榎本心霊調査事務所(修正版)   作:Amber bird

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第116話から第118話

第116話

 

 小笠原母娘が宮城県の仙台市から神奈川県の横須賀市に引っ越して来た。静願ちゃんは結衣ちゃんと同じ私立の学校へ編入して来た。

 勿論、中等部と高等部の違いは有るが……確かに僕は静願ちゃんに仕事を教えると言った。

 しかし基礎体力が極端に低い彼女を除霊現場に連れて行くのは色んな意味で危険だ。だから卒業までの間に体を鍛える事を義務づけた。

 

 まぁ極端に運動音痴じゃなきゃ平気なレベルだが……

 

 引っ越し祝いとして小笠原母娘を自宅に招き夕食を共にした。結衣ちゃんが提案したんだが、実は彼女と小笠原母娘は余り仲が良くない感じがするんだ。

 結衣ちゃんが彼女達を警戒と言うか……同じ鍋を突っついた同士、少しは仲良くならないかな?

 小笠原母娘を送り出して応接間に戻る。結衣ちゃんがお代わりのカフェオレを淹れてくれた。

 

 彼女の分も有るのは、僕に話が有るのだろう……ソファーに向かい合わせに座る。

 

 彼女は両手でマグカップを包む様に持っている。気持ち視線が下向きだが、それは普段も同じ。見た目的には変わりは無い。

 

「結衣ちゃんの料理は最高だね。小笠原さん達も美味しいって驚いてたよ」

 

 先ずは誉める、彼女の料理を小笠原母娘も認めてたよと。

 

「正明さんに喜んで食べて頂ければ良いんです」

 

 はにかんで嬉しい事を言ってくれる。本当に嫁に欲しいロリだ!でも本題は何だろう?水谷ハイツの件で進展が有ったのかな?

 

「正明さんは静願さんに、お仕事を教えるんですか?」

 

 自分のマグカップを見詰めながら聞いてきた。目を見て話さないのは消極的な彼女の癖だが、僕に対しては最近少なくなってきたのだが……

 

「ん?ああ、そうだね。卒業後になるだろうけど、彼女も今後は霊媒師だけでは駄目だと考えているみたいだから。

女性の霊能者も珍しくは無い。だけどフィールドワークに耐える体力は必要だ、どんな霊能力を扱うにしてもね」

 

 霊獣を従える亀宮さん・梓巫女の桜岡さん・宝石を操る高野さん・シスター鶴子様、いやメリッサ様か?

 色んな女性霊能力者が居るし、基礎体力の低い人も居るけど……それでも彼女達は、それを補う切り札が有る。

 アレ?桜岡さんとメリッサ様の切り札は知らないな……まぁ良いか、何かしら有るんだろう。

 桜岡さんはテレビ局の仕事がメインでスタッフが沢山居た。それに生霊が専門だし。メリッサ様は単独でなくチームだからね。

 静願ちゃんは霊具を操るタイプだから体捌きとかも必要だ。紐の付いた鈴をぶつけるのだって技術が必要になる。

 中国武術にも似たような武器を扱う物もあったし、日本だって鎖鎌とか似てるよね?鞭や投げ縄は微妙に違うかな?

 でも相手だって止まってないで動くんだからさ。訓練は必要だろう。

 

「私も将来、正明さんの仕事の手伝いがしたいです。細波家の力を使えば、肉体強化は出来ます!」

 

 考えに耽ってたら、とんでもない提案がきた!

 

「駄目!リアル獣っ娘なんてバレたら大騒ぎだ。結衣ちゃんの気持ちは嬉しいが、それは駄目だ絶対に駄目!」

 

 本音を言えばリアル獣っ娘の助手は欲しい。アレは凄く良いモノだ……

 だけど力が他にバレたら結衣ちゃんは人間として扱って貰えないかもしれない。

 最悪の場合はモルモット扱いで解剖だ!人間はそれ位はやる、やる奴は必ず居る。

 

「でもでも、正明さんは将来は私の自由に……」

 

「リアル獣っ娘は駄目だ。酷い人間は必ず居るから君の安全が心配だ。それに、結衣ちゃんを危険に晒すなら僕が代わりに死ぬ」

 

 ブーって頬を膨らませているけど、初めてじゃないかな?こんな拗ねた様な意思表示の仕方は……

 

「結衣ちゃんは獣っ娘状態じゃなくても霊力は有るし、肉体変化を抑えて体力を底上げする事も出来るかも知れない。

でも……あの姿は人類を二分するよ。萌えか知的探求心でね」

 

 獣っ娘変化が複数人居るなら、未だ方法は有るかも知れない。同じ人間の派生系として少数民族的な話も出来るし、仲間が居れば気持ちの持ちようが違う。

 認知させるにしても沢山居れば、それなりの行動は出来る。だけど彼女だけってなれば、全ての注目が結衣ちゃんに注がれる。

 好意的な目で見てくれる連中も居るだろう。でもきっと秋葉原に屯(たむろ)する様な方々が中心になりそうでヤダ。

 そして逆に彼女を調べたい連中は、総じて権力・権威持ちとか厄介な連中だ。そんな騒動は優しい彼女には耐えられないと思うんだ。

 

「静願さんにだけズルいです。私だって正明さんのお役に立ちたいです」

 

 ああ、結衣ちゃんは静願ちゃんに嫉妬してるのかな?でも静願ちゃんが役に立つのは、まだまだ何年も先の話だろう。

 しかも僕が彼女を雇う訳じゃない。

 

「いや静願ちゃんは僕の仕事を手伝う訳じゃないよ」

 

「えっ?一緒にお仕事をなさるんですよね?」

 

 コッチを見上げてビックリした表情をしているが……僕は結衣ちゃんに静願ちゃんを雇うとか言ったっけ?

 でも仮に一緒に仕事をするにしても、する迄には越えなきゃならないハードルは沢山有るなぁ……

 

「ああ、仕事を教える為に何件かは一緒にね。どうしたの、結衣ちゃん?固まってるよ?」

 

 ボケッとした結衣ちゃんの顔は年相応な可愛い感じだ……残念、カメラが有れば絶対写したのに。

 

「良かった。彼女が正明さんと一緒に仕事をしていく訳じゃないんですね?」

 

 パアッと明るくなった結衣ちゃん……そんなに僕が静願ちゃんと一緒なのが嫌なのかな?

 

「うん、あくまでも静願ちゃんが自立して除霊出来る迄の手伝いだから」

 

「えへへ、正明さんが小笠原母娘と合同事務所を構えるのかと思っちゃいました……ごめんなさい、我が儘言って」

 

 そう言ってペコリと頭を下げた。

 

「いや、結衣ちゃんが気にしてたならゴメンね」

 

 やはり彼女は小笠原母娘を快く思ってない。可愛い嫉妬心なら、それ程問題は無い。僕の気持ち次第で解決するから。

 だが嫁と義娘のどちらを選ぶかだが……うん、優柔不断な僕には難しい。仲直りは他のを考えよう。

 

「でも私も、この細波家の力をもっと制御したいんです。ずっと数珠で封印では何時かボロが出ちゃうかもしれませんし」

 

 申し訳なさそうに此方を上目使いで見てきた……クラッと来る仕草だ。

 でも結衣ちゃんはフサフサの尻尾が出るからな。スカートなら捲れ上がりズボンなら破けるのか?

 あの尻尾は力強いみたいだし。ああ、旅行で見た結衣ちゃんの尻尾&生尻は素晴らしかった。だが事故で有れ他人に見せるのは業腹だ……

 

「分かったよ。結衣ちゃんが細波一族の力を上手く使える様に特訓だ!

ただ、変身能力と言うか獣化のプロセスは分からないから当面は霊力の制御からかな。僕も最初はそうだったからね」

 

「はい、有難う御座います。確かにお祖母ちゃんは亡くなったし、お母さんは行方不明だから……

この力を知る人はもう居ないんですよね。独学だけど頑張ります」

 

 凄く嬉しそうな結衣ちゃん。僕も特訓と言うと、爺さんや悟宗さんを思い出すな……そろそろ墓参りに行こうかな、大分行ってないや。

 

「結衣ちゃんも高校卒業位をゴールに頑張ろうね。慌てる必要はないから焦らず地道にだよ。

霊力は未知の力だし、個人差も有るからね。最悪、暴走とかも考えられるからさ」

 

「分かりました。正明さんの事をお師匠様とかコーチとか呼んだ方がよいですか?」

 

 ニコリと珍しく冗談を言ってくれたが、下の名前をさん付けされた方が断然よいので「却下します」と断っておく。

 お師匠様やコーチじゃ、益々恋仲にはならないだろう。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 結衣ちゃんの意外な頑固さを知った翌日、問題の水谷ハイツに引っ越しを行う。午後1時に引っ越し元に集合、荷を積んで水谷ハイツに向かう。

 途中で結衣ちゃんが学校帰りに合流する予定だ。彼女の場合は、万が一霊障又はストーカー疑惑が有れば中止する。

 あのシャーペンの芯が無ければ、誰かが出入りしてる筈だから……元々少ない荷物だから専門の引っ越し屋だと手早い。

 4ton幌付きトラックに満載だが、50分で終了だ。僕は調査用の機材のみ積んでいる。

 愛車の新キューブで引っ越し屋のトラックを先導する。特に高速道路は使わず、海岸線を安全運転で走る。

 信号では無理せず後ろのトラックが付いてくるか確認、車線変更も早めにウィンカーを出す事を心掛ける。

 三浦海岸を右手にノンビリ走ると、平日なのに結構な人が居るのに驚いた。サーフィン・犬の散歩・波打ち際で何かを拾う人々……

 三浦海岸を過ぎ野比海岸に到着、このまま火力発電所の脇を抜けて久里浜へ。ペリー上陸記念公園を左折し、平作川沿いに横須賀方面へ……

 およそ45分の車の旅だった。3時前に引っ越し先の水谷ハイツに到着した。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 引っ越し屋のトラックを建物の前に停めて荷物を下ろし始める。僕は彼等に声を掛けてから先に部屋を確認しに向かう。

 特に誰にも会わずに三階に到着、ドアに仕込んだシャーペンの芯を確認する。吊り元から三枚目のタイルの目地に合わせて仕込んだシャーペンの芯は無事だ。

 ならば、この扉から出入りした奴は居ない。鍵を開けて中に入る。特に霊感は働かない。

 廊下の壁に付いているブレーカーを上げて廊下の電気を点ける。玄関に置いた盛り塩も問題無い。

 

 問題の洗面所だが……

 

「なっ?床に撒いた清めた塩の線が乱れてるだと?」

 

 内側から踏んだ様に乱れている。だが、洗面台の上に置いた盛り塩に異常は無い。

 

「馬鹿な!霊が触れたなら塩自体に変化が有る筈なのに……

しかも洗面台の盛り塩に異常は無い。狭い此処で片方にだけ異常が出る訳は……」

 

 急いで窓を調べるが、内側から鍵が掛かっていた。馬鹿な、人が侵入した形跡が無いだと?ならば、アレは……アレは霊の仕業だとでも言うのか?

 

「榎本さーん!荷物運び込んで良いっすかー?階段と廊下の養生は終わりましたよー」

 

 手際が良いな。流石は引っ越しなら○○ってか?手早く盛り塩を片付けてから引っ越しを開始する。

 彼等もそこら中に盛り塩が有る部屋なんて、どんな事故物件なんだと怪しむだろう。悪い噂は立たない様にしなければ……

 引っ越し屋さんが次々と荷物を運び込むので、置き場所を指示しながら周りを警戒する。

 

 この部屋に霊は本当に居るのか?僕では見つけられないのか?現れる条件が有るのか?

 

 だが浴室を使うと現れると言う条件は満たしていない。僕が見守る中、引っ越しは着々とすすんだ。

 最近の引っ越し屋さんは元の部屋通りに荷物を並べてくれるんだな。終了した彼等を見送り手早く隠しカメラを仕掛ける。

 最近はメモリーの関係で長時間の録画も可能だ。

 一番怪しい浴室には棚に並べたタオルの隙間から、キッチンは食器棚の中にリビングは本棚にそれぞれ隠しカメラを仕掛ける。

 念の為、浴室には録音機もセットし最大12時間の記録を可能とする。手早く仕掛けてから、再度盛り塩を浴室だけに設置して完成だ。

 

 時間は4時を回った位だが外は夕暮れ……暗くなる前に部屋から出よう。

 

 後は結衣ちゃんと合流して隣と直下の部屋へ挨拶をすれば今日のノルマは終了。部屋を出ると扉にシャーペンの芯を仕掛ける。

 これで異常が発生すれば霊障で間違い無い。しかし人間の仕業かと思ったのに当てが外れたな……僕の霊感もマダマダって事か?

 

 暫く近所をブラブラしてたら結衣ちゃんから電話が掛かって来た。どうやら引っ越し祝いを買って近くに来たみたいだ。

 

「もしもし、結衣ちゃん?今何処だい?合流しようか?」

 

 彼女は水谷ハイツの前に到着したらしい。急いで合流しなければ!

 

 

第117話

 

 霊が出ると噂の水谷ハイツ。僕は人間の悪戯、不法侵入だと睨んだが違うみたいだ。

 人が入る事が不可能な状態で室内、浴室の結界が乱れていた。誰かが触った様に……有り得ない事だ。

 だから隠しカメラと録音機をセットした。サーモカメラは大きくて隠し切れなかったんだ。

 一応、対人の線も捨てきれないので今回は小型カメラを仕込んだ。監視装置を仕掛ければ長居は無用、部屋から出て結衣ちゃんを待つ。

 近くに来た時点で携帯電話に連絡が入る手筈になっているから。彼女と合流し、共に隣と直下の部屋に挨拶をすれば今日のノルマは終了だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 急いで水谷ハイツに向かうと制服姿の結衣ちゃんが紙袋を二つ下げて待っていた。

 

「お待たせ、結衣」軽く片手を上げて挨拶する。

 

「うん、お父さん。そんなに待たなかったよ」

 

 はにかみながら笑顔で応えてくれる結衣ちゃんとは、昨夜の内に親子設定と言う事で話してある。

 玄関を開けたらムキムキ強面なオッサンよりも、控え目で大人しそうな美少女の方が良いだろ?

 僕は他人が僕をどう見てるのか理解している。だから結衣ちゃんに、ご足労願ったんだ。

 彼女も僕を手伝える事を喜んでたから、丁度良かったと思う。彼女から紙袋を受け取り、階段を上る。

 先ずは201号室の北山さんからだ。二階に上がり廊下を奥まで進むと201号室だ。

 表札は市販の木製の物に北山と彫り込み溝を黒くしている。北山喜三郎(きたやまきさぶろう)・北山慎子(きたやまみつこ)と表札に書いてある。

 つまり旦那さんと二人暮らしな訳だ。お子さんは居ても既に独立してるのかもね?

 

 腕時計で確認すると時刻は4時15分……

 

 事前調査で専業主婦なのは知ってるから、今なら部屋に居るだろう。呼び鈴を押して声を掛ける。

 

「すみません、今日から上に越してきた榎本です」

 

 はーい、と言う声の後にドアが開いて……オバサンが僕を見て笑顔で固まった。おぃおぃ、一度見てるだろ?

 

「こんにちは、上に越してきた榎本です。これから宜しくお願いします」

 

 努めて笑顔で話し掛ける。

 

「よ、宜しくお願いします」

 

 僕の後から結衣ちゃんも挨拶をする。僕を見て結衣ちゃんを見て、また僕を見る。不思議そうな顔だが……

 

「娘の結衣です」

 

 そう言うとオバサンがパッと明るくなった。父娘連れだから安心したのか?結衣ちゃんの癒やし効果がオバサンにも効いたのか?

 

「ああ、301号室の!聞いてましたが今日からだったのね」

 

 ポンと手を叩く分かり易いジェスチャーをしてくれた。

 

「ええ、昼過ぎから引っ越しをしまして……五月蝿くなかったですか?」

 

 にこやかに話すが、きっと僕はオッサンで強面でムキムキだから内心は怖いんだろうな?

 

「大丈夫でしたよ。このアパート、新しいけど結構隣や上下の音が聞こえるのよ!イヤねぇ、壁が薄いのかしら?」

 

 壁が薄いの?隣との間仕切壁ってコンクリートじゃないの?気が付かなかったな。

 

「これ、つまらない物ですが挨拶代わりに」

 

 結衣ちゃんの買ってきたお菓子を渡す。

 

「あら、ヤダわ。気を使って下さって有難う御座います。これ駅前のアフタヌーンティーのクッキーでしょ?好きなんですよ。おほほほほ……」

 

「それは良かった。娘の見立てですが、気に入って頂けて幸いです」

 

 さて次に行くか……結衣ちゃんを促して三階に上がろうとしたが、すっかり警戒心を無くしたオバサンに引き留められた。

 

「お父さん、凄い筋肉ですわね?お仕事は何をなさってるんですか?」

 

「警備会社に勤めてます。主に企業の建物の警備関係です。短期の転勤なので……」

 

 長瀬さんには許可を貰っているから話しても平気だ。万が一問い合わせが会っても、ちゃんと社員として対応してくれる。

 

「アル○ック?ホームセキュリティの?」

 

「あんな大手じゃありませんし民間相手じゃなく企業専門ですが、その業界ですよ」

 

 そう言って長瀬警備保障の名刺を渡す。現代社会で身分は大切だ!警備員ならムキムキ筋肉の強面オッサンでも疑われない。

 逆に「嗚呼、それで」とか納得されたし……オバサンは僕の渡した名刺をマジマジと見てから、前掛けのポケットにしまった。

 

「お嬢さんは……有名な私立の制服よね?」

 

 オバサン話長いな。結衣ちゃんの通う学校は偏差値も高く、真面目な娘が通う私立として有名だ。

 

「そうですよ。横浜に持ち家が有るんですが、僕も娘も此方の方が通うのに近いので……それに家事は全く出来ませんから、結衣頼りです」

 

 そう言って結衣ちゃんの頭を撫でる。嬉しそうに目を細めてくれるんだが、撫で癖がついたのかな?残念ながらナデボ能力は有りません、念の為。

 

「仲の良い父娘さんなのね……」

 

 結衣ちゃん効果はバツグンだ!

 

 怪しい筋肉ムキムキのオッサンでも、ご近所で評判の良い女子校に通う真面目で控え目な美少女がオプションに付けば……あら不思議、警戒心が無くなった?

 仲の良い父娘に見えるんだね。北山さんの警戒心は既に0だろう……

 

「あらでも娘さんが一緒に住むなら心配ですよね?」

 

 噂好きなオバサンは、あの部屋の幽霊騒動も話したくて仕方ないってか?誘導してみるか。

 

「心配?何がですか?最近不審者でも?」

 

「不審者と言うか……ほら、アレですよ」

 

 オバサンの指差した先には体を猫背気味に丸めながら階段を上っていく青年が居る。スエット上下にサンダル履き、髪の毛はボサボサでコンビニのビニール袋を下げている。

 見た目で中身が週刊の漫画雑誌だと分かる。典型的な無気力な若者だ。ああ、隣に住むアレか。

 

「彼が何か?」

 

「いえね、定職に就かずに日がな一日家に籠もってゲーム三昧。たまにフラッと出掛けては公園とかで女の子に声を掛け捲ってるみたいで。

お嬢さんみたいに可愛い娘が近くに居たら……ねぇ?」

 

 さも心配そうに結衣ちゃんを見る。確かに不審者が隣の住人では心配だろう。だが、オバサン霊障じゃなくて隣のニートが問題かよ!

 

「そうですか……確かに若者として好ましくない行動ですね。てっきり不動産屋で聞いた前の住人の引っ越しの原因の方かと思いました」

 

 霊障の件を聞いてみる。このオバサン、話好きだが人は良さそうだ。だから僕等が住む部屋自体の悪い話は……水を向ける迄は話さないだろう、話したいけど。

 ほら、一寸思案顔になったぞ。

 

「あら、榎本さんご存知だったの?」

 

「ええ、引っ越し前に不動産屋から聞いてます。前の住人の件は話さなくてはならないそうです。

情報公開の義務みたいなモノですかね?僕は気にしませんが……」

 

 肯定したんだ、知ってる事を話しなよ。

 

「あそこの息子さんね。さっきのアレと同い年なんだけど、出来が良かったのよ。でも大学受験に失敗してね、ノイローゼ?鬱病?

兎に角酷い状況だったのね。それで父方の田舎に引っ越したのよ。挫折を知らないと脆いって本当よね?」

 

 ん?ノイローゼ?鬱病?何だか変な方向に話がズレてないかな?彼等は霊障に怯えて引っ越した筈だけど。

 

「そうでしたか……僕は前の住人が部屋に何か居るとか言って気持ち悪いから引っ越したと聞きました。ノイローゼなら幻聴とか幻覚の類ですかね?」

 

 霊障の話に振ってみる。これで食い付かないと前提条件が怪しくなってくるな。

 

「あら、幽霊騒動?んー確かに何度か息子さんが見えない人が居るとか騒いでたわよ。

まさか、幽霊なんてねぇ?あの時は大分ヤバい感じだったから」

 

 良かった、霊障騒ぎは有ったけど既にノイローゼが酷い状況で妄言と思われてたのか……一度、前住人の話を聞かないと駄目かな?

 連絡して良いか山崎さんに相談しよう。すっかり話し込んでしまい、辺りが暗くなってきた。30分以上は話し込んだのかな?

 

「もうすっかり暗くなりましたね。では僕達はこれで。これから宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。

 

「いえいえ、引き留めてしまってごめんなさいね。今度ゆっくりお話ししましょう」

 

 ははは、三交代で早出・夜勤が有り不規則ですが機会が有れば……そう言って北山さんの部屋から立ち去った。

 隣の結衣ちゃんが珍しく僕の腕を軽く掴んでる。立ち話で疲れたのかな?

 

「ごめんね、結衣ちゃん。立ち話が長くて疲れたかい?次は例のミンと思われる奴の部屋だ。

今回は挨拶だけにしよう。奴に僕と結衣ちゃんが住むと思わせれば良いんだ」

 

 階段を上り302号室の前に立つ。表札はテプラだ……新藤としか書かれていないが三人家族なんだよな。

 

 呼び鈴を押す……アレ?確か奴は居るだろ、さっき見てるんだから。

 

 もう一度長めに押す……返事が無い、ただの居留守の様だ。

 

 ふざけんなガキが!もう一度呼び鈴を押そうとしたら声を掛けられた。

 

「あの……ウチに何か用ですか?」

 

 警戒心を含んだ固い声だ。振り返ると10m先の廊下にスーパーの袋を下げた40代位の女性が不安顔で立っていた。

 小柄で痩せていて、でも全体的に優しそうな感じの女性だ。彼女はアレの母親か?

 

「302号室の新藤さんですか?僕等は隣に引っ越して来た榎本です。それと娘の結衣、ご挨拶にと伺ったのですが……」

 

 僕の言葉に「宜しくお願いします」とペコリとお辞儀をする結衣ちゃん。

 

「あらあら、此方こそ廊下で立ち話ですみません。新藤です、此方こそ宜しくお願いします。すみません、息子が居る筈何ですが……」

 

 鍵を取り出し自分の部屋の扉を開けた。居留守は鍵まで掛けた本格的なモノだったらしい。

 

「貴也(たかや)!居るんでしょ?お客様よ、出て来なさい」

 

 奥に声を掛けるとガサガサと物音が聞こえた。

 

「なんだよ、寝てたんだよ。五月蝿いなぁ……」

 

 髪の毛ボサボサで玄関に現れた奴に軽く手を上げる。

 

「ああ、久し振りだね」

 

「ゲッ?アンタ何だよ。文句を言いに来たのかよ?」

 

 大分警戒されてるな。

 

「引っ越しの挨拶さ。明日から住むから宜しく」

 

 母親の前だから、なるべくフレンドリーに接する。

 

「よっ宜しくお願いします」

 

 僕を見て引いて結衣ちゃんを見て乗り出してきた。

 

「おっ可愛い。前の娘と違うじゃん」

 

 ヤツのイヤらしい目線に僕の後ろに隠れる結衣ちゃん。

 

「下見の時に一緒だったのは長女の方だよ」

 

 母親が僕と自分の息子を見比べている。

 

「あの、榎本さん。息子の貴也とは?」

 

 心配そうに聞いてくるのでオブラートに包んだ回答をする。流石に息子が強引にナンパしたとは言い辛いよね。

 

「ああ、先日長女と部屋の下見に来た時にですね。まぁ一寸有った訳です。娘に手を出したら、分かってるよな?強引に部屋に連れ込もうなんて悪い事だぞ」

 

「貴也!アンタまた余所のお嬢さんをナンパしたのね?お母さんがあれだけ止めて欲しいって……」

 

 どうやら母親も知ってる程のナンパ野郎らしい。だが長い説教タイムに付き合うのは辛いからな。

 

「では新藤さん、これから宜しくお願いします。これ、つまらない物ですが……」

 

 アフタヌーンティーのクッキーを母親に渡した。

 

「わざわざ本当にすみません。息子には良く言い聞かせておきますから……」

 

 ペコペコ謝る母親に、大丈夫ですからと声を掛けて引き上げた。あのニート、母親が説教してるのに反論していた。

 僕はヤツが何らかの手で部屋に侵入してると考えて、半分挑発する様にした。反省してなければ・ムカついたなら、腹いせに不法侵入するだろう。

 逆に萎縮して大人しくするかも知れない。だが、何らかの動きは有ると思うんだ。

 今は情報が少なく怪し過ぎて、判断が全く出来ないから。何か動きが欲しいんだ。

 

 

第118話

 

 水谷ハイツのご近所さんの挨拶周りを終えた。僕的に一番怪しいと思う隣の餓鬼に粉も撒いた。

 ヤツは静願ちゃんの他に結衣ちゃんも引っ越してくると思った筈だ。餌を撒いたから、後は魚が食い付くのを待てば良い。

 

 ただし……心霊現象の場合は別だ。

 

 侵入不可の状態の密室で異常が有ったんだ。もし人間の仕業でなければ大問題なんだが、全く霊感に反応しないのよ。

 自信がなくなるよね。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 一緒に手伝ってくれた結衣ちゃんにご褒美をしなければならない。なので夕飯は外食にしようと思う。

 今から帰っても支度が大変だからね。

 

「結衣ちゃん、折角だから外食して帰ろうか?何が良いかな、焼き肉・パスタ・ラーメン?何なら小料理屋でも良いよ」

 

 並んで歩く彼女に話し掛ける。180センチを超える僕に150センチの結衣ちゃんでは、頭一つ以上の身長差が有る。

 だから彼女は見上げてくるのだが、それが良いんだ!

 

「良いんですか?確かに夕飯の仕込みはしてないですけど……」

 

 少し遠慮がちな彼女には強めに言わないと駄目だ。勿論、本人はそんなつもりは無いのだろうけど……

 

「たまには良いよね?そうだ!久し振りに焼き肉食べようよ。大津苑に行こうか?今予約取るから」

 

 大津苑は地元で有名な焼き肉屋だ!和牛のみを扱う高級店だが、値段と比例して旨い。

 

「おっ大津苑ですか?正明さん、あそこは高いですよ。牛角でも良いですから」

 

 携帯電話でお店に掛けて確認すると未だ席に空きが有るそうだ。20分で行くと伝える。

 

「結衣ちゃん、予約取れたよ。タクシーで行くから……」

 

 国道沿いに立ち手を挙げて空車のタクシーを停める。

 

「もう、正明さんったら……」

 

 停まったタクシーに先に結衣ちゃんを乗せる。体がデカい僕は後部座席の横移動が苦手なんだ。

 

「運転手さん、大津苑の前までお願い」

 

「はい、扉閉めますよ。大津苑ですね、分かりました」

 

 この運転手さんは丁寧な言葉使いだな。人によっては横柄な運転手も居るらしいが、僕の形(なり)を見て横柄な態度を取る人は少ない。

 ムキムキな僕の唯一の良い点だね。子供なんて泣き出す時も有るからな。黄昏ながら窓を見てると直ぐに目的の店に着いた。

 因みにタクシー料金は1540円だった。

 

「有難う御座いました。忘れ物の無い様に気を付けて下さい」

 

 そう丁寧に言われてタクシーを降りる。既に焼き肉屋は営業中、店の中から堪らない匂いが……暖簾を潜り抜け店内に入る。

 

「「「へい、いらっしゃい!」」」

 

 元気な声で出迎えられた。

 

「二人で予約した榎本です」

 

「此方のカウンター席でお願いします。先ずは飲み物をお願いします」

 

 威勢の良い兄ちゃん達に迎えられた。若いがマナーをしっかり学ばされてるんだろう。接客態度は良好だ。

 

「アサヒのスーパードライを瓶で」

 

 仕事の後は冷たいビールが最高だ!勿論、スーパードライ一択でだ。

 

「私はアイス烏龍茶を」

 

 結衣ちゃんは外では烏龍茶か日本茶が殆どだな。アツアツのお絞りと割り箸、それに小皿を置いて兄ちゃんは

 

「ファーストドリンク入りましたー!」

 

「「「ウィース!」」」

 

 元気の良い連中だ、少し騒がしいぞ。結衣ちゃんなんて目を白黒させてるし。

 

「威勢の良い店だね!結衣ちゃんはお腹空いてるかい?」

 

「えっ、ええ少しお腹は空いてます。でも正明さん基準で考えちゃ駄目ですよ」

 

 やんわりと食べ過ぎの釘を刺されたのかな?

 

「分かった、程々にするよ」

 

 暫く待つと頼んだ飲み物の他にお通しが来た。小鉢に入ってたのは地ダコの煮物だ。

 ぶつ切りのダコを圧力鍋で柔らかく煮込んだのかな?

 

「乾杯の前に注文ね。タン塩二人前に和牛ロースとカルビを三人前ずつ、ハラミと壷漬けカルビを二人前。

それにカクテキ一つにサニーレタス二人前。あとライスは大で!」

 

 飲み物を持って来た兄ちゃんに立て続けに注文する。

 

「はーい、ファーストオーダー頂きましたー」

 

「「「ウィース!」」」

 

 元気の良い掛け声と共に兄ちゃんは厨房へ向かった。

 

「じゃ結衣ちゃん、乾杯!」

 

「はい、正明さん。お疲れ様でした」

 

 お通しはアルコールを頼まないと来ない。だから小鉢を結衣ちゃんの方へ移動する。

 

「はい、これは結衣ちゃんが食べてね。味見したら今度作ってよ」

 

「タコの煮物ですね。うーん、柔らかいです。これは圧力鍋で煮込むと思いますが、味付けが絶妙です。

醤油・味醂・砂糖……うーん、隠し味は蜂蜜かしら?この照りが凄いですし」

 

 可愛い口で一つ味わいながら食べて感想を言う。彼女は食べさせると大抵の物は再現してしまう。

 和食党なので洒落た小料理屋には良く連れて行くんだ。居酒屋と違い落ち着いてるし料理も手の込んだ物が多い。

 すると二〜三日後には食卓に試作品が出来ている。食生活の充実は、同時に体重の充実でもある。

 最近筋トレをサボってるし鍛え直すかな……フッと筋肉大好き晶ちゃんを思い出した。後でメールしようかな。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 焼き肉大津苑で腹一杯食べて大満足です。腹ごなしに結衣ちゃんと歩いて家に帰る途中、夜空を見上げれば僅かながらに星が見えます。

 街の灯りが強い分、夜空の星は見え難いんだね……僕の脇を歩く結衣ちゃんは心なしか嬉しそうに途中の自動販売機で買ったホットココアを飲んでいる。

 僕は焦がし砂糖入り牛乳カルピスをチビチビと飲む。うん、コレ微妙ですよカルピスさん。

 

「正明さん、食べ過ぎですよ。〆に冷麺とカルビクッパも頼んで」

 

「だって結衣ちゃんが食べてたハーフ冷麺が美味しそうだったから」

 

 〆に僕はカルビクッパを頼んだが、結衣ちゃんが冷麺を美味しそうに食べるから……つい追加注文しちゃったんだ。

 

「正明さん、霞さんと知り合ってから更に沢山食べる様になりましたよ。食べ過ぎは健康に良くないんですよ!」

 

 僕の体を心配してくれるのは嬉しい。確かに肥満は健康に良くないな……

 

「明日から体を鍛え直すよ!暫くサボってた筋トレを再開するよ」

 

「ふふふふ。正明さんって本当に筋肉が凄いですよね。私の本気噛みを防いだの覚えてます?」

 

 結衣ちゃんの本気噛み?ああ、初めて会った時は問答無用で襲われたっけ。確か未だ当時は小学生だった結衣ちゃんの、全裸の獣っ娘バージョンだったよな。

 ヤバッ、思い出したらニヤニヤが止まらん。イヤらしい顔を結衣ちゃんに見せない様に上を向く。

 

「覚えてるよ。可愛い獣っ娘に襲われたよね。それが僕等の初めての出会いだった……今思えば衝撃的な出会い方だよね」

 

「そうですね。私も獣の衝動に逆らえなくて……でも他の人を傷付ける前に正明さんに止めて貰えて良かったです、本当に」

 

 彼女は前を向いて歩いてるから横顔しか確認出来ない……でも、その表情は笑ってる?

 

「知ってます?獣は負けた相手に服従するんですよ?」

 

「えっ?」

 

 ニッコリと僕を見上げる結衣ちゃん。彼女が、こんな冗談みたいな言い方をするのは珍しいな。

 

「ふふふふ、私が何でも言う事を聞きますって言ったら……何を望みますか?」

 

 言い方はおどけているけど目が真剣だ。これは下手な回答は出来ない……

 

 ライフカード、オープン!

 

①じゃ結婚して、今直ぐ。

 

②僕と結婚を前提に付き合って下さい。

 

③恋人になってよ。

 

④にゃんにゃんシテー!

 

⑤これからホテル行こうか?

 

 ナンダッテー?欲望だだ漏れ良くない!全部目的一緒じゃん。

 

 特に④と⑤、俺はケダモノか?結衣ちゃんの肉体にしか興味が無いのか?

 

「ゆっ結衣ちゃんみたいな可愛い娘が、冗談でも何でも言う事聞くとか言っちゃ駄目だよ!」

 

 メッって冗談っぽく切り返すが心臓がバクバクだ。

 

「何時も正明さんは私を大切に扱ってくれます。でも、ちゃんと私を見て欲しいんです」

 

「ゆっ結衣ちゃん?」

 

 こっコレって告白かな?僕は我慢しなくても良いのかな?

 

「僕は……僕はね……って一寸待ってね」

 

 何てタイミングで携帯電話が鳴るんだよ!誰だよ、大事な時にってディスプレイに表示された名前は晶ちゃんだった。

 今、此処で晶ちゃんが何故に僕に?確かにさっきメールしようかなって思ったけど、このタイミングって神様馬鹿ヤローだよ。

 結衣ちゃんも見てるし電話に出ない訳にはいかない。出ないと逆に不審がられてしまうし……

 

「もしもし、榎本です」

 

 平静を装って話すけど、少し上擦ったかな?

 

「あっ榎本さん。久し振り、晶です」

 

「ええ、久し振りですね。アレから何か変わった事は有りましたか?」

 

 話しながら結衣ちゃんの方を確認したら、目が合ってしまった。ニッコリ笑う結衣ちゃん。ドッキリ焦る僕。

 

「うーん、特に無いかな。小原さんの貸切期間が終わったから、それなりに忙しいよ」

 

 そうだった、小原氏は除霊が一週間以内で終わるとは思ってなかったんだ。ある程度の日数を予め抑えていたっけ。

 

「それは大変だね。無理してない?」

 

 彼女はセクハラ被害が嫌で男装してるハンサムガールなのだ。

「うん、僕は平気。

それで……週末休みが取れそうなんで榎本さんの家に遊びに行って良いかな?」

 

「家って、ええ?」

 

「駄目かな?」

 

 その声は僅かに悲しみを含んでいる。お世話になった晶ちゃんの頼みだから、断る訳にはいかないんだけど……

 

「かっ構わないよ。でも急に来るって何故だい?」

 

 ああ、結衣ちゃんが僕の袖を掴んでる。此方は不安そうに僕を見上げてるんだ。

 

「うん、榎本さん家ってさ。トレーニング器具が沢山有るでしょ?一寸使わせて欲しいんだ」

 

 このハンサムガールは筋肉好きだった。しかも友達宣言してるから、家に遊びに来るのは可笑しくない。

 他意は無くて純粋にトレーニング器具に興味が有るんだよな。

 

「構わないよ。それで土曜日で良いのかい?家の場所は知らないよね?」

 

「京急線の最寄り駅までは行けるよ。確か北久里浜駅だよね?10時に付くから迎えに来てくれると嬉しいな」

 

 そう言えば雑談の中で話した事が有ったっけ。名刺は事務所の住所と携帯電話の番号・アドレスだけだったしな。

 

「分かった、土曜日10時に迎えに行くよ」

 

「楽しみにしてるね!」

 

 そう言って電話を切られた。結衣ちゃんが僕の腕を抱えて見上げている。思わず立ち止まってしまった。

 それ位に不安そうな顔だから……僕は結衣ちゃんの頭をクシャクシャっと撫でて

 

「前の仕事でお世話になった八王子の民宿の娘さんだよ。今度泊まりに行こうって話してた岱明館のね。

筋トレに興味が有るらしくて、僕の筋肉を見て興味が出たらしいんだ。結衣ちゃんにも会いたがってたし、一緒に会おうか?」

 

「私が一緒でも迷惑じゃ無いんですか?大丈夫ですか?」

 

 浮気者みたくなってるよ。折角さっきまで良い雰囲気だったのに。晶ちゃん、少し恨むよ。あと10分遅かったら……

 

「全然平気さ。結衣ちゃんも彼女を見たら驚くよ。凄いハンサムガールだからね。宝塚の男役みたいなイケメンさんだよ」

 

「ハンサムガール?イケメン?宝塚?一体正明さんは何故そんな人と知り合ったんですか?何故そんな人が民宿に?」

 

 本当は中性的な美人さんだけど、今は女を感じさせない風に持って行った方が良い。結衣ちゃんに掴まれていた腕を抜いて、彼女の肩に軽く乗せる。

 

「民宿を手伝っていてね。最初は随分とイケメンだなって思ってたんだ。だけど酔客のセクハラが嫌で男装してたんだって」

 

「そうだったんですか……」

 

 結衣ちゃんが不安なのは、最近僕の周りに女っ気が多いからだろう。僕が取られてしまうんじゃないかって不安なんだ。

 勿論、恋愛感情じゃない。彼女に取って頼れるのは僕だけだ。

 桜岡さんを結衣ちゃんが受け入れたのは、彼女が結衣ちゃんを妹の様に接したから……家族の様に受け入れてくれたからだ。

 小笠原母娘を警戒するのは、彼女達が結衣ちゃんから僕を奪うんじゃないかが不安なんだ。だから一線を引いた対応なんだな。

 

 漸く分かったよ。僕は結衣ちゃんを不安にさせてたんだ。

 

 今も肩に軽く置いている掌が僅かに震えている。僕は彼女を良く見ているつもりで、実は何も分かってなかったのか。

 肩に置いている手でポンポンと頭を軽く叩く。

 

「大丈夫だよ。結衣ちゃんは大切な僕の家族(お嫁さん)だから、一人にはしないよ」

 

 ハッと僕を見上げる結衣ちゃんの目には……涙が浮かんでいた。僕の腰に抱き付く彼女の頭を優しく撫でる。

 回された腕が危うい場所に接しているので、愚息がトランスフォームしない様に全神経を集中しながら……

 


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