分からないとハズレを引いて時間を無駄にするよ」
飲み干したコーラの缶をクシャクシャに握り潰す、ビー玉サイズに丸めてテーブルの上に置いてビールの入ったグラスを持つ。
「「乾杯」」
カチンとグラスを合わせる、マナー違反だがコレはコレで楽しい。お互い一気に飲み干す、空いたグラスにビールを注ぎ合う、ノリは居酒屋だな。
「それで次のターゲットは決まっているかい?」
美味しそうにビールを飲む彼女を見て思う、カクテルやワインが似合うのにビールも好きそうだな。
「榎本さんもビール好きよね?」
「ええ、洋酒は高いですし奢られるのに慣れてなくて、お互い貸し借り無しの関係で何十万円も奢られては気持ちが負ける。
ビールなら最悪でも一本二千円は越えないだろう、自腹を切っても大したダメージは無いから気が楽なんだ」
そう言ってグラスを煽る、やはりビールはスーパードライ、次点でプレミアムモルツだな。
正座から脚を崩して横座りをする、浴衣の裾を気にする仕草が妙に艶が有る、僕のロリコンフィルターが八割カットするが僅かにダメージを受ける。
「あらあら、相変わらず真面目で固いわね。だからこそ私は榎本さんを信頼しているの。そう言えば結衣ちゃんとはどう?」
「ど、どうって?いや、普通だよ。うん、普通かな」
そうだった、彼女は結衣ちゃんが僕を異性として好いていると教えてくれたのだがイマイチ進展は無いんだ。
だが今回の件が片付いたら、亀宮さんから婚姻届を返して貰って結衣ちゃんに気持ちを伝えるんだ!
『正明よ、世間一般ではソレを死亡フラグと言うらしいぞ。戦場から帰ったらプロポーズは死亡フラグの中でも最たるモノらしい』
『要らん現代知識に毒され過ぎだよ、胡蝶さん!』
誰が何時の間にそんな知識を教えたの?学んだの?
「あらあら、保護者としては複雑みたいだけど結衣ちゃんも意気地無しね。榎本さんは奥手だし家族愛が強そうだからガンガン押さないと落ちないのに……」
いえ、既に陥落しています、出来れば十六歳の誕生日に入籍し高校卒業と共に結婚式を挙げたいのですが世間が許さないのです。
「話を戻しましょう」
温くなったビールを一気飲みし新しいビール瓶を冷蔵庫から取り出す、同じ様に親指で押し上げて蓋を開ける。
「少しだけ妬けるわね、でも真面目な話に切り替えましょう。
生き残りは二人、六郎と八郎よ。四子は負けたみたいね、彼女を支持していた祇園の有力者達の動きが怪しいのよ。九子は四子を食べただけで配下の取り込みには積極的では無いみたいだわ」
ふむ、自分に絶対の自信が有るから先ずはスピード重視で敵対当主を食べてから、その後で派閥の地盤を固める気なのかな?