上下
土屋奏はいわゆる、クラスでの『地味な少年』だった。気性は周囲からは大人しいとの印象を受けられており、窓際の一番後ろの席で風を感じながら文庫本を読むのが好きだった。ライトノベルではなく、東野圭吾や芥川と言った文学作品だ。クラス内のカースト制に関心を示さず、そのスクエアタイプのフレームから冷たい印象を他者に与えながらも、御構いなしにクラスの出来事や様子を捉えてきた。
小学生時代から続く、そのスタイルは卒業後も已然変わらずに中学に入っても極力人と関わるのを避けてきた。周囲もそんな土屋が人を寄せつけない雰囲気を放っていることもあり、中学入学時には声をかけてきた小学生時代の同級生も話しかけるのをぱったりと止めてしまった。
人は面倒だ、その点本は良い。
土屋はどこに行ってもそれだけを考えていた。大学卒業後は図書館の蔵書数の多い大学に通うつもりであるし、それなりに成績を収める息子に対して親は何も言うつもりはないらしい。
実に淡白な様子をこれまでの紹介から得られるだろうが、土屋には人とは違うものを持っていた。
それは、異能だった。
「トール、起きているか?」
『嗚呼、起きているとも。日中はな?タングリスニとタングリョーストもな』
『メェェェ……』
トイレの開けた窓際で初夏の風を感じながら、土屋の手鏡に映る赤髪の武人は不敵に笑ってタングリスニとタングリョーストと言った二匹の黒と白のヤギが鏡に近づいてくる。画面に主人であるトールを押しのけるように近づいてきたことによって、トールの姿が隠れてしまった。
タングリスニとタングリョーストは原典の北欧神話におけるトールの戦車を引く、山羊であって土屋自身の異能ーーペルソナ能力でもそれは変わりない。トールを元から宿す土屋ゆえ、普段からもタングリスニとタングリョーストを喚び出して戦車を引くことが出来るが、見てくれとしてはカッコつかないと思うのが常、しかし土屋がお気に入りらしいのでトールは『まるでロキみたいなヤツだな』と皮肉を込めた物言いをする。別に気にしなかったが。
「全部、本を読み終えると退屈で退屈で仕方ないんだよ。何か面白い話でもしてくれないか?」
『仮にも、俺はお前の半身なのだぞ?手前に今迄呼んだ本の内容を反芻されて面白いのか』
「そうか?面白いと思うけど」
『へんな奴だな、お前……』
高校に入ってからも、手鏡に話しかける行為は続いていた。否、生まれた時からの癖が抜け切れていないのもあるが。九鳴高校の生徒会長がヒラサカマヒロという生徒と共に失踪したという話を聞いてから二月の六月になって以降、やけにクラスの上位層グループが威張り出した。おそらく、『仁藤勢力』の右腕的存在であった桐谷さとみによる演説のせいであろう。『友人のいない生徒に指導を行った結果、生徒会長が行方不明になった』というのを聞き感触の良い言葉で飾り立てていたのが印象深い。名前は知らないが、人格者として知られる教師が実家は道場であって生徒会長と同じくして鍛錬に励んでいたという土屋が苦手なタイプの同級生の須藤慎太郎が生徒会長のことについて当たり障りのない言葉で語っていた。
そのありきたりでチープな言葉の羅列は気味が悪く、九鳴高校大講堂にいて気持ち悪かった。ちょうど、その言葉の後で生徒会側から打ち出された方針がクラスの結びつきを強くする、と言ったものであくまで一人で過ごしていたい土屋にとっては面倒臭いことこの上なかった。
「よう、土屋。また『かがみのおともだち』と話してんのかよ?」
「誰?」
生徒会の方針で新しく決まったもの、それが『クラス合同法案』。統一とも合一とも表記できる、『シンセイサク』ではクラスがクラス中に関心を向け秘密の共有をしあうのを目的とされて土屋のクラスでも同様のことが行われた。過去に起こした事件だかを声高に語る不良グループが気に食わないが、その日はもちろん土屋は休んだ。
普段から他者と関わり合いたくない土屋が素っ気なく人を跳ね除けたり、拒んでいたこともあって土屋に抱く不信感がクラス中の者が膨らみ、その日は土屋に対する不信感を吐露する会となった。
特にプライドが高く、ボンボンであった
何人かの取り巻きを引き連れ、噂では須藤道場の次期継承者とされる須藤慎太郎に須藤がよく一緒に行動するレイラ・ラインハルトを貶めたことで須藤に喧嘩を売ったという話が記憶に新しい。
レイラ・ラインハルトとは何度か特別授業にて席が隣同士になった程度だが、ゴスロリを着て目立つのを除けば比較的まともな人物であった。東郷のように突っかかってこないし、授業中は板書用のノートに完成度の高いラクガキをしているくらいで向こうからも土屋に関わろうとしない。
悪い意味で目立つとされるゴスロリ姿も名前のように北欧か東欧の白人の容姿をしているだけあって贔屓目に見なくても似合う。
「東郷猛さんだよ!覚えておけ、陰気屋!」
「せっかく東郷さんに話しかけられているのに何様だ陰気屋」
「なんだよ、お前ら。放っておいてくれよ、関わり合いになりたくないなら特に」
「ところが、そういうわけにはいかないんだな、これが。陰気屋、お前、クラス集会の日に来なかったろ?」
小学生時代によく呼ばれた、苗字の土屋と陰気屋をかけた不名誉なニックネーム。愛称というよりも蔑称と呼ぶに相応しい、東郷やその他取り巻きはずかずかと男子トイレに入ってくるなり東郷に対する扱いの雑さから憤りを覚えているようだ。
確か、最初のニキビ面が飯田で次の猿顔が三芝のはずだ。一年のときは何処か地味な面子のいるグループに所属し、東郷の取り巻きにはなってなかったが二年になってから東郷の取り巻きになったらしい。トールに「ごめん、また夜に」と言い残して折り畳み式の古い手鏡を懐に直すと、東郷らをスルーして教室に戻って読みかけのスウィフトのガリバー旅行記を読みに戻ろうとしたときだった。
飯田と三芝の二人によって唐突に正面から押され、尻餅をついてしまう。東郷の命令なくして人をも殴れないようなヘタレのはずだったが、いつの間に強気な姿勢に出てくるようになったのやら。
「あったな、そんな集会。小学生でもあるまいし、行かなくても構わないだろ?そんなのさ」
「そういう心がけだからイカンのよなぁ。誠に遺憾っ!なんつって!ギャハハ!」
ゲラゲラと笑っている東郷は面倒臭かった。取り巻きの飯田と三芝も同様にだ。ただでさえ劣悪な香りのする二人を不快に思うような素振りは見せているはずだが、東郷に脅されているのか反応なく、ただ棒立ちしている。クラスメートに飯田と三芝が話しかけられているのを目撃したことがあるが、二人共どもってしまって言葉が詰まってうまく話せないでいた。東郷ら他のクラスメートの男子はそんな彼らを面白がり、以前から土屋にも「お友達に言うことねえの?」と面倒臭い絡みを入れてくる。
そんな東郷らに辟易しながら読書を続けていると、流石に土屋のノリの悪さで興が冷めてしまったらしく場所を移動して武勇伝という名の恥自慢をはじめた切り替えの早さには驚いた。
「おい!なんか反応しろよ!コミュニケーションだよ、わかる?コミュニケーション!」
「……し」
「あ?聞こえねえよ、陰気屋!もっとハキハキ言ってみろよ、それとも、お前も飯田と三芝みたいな立ち回りしたいのか?別に俺はいいぜ、おともだちが増えるんだからよ」
東郷のヘアバンドをつけた頭部が迫ってくる。こうしてみれば、一部女子が東郷を容姿端麗と評するのに異議を唱えざるを得ない。パッとしない印象のない個性のない顔立ちゆえ、土屋には面白くもなんともなかった。髪を掴み、視線を逸らそうとする土屋と視線を合わせてしめたとばかりに見せる東郷のしたり顔。不快に思う人間の動作は全てが不快に思うのだな、と改めて思った。
「面倒臭いし、放っておいてくれよ。お前らと話す価値があることなんてない」
「なんつった、お前ェ!」
東郷の言う通りに「ハキハキと」、「意見を」、言ってみたところ土屋の長年の経験通りに東郷はキレた。否、東郷のようなタイプの人間はだろう。
この手の人間は「おら反抗してみろよ。できないだろう?チキンめ!」と煽ってくる癖、いざ反抗すれば今のような東郷の反応か怯えるかのに種類の反応を取る。
他人と関わりたいと思わないように土屋がなっていく原因としては、大半は対応が面倒臭いのが大きい。勝手に逆ギレしはじめる人種、不幸自慢しはじめる人種などなど挙げていけばキリがない。
土屋の胸倉を掴み、激昂する東郷はその中でも特に無駄にプライドが高く大声で怒鳴りつけて威張り散らす最も嫌いな人間だった。怒鳴り、罵り、よくもまあここまで悪口が並べられるもんだと土屋は感心した。途中、他のクラスやクラスメイトの男子が用を足しに来たときにこちらの状態に気づいたが、そさくさと済ませて帰ってしまった。東郷が暴力でも振るえば教師にチクリに行く生徒が一人はいるはずだが、大抵の東郷の実家を知る生徒は東郷家を敵に回したいと思わないようで、ご丁寧に二人っきりにしてくれる気まで遣わせてしまった。OneForAllOne、一人はみんなのためにみんなは一人のためにとはよく言ったものだ。
「だから、面倒臭いって言ったんだよ。お前みたいなやつとコミュニケーションするのが」
「調子こいてんじゃねーぞっ!」
大きく振り被りまして、東郷猛は拳を土屋に入れた。胸倉を掴まれていること、東郷と関わることへの面倒臭さを感じている土屋が避けようとしなかったこともあって土屋の頬は赤くなった。赤くなった頰に手を当てて抑え、早く冷やせばいいかなんて思っている間にも東郷は飽きずに怒鳴り散らしている。
早く終わってくれやしないだろうか、と思っていたときに視界に入った銀色の『ソレ』。『ソレ』が見えたとき、土屋は本能から無意識に自身のペルソナ・トールの戦車を引くタングリスニを喚んだ。
「おい、なんだよ!?そのヤギは!」
「タングリスニ、『ジオ』」
『メェェェ…』
唐突に土屋の傍らに現れた、山羊に東郷は焦りを隠せない。土屋は雷神トールの山羊ゆえ、トールよりも弱くとも微弱な雷を出すスキル『ジオ』をタングリスニに出させると、タングリスニの角から放出された微弱な雷エネルギーが東郷にぶつけられた。
突然起きた超常現象に反応できずにいた東郷はその手を離し、自分よりも背の低い土屋を落とした。
そこそこ広い男子トイレ、少なくとも雷神トールの山羊といえど山羊である。スペースは十分であった。気がつけば飯田と三芝の姿はなく、一人だけ『化け物』の前に放って置かれた東郷は舌打ちした。
「三芝ァ!?飯田ァ!?置いていきやがったな、お前らァ!どんな方法を使ったか知らないがな、タダで済むと思うなよ!?い、今のうちにその山羊をどうにすんなら許してやらんこともないぞ!」
「動くなよ、狙い定めるのが面倒だろ。そのままにしてろよ。タングリスニ、『ジオ』」
いなくなった取り巻きに悪態を吐き、土屋に暴言を吐くが現場に気づくと命乞いをはじめた。土屋は実に楽しそうに口元を歪め、黒山羊に命じた。