主戦騎手のインタビューと回想録形式です
夢の中で、
厳密にいえばビデオではないのかもしれないが、テレビ画面に映し出される映像が過去の自分と彼女――「サチ」のレース集だったので、ビデオが回っているんだと、そういうふうに現状を把握していた。
自宅のソファに腰かけながら、淡々と蹄跡を振り返っていく。
ふと隣に気配を感じて視線をやると、高校生くらいの少女の姿があった。彼女もまた画面に釘づけになっていた。
見知った顔ではなかった。暗い茶色の髪の毛を後ろでまとめた少女の顔は、これまでの長介の記憶にはどこにもいなかった。だが、不思議と親類縁者あるいは友人のような、違和感のなさというか、気の置けなさを感じた。
改めて画面に視線を戻す。レースを見ていると、その時の場面がありありと思い出されてきた。その時の精神状況や、息遣いや、風を切る音や蹄の音まで蘇ってくるようだ。
走馬灯、そんな言葉がふとよぎった。
それならそれもいいか。長介が独りごちると、隣の彼女の丸い瞳が彼を射抜いていた。
ややあって、少女は微笑んで長介の胸元に顔を埋めてきた。長介もまたそれを受け入れて彼女の後頭部と後ろでひとまとめにされている髪を撫でた。
なんだか懐かしい感覚だった。
『チョーさん……』
あどけない少女の声が鼓膜を揺さぶった。
その直後、彼の意識は覚醒し、自らの手術が無事に終了していたのだという事実を知った。
※
晴駿12月号 「名騎手が愛した名馬たち」より
天才と謳われた騎手を襲った突然の病、そして引退から幾つも月日が流れた。
彼の胸中を知るべく我々は取材を重ねてきた。
デビュー。初勝利。かけがえのない名牝との出会いと別れ。恩師。盟友――
これは本誌独占インタビューである。かねてから交流のある筆者に対して、彼は素顔で話してくれた。
天才と呼ばれながら三十歳という若さでステッキを置いた末永長介という人間がどのような道を歩み、どんな思いでターフに別れを告げたのか。
(中略)
――さて、それでは末永さんのキャリアを語るうえでは絶対に外せない牝馬の話に移りたいと思います。これは既に聞いたり文章になったりしていることではありますけど、サーチライトという競走馬の第一印象について聞かせてもらえますか。
『藤坂先生(故・
――最初から特別な存在だったというわけではなかったんですね。
『ええ。ですけど、スピードに乗ったら誰も追いつけないんじゃないかと思うくらい速かったので、競馬を覚えたらいいところまで行けるかな、とは思っていました』
――藤坂調教師は「クラシックを獲れる」とおっしゃっていましたが、末永さん本人の手応えとしては?
『オープン入りはできると思いました。ですが、先生はあまりこういうことを言わない方なので「これはもしかしたらもしかするかも」とも思いました。実際は、まさに先生の言った通りになりましたね』
――デビュー戦は新潟の芝・一六〇〇メートルでしたが・・・
『どうにかなだめたかったんですけど、完全に場に呑まれちゃってたみたいですね。ゲート練習もだいぶしたんですけど、本番で成果が出ませんでした』
――ゲート難はその後も続きましたね。
『どうしても子供っぽいところがあったので、そのせいでしょうね。桜花賞くらいまではまだまだ子供という感じで、オークスの前くらいからようやく本格化してきたな、と感じました。その頃になるとゲートも克服してくれました』
※
「サチ、お前もやっと競馬を覚えてきたみたいだな」
たてがみを軽く撫でて、長介はそう語りかけた。もちろん返事などない。相手は馬なのだ。
輪乗りの最中、じっとりとした汗の感触を拭い去るように手綱を持つ手に力を入れた。
するとふいに彼女が脚を止めた。
何事かと思い手綱を緩める。顔を横に向けた彼女は、いたずら好きの子供のように舌をぺろりと出して片眼だけ瞬きをしてみせた。ちょうどウインクのように。
いつものやつか、と長介は相好を崩す。
これは彼女の、サーチライトの癖なのだ。調教の時もたびたびするもので「さあこれから走るぞ」というようなものだ。ある種、ルーティーンなのかもしれない。
長介の中でもこれは合図だった。彼の中に心地良い緊張とアドレナリンが走る。
※
末永長介が初めて重賞を勝利したのは四年前。彼がデビューした年だった。新人騎手の身でありながら卓越した技術と強心臓で六十近い勝ち星を積み上げて、最多勝利新人騎手の座を手にした。翌年、翌々年もまた前年を上回る勝利数を挙げ、減量特典も早々に返上、重賞勝利の数も増えていった。有力馬の騎乗依頼も多く舞い込むようになった。
GⅠの騎乗依頼も来るようになったが、末永はそのチャンスをものにできずにいた。
惜しい二着こそあったものの、箔として「一番」と「二番」の差はあまりにも大きい。
焦っているわけではなかったが、このままでいいとは思わなかった。だからこそGⅠの舞台では気合いが入ったが、同時に力みもあった。
「末永は大舞台に弱い」と揶揄されたこともある。「不完全な天才」と呼ばれたこともあった。
サーチライトと出会った時、末永は「わんぱくな牝馬が来たもんだ」と思った。人懐っこい性格で、末永や厩務員が近くに来ると馬房からいなないたり顔を近づけてきたりした。リンゴを好んで食べ、馬の好物という印象の強いニンジンはむしろ嫌っていた。
一番人気と期待されて臨んだデビュー戦は、ゲートで失敗し終始最後方からの競馬になった。末永自身、スタート直後に落馬しかけるほどに体勢を崩したがなんとか持ちこたえてどうにか回ってきたという感じだった。レース後は藤坂調教師から「仕方ないね。これも経験」と声をかけられた。
気を取り直して挑んだ二戦目は、最速の上がりを叩き出して驚くほどあっさりと勝利を収めた。持ったままで四馬身差。
三戦目、四戦目もそこまで労せずに勝ち星を挙げることができた。この頃になると、調教師だけでなく末永自身もクラシックを強く意識するようになっていた。
迎えた桜花賞。二歳女王となった牝馬と人気を二分しての二番人気に推されたサーチライト。鞍上は若き天才。不安は彼女の気性だけだった。
だが、陣営の不安は的中する。パドックから激しくイレ込み、ゲート裏では切れた口から血が滲んだ。スタートは出遅れ、後方からの競馬を余儀なくされた。
それでも、サーチライトは我々の想像を遥かに超えた末脚でGⅠの座を射止めた。末永にとって初めてのGⅠ勝利でもあった。
――このGⅠ勝利は、サーチライトはもちろんご自身にとっても初めてのGⅠ勝利だったわけですが、どうでしたか?
『検量室に引き揚げてきたら、藤坂先生が泣いていて、それを見て僕も思わず……という感じでした。若手の先輩や、オーナー(故・
――本当の意味で末永長介が天才としての歩みを踏み出した瞬間だったかもしれませんね。
『GⅡ・GⅢは勝てるけどGⅠだと勝てない、というのは自分の中でも超えないといけない壁だったので、それがようやく超えれたかな、と』
――それから一か月後のオークスでは挑戦者ではなく女王としてライバルを迎え撃つという格好になりましたが、その過程で末永さんには気持ちの変化はありましたか?
『はい。ありました。先程言ったようにサチが精神的に成長してきたということが実感できたので、ある程度どんな形でも対応してくれるだろうと思うようになりました』
――おっしゃるようにオークスでは先行集団にとりついて上手く折り合い、直線で抜け出して優勝。最後のほうはわりと抑えめでした。このあたりで自信が確信に変わった、といってもいいんじゃないでしょうか?
『そう、ですね。彼女も、僕も、ひとつ精神的に強くなったことで余裕ができたのか、呼吸が合ってきた。それまではビッグレースになると「どういう作戦でいこうか?」って考えたりしてたんですけど、「自分達らしくやれば負けない」という自信が持てたというのが大きいですね』
(中略)
古馬になってからもサーチライトと末永の快進撃は続いた。春シーズンに三戦三勝(うちGⅠ二勝)を挙げると、凱旋門賞のプレップレースであるフォワ賞への出走が決まった。まだ二十代の若者であった末永は最高の相棒に大きな期待と信頼を寄せていた。
「サーチライトは間違いなく世界で通用すると思っていましたし、自分の腕がどこまで世界で通じるのかを試してみたかった」
しかし思わぬところで末永は試練に直面する。
騎手になってからはもちろん、生涯初となる海外遠征で、彼はコンディションを維持することができなかった。
「大変でしたね。水が合わないのか、食べ物なのか、気候なのかなんなのか……。下痢が続いて。来たばかりの時はひどかったです」
※
フランスで滞在している厩舎から調教場所である競馬場までの道のり。その道中、汗だくの長介の意識は朦朧としていた。前夜から続く高熱にうなされていたのだ。
跨っているサーチライトが頻りに脚を止めるので、そのたびに彼は前に行くように促した。だが、次第に手綱を握る手にも力が入らなくなってきた。
長介はとうとう馬から下りて、そのまま意識を失ってしまった。
――どれくらい経っただろう。
ぼんやりと瞼を開けると、黒鹿毛の馬体が真っ先に飛び込んできた。
眼が合うと、木にもたれかかるように座り込んでいる自分の胸元に鼻先をすり合わせるように顔を近づけてきた。馬房でよくやるアレだ。
ただ、薄く開かれた自分の目にはそれが古いフィルムの映像を見ているかのように思えた。現実味がない情景だった。
「あ……」
物憂げな彼女の表情に気がついて、小さく声を漏らした。
馬に感情があるのかどうか、長介にはよくわからない。ただ、少なくとも彼女に対しては、そういうものがあるんじゃないかと思っていた。人間においても感情の機微がはっきりしているタイプと、そうではないタイプがある。それで当てはめると恐らく彼女の感情の機微はわかりやすいほうなのではないか。喜怒哀楽がはっきりしている、表情豊かな女性になるのではないか、と。
何の気なしに取り留めのない妄想を膨らませると、思わず笑みがこぼれた。
「情けない騎手でごめんな……」
自嘲気味に言うと、彼女は否定するかのように首を振っていなないた。
「お前、馬のくせに人間味あるよな」
※
三冠牝馬で、凱旋門賞に挑むというプレッシャーは計り知れないものだった。
これまで日本の競馬が幾度も挑戦し、跳ね返されてきた巨大な壁。極東の小さな島国で「天才」と呼ばれた少年も、その重圧には苦しんだ。
しかし、フォワ賞での勝利が彼に落ち着きを与えることとなった。
着差こそ際どいものであったが、接戦をものにしたという感覚は彼らにとって確かな収穫だった。また、徐々に末永がフランスの風土に慣れてきたことも陣営に安堵をもたらした。
いよいよ初の凱旋門賞制覇か、と機運が高まるなかで迎えた凱旋門賞。
二番手の位置につけ、絶好の手応えでレースを進めるサーチライト。ただ、あくまで末永は無心でレースを進めた。
最終コーナー、壮絶な追い比べは写真判定にまでもつれた。
結果は二着だった。
――あの二着は、本当に惜しかったと思います。僅かな差でした。
『でも、ゴールした瞬間に「差されたな」っていう感覚はありましたね。フォワ賞の時もほとんど同じシチュエーションでしたけど、その時と違ってすぐ「負けたな」と思いました』
――あえて敗因を挙げるとするならば何でしょう。
『…………敗因ということではないかもしれないですけど、人馬どちらもベストな状態で臨んで、あの着差だったので、もう「運」としか言い様がないですね。力の差はなかったと思いますよ。ベストレースでした』
陣営は失意に暮れることもなく、早くも翌年の凱旋門賞出走を宣言。リベンジを誓う。
しかし、その直後に突然の訃報が舞い込んでくることになる。
帰国後はジャパンカップへ向けて調整をする予定になっていた。しかし、日本に帰って来てから二日後、馬房で眠るように亡くなっているサーチライトの姿が発見された。心不全だった。
「大きな怪我もなく、ずっと頑張ってくれていた馬なので、とても驚いていますし、残念でならないです」
「最後まで夢を見せてくれた、馬主孝行な馬でした」
藤坂、幸野の哀悼の言葉とともに、末永も相棒との突然の別れを惜しんだ。
「信じられない、というのが率直な気持ち。僕にとってどこまでも特別な存在でした」
六つのGⅠタイトルと、凱旋門賞二着を置き土産に、名牝サーチライトは短すぎる生涯に幕を下ろした。
その後、末永にとって「名馬の条件」は、「彼女にどれだけ近づけるか」というものになっていった。
ダービー、天皇賞、有馬記念といった大レースにも勝利し、全国リーディングジョッキー、さらには騎手大賞にも輝いた。末永長介はまさに名実ともにトップジョッキーになったのだった。
そんな末永に転機が訪れたのは三十歳の時だった。脳梗塞を発症し、長期の療養とリハビリの日々を過ごすことになった。
しかし、実はその前から彼は「引退」を考えていた。
――引退を決断されたのはどの時期だったんでしょうか。
『実は入院する前から引退のことは考えていました。具体的な時期までは決めてなかったんですけど、「あと数年……ここらへんかな」と思ったんです』
――それは何故ですか?
『その前の年に怪我をしたり、色々なことがあったので、段々と引き際を考えるようになったんです。後は同期や後輩にも辞める騎手がいて、自分がどこまでやれるのかを考えたこともありました。なので早くから調教師に転向することは考えていました。で、病気になって「そういうタイミングなんだな」と、かえってすんなり決断できましたね』
(中略)
――末永さんにとってのサーチライトはどんな存在ですか。
『ちょっと……ひとことでは言えないですよ』
――様々な思いがあると思います。
『三冠や凱旋門賞といったキャリア的な意味でのターニングポイントでもありましたけど、それ以上に、彼女との日々を通して僕の中のホースマンとしての芯の部分が形作られていったと思います。技術だけでなく、競馬に対する向き合い方という面でも。嬉しいことも悔しいことも悲しいことも、いくつも与えてくれました。それが無かったら「末永長介」は今ここにいないわけですし。今でも彼女のようなサラブレッドに出会えたらと思っていますけど、きっともうあんな馬には出会えないとどこかで思っているんです』
――もし今、サーチライトに言葉をかけるとしたら。
『言葉、ですか……。まあ相手は馬なので会話はできないんですけど、やっぱり感謝の言葉を言いたいと思います』