第212話
犬飼一族に伝わる霊的遺産の相続。
畜生霊を操る一族だから期待していたのだが、最初の試練でまさかの巨大大和ゴキブリを配下にした……
手乗りインコ宜しく掌に乗っているが、世界中の女性を敵に回した気分だ。又は嫌われる?
「胡蝶さん、コイツ使えるのかな?」
見事な位に黒々で艶々でデカい。これだけデカいとパッと見は他の昆虫だな。
「む、そうだな。監視や偵察、捜し物とか便利じゃないか?丈夫で繁殖力も高い。雑食だから何でも食べるだろう」
監視や偵察か……攻撃には全く使えないが、事前調査重視の僕の除霊スタイルには合ってるか?
そう思った時に掌の奴が前脚?で僕の親指を軽く突いた。
何やら物申す的な?
「ん、何だい?お前何か出来るのか?」
話し掛けると触覚をピクピクと動かした後、掌から飛び降りた。倉の真ん中辺りに鎮座すると、奴の周りに1m位の漆黒の円が浮かび上がる。
これは胡蝶さんのと同じ……
「うわっ?眷属召喚か?」
漆黒の円の内側から大和ゴキブリの群れが沸き上がり、天井や壁や僕の周りの床迄を埋め尽くしたぞ。
まるで黒い波だ……カリカリと軽快な音が聞こえるけど、まさかお前達……呆然とする事3分位?
僕は倉の中に居た筈だが、外に立っていた。
暗い所から急に明るい所に来たので目がチカチカする……目を擦り明るさに慣らしてから周りを見ると、綺麗に倉が無くなっている。
「倉を食いやがった……」
良く見れば釘とか建具の丁番とかの金属類は食べ残しているが、他は綺麗さっぱり無くなっている。
他にもジッポのライターにマグライト?ナイフまで有るが、柄は食べられて刃の部分しかないし刃も錆初めている。どう言う事だ?
この一ノ倉の試練には他に何人も何年も掛けて挑んでいたのか?誰か他にも霊的遺産に挑戦したのか?
考え込んでいると奴がピョコンと肩に飛び乗り、触覚をピクピク動かしているのは……褒めろって事かな?
「凄いなお前達……だがお前とか油虫とか大和ゴキブリとは呼べないな。お前の名前は悪食(あくじき)、悪食だ」
そう言って頭の辺りをコリコリと掻いてやる。悪食は嬉しそうに触覚を動かした後、体の中から器用に鍵を取り出した。
今の時代の鍵じゃない、古いタイプの鍵だ。この一ノ倉には鍵は掛かって無かった。
じゃあ何の鍵だ?
「悪食、この鍵は何の鍵だ?」
呼び掛けるとピョコンと飛び降りて隣の倉を触覚で指すと、僕の影に入って行った。二ノ倉の鍵って事か?
「良くやったな、正明。式は名を与えると主との絆が強く、また自身の力も強くなる。主の力を引き出す事も増す事も出来るのだ。
悪食は人に仕えるのは初めてらしいぞ。随分前に封印されたまま放置されてたのだ。正明、お前が悪食の初めての相手だな。
勿論だが悪食は雌(♀)だ。そもそも昆虫は雌の方が……」
「気持ち悪い言い方をするなよな。さぁ胡蝶も早く入って。犬飼の爺さんが来る前にさ」
犬飼の爺さんも倉が無くなったり美幼女が居たりしたら驚くだろう。ジッポのライターとマグライト、ナイフを拾う。
犬飼一族には僕に内緒の秘密が沢山有りそうだ。先ずは一ノ倉の事、拾ったライターやナイフの事を聞いてみるか。
これからの交渉について考えながら母屋へと歩いて行く。
『胡蝶さん、もう一つ試練に挑もうか?』
『いや、悪食の力を調べようぞ。折角手に入れた力を使いこなす前に次の試練に挑む程、時間が無い訳じゃなかろう?それと次の試練の情報を集めるぞ』
何か胡蝶さんが楽しくなってるみたいだな。声が弾んでいるし……後、五十嵐さんの能力の裏を取るか。
犬飼の爺さん達が悪食の事を知っていたか?他に情報が流れてないか?
もし悪食の事が古文書とかに書かれていたり、既に挑戦者が居たりしたら予知じゃなくても知る事が出来た。
逆に情報が広まってなければ、彼女の能力は本物だ。それも望み薄だとは思う、これだけの遺留品が有るなら倉の試練は有名なのかも知れない……
まぁ彼女と話した時に大和ゴキブリと知っていたら、あんな態度は出来なかっただろう。
「貴方には三つの試練が有ります。一つ目はゴキちゃんです」とか笑わずに言えたら大したモンだよね?
◇◇◇◇◇◇
母屋に戻ると縁側に爺さん達が集まっていた。六人居るが、毎回違う連中だ。一体犬飼一族って後期高齢者が何人居るんだ。
「終わったよ。それと倉の中に、こんな物が落ちてたから拾って来たぞ」
そう言ってジッポのライターやマグライト、ナイフを置く。
「このライターは……やはり当主殿は我々に内緒で挑んだのか」
「では、もう既に……」
新しい遺留品は、あの嫌味な当主の物か。すると悪食達に食われた可能性が高いな。
幾ら小さな虫とは言え、万単位で攻められたら勝てるとは思えない。分かっていれば火炎放射器とか用意すれば勝てるだろう。
だけど狭くて暗い倉の中で周りから一斉に襲われたら厳しい。僕だって胡蝶の守りが有ったから時間を掛けて悪食を探し捕まえられたんだ。
「僕の前に奴が試練に挑んだのか?中には居なかったぞ。悪いが一ノ倉自体も無くなってしまったが……」
「一ノ倉が無くなった?それは……どういう事ですか?」
普通に考えて一時間と掛からず建物が無くなるとは考えられないよな。
「まぁまぁ落ち着きなさい。榎本さん、中で休まれて下さい。誰か一ノ倉の様子を見てきてくれ」
僕を一ノ倉に案内してくれた爺さんがテキパキと指示を出す。僕は客間に通され熱い日本茶と豆餅で遇(もてな)された。
向かいには三人の爺さんが座っている。年寄りは顔に皺が多く目が細いから表情が掴み難いんだよね。
だから嘘を見分けるのが分かり辛い。
「榎本さん、試練は達成された訳ですな?まさか一時間と経たずに無傷とは……」
「ええ、幸い相性の良い試練でした」
詳細は教えない。一分程沈黙を続けたら、ドタドタと誰かが走り込んで来る音が聞こえる。
「倉が、一ノ倉が無くなってるぞ」
「本当に何にも無いぞ!綺麗さっぱり瓦礫すら無い」
興奮気味に報告する爺さんズを見ながら日本茶を啜り豆餅を食べる。車座になって相談を始めたが、内緒にしない為か声が大きく良く聞こえる。
やはり現当主は一ノ倉に挑んで食われたか……
「それで……ジッポのライターとマグライトは現当主の物として、ナイフの持ち主は?
あの試練を受けたのは他にも居るのですか?」
漸く話がまとまったのか、報告に来た爺さんズは退室していった。もう話し掛けても大丈夫だろう。
五十嵐さん対策に聞いておかねばならない。あの試練の内容を知っている奴が居るかを……
「このナイフ……いえ、これは犬飼の男達が持つ山刀です。ほら、コレです」
そう言って懐から同じ形の山刀を机の上に置いた。僕が拾ってきたナイフの隣に……最近のステンレス製と違い材質が鋼だ。
成る程、僕の持っている蕨手山刀と似ているな。
「確かに似ている。それに鋼製だ……最近の刃物はステンレス製が多いが、鋼製なら錆びるか。
すると過去に犬飼一族の方も試練に挑んだんですね。あの試練の内容は御存知だったんですか?」
爺さんは柄の部分に掘り込まれた名前を指差す。
「私の息子の物です。もう30年も前になりますが……当時の当主に反発して試練に挑んだのです。
現当主も同様に、榎本さんに反発して新しい力を得る為に、我々の制止を振り払い挑みました。結果は……」
僕に反発とかは知らないけど、気に病む必要も無いな。
「一ノ倉の試練の内容は知っているんですか?」
不要な部分はスルーして、一番気になっている事を聞く。
「いえ、知りません。犬飼に伝わる伝承は、一ノ倉から八ノ倉まで順番に挑む事だけです。
過去300年間に一ノ倉に挑んだ霊能力者は数人居ましたが、全員が帰って来ませんでした。無事に生還出来たのは榎本さんが初めてなのです」
300年間誰一人生きて出て来なかった倉ね。そんな危険な倉に予備知識無しで押し込むとは、大婆さんは僕が嫌いだったのかな?
良い意味で取れば総てを託してくれた?あの倉だが確かに古い感じはしたが、当時で倉を八棟も所有するとは犬飼一族の隆盛と衰退が分かる。
最初の当主が封印した悪食が、最後の当主を餌としたとは哀れでしかない。
「他に試練に関する情報は有りますか?」
暫らく考え込む爺さん……
「倉の詳細については代々当主に口伝で伝えられたそうです。なので私達には分かりかねますが、当主のみが入れる書斎が有ります。
或いは其処に情報が有るかもしれません」
口伝か……
あの現当主は山名家と繋がりが有ったから、もしかしたら情報が流れた可能性は有るな。
山名家と五十嵐家の繋がりは分からないが、0じゃないだろう。五十嵐さんの能力については保留だな。
「その書斎は見れますか?」
「ええ、構いません。案内しましょう、此方です」
膝に手を突いて、ヨッコラショと起き上がる爺さん……いざとなれば機敏に動くのに食えない爺さんだな。
◇◇◇◇◇◇
「昼食の支度が出来たら呼びますので、ごゆっくり……」
時刻は未だ11時過ぎだからな。昼食は有難く頂くか……通された書斎は四畳半の茶室みたいな造りだ。
文机に座布団、本棚には紐で綴った本が一冊と数本の巻物。他には何もない。
仮にも当主しか入れない書斎にしては簡素だな。
『胡蝶さん……何か呪術的な結界とか仕掛けとか無い?当主の書斎にしちゃ淋しいよね?』
『ふむ、全く無いぞ。そこの巻物も霊力を感じないな』
つまり呪術的に貴重な巻物でもないのか?内容次第だけど……本棚に有る巻物を全て文机に置き、座布団に座り読んでみる。
「全く読めない……当たり前だが崩した毛筆の文字なんて解読レベルの代物だよ」
手掛かりとして調べるには専門機関に依頼しなきゃ無理かも。
『正明……我が読めるから安心しろ。ほら、巻物を広げんか』
流石は齢700年以上の胡蝶さんだ!こんなミミズがクネクネした様な文字が読めるなんて。
暫くは胡蝶さんの指示で巻物を広げ書物の頁を捲った……
『ふむ……巻物は犬の飼育方法が記されているな。昔は犬の種類が少なかったから掛け合わせも難しかったのだろう。
各地の犬の特徴や食事や訓練の詳細が記されておるな……』
300年前にブリーダーみたいな事をしてたのか。古文書としての価値は高そうだな。
『こっちの巻物は?なにやら署名や判とか押してあるよ』
パッと見は証文みたいに思ったけど……
『む、そうだな。正明に分かり易く言えば、この辺りを治めていた殿様から名字帯刀を許され、この地と50石の禄を与えると書いてあるな。
犬飼一族は古来より地元の権力者と繋がりが有ったのだな』
50石が多いのか少ないのか分からないが、時の権力者と上手く付き合っていたんだな。まさに隆盛と衰退か……
『じゃ、この紐で綴った本は?』
これだけ巻物と違い紐で綴って本にしている。使用している和紙の種類がマチマチで手触りとか厚みも違う。
他との違いに期待が高まる。10頁ほど捲った時に胡蝶さんの溜め息を感じた。
『ふむ……これは日記か忘備録だな。特に重要な事は書いてないぞ』
『取り敢えず最後まで読もうよ。何か手掛かりが書いてあるかも知れないし……』
『他人の日記など読むものではないぞ。まぁ仕方ないが……』
それから暫くは、胡蝶さんの為に読めない頁を黙々と捲る作業を続けた。爺さんが昼食の準備が出来たと呼びにくるまで……