榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

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第7話から第9話

第7話

 

 坂崎君が、現場に女性を連れ込んでる?何という事だ!

 童帝(わらべのみかど)の癖に、深夜に巫女さんの彼女を連れ込むだと……

 巫女さん……巫女?こんな心霊物件に、夜遅く巫女さん?よくよく見れば、テレビで見た事が有るぞ……

 

 梓巫女の桜岡霞だっけ?

 

 たしか透け透けだか濡れ濡れだかで有名な……今回の件は彼女に手を引いて貰った筈だけど、何故ここに?

 

「今晩は、坂崎君。職場に彼女を連れ込むなんて、やり手だね」

 

 もしかしたら坂崎君の本当の彼女の……筈は無いな!大方、自分が断られた訳を知りに来たか、若しくは宣戦布告か……

 この業界の連中は自信過剰気味なのが多いからなー。

 

「お馬鹿さんな事を言わないで下さらない?私を袖にしてまで依頼した貴方の事を調べに来たのよ」

 

 ああ、やっぱりプライドを傷付けた報復か……胸を反らせて高笑いしそうな表情だし、典型的なタカビーさんかな?

 

「榎本さんスゲー!売れっ子美人霊能力者から、そんなに警戒されるなんてスゲー!」

 

 美人の件(くだり)で顔がニヤけてるとは、おだてに弱いのか?

 

「あっ……えっまあ、それ程美人でも……」

 

 良し、追撃だ!

 

「いやいや僕もこの物件は遠慮したんですよね。生霊と判断したんですが、専門外だったから……でも専門の桜岡さんが出張ってくれたなら安心だ!

それで、何時調査を受けたんですか?」

 

「いえ、その私は……ボランティア、そうボランティアよ!」

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 何故か、その場の勢いでボランティアとか言ってしまったわ。だって素直に美人霊能力者とか言うから……

 最近は、スケスケ巫女とかヌレヌレ巫女とかAV女優扱いをされてたのよ。あの榎本って男も下手に出てるし、私の素晴らしさを分かっているのね?

 そうなのね?美しさは、罪……私は罪深い女……

 

「では僕はこれで……いや良かった良かった。本職の美人巫女さんが来てくれて……ではお願いします」

 

 なに、ここに居ると厄介事に巻き込まれる事間違い無しみたいな顔は?さっさと撤収しようと、その場でユーターンした所でガッチリ掴む。

 

「お待ちになって、榎本さん。逃がさないわよ」

 

 誤魔化せる程、私は甘くないですわよ。ガッチリ掴んだ肩は、中々の筋肉を纏っているわね。

 随分と硬いわ……

 

「何でしょう、桜岡さん?貴女が居れば、事件は解決したも同然じゃないですか?」

 

 やんわりと肩を掴んでいる私の掌に、彼が掌を添えて肩から外す。掴まれた掌をニギニギとされた。やっぱりコイツもエロい屑野郎か?

 私は嫌そうな顔で彼の掌を払うと「ふざけてないで手伝いなさいな!」そう言ってやった。

 

「手伝いとは?」とか真面目な顔で言ってきたから「良いから現場を案内しなさいな」そう言って顎で建物を示す。

 

「取り合えず、昨日の進入で危険と判断した物件に入れと?本気で言っていますか?

一度撤退した相手なら、対抗手段を用意しないと問題があるんですよ!

ましてや生霊だ……僕が出来る事は少ない」

 

 なる程、自分が一度調査したから生霊の部分には自信があるのね。しかし生霊ならば私も一度確認しておきたいし、彼の能力も知っておきたいわね。

 

「生霊に関しては、私の得意分野。大船に乗った心算でいなさい」

 

 そう言ってズンズンと中に入ろうとする私を止めて、なにやら装備を取りに行くとか出て行ったわ。

 警備員の彼が言うには、照明器具とか自衛の武器とか色々有るみたい。

 除霊道具か……私は梓弓と少量の清めの塩くらいだわ。

 最近は小型のLEDライトを持っているけど、除霊道具とか聞かれると違うわね。同業者の除霊道具か、凄い興味が有るわ!

 しつこく話しかけてくる警備員に、適当に相槌を打っていたら段ボールを二つも抱えて来たわね。

 ベースにしているテントの中に段ボールを置くと、色々と荷物を並べ始めたわ。

 

先ずは……

市販のランタンかしら?幾つも出して点灯確認をしてるわね。

 

「お店でも始める位にランタンばかり……これが貴方の商売道具なのかしら?」

 

 ランタンをチェックする手を止めて、なにやら蓋を開け始めたわ。何かしら?中に、御札が折り畳んで入っているわ。

 

「これは?なにやら梵字が書いて有るけど、御札で良いのかしら?」

 

 ランタンの中に仕込むなんて……まっまさか、このランタンが武器なの?これを投げつけるの?なんて巧妙な……

 

「これはGENTOS製のエクスプローラー・プロEX-777XPって言うランタンさ。別にメーカーに拘りは無いけど、火事を起こさない電池式で長持ちで明るいLED製が良いね。

消耗品だから安価で構わない。愛染明王の御札を入れるのは、耐霊障措置だよ。良く除霊現場では、電子機器が使えなくなったりするでしょ?」

 

 確かに携帯電話やカメラが使えなくなったり、照明器具も消えたりするわ。

 

「でも御札だけで対抗出来るの?」

 

 車のエンジンを掛からなくする様な、強い霊障も聞くわよ。

 

「気休めにはなるよ。確かに御札で防ぎ切れない事も有ったよ。だからこれも用意している」

 

 次に箱から取り出したものは……

 

 発炎筒と、なにかしら?この液体の入った棒は?

 

「何かしら?発炎筒は分かるけど、この薬品の入った棒は……」

 

「これは普通の発炎筒じゃないよ。船舶用の発炎筒さ。車に積んでいる発炎筒は、燃焼時間は5分程度で160カンデラ以上の照度が有る。

しかし船舶用は400カンデラ以上の照度が有るんだ。でも1分しか持たないけどね。火は、それだけで魔を払うから有効だよ」

 

 そう言って、その船舶用の発炎筒を私に差し出してきた。

 

「車の発炎筒と基本は同じだよ。しかし着火したら、自分に火の粉が被らない様に手を水平にして持つんだ。こんな感じで」

 

 試しに水平にして持って見せたら「そうそう、でも火災だけは気を付けるんだよ。それはあげるからね」まるで子供扱いをされたわ。

 

「この棒は何?」

 

 親切にしてくれたのは嬉しいわ。でも恥ずかしいから、テレ隠しでへんな棒を持って振って見せた。

 

「それはケミカルライトだよ。折ってごらん」

 

「ケミカルライト?」

 

 言われた通りに、中ほどでくの字に曲げてみたら……棒自体が黄色く発光したわ。

 

「綺麗……これ何なの?」

 

 黄色に発光する棒を振り回して聞いてみる。何よ、その見守るような温かい目線は……

 

「シュウ酸ジフェニルと過酸化水素を折る事で混合し、科学反応により発光させるオモチャだよ。夜店やコンサート会場でも売っているよ。

霊障も流石に化学反応までは止められないのか、これは消された事はないよ。ただ、吹き飛ばされた事はあるけど」

 

 これも何本か差し出してきた。受け取ったのは、面白そうだからよ!

 

「あとはコレさ!1200ルーメンの明るさが有るし、遠くまで光が届くから便利だよ。あと、暴漢がいたら棍棒代わりに使えるし」

 

 軍用みたいな厳ついマグライトを2本、箱から取り出して見せてくれる。私のLEDライトがオモチャみたいで恥ずかしいわ。

 確かに、あの腕の太さで鉄の棒みたいなマグライトで叩かれたら……グロい事になるわ。

 チッ、流石は現役の先輩だわ。

 小道具一つでも考えているのね……

 

「でも同業者に教えて良いの?真似されたりしたら、嫌じゃないの?」

 

 私なら人に教えないわ。しかし彼は、表情を変えずに

 

「秘密にする程、大した事じゃないからね。同業者だってライバルだって、生存率が少しでも上がるなら積極的に真似するべきだよ」

 

 そう言って、また段ボールを漁り出した。

 

「今度は何が出るの?」

 

 もっと面白い発想の物が見たい。もっと現場で役立つ物が見たい。もっと同業者の秘密が知りたい。

 

「特殊警棒にスタンガン、編み上げのアーミーブーツに多機能チョッキ。数珠に御札に清めの塩だよ」

 

「清めの塩って、5kg位有るわよ?」

 

 ドサッと紙袋にパンパンの塩を置かれても……清めの塩って、少量で有り難味の有る物じゃないの?

 

「自分の祭壇で祭ってるからね。効果が弱ければ量で補うのは有効だよ」

 

 そう言って小さなケース……昔良く見た円柱型のフィルムケースに詰めていく。

 はいって3本程、手渡されたけど。

 

「こっちは相手にぶつける用だよ。蓋を取ってぶちまければ良いから。

こっちは結界用……円を描く様に地面に撒けば簡易結界だ……でも逃げ道が無いから、朝まで篭城用かな」

 

 やはり真言系仏教を修めているから、清めの塩も御札も自作出来るのね。ただただ関心するしか無かったわ。

 

「桜岡さんの準備は良いかい?良ければ、そろそろ行こうか……あまり遅くなると、奴らが活発に動き出すかも知れないからね」

 

 ランタンの入った段ボールを警備員に持たせて、私の準備を待っているわ。

 自分の装備って言うか、持ち物を確認する。貰った発炎筒とケミカルライトを帯に差す。清めの塩は小袖の部分に入れて、梓弓を右手に持つ。

 貸してくれた軍用のマグライトを左手に持ち、持参のLEDライトは清めの塩を入れた小袖の反対側に入れる。

 

 たったコレだけの装備とも言えない持ち物……

 

 彼は霊力が弱いから小道具に頼るとか言っていたけど、私ももっと自分に出来る事を考えないと駄目だわ。

 

「準備は出来たわ。では案内して下さいな……」

 

 彼を先頭に私、そして警備員が一列に並んで建物に入って行く。昨夜と同じ手順なのだろうか?

 警備員が手馴れた感じで、カンテラを床に置いていく。なる程、退路の照明を確保しているのね。でも灯かりが消されたらどうするのかしら?

 奴らが襲って来たら?建物内に入って初めて分かったけど、階段室って真っ暗よ。

 私は、そんなに早く階段を下りられないわよ。

 

「ねえ?もしも、もしもよ?逃げる時に一斉に灯かりが消されたらどうするの?

外は生憎の雨で月明かりは無いし、人工の灯かりも建物内には届かないわよ」

 

 前を歩く彼の袖を引っ張って聞いてみた。

 

 彼はニヤリと笑いながら

 

「方向はケミカルライトを床に落としておくから、灯かりの右側が階段だよ。しかし階段は暗い、ノロノロと下りるしかないよね。

だから2階まで下りたら、近くの窓から外に飛び出すんだ!」

 

「2階から?飛び降りるの?無理よ無理、私は運動は苦手だし、普通女の子に2階から飛べって言う?」

 

「建物の周りに危険な物が無いのは確認済みだから、最悪でも足を骨折する位だから平気だって。逃げ切れないと死ぬかも知れないんだよ?」

 

 物凄く真面目な顔で、トンでもない事を言いやがって!

 

「貴方が私をお姫様抱っこして飛び降りなさい!」

 

 アホ面晒して驚いている彼に、指を差して命令する。全く少しは見直したと思えば、女の子に無茶振りするなんて……

 私をこの桜岡霞をお姫様抱っこ出来るんだから、気張りなさいよね!

 

 

第8話

 

 勢いとプライドだけで来てしまった、心霊物件マンション。

 当初は私を仕事から降ろした相手に文句を言う為に来た訳だけど……榎本心霊調査事務所って零細企業相手に、現在好評売出し中の私が大人気ないと思ったわ。

 しかし実際は実績有る業界の先輩で有り、色々と学ぶ事も有ったのだが……彼は脳も筋肉の馬鹿だった。

 確かに霊に反撃されたり、または能力が効かずに逃げ出す事は有るわ。その為の退路確保が重要なのは、理解したわ。

 あれだけの準備をする霊能力者は珍しい。

 逃げる事を準備するのは恥ずかしい事だと思っていたけど、考えを改めさせられたわ。確かに、命有っての物ダネだわよね。

 彼はその辺の準備に抜かりは無いと思っていたの。

 

 しかし……しかしよ。

 

 最後の最後で「追いつかれそうなら、2階の窓から外に飛び降りるんだ!」って女の子に何言ってるのよ。

 

 しかもガチで本気だったわ……反論したら、何を言っているの的な顔してたの。

 信じられる?勿論、私は自分の力を信じているし、生霊の対応には自信があるわ。でも最悪……そう!

 最悪の場合は失敗するかもしれないから。その場合は、彼に抱っこして貰い飛び降りるわ。

 ちょっとご褒美が過ぎるかも知れないけど、一応は命の恩人になるのだから……

 私に触れる事を許してあげるわ。この穢れなき清純な私をね!彼も私程の美人を抱っこ出来るのだから、嬉しそうな顔をしていたわ。

 いえ、している筈よね?私に気付かれない様に、警備員と押し付けあってるのは……聞こえないったら聞こえない。

 あのインポ野郎共め!もしかして、おホモな連中なのかしら?

 

 でも……「榎本さん、確かに彼女は美人だけど熟女じゃない!だから命を懸けて迄は、守れない!」とか「あのなぁ坂崎君!僕だって仕事と割り切っているけどさ。ロリじゃないから無理!」

 とか、あまつさえ「「やっぱ微妙な年齢じゃ萌えないよなー」」とか、酷すぎるわ!

 今まさに女盛りの25歳の私としては……私の硝子のハートは粉々に砕けたわ!

 この変態異常性欲者野郎共め!何かやったら、即通報してやる!社会的制裁を受けるが良いわ。

 でも結局は警備員が私を背負って逃げて、彼が殿で防ぐ事になったらしいわ。取り敢えずは、体を張って守る気持ちは有るのね?

 

 信じるわよ!私、信じるからね!

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 お馬鹿なじゃれ合いをしている内に、問題の3階に到着した。本来、窓が有る空間は只のポッカリとした暗黒の開口になっている。

 外は生憎の雨模様……月明かりも星の煌きも無い。

 ドンヨリとした雲に覆われているので自然の明かりは殆ど無い。彼から貰った軍用マグライトと、床に置いたランタンだけが頼りね……

 

「ねぇ?問題の部屋は一番奥なのよね?」

 

 無言で頷く彼は、それでも周囲を警戒しているのが分かる……問題の部屋以外も、一応は警戒するのね。

 階段を登りながら聞いた話では、最奥の部屋とその手前の部屋に異常が有ったって。

 虫を敷き詰めた黒い絨毯ね……心霊現象で虫を操るなんて初めて聞いたわ。

 標準的な女の子で有る私も、当然虫が苦手よ。昨夜は一部屋ずつ確認したらしいが、今回は問題の虫の部屋まで進んで行く。

 彼がゆっくりと虫の絨毯の部屋に入って行く……私も彼について室内に入り、彼の背中越しに中の様子を伺う。

 マグライトで照らした床一面に蠢く虫・虫・虫……思わず漏れる悲鳴を飲み込む為に口を手で塞ぐ。

 

 ききき、気持ち悪いわ。ウゾウゾと蠢く、波打つ黒い絨毯……

 

「昨夜と変わらないな……いや、少し増えているのか?」

 

 靴の先で、虫の……多分だが、甲虫だろう死骸を軽く蹴りながらボソッと話す。

 

「異変は継続しているって事?」

 

 私の問いに頷く……

 

「この部屋の虫の実害は?この虫って、気持ち悪い以外に何か害が有るの?」

 

 女の子的には物凄い被害が有るのだけど、霊障としては弱いと思う。虫なんてウザいだけだ。

 彼は、ふっと考える様に顎に手をあてて……

 

「本当に昆虫を自由に操れるなら、厄介だ……僕らじゃ瞬殺だな」

 

 両の手の平を上に向けて、おどけた感じで敗北宣言をしたわよ!

 

「瞬殺?たかが昆虫でしょ?それは毒虫だったら危険かもしれないけど、そんな虫は日本には少ないわよ」

 

 踏めば死ぬ様な虫だし、どちらかと言うと不快感が強い生き物だ。瞬殺されるとは思えないんだけど?

 

「虫と侮ると危険だよ。人間の生活圏に居る昆虫だけだって危険なんだよ。例えばミツバチだって、弱いけど毒針を持っているよね。

それらが一斉に頚動脈を集中的に刺したら?カメムシが鼻や喉に大量に詰まったら?蛾や蝶の燐粉が眼に入ったら?

小さくて弱くても、数が半端無い生き物なんだよ。死兵として群がったら、何処にも逃げ場なんてないでしょ?」

 

 なっ?なんて気持ち悪い想像をする男なんだろう……

 

「リアルに嫌な想像をしたわ……全くレディを怖がらせるなんて、紳士じゃないわよ」

 

 両手で自分を抱き締める様にして、体の震えを抑える。想像するだけでも、吐きそうだわ……

 彼が部屋の外に出る素振りをしたので、道を空けるように部屋の外に出る。

 

「前に山の中で、虫を操る敵と戦った事がある。戦うなんて格好良くなくて、全力で逃げたんだけどね……」

 

 はははって笑ってるけど、流石は現役って事ね。私よりも遥かに戦闘経験が有るのね。

 あら?警備員があんなに後ろに下がって……まぁ仕方ないわね、彼は素人さんなんだし。

 

「じゃ問題の部屋に行きましょう」

 

 そう言って彼の背中を軽く押す。凄く嫌そうな顔をして、私を見たわ。こんな美人がスキンシップをしたのに、何が嫌なのよ……

 無言で前を歩く彼にムカついたので、軽くお尻の辺りを蹴りつけた!

 

 チクショウ!ケツも筋肉質で固くて、コッチの足が痛いわ!

 

「イタいじゃないか!」って怒ったから「もっと私を労りなさい!」と言ってやったわ。

 

 一瞬ビックリして、次に苦笑したわね。

 

「すまん、悪かったよ」

 

 そう頭を掻きながら謝ったから、許してあげるわ!再び歩き出した彼の後ろについて、問題の部屋の前へ。

 そこで例のケミカルライトを曲げて落としたわ。淡い蛍光色を放つケミカルライト……

 確かに霊障が、化学反応に干渉するなんて聞いた事がないわね。

 これで最悪の場合の、逃げ出す準備は完了なのね?

 

「桜岡さん、最悪明かりが全て消えたり対処が出来ない場合は……この明かりを目印に左側が階段だよ。

2階に降りたら、近くの窓から外に飛ぶんだ。間違っても頭から飛ばずに、足を下だよ。

最悪でも両足骨折ですむから……」

 

 やはり彼は、私を抱っこして飛ぶつもりはないのね……

 

「貴方が私を抱っこして飛ぶんでしょ!」

 

 私は飛び降りるなんて無理よって言ったら……

 

「僕は最悪の場合は時間稼ぎをするから、一緒には逃げられないよ。じゃ、問題の部屋に入るよ」

 

 そう言って、問題の角部屋の中に入って行った。でもそれって、私の為に体を張って時間稼ぎをしてくれるの?

 まっまぁ、それならそれで構わないけどね。少しだけ、本当に少しだけだけど嬉しいわね。

 

 ふふふっ!誰かが守ってくれるなんてね。

 

 そして遂に問題の部屋に入る。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 その空間は異様だった……空気が纏わり付くと言うか、どんよりとした池に落ちたと言うか。

 たかが一歩踏み入れただけなのに、日常と違う空間に入ったのが分かる。

 息をするのにも、強く吸わないと駄目なくらいに……空気が粘性を帯びたみたいなのよ。

 先を歩く彼が止まり、片手でオイデオイデをする。どうやら、問題の生霊がいるみたいね。

 

「どう、居るの?」

 

 彼の肩越しに前を見ると……指差す先に、問題の生霊が居た!

 落ち窪んだ眼窩に、痩せこけた頬。服は確かにパジャマだが薄汚れている……

 この様な無残な外観の生霊は、本人自体も衰弱してる場合が多い。

 念が強く本体もピンピンしている場合は、もっと攻撃的な姿形をしてる場合が多いわ。

 彼は多分衰弱しているか、恨みより悲しみが先立っていると思う……彼が体をズラしたので、奴の全体が見えた。

 やはり生霊ね、間違いないわ。

 

「私に任せて……やってみるわ」

 

 彼の前に立ち、梓弓を構える。そして弦を弾きながら、祝詞を口ずさむ。

 

 大祓祝詞……本来は大祓式にて、各々が犯した罪や穢れを祓うために唱えられる祝詞よ。

 

 でも私は、この祝詞に力を加え梓弓の弦の振動を了解して相手に叩き付ける事が出来る!

 

 

 

「高の天原に神が留り坐す、皇族神漏岐に神の漏美なる命を以て……」

 

 梓弓の弦の振動に合わせて、祝詞に乗せた霊力を相手にぶつける。

 

「我が皇の御孫命は、豊き葦原の瑞穂の国を……」

 

 問題の生霊が、此方に気付いたわ!此方を振り返り、ゆっくりと右手を上げて……一歩、私達の方に近づいて来た。

 ゆっくりと、ゆっくりと……まだ私の力は奴に届いていないのか?

 

「天の磐座を放ち、天の重なる叢雲を伊頭の千別きに千別きて……」

 

 まだ、まだよ!更に霊力を乗せた祝詞を唱える。奴の歩みが……緩くなったわ!良いわ、効いている。

 

「ぐっ……ぐげげ……ぐっ……」

 

 それでも奴は……先程よりは緩慢としているが、歩みを止めないわ。

 

「おいっ!大丈夫か?」

 

 彼が心配して声を掛けてくれた。でもね、手応えは有るから……まだまだイケるわ!

 

「皇の御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて、天の御蔭・日の御蔭へと隠り坐して、安らぎ国へと平けく……」

 

 更に霊力を練り、それを乗せて梓弓を弾く!

 

「ぐっ……げげげっ……がぁ……ゆ、ゆり……さ……ゆり……」

 

 完全に動きを止めて、何やら呻きだした……ゆり?さゆり?誰かしら?でも、もう一息だわ!

 更に奴に霊力をぶつけようと……

 

「ぐっ……ぐがぁ……」

 

 呻くように叫ぶと、突然消えてしまった……手応えは有ったのに、でも最後は違ったわ。まるで……

 

「流石は巷で噂の桜岡霞さんだ。奴は祓えたのかい?」

 

 未だに周りを警戒しながらだけど、彼が労りの言葉を掛けてくれた。彼は、最後に何か感じなかったのだろうか……

 私も梓弓から手を放さずに、周りを警戒しながら応える。

 

「終わったのかは……分からないわ。でも手応えは有ったの。

最後が呆気なすぎて……普段なら、もっとこう……最後は、弾ける様に霧散したりするのに……」

 

「今回は、忽然と消えた……と?」

 

 そう、忽然と消えた……

 

「しかし、僕の見ていた分でも奴は弱っていたからね。効果は有ったんだよ。後はアフターで何とかするしかないか……」

 

 彼も私の祝詞が効果有ったのは分かるのね。でもアフターって?

 

「アフターって何?」

 

 気がつけば片付けを始めている彼に尋ねる。まさか、この後に飲みに行くとかかしら?

 ランタンをチェックしながら、下階に降りる彼に声を掛ける。飲むなら付き合うけど、私は車なのよ……

 

「ああ、手掛けた仕事は一応解決してもね。一週間は様子を見るんだ」

 

 一階まで降りて、仮設テントに置いていた段ボールに道具をしまいながら応えてくれた。

 

「一週間?そんなに私の仕事が信用出来ないの?」

 

 彼は困った顔をして

 

「霊障は簡単には収まらないし、原因の霊が一体じゃない場合も有るからね。一週間は様子を見るんだ」

 

 経験からくるのか、なる程と思わされてばっかりね……ちょっとだけ悔しくて空を見上げたら、先程迄の雨が止み雨雲の隙間から月明かりが私達に降り注いでいた。

 最後の最後まで教えられっぱなしだわ……

 

「私……私も最後迄付き合うわよ」

 

 私にだって、意地が有りますからね!

 

 

第9話

 

 桜岡霞……

 

 TVで見た感じだと高飛車なお姉さまキャラだったが……実際に会って見れば、やはり高飛車だが素直で責任感は有りそうだ。

 しかしプライドが高く、実践慣れはしていない感じがする。多分だが、TVスタッフをゾロゾロ連れて除霊現場に行くのが多かったんだろう。

 この手の物件は除霊1体で即解決とは行かない場合が多いし、1体目を除霊したら本体が出てきたとかザラだ。

 本来なら其処まで説明する必要も無いのだが……長瀬さん絡みだし、生霊の対処は僕では出来ないからね。

 何とか桜岡さんを正規に仕事に巻き込まないと面倒臭いよね、主に僕が……そんな思惑を持って、彼女を誘ってみた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 坂崎君の用意してくれたテントでランタンを整備しながら考えたが、やはり彼女を巻き込む事にした。何故か彼女も帰らずに、僕の道具整備をずっと見ているし……

 

「ねぇ?毎回一々道具を回収したら整備するの、その場で?」

 

 どうやら彼女は、今回の件で同業者の仕事運びを調べるつもりかな?

 

「それはね……物に憑く霊も居るし、使い捨て出来ない道具は自宅に持ち帰る前に調べないと危険だよ。

僕は自宅の他に道具置き場も持っているから、ソッチで調べる時も有るけどね。序に作動確認を怠ると、肝心な時に使えない事も有る。

僕らは労災保険は適用外だからね……自衛はやり過ぎる事は無いでしょ?」

 

「確かに……霊が憑依した物を家に持ち帰るのは嫌ね……自宅以外に倉庫?作業場?も有るのね。でも他の霊能力者も、そんなに用心深いのかしら?」

 

 最後のランタンを調べ終わり、段ボール箱にしまう。

 

「ヨシ、お終い……何だか分からない物を相手に命を懸けるんだ。用心にこした事はないと思うよ。さて、桜岡さんはこれから予定有る?」

 

 アレ?何だろう、ニヤリと笑ったけど?

 

「どうしよっかなー?こんな時間に女性を誘うなんて、深読みしちゃうわよ?」

 

 ニヤニヤと笑われると、なんかムカつく。

 

「そんなつもりじゃ……」

 

「榎本さんズルイっすよ!僕は朝まで居残りなのに、彼女を誘ってお楽しみなんて、結衣ちゃんに言い付けてやる!」

 

 坂崎君が、クダラナイ食い付きをしやがった。桜岡さんも自分の両手で体を抱きしめながら、後ずさりするし……

 

「私の肉体を狙っていたのね……このケダモノ!」

 

「ロリコンだったと思ったのに、お姉さんも喰えるんっすねー!長瀬社長にも言い触らしてやる」

 

「えっ?彼ってロリコンなの?じゃ結衣ちゃんって小学生?それとも幼稚園生?」

 

「結衣ちゃんはロリロリな中学生っすよ。榎本さんが囲ってるんす。コイツは男の敵なんすよ!」

 

 妙に息の合った漫才を繰り広げる二人……なんか疲れたから放置したくなってきた。

 

「桜岡さん?」

 

「よらないで変態!ロリコンはお断りよ!」

 

 どうしようか、本気で危険視してる目をしてるけど……

 

「いや真面目な話で、今後の対策と長瀬社長への連絡をどうするかの相談がしたかったんですけど……もう面倒臭くなったから、後は桜岡さんに全てをお任せして良いですよね?」

 

 段ボール箱を持って立ち上がる。癒しの結衣ちゃんの下へ帰ろう……だからスレた年増は嫌なんだよ。

 その点、結衣ちゃんはピュアだから、エヘエヘ……薄ら笑いを浮かべた僕をどう思ったかは知らないが、坂崎君は土下座し桜岡さんは僕の肩を掴んだ。

 

「その……からかい過ぎた事は謝るわ。今後の話をしましょうね?ね?」

 

 言葉使いは優しいが、肩を掴む力は強かった……

 

「ではファミレスにでも行きましょうか……この近くだと三浦海岸通りのジョナサンが近いし空いてるかな。

場所は海岸線に出て久里浜方面へ、セブンイレブンを過ぎてスシローの少し先に有るから。駐車場で待ち合せしようか?

では坂崎君、後は独りで宜しく!」

 

 そう言って現場を出て行く……ゲートの前でスカイラインに乗り込む桜岡さんに

 

「じゃあとでね」

 

 と言って、自分のキューブを停めてある有料駐車場まで向かう。

 しかし……面倒臭い事は間違いないな。長瀬社長には彼女と正式に契約を結んで貰い、僕は適当な所で終了かな。

 例えば、事前調査を行い今夜引継ぎを兼ねて現場を案内したら生霊と遭遇。そして彼女の力で一旦は退けた……んで現在は要観察中かな。

 うん、このストーリーで行こう。

 これなら切り良く彼女に引き継げる筈だ。今回は箱も反応しなかったから、アレに喰わせて解決とはいかないからね。

 ある意味、桜岡さんの介入は良かったのかもしれない……車を停めてあった駐車場には、僕の車しか無かった。

 こんな田舎のこんな時間だ……結界が反応しなかった事に安心して、車の荷台に段ボール箱をしまい運転席に乗り込む。

 結界が反応していたら、僕か荷物のどれかに霊が憑依している事だからね。

 もっともショボイ自作結界だから、強い力を持つ相手には効かないけど……エンジンを掛けてゆっくりとキューブを発進させる。

 時計を確認すれば、すでに0時を回っていた……暗い農道をゆっくりと走りながら、県道に合流する。

 ここまでくれば外灯が有り、明るく他の車もチラホラと走っている。

 

「さて、240gのビッグハンバーグセットでも食べるかな……」

 

 どうやら緊張が解けた為か、空腹感が我慢できないレベルになっている。暫く走ると、待ち合せ場所に到着した。先に停まっているスカイラインの一つ空けた隣に停める。

 車から外に出ると、彼女もスカイラインから出てきた……しまった、彼女はまんま巫女装束のままだぞ!

 

「あの……桜岡さん、着替えは持って無いのかな?」

 

 深夜のファミレスで、巫女さんと差し向かいで食事って、ナンダカナー……ネタ以外の何物でもないよね?

 

 彼女はムッとしながら「私の仕事着に文句が有るの?」と怒っていますが……

 

「いや……その……深夜のファミレスに巫女さん。これって周りはどう思うかな?」

 

「嬉しいんじゃない?」素で返してきましたよ。

 

 速攻タイムラグ無く脊髄反射みたいな速度で……

 

「そうですね……では、入りましょうか」

 

 諦めて、店内に入る。

 オートドアが開き、店内に入ると「いらっしゃいませ、ジョナサンへようこそ!お二人さ……ま、ですか?」

 僕の後ろに居る巫女さんを見て、バイトだろう店員が固まった。

 

「……ああ、禁煙席で頼みます」

 

 多分、バックヤードに戻ったら彼女の話題で盛り上がるだろう。

 最悪、有名人のヌレヌレ梓巫女の桜岡さんが深夜の密会とかゴシップになりそうで嫌だ……

 席に案内されて、メニューを開く。もう自棄食いでも良いよね?

 

「240gハンバーグセットに……」

 

「タラコと貝柱のスパゲティとジャンボベイクドポテトのチリビーンズ、それに温泉卵のシーザーサラダにガーリックトーストあと、ビールは無理だからドリンクバーね」

 

 僕のセリフに被せて、大量に注文しやがった。

 なんだと……こいつフードファイターか?

 

「自分は240gハンバーグセットにズワイ蟹のクリーミードリア、それとヤリイカの空揚げにドリングバーで」

 

 二人でニヤリと見詰め合う……この女、見た目の派手さと奇抜さで誤魔化されたが中身はオヤジだ!

 

「なかなかのチョイスね……でもマダマダ甘いわ、ハンバーグなんてド定番を頼むなんて」

 

「いやいや、物事は基本が大切なんですよ。貴女も一見バランスが取れているみたいだが、パスタもポテトもトーストも全て炭水化物……

シーザーサラダは免罪符ですか?」

 

「あらあら?ハンバーグにドリアと空揚げなんて、お子様の王道ね。おほほほほ……」

 

 しばし無言で睨み合い、ドリンクバーコーナーに出撃する。彼女を見れば、メロンソーダのカルピス割りだと!

 

「オリジナルブレンドか……やるな!しかし僕はコッチだ!」

 

「なっ?オレンジをカルピスソーダで割った……配合は3:7ね、やるわね」

 

 互いのオリジナルブレンドを披露しつつ、席に戻る。ドリンクバーでは、1回で2種類の飲み物を持ってくるのは常識。

 僕はジンジャーエールを彼女は梅昆布茶をチョイス。クッ……完敗だ。

 あそこで梅昆布茶に手を出せるとは……僕は最後の口直しで頼むのだが、初回から逝くとは。

 ドリンクバーで盛り上がった為か、大分距離感が縮まった気がする……

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 馬鹿な遊びで時間を潰した為か、元々お客が少なく調理が早かったのか……

 直ぐに頼んだ料理がテーブルに並べられる。2人で頼むには異常な量だが。

 

「先ずは食事を楽しもう……面倒臭い話は、その後で」

 

 そう言ってハンバーグを切り分けていると、僕のヤリイカに手を出しやがる。

 

「ふふん!まぁまぁの味ね」

 

 人の頼んだ物を食べながらニヤリとしやがる!仕返しをしたいが、奴の陣営は……

 単体で手を出せるのはガーリックトーストだが、警戒してかテーブルの最奥に置いてある。

 

「僕のヤリイカの報復は……ガーリックトーストと見せかけて、コッチだ!」

 

 フォークで温泉卵のシーザーサラダの温泉卵を掬い取る!

 

「あっ?貴方、それは反則じゃなくて?既にそのサラダは……死んだわ。責任を取りなさい!」

 

 モグモグと温泉卵を頬張る僕にナイフを突きつける。

 

「先に手を出したのは貴女だ……やって良いのは、やられる覚悟の有る奴のみだ」

 

 ギャーギャーと楽しく食事が進んだ。

 結衣ちゃんとの食事は静かに食材に感謝しながら食べるのだが、こんな賑やかな食事も楽しいだろう……

 食後のコーラを飲みながら、今後の話を進める。

 

「さて……落ち着いた所で、今回の件について相談しますか?」

 

 彼女はナプキンで口を拭いながら真面目な顔になった。

 

「いいわ。それで、奴は完全に倒したかは確認出来ていないわね。それで、調べると言っても……」

 

 俄かに店内が煩くなってきたけど?入口を見れば、2〜3人の若者が入って来たぞ。

 

「twitterに載っていた店って此処だろ?」

 

「ああ、ヌレヌレ梓巫女の霞たんが居るお」

 

「スゲー、芸能人に会うのって、俺初めてだよ」

 

 クソっ、誰かバラしやがったな?客か店員か……インターネットで個人のプライバシーを考え無しに公開するのは犯罪なんだぞ!

 

「桜岡さん、僕が先に行って会計を済ますから……タイミングを見計らって車で逃げるんだ。コレ、僕の名刺だから、落ち着いたら電話してくれる。

それと目立つから、これを羽織って」

 

 そう言って名刺と上着を彼女に渡すと、レシートを持ってレジに向かう。今、まさに騒いでいる連中に向かって上半身ムキムキのオッサンが睨みながら歩いて行く……

 

「おっおい、何かヤバいオヤジが近付いて来るぞ……」

 

「何がヤバいってムキムキだし、この時期にTシャツ一丁だぞ……」

 

「キモいムキムキが来るお」

 

 そんな野次馬の群れの真ん中に突入する。

 

「邪魔だよ、貧弱ボーイズ!ちょっとどいてくれるかい?」

 

「「「はっはい、どうぞ……」」」

 

 彼らがどいた脇を、僕の上着を羽織った桜岡さんがすり抜けて行く……

 

「あっ?霞たん?」

 

 騒ぎ出そうとしたオタク風の若者の頭を握る。

 

「何だ?たんって?ああ?お前、俺を馬鹿にしてるのか?」

 

 三角筋と上腕二頭筋をムキムキにさせて恫喝する!伊達に肉体を鍛えてはいないんだよ。

 俺のマッスルなバディを見やがれ!

 視界の隅で駐車場からスカイラインが走り出すのを確認し、お釣りと領収書を受け取って店を出る。

 この店には仲間のムキムキズを伴いて、再度来なければなるまい。

 客のプライバシーを流した奴をお仕置きする意味で……

 

 


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