夕暮れ時、周囲にいろはとやちよさんの姿は無かった。
しかし、色々な所で安らかな顔をして眠ってる人達が居た。
彼らが幸せで帰れなくなった人…と言う事なのかも知れない。
「……幸せか」
私はどうかな…果たして、出会えて幸せになれるだろうか?
ふ、どうかな。私はそもそも七美との決別のためにこのウワサに参加した。
やちよさんやいろはとは、そもそも目的が違う。
私の目的は…彼女に対する未練を断つこと。
もう七美は死んだ…私はそれを理解していたはずだ。
だから、願い事も彼女を蘇生することを願わなかった。
私の願いだって、本来は彼女の未練を断つために願ったような物だった。
自分の居場所だった彼女を完全に心から殺す為に
私は道化になる道を選んだはずだった…それなのに、今でも未練が残ってる。
どうして未練が残っているのかと考えて出て来た答えは。
彼女に対し、大事な事を言えていないからと言う結論に至ったんだ。
感謝の言葉を、謝罪の言葉を……そして、別れの言葉を。
私は彼女にその大事な言葉を伝えることが出来ていなかったんだから。
「……七美」
これが本当に最後だ…七美の思い出をこれ以上引きずらないために。
私がちゃんと、私として求められている生き方をする為に。
私はこの思い出を…あの幸せな思い出を断ち切らないと駄目なんだ。
芸を忘れたサーカスのライオンが誰かに求められることはあるか?
答えは簡単だ、無い。芸を忘れ、野生を取り戻したライオンにあるのは死だけだ。
居場所を剥奪され、もはやそこに居ることも許されない。
求められているのは、力強く凜々しいライオンの姿では無い。
人間に媚びをへつらい、命令に従い、プライドも何も無い惨めな王者。
百獣の王を人が従えていると言う優越感を与えてくれる情けない王。
求められているのは、恐怖と威厳を振りまく真の姿では無いんだ。
「……本当の私を欲する奴は要らない…」
「……またそんな事言ってるの? 梨里奈ちゃん」
私が独り言を呟いた瞬間、背後から声が聞えた。
さっきまで気配も何も無かったのに…聞き慣れた声が。
いや、聞き慣れていた声が…もう聞けないはずの声が聞えた。
「……七美…」
声が聞えた方向に私の体は無意識に向いていた。
自分でも驚いてしまうほどの短い間に…私は彼女の姿を見ていた。
懐かしい制服…中学生の頃の制服…なんて事の無い
可愛げも無いブラウンのセーラー服でしか無い。
神浜市立大附属学校の制服を茶色にして
スカートも紺色のチェックにしたような制服。
味気もなく、可愛げも無く、七美もあまり好いては居なかった制服だった。
「……久しぶりだね、梨里奈ちゃん」
「…な、七美…本当に七美…なのか?」
「うん、私だよ。紛れもなく私」
……死んだはずの七美が…私の目の前に立っている。
私の為に怒って…怪我をして…そのせいで病気を悪化させ命を落としたはずの七美が…
「会いたかったよ、梨里奈ちゃん」
「……あぁ、私も会いたかった…七美」
姿は七美にそっくりだ。しかし、あいつは死んだ筈なんだ。
だから、この場にいるのはおかしいんだ…でも、嬉しい。
例えこの七美が幽霊だったとしても、私は素直に喜べる。
「……七美、私はお前に伝えたい事があったんだ」
「何?」
「……私みたいな自分の個性を見せようとしない奴と一緒に居てくれて、ありがとう。
ずっと1人で閉じこもって、自分1人で考える事しか出来ない私に寄り添ってくれて…
一緒に色々と考えてくれてありがとう。
ありのままの私を受入れてくれて…ありがとう」
「何を言ってるの? 当然だよ、それにさ、その言葉いつも伝えてくれてたじゃん」
そう、最初は七美に何度もお礼をした、その度に七美は笑いながら当然だよと答えてくれた。
付き合いが長くなるにつれてそんな話をする事も無くなってきていた。
それが、当たり前だと感じ始めてしまっていたからだ。
「だって、大事な友達だもん」
…同じだった、当然だと答えて…そして、その後に当たり前の様に友達だもんと答えた。
その素直さが、私はいつも羨ましいと思っていた。
自分の思ってることを、平気な顔で話せる姿を、羨ましいと思っていた。
「……助ける事が出来なくてごめん…私の為に怒ってくれたのに
私にもっと運動神経があれば、七美が転けないように手を取れたのに。
私が駄目だったから、怪我をさせて……そのせいで、病気を悪化させて…
私の為に、沢山の事をしてくれたのに……何も出来なくてごめん。
お前は私に沢山与えてくれたのに、私はお前に何一つ与える事が出来なくて…ごめん。
お前が必死になって私を変えようとしてくれたのに、結局変われなくて…ごめん」
「梨里奈ちゃん…」
七美は私の言葉を聞いて、少しムッとした表情を浮かべた。
当然だ、当然なんだ…私は七美に怒られても文句は言えない。
彼女は私の為に必死に頑張ってくれたのに、私は全く応えられなかったんだ。
でも、1つだけ応える事が出来る…1つだけ、最後に答える事が出来る。
「……七美……今までありがとう、そして…さようなら」
「え? 何を…」
「分かってる。お前は幻だ、いや…本当にここに来てくれたとしても、お前は幽霊。
私はお前にもういちど会えて幸せだ…だから、最後くらいは応えたい。
お前が、私にお願いしていた事に……
もしもの事があったら私の事は忘れて、幸せに生きてね……」
元々七美は病弱だったんだ…自分にいつ何が起るか分からないと感じていたんだ。
だから七美は、もし自分に何かあった時にって私にそんなお願い事をした。
だけど、私はその言葉に対して、何も答えられなかった…
だから最後に返事を伝えたかった。ようやく決心が付いた、彼女を失った後に
この願いにだけは…その最後の願いにだけは、私は答えないといけないと。
だけど、流石に全ての願いを叶えることは出来ない。
周りの期待を裏切らないために、自分を押し殺してきた私だが
この期待にだけは…答えられなかった。大事な親友が私に抱いてくれていた期待。
私は最後の最後まで、その期待に答えることは出来ないんだ。
「だけどごめん。きっと私はお前を忘れることは出来ない……
いくらお前からの頼みでも、それは出来ない…その期待には応えられない。それは謝る。
でも……きっと、幸せに生きてみせるから」
もう溢れることが無いと思っていた涙がまた…
「……梨里奈ちゃん、本当に良いの?」
「え?」
「私以外の居場所を……作れるの?」
七美以外に居場所を作るか…それはきっと、私には出来ないだろう。
もう、私は自分の居場所を捨てたんだ。だからもう、居場所は作れない。
でも、居場所を作らなくても、私は幸せになれるはず…だから。
「ねぇ、このまま一緒に、ここで過ごそうよ」
「……え?」
「このままずっと一緒に、私がずっとあなたの居場所になってあげるから。
ここに居れば、私は永遠に消えたりしないよ…ずっと一緒に居られる。
周りの期待に応える必要も無い。ありのままの自分で居られるよ?」
「……」
ありのままの自分……ずっと一緒に居てくれる人……
ずっと、ありのままの自分を受入れ続けてくれる人……
「だから、一緒に居ようよ。それに私、1人は寂しいもん」
「……」
「ね、一緒に……あなたがありのままで居られるのは…私の隣だけなんだから」
……凄く魅力的な誘いだった…誰からの期待に応える必要も無く。
ありのままの自分で居続けることが出来る……なんて魅力的だろう。
「さぁ、梨里奈ちゃん」
私の目に前に差し出された手……この手を取れば、私は永遠の安心を得られる…
……あぁ、凄く魅力的だ……でも。
「え?」
私はその差し出された手を払いのけた。
私の為に差し出されたのかも知れない、その手を。私は自分の意思で払いのけた。
「その誘い、確かに魅力的だ。だが、七美なら決してそんな事は言わない。
あいつはいつも容赦ないんだ。何事も挑戦だとか、そんな風に言ってた。
七美なら…お前が本当に七美だったら…このままずっと一緒に居ようなんて言わない。
あいつなら私の別れの言葉に対し、頑張ってねとそんな無茶な言葉を言う!
満面の笑みで、一切の悪意なんて無く! 強引に私を応援する奴だなんだ!
だから、お前は違う!」
七美の姿をしていたそれを思いっきり手で払いのけた。
私の手が通過したその影は、まるで霧のように私の目の前から消える。
……はは、やっぱり私は最初から最後まで道化だったようだ。
折角決意を固めても、所詮何かの掌の上で踊っただけだ。
……だが、それが私が選んだ道だというなら…私は何も言わない。
そのまま踊ってやる……もう、私は道化になる事を決めたんだから。
「……感謝するよ、お陰で…改めて決意できた」
私は…ただひたすらに踊るだけの道化になる。
プライドも無い、期待された通りの事しかしない道化師に。