1
一度だけ、鬼を見たことがある。あくまでそれは比喩的表現で、目の前にいる人が鬼という事ではない。けれども鬼気迫ると表しても違和感のない気迫を纏いながら舞うというにはあまりにも雑で暴れているというには洗礼された動きが時折見えて少しだけ綺麗に見えた。
私は1対1でも苦戦してしまうような怪物を相手に囲まれても、臆することなく斬りつけている。この世界ではソードスキルと言う特殊な技を用いて怪物を切っていく単純明快なゲーム、システム上に組み込まれた動きをすると人知を超えた速度と動きでプログラムされた動きをトレースするというものだ。
ただ一つ、HPが無くなれば本当に死んでしまうと言う点を除いては…………。
閑話休題
目の前の人の戦い方は怖い、本能的にか、こういう状況も相成って恐いのかどうかは分からないのだけれど、その一言に尽きる。
完全な初心者の私にも今目前にいる人が凄い技術を持った人だということがわかる、けど……こんなに凄い人が居て、1ヶ月近くたっても100分の1も突破できないのが現実だ。
このゲームはクリアできない、クリアできるはずがない。どれだけ待っても、助けが来る様子もない。こんな世界で……、自分は何もせずに死ぬ。それだけは、耐え切れない、だったら足掻こう、私は頑張ったって思って死のう。
最期まで戦って、そして死のう。
そう思って一番危ないと言われているこの塔に入り浸った、斬って斬って斬って、どのくらい剣を振り続けたのかもわからなくなって、鬼のような人に見入ってしまった、魅せられてしまった。
その姿に時間を忘れてしまう位に魅せられて、ふっと糸の切れた人形のように意識が遠のいてしまったのは彼の剣が化物を貫いて霧散させたのとほとんど同時だった。
─あれ? おかしいな思考が纏まらない……これが最期なのかな? 意外に呆気ないや
私は意識を何の躊躇もなく手放してしまった。
2
一先ず今日はこれで終わりにするか……
意味もなく剣についた血を払うように軽く振る、血なんて付くはずないのだけれど無意識のうちに癖になってしまっていた。ただのデータの塊でこんなことをせずとも無くなるときはなくなるのに、払った方が心なしか長持ちしそうな気がするのだ。
癖といっても過言ではない、それくらいこの剣を握る非日常が日常になっているのが恐ろしい。データの塊を無に帰すのには何の感情も持ち合わせる必要はないが、データの塊とはいえこの世界で唯一の武器を粗末に扱う事は出来なかった。
そうしてしばらくこの場に沸く人型モンスターを駆逐すると先ほどまで次から次へと沸いて来ていたモンスターは出てこなくなった。こうなればある一定の時間はリポップしてこない。それならば、用事もあるし少し早いが久々に街の戻ろう、と考えて踵を返した瞬間、目の前には見慣れないものが落ちていた。
もっと詳細に言うと、プレイヤーらしき物体が倒れていた。
間違いなくおかしい、非日常が日常に成りつつあるとは思っていたけど、こんな展開は期待していなかった、予期していなかった。
落ち着け、女の子と断定したのが間違いだ。男かもしれないのだし……まず頭、フードを被っていて見えない、次……これはどっからどう見てもスカート以外の何物でもない、更に下は綺麗な足だこと……極めつけは洒落たブーツか。うん、間違いない俺は今試されているのだろう。
亜麻色の髪がフードから溢れていた、彼女の手にあるレイピアはどう見ても初期装備、相当な腕前でなければここにたどり着く前にゲームオーバーしてもおかしくない、それともいい装備が途中で壊れたかのどちらかだ。
酷く耐久値を消耗していてこの状態で今まで戦ってきたというのなら自殺行為にも等しい危険な行為だ。
何はともあれ、このプレイヤー、彼女と断定するのもおかしいだろう、彼女、もしくは女装癖のある男。仮に女の子だとしてもこのようなネットゲームの住人だ、さらにはフードで顔を覆い隠している。期待するだけ無駄だろう。
けれど実力者であることに間違いない、使える駒だ、最前線でソロでやっていると言うのも気に入った。あの町で行動すらせず悲劇の主人公を演じている奴らよりかはずっと、何倍も好感が持てる。
結論からいって俺はこのプレイヤーを助けることにした、人一人を運ぶにはギリギリの筋力パラメーターを駆使して最寄りの安全地帯へ向かう、余談であるがこのプレイヤーを運ぶときセクシャルコードが発動したので女性ということが確定した。
幸運にも、誰かがここら一帯で狩り尽くしてくれたのか一度もモンスターがポップすることなく、安全地帯へ辿り着くことができた。恐らくこの少女がやったのだろうが。
俺は女性プレイヤーをそっと地面に横たわらせ、傍にあったダンジョンの壁に乱暴に背を預けてずるずると力を抜く。
今の状況を現しているような暗い空を仰ぎ、大量の吐息と一緒に今までため込んできた疲労が重くのしかかる。
少女を抱えると言う現実では完全にアウトな行為と誰かに見られたらマズイと謎の緊張感が体を蝕み、精神は疲れ果てていたのかもしれない。
少しだけ仮眠を取ろうと目を閉じる。
こちらの苦労も知らず、心地よさそうに寝息を立てる女性プレイヤー、見ている夢はいい夢なのだろうか……それとも……。
考えても仕方がない、せめて夢の中でさえいい夢が見れればいいな、と願いに近い希望を抱いて俺も睡魔に身を任せた。
安全地帯に来てどのくらいだろうか、目を瞑っている内に本気で眠ってしまったらしい、どうもさっきのプレイヤーは近くには見当たらない、見捨てられたか……
「ヒィッ!?」
不意に、頭上から悲鳴が聞こえてくる、俺の体勢は壁に体育座りでもたれ掛かっていたが体の右側が全て床に接していて、本格的に休憩する体勢に入ってしまったようだ。
覚醒しきっていないぼんやりとした頭は未だ状況を飲み込めていない。
「あなた……まさか私の身体に何かしたの……?」
「は?」
「惚けるのもいい加減にしなさい! 私の身体を……その……色々してたんでしょう!?」
「勝手な罪を人に押し付けるな! 子供に欲情する癖はない!」
「ほらやっぱり知っているじゃない!」
「誰だって見ればわかる!」
埒が飽かない、この年頃の女の子は全くめんどくさいな……どうやら興味がないのがわかったらしい、それか俺の言葉に少しでも傷付いて黙ったかのどちらか、か。
「迷宮区で倒れていたのをここまで引きずってきたんだよ、覚えていないのか?」
それでも少女は動く気配を見せない、フードを深く被っているため表情は読み取りにくい、目は口ほどに物を言うと諺があるがあながち嘘ではないらしい、わずかに動く口元からは何も推測できない。
思い出して恥ずかしさや今までの言動に対する申し訳なさを感じてくれるととてもありがたいのだが。
気まずい沈黙が暫く続く、ついに振り絞った声を少女が発した。
「……どうして助けたの?」
「少なくとも、こんなところで死んでいいプレイヤーでないと思ったからだ」
「どうしてそんなことが……?」
「腰に装備されたレイピア、初期装備だろ? そんな装備でここまで来て俺が見つけるまで死んでいなかったんだ。相当の手練れじゃないとそんな事は出来ない、だから死んでもらっては困る。このくそったれの世界から抜け出すためには」
「帰れないわよ」
「やってみなくてはわからないだろう」
「無理よ……! このゲームをクリアするなんて、無理なのよ……それに、もう私には……何でもない、貴方達みたいな人に私の気持ちなんてきっと分からない」
貴方達……か、どうとっていいのか解らないけど悪い方にとった方がいいだろう、ここは熱狂的ネットゲーマーの集団一万人が収容されているのだから、少女の物言いから推測すると
「ついうっかり家にあったナーブギアを被って初めて経験したネットゲームがSAO、更に敷かれたレールを外れ絶望的。おおよそこんなものであってるんじゃないか?」
貴方達という物言い、隠しきれていない軽蔑の感情、ひしひしと伝わってくるこの世界に来てしまった後悔、そして死に急いでいるかのような戦い方。
これだけ条件がそろえば余程世間を知らないやつでなければ推測できる。
少女の目が見開かれた……ような気がした、口がポカンと空いていたからそう推測したのだがこれは結構自信がある。
だが、驚きのあまり開いた口はすぐ閉じて、また重い沈黙が流れる。
長く続くと思っていた沈黙を破ったのは意外にも少女のほうだった。
「最初の街の宿屋に籠って、腐っていくくらいなら……、最期まで全力で戦い抜いて、自分を貫き徹してそして────満足して死にたい、私が私でいるうちに」
「死にたがっているのに、何で戦ってたんだ? もっと簡単な方法だってあったはずだ、知らないわけないだろう?」
「自殺は……そんな恥ずかしいこと、絶対にしない。最初はもちろん私が戦っているうちに少しでも前に進めば、そう思った。だから卑屈になることなく、前向きに耐えてきたつもり。けれど、この1ヶ月何も変わらなかった」
語調は比較的穏やかなものの、秘められた心のうちは苦しみ、絶望、葛藤、どんな感情か定かでないにしても激情が渦巻いていた、唇を噛みしめ拳はきつく握られる。
一度漏れた感情とため込んだ思いは一度堰を切ると今までに溜まっていたものが溢れだして止まらない。
「私は親が敷いたレールをひたすらに走り続けた、そしてそれが一番の幸せだと信じて止まなかった。勉強だって名門校の中でトップ3からほとんど落ちたことはなかったし、運動だってしっかりやった、音楽もたくさん聞いたし、ファッションだって雑誌を色々見て最近の流行りを覚えたりしていた。でもだからといってそれを誇示することは決してなかった。誰にも負けないくらい努力して生きてきた、けど、この世界に来てそれが全部崩れ去って……」
例えばここが始まりの町で、安全圏内でこの少女と出会っていたら俺は何も気に止めず「じゃあそうすれば」と酷い言葉を投げかけただろう、しかしここは死と隣り合わせの危険地帯ましてや俺の知る限り最前線、詰まるところこの初心者は相当な実力者。
ここで死なせるのは勿体ない、どうにかうまく、言葉巧みにゲーム攻略に対し前向きに導いていかないと惜しすぎる人材だ。
「俺も君と同じだよ、一つ違う事と言えば君みたいに優等生とはとても言えないけれど。最初の街の宿屋に籠って、腐っていくくらいなら……最期まで全力で戦い抜いて、自分を貫き徹してそして、満足して死にたい、自分が自分でいるうちに、と言ったね、俺もそのつもりでここにいる。もっとも君みたいな将来がある素晴らしい人間ではないけど」
「…………」
「だが、俺は君みたいに諦めてなどいない」
「……百層なのよ? 1か月もかかってまだ、一層さえ突破できてないじゃない! その間に何人死んだか分かってるでしょ……? 二千人よ!」
「らしいな」
「らしいなって……どういうことかわかって言っているの?」
「クリアが絶望的なのは目に見えて明らか、そう思っていてもおかしくはない、だろう? おっと気がおかしくなった訳じゃない、それは今現在の話のことだ」
ゲーム開始から1か月経って未だ、一層すら突破できていない、そしてその間、死者が二千人に及んだことも事実。
今の時刻は……15:00と少しか、頃合いだな
「希望があれば、死に急がないのか?」
「どういうこと……?」
「あと一時間で、トールバーナと言う町で第一層のボス戦に向けた会議が行われる。そこで、だ」
「…………」
この沈黙は肯定と取ろう。きっと言わなくても伝わっているだろうから。
「会議に参加するだけ参加してみないか?」
少女の回答はおおよそ俺の予想の斜め上をいったが、ひとまず俺と少女の利害関係は一致した。
これは約束、俺は彼女に希望を見せる。その代わりさっきの話は俺と彼女のだけの秘密にする。
この仮想世界で現実世界のことを話すのは禁忌だと彼女に釘を刺したのでこの話は俺以外に知る人はいない、俺もこんなことを約束しないでも話すつもりはないし、彼女もきっと話すつもりはないだろう。
故に、俺と彼女の約束を結ぶいい塩梅の楔となった。
全くもって釣り合いが取れていないけれど、彼女がそれでいいのなら問題はない。
さあ行きましょうと立ち上がった彼女の後姿は、暗い迷宮区を明るく照らしたように見えた。