5
ボス攻略当日、様々なパーティーが集合場所へ到着してボス部屋への大移動が始まった。
この日までに空いた空白の時間でキリトとアスナの仲はある程度縮まっているようにも思える。俺も誘われはしたもののこんな人間が一緒にいるのは場の雰囲気を乱すと思い2人きりで楽しんでもらっていた。
キリトには感謝してほしいものだ。
そんな事よりも気になるのはあの時情報屋にした質問、キリトとディアベルの関係は一体何なのだろうかと考えるも手掛かりすらなく、答えに辿り着くはずもない。
だが、その質問をした時の隠せなかった動揺は一体何なのか、それがやけに心に引っかかっている。
「ねぇ……ねぇってば!」
「ああ、悪い。どうした?」
「これ、あげる」
答えなど出るはずもなく、頭の中で自分の世界に入り込んでいるとアスナのこの前より高い声が俺を現実に引き戻した。
差し出されたのは赤と黒と白の3色で出来たミサンガ。
「この前のお礼よ、これくらいなら受け取ってくれる?」
先日の風呂の借りをどうしても返したいらしい。俺が思っている以上にそのことを恩に感じているらしく、一泊分を代わりに負担するだの食事を奢らせてくれとしつこく言い寄られていた。
見返りを求めていたわけではないので断固としてそれらを受け取らなかったが、どうしても俺に借りを作りたくなかったようだ。
「ミサンガか……」
「気に入らないの?」
「逆だ、気に入った。君からの最初で最後の贈り物だろうから大事にしておくよ」
「ええ、大事にしなさい」
いつものように皮肉が返ってくるかと思ったがそんなことは無かった。今日は特段に、俺が知りうる限り一番機嫌がいい。
不自然なくらいに。
「そんなに静かでどうしたの?緊張してる?」
そして俺に自ら話題を振ってくる始末。鎧と剣が擦れ合う音、むさ苦しい談笑が不協和音となり知らないうちに精神を蝕む中、彼女の透き通った声は大変ありがたいものであったが。
それよりも、フードの中から僅かに覗く彼女の表情の硬さが気になる。多分、緊張をしているのは彼女だろう。
まさか自分がこのような非現実に巻き込まれると思っていなかっただろうに、見知らぬ土地で見知らぬ男たちに囲まれ怪物を倒しに行くなんて非日常は70億人の人類がいる中でたったの40人程度、その一人になるだなんて思いもしなかったはずだ。
「いや、少し考え事をしていただけだ。緊張しているのは本当だがな、そういう君は随分とご機嫌に見えるが?」
「本当にそう見えるの?」
横を歩く彼女は、気丈に振る舞っているのが丸わかりだった。声は少し震えていて、声は上ずっている。だが、俺はどうやって彼女を扱えばいいのか、どういう対応が正解なのか分からない。
「変に気を遣われると気持ちが悪いわ、あなたが気を遣っているのは分かってる」
「俺がおかしいと思うのなら、それは俺も緊張しているからだろう。お前だけじゃない、皆が緊張している。考えたくはないが、もしこの攻略が失敗すれば……そう考えると気が気ではない」
「全くそうは見えないのが癪だけれど」
「こんな仮面しているからだろう」
「それは確かに……ねぇ、1つ聞いてもいい?」
「なんだ?俺に出来る限りのことなら答えれるが」
「なんで、仮面をつけているの?」
「…………」
「初めてあなたに合った場所で、あなたの顔は、その……決してかっこいいとは思わなかったけど、隠すような理由はないと思った。だから見られたくないんだと勝手に考えていたけど……私は知っている。けれどもキリト君には見せようともしていない、ここにいる皆にも」
「逆に聞くが、君はなぜ顔を隠している?」
「聞き方が悪かった、何を企んでいるの?」
「別に何も……といったところで納得いかなさそうだからな。ただ、今答えるのは面白くない。君が死に場所を探さなくなったら教えるとしよう」
「その答えにも納得はいってないけれど……まぁ、すんなり教えてもらえるとは思わなかったし。約束は守ってよ」
「もちろんです、お嬢様」
「あと、その呼び方やめて」
「気が向いたらな」
目的地にたどり着くまでに何度か戦闘があったが、大きなトラブルも無く、アイテムの消費も少なく収めてボス部屋前へ辿り着くことができた。
ボス部屋の前で立ち止まると、それぞれのレイドに分かれて集まり、そしてディアベルが先頭に立ってボス戦に挑むプレイヤー達に声を掛ける。
「────俺からは以上だ。何か質問はあるか?」
ボスの装備やソードスキルの対処法などを改めて確認した後、ディアベルは何か質問はあるかと問いかけてくる。直後、一本の手があげられた。その手の主はキリト。
「どうぞ」
「一点だけ聞きたいことがある。ベータテスト時の…攻略本の情報と異なる状況が起きた時はどうする?ディアベル。リーダーのあんたから、撤退の指示が出ると考えていいか?」
ディアベルの許可を得てから質問したキリトに、周りのプレイヤーから視線が注がれる。その視線のほとんどが、キリトを嘲る物だった。
「相手にせんでええで、ディアベルはん。こいつらはあんさんの指揮ぶりを知らんからそんな杞憂が出てくるんや」
ディアベルがキリトの問いかけに答えようと口を開いた時、その前にキバオウがキリトに向かって言い放った。
他のほとんどのプレイヤー達もキバオウと同意見らしい。こくこくと頷く者までいる。
βテストの時とは比べ物にならないレベルの差と、自分たちがこの世界を担っているという興奮と思い込みで楽観的になっているのだろう。
俺から言わせてみればそういう時ほど冷静にならなければいけないのだが……
「まぁまぁキバオウさん。人命が最優先なのはもちろんだ。でも事前のシミュレーションは完璧だから、誰も死なせやしないよ」
「……そうか」
だが、周りはそうであっても少なくともリーダーであるディアベルにはそんな慢心を抱いている様子は全くない、むしろ別のことに気をとられているようだ。
リーダーの気持ちは周りにも伝染する、今はこんな状態でも、ボス戦が始まれば何かしらプレイヤー達の気持ちの変化もあるだろう。
「俺だってこのレイドじゃなかったら不安だった。けど、このレイドだから絶対にボスを倒せるって言う確信がある」
たった今から、ボス戦が始まるのだとようやく実感が沸いてきたのだろう。誰もが緊張の面持ちを浮かべ始め、やがて静まりかえる。
そんなプレイヤー達に向かって、ディアベルは最後に短くこう言った。
「勝とうぜ」
ディアベルが振り返り、ボス部屋の扉と向き合った。
勢いよく扉を押しこの場にいる全員が戦いの場へ足を運んでいる時、どうしてもぬぐえなかった嫌な予感から俺は2人に忠告をした。
「どんなことがあろうとも死ぬなよ」
「……何、急に」
「どうしたんだ、いきなり?」
「優秀な人材の喪失はこのゲームの離脱に大きく影響する。だから何があっても生きろ」
「まぁ、善処するわ」
「ああ、わかった」
根拠のない危機感がただの思い込みで済めば越したことは無いが、もし的中した場合ディアベルがいかに上手くこの場を撤退するかに全てが掛かっている。
最後まで自分でいるために戦って死にたいと言っていた少女が、もし今回の攻略が絶望的になった時に単騎で突っ込んでいくことはもしかすると考えられる。
この期を逃すと絶対的に攻略は遅延し、それこそこの世界に囚われ続けることになってしまう可能性があるから。
「大丈夫、絶対に無茶はしないわ」
「人の思考を読んで会話するのはどうかと思うが?」
「だって分かりやすいんだもの」
「ははは……2人は仲がいいな」
「お前頭沸いてるの?」
「さすがにそれは失礼だわ」
今度はキリトが苦笑いする、内心『そういうところだよ』と突っ込んでいる気がしてならない。
開かれた扉の向こう、横幅十メートル、奥行きは三十メートルほどはあるだろうか、そんな広い部屋の一番奥に、そいつはいた。
立派な王座に腰を下ろした、巨大なコボルド型モンスター〈インファング・ザ・コボルドロード>
圧倒的な空気を纏ったボスコボルドは、プレイヤー達がボス部屋へと足を踏み入れた直後、ゆっくりと立ち上がり、文字通り怯ませるほどの雄叫びをあげた。
6
アインクラッド第一層迷宮区最上階、フロアボスが守護する巨大な部屋の中。44人のプレイヤー達による攻略戦が激戦を繰り広げていた。
最前列でボスたるイルファング・ザ・コボルドロードに対峙しながら、レイドのリーダーであるディアベルが指示を飛ばす。ボスが繰り出す猛攻、しかしディアベルの指示通りに動いて対処するプレイヤー達には、開戦当初ほどの焦りは見られない。
パーティーメンバーは皆、自分に与えられた役割をこなしながら、ボスのHPを確実に削っていた。
これもディアベルが短い間で勝ち取った信頼という見えない武器のおかげだろう。
「C隊、ガードしつつスイッチの準備……今だ! 後退しつつ側面を突く用意! D、E、F隊、センチネルを近づけるな!」
ほとんど計画通りといってもいい、面白いほどに順調にことは進んでいく、順風満帆とはまさにこのことだと言ってもいいくらいに、恐ろしいまでに筋書き通りに。
最前線でディアベル率いる数パーティーがボスの相手をする中、俺とキリトとアスナが属する後方支援部隊(雑用orハブられ組)は、取り巻きであるルインコボルド・センチネルの相手をしていた。
「キシャァアアッ!!」
「クッ!」
センチネルの一匹が長斧を上段から振り下ろしてくるが俺は難なく体を横に必要最低限僅かにずらしてソードスキル【スラント】を叩き込む、鈍い感触いわば携帯の振動の少し強めの衝撃が手に残る。
「スイッチ!」
弾き飛ばすほどの威力(システムアシストの妨げにはならないようにそれ以外の部分でソードスキルをアシスト)で弱点であるこめかみ部分に当てたというのに、センチネルのHPは未だ全損していない。
このままやりあってもおそらく全てを削れるとは思うが、今は俺一人で戦っているわけではないし、素質のある初心者にとっても経験と経験値を積むのにはいい場面だろう。
「……ハァッ!」
相変わらずほれぼれとするような流星の如き剣閃、彼女が唯一使える細剣ソードスキル【リニアー】がセンチネルの喉元に炸裂する。勢いよく急所を穿たれたセンチネルは今度こそHPを全損し、ポリゴン片を撒き散らして爆散した。
彼女とは迷宮区であったあの時からとてつもない才能は感じていた。しかし、たった今その異常性とポテンシャルの高さがうかがえる。
彼女が今使えるソードスキルはたった一つだけ、そのソードスキルを誰に言われるまでもなく、諡号錯誤を繰り返し磨き続けた戦闘テクニック、発動するソードスキルには一切の無駄がなく、システムアシストに意図的な身体の動きを加えることで威力・速度を底上げする技術を無意識に身に付けている。
本人に聞いてみたところ「改善できるところ、修正できるところがあれば学習、修正するのは生きていくうえで最低限のスキルだけど」と涼しい顔としてやったりと眉毛を上げた腹立たしい顔を思い出す。
だがしかし、その技術はβテストとこの1ヶ月研鑽を積んだつもりの俺に迫るくらいの技量、あと1ヶ月も経つ頃にはこの世界の強さを換算すれば優に俺を越えるだろう。
今後の攻略において高い戦力になることは間違いないのだけれどただ一つ、アスナの精神には少し不安だ。ゲーム攻略に挑む意志力はあるものの、この世界を正当に攻略して現実に戻る気なんて更々ないのだろう。
最初に出会った時に倒れたのも、この世界を脱出するという目標があったわけではなく、ただ自分を貫いてその結果なら死んでもいいと思った挙句にあのようなことに至った。
彼女は死に場所を探していた、今も自分でいるために死地を彷徨っている。おそらく、今この場でもその場面があったなら迷わず突き進んでしまう可能性は捨てきれない。
「アテが外れたやろ。ええ気味や」
そこまで考えを巡らせたところで、ふと近くから声がかかる。人を威圧する濁声の関西弁。取り巻きを相手するE隊のリーダー、キバオウが悪い笑みを浮かべて歩み寄って来ていた。
「いったい何がだ?」
「……何のことだ?」
「お前じゃあらへん! ったく変な仮面しおって、びっくりするやろ! 用があるのはそこのあんちゃんや。ヘタな芝居すなや。こっちはもう知っとんのや、ジブンがこのボス攻略部隊に潜り込んだ動機っちゅうやつをな」
わざわざ持ち場をほったらかしてあぶれ組まで顔を出してくるとはどういうことだ? 何故目の敵のようにキリトを煽る?
昨日の鼠の反応、ディアベルとキリトの情報を聞こうとしたときの動揺ぶりを鑑みると何かあるのだろうか?
「わいは知っとんのや。ちゃーんと聞かされとんのやで……あんたが昔、汚い立ち回りでボスのLA取りまくっとったことをな!」
「…………」
確かに聞いたことがある、ベータテスト時代にフロアボス攻略でことごとくLAを搔っ攫った縦なしの片手剣使いがいると。
賛否両論あるけれど基本俺は掻っ攫ったという言い方は不適切だ、手負いの獣は危険だ、それはこのゲームでも同じなのだ、そういったシステムはキッチリしているというかなんというか兎にも角にも追い込まれると強いモンスターほど手強くなる。
それに、わかっているのならその前にとどめを刺せばいいだけのこと。
仮にキリトがそのLA取りだったとして気になるのはどこからその情報が漏れたか、だ。
キリトは最初に合ったときソロだった、ソロであるキリトがそんな情報を漏らすことはない。
しかし、逆説的に考えれば情報を隠すためにソロだったということも考えられる、つまりキリトから漏れるこはあり得ない。
次に、鼠……は無いか。
彼女はβテスターがよく思われていないことを避けようとしている、たとえ誰がどれだけ金を積んだところでその情報だけは決して口を割らないだろう。
となるとボスのLAを狙う以上目的の障害になり得る自分のようなプレイヤーはできる限り前線から遠ざけておきたい、そういうプレイヤーがその情報を握っていても不思議ではない。そのためには、キバオウのような排斥派プレイヤーに脚色した情報を流すのは当然のことであるが、矛盾点というか不可解なことがある。
キリトの情報をキバオウたちに広めたのはβテスターで尚且つ彼らを忌み嫌っているディアベル組の中に在籍していることになる、ディアベルの問答に意味は無い。
「心配するな、そのために俺がいる。ディアベルには問題ないと伝えておけ」
ぎりぎり聞こえる声でキバオウに言うと、勝手に納得したのか「なるほど、ほな任せた……ディアベルはんも色々考えとるんやなぁ」と勝手に自己完結し始めたので急いで持ち場に戻る。
「早く!」
「悪い!」
攻撃に移る前にのど元へソードスキルを急所にピンポイントでつき、スタンさせるという大技を見知らぬ間に身に着けたらしいまったく恐ろしい子だ。
急いで【バーチカル】を発動させてセンチネルに切りかかる
「何を話してたの?」
「まずはこの場を乗り切ってから、後で話すからまずは目の前の敵に集中だ」
「……そうね」
街を出発してから子供達に対して非友好的な態度を示していたキバオウとキリトの会話だったので、遠目から様子を見ていたアスナは気になったらしい。
ただ、それよりも死に場所を求める彼女にとっては一人で持ち場に残って戦うことの選択権が大きかったようで、それ以上は追及してこない。
虎視眈々と目の前の敵を駆除し、ふとした時に最も危険な戦闘地域に目を向けている。だがそれは、今まで散々推測をしているけれど俺の主観であって本人がどう考えているのかはまったくもって分からない。
彼女が送る視線の先にはこの44人を束ねて導くディアベルが的確な指示を送っている、気持ち的には騎士やってます! と言ってた割に物騒なプレイヤーネームだ。ゲームでの名前の付け方は人それぞれの自由だけれど勇者を演じているのにその名前はないだろう。
「下がれ! 俺が出る!」
考えたくはなかったが、もし彼が。
ディアベル、青い髪の勇者、彼なら……彼だったとしたら。
コボルド王を包囲するのは、ディアベル率いるC隊。そして、武器の持ち替えに入るコボルド王の正面に、ディアベルが躍り出る。
確か腰につけている武器はタワール【湾刀】だったはずだ。
俺もアスナにつられてふとC隊に目をむける。
ぼろ布が解けて露になった刃が見えた。
「一つ質問していいか?」
「何? いきなり」
「確かタルワールって湾刀って意味であっているよな?」
「そうだけど、それがどうし「ディアベル! やめろ!」」
考えるよりも先に口は動いていた、手遅れに近い悪寒が体を駆け巡るがそうすることしか俺には出来ない。それと同時に、最悪の状況が頭をよぎった。
ここはパーティー全員囲むのがセオリーのはず、わざわざ踊りでたということは、だったらどうしてここまで出来た? 受け入れてもらえた? いや、先ずは……クソッ、対処の仕方がわからない!
「ダメだ! ソードスキルをキャンセルして後ろに跳べ!!」
キリトが、叫んだ。
「ウグルォォオッ!!」
「ぐぁぁああっ!!」
武器の持ち替えと共に垂直に飛び上がったコボルドロード。
空中で身体を逸らし、着地と共にそのエネルギーを周囲に放出するかの如く刃を振るう。
水平に360度、コボルドロードを取り囲んでいたプレイヤー達を、竜巻のように襲う。
発動したのは、未だかつて見たことのないソードスキル
コボルド王が持ち替えた武器をカテゴライズするのなら《太刀》
「くぅっ……ぁあっ!」
当初の攻略の予定ではあり得なかった、β時代とは完全に違ったコボルドロードのイレギュラーな攻撃に、前線で戦っていたパーティー全員に氷のような緊張が走る。
人間というものは不測の事態にはあまりにも弱い。標的になっているのは、コボルドロードのLAを取るべく真正面に躍り出ていたディアベル。
その行為、その思想、その責任感、すべてが今ここで仇となる。
1撃目、コボルドロードがフロア内の柱を使い上から襲い掛かる。
2撃目、今度は下から斬り上げ。
そして3撃目、勢いよく突進しながらも上から大きな太刀を振り下ろした。
初撃の上段斬り同様、眼にも止まらぬ速さのそれでいて3度目の激突を経て、ディアベルの身体は宙を舞う。
攻略本でも知らされていなかったソードスキルが発動し、あまつさえレイドのリーダーがその攻撃に倒れているのだから、弾き飛ばされ絶体絶命の危機に瀕しているのだから。
精神的支柱が折られたのも同然だ。
「ウグルゥゥァァアッッ!!」
そして、コボルドロードの猛攻は続く、止まらない。
「そんなのありかよ……」
思わず笑ってしまうほどに、苦笑いをさせられてしまうほどに、俺も不測の事態に巻き込まれる。聞いたことはあった、第十層の迷宮区には刀を扱うモンスターがいて、結局そこでβテストは終わってしまったということを。聞いたことはあったけれども、まさかこれほどとは思いもしなかった。
「でぃ、ディアベルさんがやられたぁ!!」
「こ、こいつまた出てきやがった! 聞いてねぇぞ!?」
ディアベルという指揮官の死は(実際のところまだ死んではおらず今目の前に息絶え絶えのご本人がいる)、レイド全体に影響を及ぼした。
指揮官がいれば簡単に処理できた事態にプレイヤー達は驚き、緊張が走り、動きが硬直してしまう。
この場にいる全員、楽観から醒めた。
死を、デスゲームの本当の意味を、ここが仮想現実であることを認識させられてしまった。
指揮官の犠牲という、最悪の代償と引き換えに(まだ死んではいないけれど)
幸いこういう不測の事態を考えるのは日常茶飯事だった、むしろうまくいかないことを前提に動くことのほうが多く、逆に最高の事態になったときに戸惑うことのほうが多かったような……
とにかく、この場ではその悪癖が幸いした。コボルドロードにふっ飛ばされ瀕死の状態の指揮官様の救助に誰よりも早く、だれよりも適切に対処できるのだから。
それに、あの時帰らずに、きちんとディアベルの戦略を聞いててよかった。
「おい! これを」
体力回復のアイテムをディアベルに渡すがそれを彼は拒む。
「頼む……ボスを……ボスをたうぉ!」
「逃げるな」
そんな感動的な死を遂げようとするディアベルの手を押しのけて口にさっさと回復アイテムを突っ込む、ここで死なれてたまるか。
「誰もなしえなかったボス攻略を計画した張本人が投げだすな。やる気がないんだったら俺に指揮系統を渡せ、ここで引くのと進むのではこれからに影響する」
「……っ、君に任せた」
甲高い耳をつんざくような金属音
すぐそばでは、キリトの持つ剣がコボルドロードの持つ《太刀》の芯を捉える瞬間が映った。
「ぐっ……アスナ、スイッチ!!」
隊列はバラバラだ、まともに機能する部隊がどれだけあるか……
「全員、隊列を整えろ! パターンCをそのまま続行だ!」
引き受けた以上逃げるわけにはいかない、幾度となく鳴り響く剣戟が戦いの恐ろしさを物語っている。
「みんな! 今はこのプレイヤーに従え!」
僅かながらパターンCに動く部隊が出てきた、これがディアベルの影響力か……やはりすさまじいな。
「お膳立てはしたんだ、後は頼んだ」
「何を言っている? お前も早く準備しろ。A隊・C隊は隊列を整えろ!」
「……わかった」
キリトは少し距離は遠いが現状最も射程が長いソードスキル【ソニックリープ】で一気に跳躍、何というか本当に恐ろしくタイミングがいい。
「C隊はその三人のサポートに回れ! F隊の2人は回復をしておけ」
「おうよ!」
C隊はエギルさんのいる部隊だ、一番立て直しが早かった彼らはすぐさまスイッチを行いキリトとアスナを後ろへ退かせる。
ボスの体力はあと少し。しかし、油断はいけない。
言わば次が鼬の最後っ屁ならぬ正真正銘の最後の攻防になることだろう。今は互いに待機状態、俺は情報のないあまりにうかつに動けないし、しかもコボルドロードはいつスタンが解けるかわからないためそう簡単に接近できない。
「ディアベル、行けるか?」
「もちろんだ!」
どうやらそんなに悠長に物事を考える暇はくれないらしい、おもむろに手に持つ太刀を薙ぎ払い、近づくなとばかりに牽制を入れてくる。
重い、流石に今の俺では押し返せない……けれど、まだ想定内、次は何が来る……?
あの3連撃のソードスキルか? それともあの範囲攻撃か?
時間稼ぎは大丈夫か? いや、まだ10秒くらいしかたっていない、せめて時間稼ぎをするのなら30秒は最低条件だ、まだ戦線復帰させれない。
悠長に相手もこちらの出方をうかがっているだろうという思考とは全く逆の行動をコボルドロードは起こした。それもそのはずだ、相手はプレイヤーをゲームオーバーにさせるためだけにプログラムを組まれた怪物なのだから。
筋違いの論理の組み立てはミスだ、その間予想外の攻撃、ディアベルたちの部隊は先ほど隊列を崩された攻撃にも彼は物おじせずに見事に防ぎ切った。
これ以上にない大きなチャンス、そのままA隊で止めを刺すのもいいが……
「F隊、スイッチ! 君も突っ立ってないで行け!」
ディアベル自らそういった、今回は譲るという意思の表れだった。
それがお前の出した結論なら、俺は従うまでだ。
「頼む、倒してくれ」
俊敏性を最大限に生かしてボスへ向かう途中、ディアベルが小さく呟いた。
もとよりそのつもりだ
「アスナ! お前も来い!」
自らを奮い立たせるためにとにかく叫ぶ、同じくキリトも。
一挙一動に集中しろ、それだけにすべてを注げ。
一歩、また一歩進むごとに無駄な考えは消えていき世界はどんどん停滞をし始める。
コイツと肩を並べるには俺では役不足なのが悔しいが。
キリトが上段からの斬り落としを弾こうとするや否や俺はソードスキルを発動させるべく、剣を構える。
片手剣突進技『レイジ・スパイク』
コボルドロードの剣技はキリトの剣技と交わることはなく、避けるようにその剣を引き付けながら再び下から上へ斬り上げる。
が、その軌道はキリトに届くことはなかった。
それより先に、抑え込む。互いにソードスキル発動中といえども、初動の動きと最大時のときの剣速や威力は後者のほうが力強い、それはステータスの大きな差すらも埋めてしまうほどに。
そのままの勢いで、コボルドロードの横を通り過ぎる、硬直時間には逆らえない。だが、心配する必要なんてどこにも見当たらない、このくらい計算済みだ。
終わりは近い、たかが第一層の攻略をしたくらいだ。先はまだまだ遠く果てしない、ほんの小さな一歩だ、果てしない望みにたどり着く唯一の方法。
「いけ、キリト……アスナ」
そして、その瞬間は訪れた。
「「おぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」」
雄叫びと共に、この世界の法則に身をまかせ突進する2人のプレイヤー。
2人の背中は小さく頼りなかったが、これから未来を暗示しているかのように眩く映った。
静寂が訪れる、後ろを振り向くと祝いの言葉が浮かんでいるのを確認すると大きく天井を見上げた。霧散するポリゴンがようやく勝ったと、先に進めるのだという実感をもたらしてくれた。
最後にとどめを刺したプレイヤーたちは、ペタリと床にへたり込んでいる。
「おめでとう、君たちの勝利だ」
「そりゃどうも」
「あなたこそ」
フードの下で笑う少女の笑顔が眩しかった。
仮面を被っていて照れ隠しをする必要などないのに。
少しだけ躊躇って出した両手を2人は笑いながらとってくれた。