榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

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第289話

 加茂宮の新当主を決める蟲毒の呪法を用いた生き残りゲームの勝者は一子様に決まった。結局九人中七人は胡蝶が食べて、一子様は九子しか食べていない。

 だが一人でも食べれば能力の底上げは出来たみたいだが、本人は釈然としていない。九子の強化と自分の強化を比べて、その差が分からないからだろう。九子は最初に一人食べた状態であったが、既に狂っていて強かったぞ。個人差があるのか、一子様が現状でも狂わない理由なのか?今となっては分からない、永遠に分からないだろう。

 心配していた生き残りゲームの根幹が既に壊れた状態での勝者である彼女の精神に異常をきたすのか?は特に変化も無く普通の精神状態だ。謎は謎のままだな、誰にも分からないだろう。

 

 猿島の決戦の後、一子様のファンクラブの連中が後始末に大挙して現れ、僕はする事が無く丁重に帰された。後始末が終ったら一緒に亀宮本家に報告に行く。それで今回の騒動はお終い、胡蝶の因縁の相手を屠れたしパワーアップも出来たので満足だ。

 それまでは、結衣ちゃんと日常の幸せを楽しんでいなさい甘えておきなさい。あと、最後に九子に優し過ぎた理由は追求するから覚悟しなさいと言われたが解せぬ。

 抱き締めたと言っても左腕で心臓をぶち抜いていたんだぞ。何処に優しさが有る?アレか、地獄で待ってろって言葉か?それは優しさとは違う命を奪った相手に対する配慮だよ。女性は理不尽だと言う言葉が蘇る、なる程心理だな。

 

 だが、そんな理由は新生加茂宮一子様には関係無いのだろう。僕も一子様と九子の関係が知りたい、最後の会話は実の姉妹の様な……

 いや今はそんな事は後回しだ。取り敢えず結果をメールで知らせた後、隠密行動で後始末をする関係でマナーモードにしていたのだが、気付いたら着信が三桁になっていた。同一人物からだ、この短期間で数分おきにか?

 怖い、九子と命懸けの戦いに勝ち抜きパワーアップした僕が携帯を片手に脂汗を掻きながら固まる姿を見た、一子様の不審者を見る目がキツイです。

 

 あと一子様の自撮りした写真のデータですが、お願いだから削除して下さいませんか?

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 個人所有の漁船で、猿島から北下浦漁港まで送って貰った。これもアリバイ作りで、そのまま三笠公園のフェリー乗り場に行ったら疑われるだろう。こう言う地味とも思える行動の積み重ねが大事なんだよ。

 北下浦漁港は神奈川県東部、東京湾に面していて全長4kmの長い砂浜が近くに有る。最近海岸全域が侵食を受けて砂浜が減っているとニュースで流れたのを覚えている。田舎の寂れた漁港、だから注目度も低い。

 丁度刺網漁から戻って来た漁船の群れに紛れて接岸、上下合羽を借りて漁師の振りをしてそのまま休憩用の小屋に入り着替えてから最寄の駅に向かう。

 

 最寄駅は京浜急行線の京急長沢駅か京急津久井浜駅、どちらにしようか迷うも一番近い京急長沢駅に向かう。北下浦小学校と北下浦中学校の側を抜けて駅に向かう。

 湘南長沢グリーンハイツのマンション群を抜ければ、島式ホームの高架駅が見えた。一日七千人弱しか乗り降りしない、比較的閑散とした駅だが一応駅周辺には小規模ながら商店街を形成している。

 バスロータリーかと見間違える程、駅前広場は広い、その周辺には信用金庫に郵便局、農協に個人商店が連なっている。目撃者を減らす為に何処にも寄らず真っ直ぐにホームに向かう。

 

 直ぐに京急久里浜駅止まりの電車が来たので飛び乗る。電車内がガラガラ、数人の学生と主婦らしき中年の女性。彼等から離れた場所に座り漸く一息つけた、全身から力が抜けていく。

 

『胡蝶さん、一子様はどうなるんだろう?』

 

『む?他の女を心配している場合か?着信の返事はしてないんだろ?』

 

 そうだった、慌てて携帯の画面を見れば更に着信数が二桁入っている。電車内ではマナーモード、社会人として常識。

 だが降りたらどうする?掛け直す?それともメールで今日は疲れたから明日報告するってメールする?電車内での携帯電話・スマートフォンの使用は自粛、ポケットにしまう。

 厳つい男が携帯電話の画面を睨んで冷や汗をかいているのが面白かったのか?学生達が此方を見て笑っていたが、睨んだらそそくさと隣の車両に移動していった。男子高校生め、オッサンの動揺する姿が楽しいのか?

 

『電話したくない。今連絡したら強制的に千葉の亀宮本家に召集パターンだよ。今夜はゆっくりと、結衣ちゃんの手料理を食べて休みたいんだ』

 

『まぁ良いか。我も七百年の因縁有る相手に引導を渡せたから満足だ……二人分食い損ねたが、良しとしてやる』

 

 うん、そうだね。一子様は生き残ったし、九子の力は彼女が食った。これで彼女も西日本の霊能者を束ねるだけの力を得たんだ。人身掌握術だけでも問題ないのに、自身も強大な力を得た。

 加茂宮一族は磐石の態勢を整えた、配下も鷺山衆や五十鈴宗家とか、楓さん達鈴代家も新しく臣従した。配下の質も悪くない、十分に当主としてやっていけるだろう。

 これで義理も果たせたし縁も細くなるだろう、流石に対立派閥の当主と今後も懇意にとはならない。それ位の分別は有る、暫くは大人しくしてほとぼりの冷めたあと、結衣ちゃんとの仲を進展させて……

 

「あ、京急久里浜駅に着いた。乗り換えよう」

 

 流石に着信が有って明日まで掛け直さない訳には行かない、だが衆人環視の中で電話もしたくない。一度横須賀中央の事務所に戻ってから、落ち着いてゆっくりと電話しよう。

 逃げでも先送りでもない、環境を整える大事です。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 京急久里浜駅から京急横須賀中央駅までは電車で十分程度、直ぐに到着する。そそくさと電車を降りて事務所の有るマンションまで移動する。近くの猿島で凄惨な事件が有ったのだが街は特に騒がしくもない。

 マンションから猿島は見えないが、特に報道ヘリが飛び交っている訳でもない。一子様の隠蔽工作は順調なのだろう。政府機関やもしかしたら米軍関係者にもファンクラブが居そうで怖い。

 現代日本で最強なのは、数多くのファンを持ち操る、一子様かもしれないな。僕だって国には逆立ちしたって勝てないのだから。彼女の洗脳術が、九子を食べた事でパワーアップして無い事を祈ろう。

 事務所に到着、事務所の留守番電話にも鬼の様な着信が有る、FAXまでも大量の紙を吐き出している。この分だと、パソコンメールも同じ状態だろうか?怖い、だが電話しなければなるまい

 

 亀宮さんに……震える指でアドレス帳から彼女の電話番号を選択してボタンを押す。繋がった、コールが……

 

「もしも」

 

『榎本さん!酷いです、何度も電話してメールしてファックスして、それでも駄目なら今から自宅に向かおうと思っていました!』

 

 ワンコール目で繋がり、言葉を遮られて捲くし立てられた。あらゆる連絡方法を試みて、最後の手段で突撃するつもりだったらしい、間に合って良かった。

 

「ごめんね。隠蔽工作中だったからマナーモードにしてたんだ。そのままコッソリと猿島から脱出して、北下浦漁港から京急電鉄に乗って横須賀中央の事務所に戻って来たよ。依頼は達成した」

 

『知ってます。加茂宮の一子から連絡が有りました。明日の朝十時に此方に来るそうですから、榎本さんも今晩から泊まりに来て下さい。嫌なら私が其方に泊まりに行きます』

 

 え?何で?今夜は結衣ちゃんの手料理を食べて英気を養ってから、二大派閥当主との戦いに挑む所存なのに前日乗り込みって?

 

「いやいやいや、色々有って疲れてまして。今夜は自宅でゆっくりしたいんです」

 

『あら?今から最寄の役所に行っても間に合うかしら?戸籍謄本と実印と身分証明書と・・・・・・』

 

 婚姻届は夜間窓口が有るから基本的に二十四時間受付可能、そして戸籍謄本は委任状で問題無し。つまり婚姻届に印を押してしまったら、僕の意思など無意味に行政機関に提出可能なんだ。

 恐れていた事が現実になってしまった。一難去って又一難、現実は非情。このまま亀宮本家に行って、亀宮さんを宥めすかして婚姻届を奪わないと駄目なのか?高難易度ミッションの連続か?

 

「えっと、今からだと…・・・最終便に乗って、金谷港に到着が二十時位だと思うんだけど」

 

『分かりました。金谷港に二十時ですね?迎えに行きますから、逃げないで下さいね?』

 

「う、逃げないって。何故逃げると?」

 

『一子様から素敵な写真を頂きました。東洋のロミオ様の言い訳を楽しみにしていますわ!』

 

 え?一子様?あの危険な写真を亀宮さんに送ったの?何故さ、東洋のロミオって僕に勘違い自殺しろって事?駄目だ、あの様子だと修羅場る。説得が通じるか疑問だ。

 現在時刻は夕方十六時過ぎ。速攻で自宅に帰り、結衣ちゃん成分を補充し十八時半には自宅を出て久里浜港に向かわないと間に合わない。迎えを寄越すならば自家用車では行けない。

 二時間弱しかない。加茂宮一族の当主連中と戦って勝利を収めたのに、一子様と亀宮さんの対応が酷い。気持ちは分かるし可愛い嫉妬だとも分かる、だけど緊急招集は酷くない?

 

「兎に角帰ろう。結衣ちゃんも学校から帰って来てる筈だし、顔だけでも見ないと元気が出ない……」

 

『いっそ婚姻届を出してくれれば、正明は亀宮一族の当主の連れ合いだ。その方が色々と都合が良くないか?いや良い、軒先を借りて母屋を取るだ!目指せ東日本の覇者』

 

『そんな乗っ取り計画は無い!』

 

 思わず机に突っ伏す、胡蝶さんの計画が実行されたら亀宮の御隠居衆との凄惨な権力争いが勃発する。一子様も阿子ちゃんも頼まないのに参戦してくれそうで怖い。

 そんな日本霊能界のトップ争いに参戦したくもない。そろそろ第一線を引いてのんびり暮らす計画が初っ端から破綻した、最悪だ。

 胡蝶さん?やりませんよ、やりませんからね?って応えてよ!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 濃い一日を終えて帰宅した。この後、もう一戦あるのだが、今は安らぎを求めたい。急ぎタクシーで帰宅し、玄関の扉を開く。家の中から漂う匂いはフライかな?

 「ただいま」と声を掛けて靴を脱いで上がる。台所からパタパタとスリッパの音を鳴らしながら愛しの、結衣ちゃんが出迎えてくれた。

 私服の上からエプロンを付けて、タオルで両手を拭きながら現れる姿は歴戦の主婦の如く貫禄が有るのに可愛い。最高だ、これが僕の求めている安らぎだよ。

 更に後ろから、桜岡さんも同じくエプロン姿で現れた。此方は手にオタマを持つというあざとい仕様だが、大切なフードファイター仲間だから嫌じゃない。

 

「改めてただいま。一子様の依頼は達成したけど、これから亀宮本家に報告に行かなきゃ駄目なんだ。久里浜港発の最終便で向かうから、十八時半には出掛けたいんだ」

 

「おめでとうございます。正明さんもゆっくり出来るのですね?直ぐに夕飯の支度をします、今夜は海老とササミのフライに海藻と豆腐のサラダに胡瓜の薄切り中華風スープです」

 

「サラダは私が作りました、海藻のチョイスに拘ったんです。地元走水のヒトエグザに沖縄産のクビレヅタ、千葉産のハバノリに豆腐はマルトウの絹ごしです!」

 

 桜岡さんの意気込みが凄い、確かに海藻と侮るなって事で産地に拘ったのか。豆腐は最近、結衣ちゃんが横浜で見付けた名店マルトウの絹ごし豆腐か……

 胡麻ドレッシングは成城石井の「なんでもいけるドレッシングシリーズ」だが、それは厳密には料理とは言わない様な?いやサラダも立派な料理だよね。

 結衣ちゃんのササミフライは大葉やチーズ、シソ梅肉と数種類を準備しているので飽きがこない。余ると翌日にチキン南蛮とか味を変えて出してくれるんだ。

 

「じゃ沢山食べるよ。派閥絡みの仕事はさ、終った後が大変なんだよ。今回は特に二大派閥を跨いで仕事を請けたからね。暫くは書類作成と事後処理だな」

 

 苦笑いを浮かべて誤魔化す、本当は今晩から修羅場が待っているんだ。一子様は本気で僕の引き抜きを考えているんじゃないか?それは約束が違うと思うんだよ。

 あの写真を見せたら未だ亀宮さん止まりだと思うけど、星野家の当主辺りが騒ぎ出すだろう。あと一子様の協力に反対した鳥羽家と新城家かな。

 まぁ毎回契約を結んでから仕事をしてるし、変な所からの引き抜きや干渉を嫌っただけだからな。今なら亀宮一族の一部と揉めても大丈夫な実績は作れた筈だ。

 


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