スプリングタイムス 20XX年 4月△◇日
フォーユアアイズ14着惨敗 郷田「自分のミス」
朝日杯FS勝ち馬にして皐月賞一番人気に推されたフォーユアアイズがまさかの大敗。
スタートで出遅れ後方からの競馬を余儀なくされ、終始外々を回り、直線追い出してからも前に迫れず馬群に沈んだ。
前日の雨により渋った馬場も影響したのだろうか。
最初の一冠は見せ場なく終わり、無敗三冠への夢はあっけなく途絶えた。
郷田ひとみ騎手は「馬の力を引き出してあげられませんでした。自分のミスです」と絞り出すのが精一杯だった。
次走は日本ダービーに進む予定。
※
ダービーを勝てたら辞めてもいいという騎手がいた。
ダービーを勝って燃え尽きてしまった馬がいた。
誰かが言った。
『ダービーは他のレースと違うんですよ。勝った後、街で「よっ、ダービージョッキー」って声かけてもらえるようになったんです。もちろん知らない人です。そんなの初めてでした。これまで他のGⅠを勝ってもそんなこと一度も無かったのに。それくらい格別でしたよ』
父が掴んだ栄光を子が――
父が果たせなかった栄光を子が――
意地と誇りがぶつかり合う頂上決戦の火蓋が、間もなく切って落とされる。
※
東京優駿(GⅠ) 東京芝・左/2400メートル
サラ系3歳オープン (国際) 牡・牝(指)(定量)
① 1 フリップフロップ 牡3・栗東 57 シンガー 皐月賞3着(3.0.1.0) 先行
① 2 ストロングケミカル 牡3・栗東 57 清水段 皐月賞8着(2.2.1.2) 差し
② 3 ヒゲパウダー 牡3・栗東 57 星 プリンシパル1着(2.2.2.3) 差し
② 4 ヴァンダーファルケ 牡3・栗東 57 ハリス 皐月賞5着(3.0.1.3) 先行
③ 5 ペンサールテック 牡3・美浦 57 立 石 青葉賞2着(2.2.1.1) 逃げ
③ 6 モミノキ 牡3・栗東 57 梁 田 皐月賞2着(3.1.1.1) 先行
④ 7 マゼンダマーチ 牡3・美浦 57 芦 名 皐月賞13着(3.0.0.2) 先行
④ 8 クリアウォッチ 牡3・美浦 57 松 崎 NHKマイル3着(3.0.1.1) 差し
⑤ 9 ブエンウモール 牡3・美浦 57 伊福部 皐月賞15着(2.3.0.3) 逃げ
⑤ 10 ミズサキテラー 牡3・栗東 57 御法川 京都新聞杯1着(3.0.1.4)先行
⑥ 11 ドリームメイカー 牡3・栗東 57 王 子 皐月賞1着(4.0.0.0) 差し
⑥ 12 トランジスタ 牡3・美浦 57 内 川 青葉賞1着(2.1.1.3) 差し
⑦ 13 フラジールソング 牡3・栗東 57 和 久 皐月賞4着(3.0.0.3) 追込
⑦ 14 シンプルプラン 牡3・美浦 57 井 浦 皐月賞6着(2.1.1.1) 先行
⑦ 15 モトム 牡3・美浦 57 関 NHKマイル12着(2.1.1.3) 追込
⑧ 16 ミセリコルディア 牡3・栗東 57 清水諭 京都新聞杯2着(2.2.1.2)先行
⑧ 17 プロセニアムアーチ 牡3・栗東 57 永 吉 毎日杯1着(3.1.0.0) 差し
⑧ 18 フォーユアアイズ 牡3・美浦 57 郷 田 皐月賞14着(4.0.0.1) 差し
単勝オッズ上位
11 ドリームメイカー 3.1
6 モミノキ 5.7
1 フリップフロップ 6.3
17 プロセニアムアーチ 8.8
18 フォーユアアイズ 9.0
12 トランジスタ 12.5
『本命一番人気はドリームメイカー。皐月賞ではライバルのフォーユアアイズとフリップフロップを抑えての貫禄勝ち。デビュー4連勝で初GⅠ制覇。無敗の王者、府中の舞台へ。鞍上の王子進之助は6度目のダービー制覇へ視界良好』
『本命ドリームメイカーを追うのはモミノキ。皐月賞ではドリームメイカーに食い下がりGⅠの銀メダルを手に入れた同馬。最高の舞台で目指すは黄金の輝きのみ』
『皐月賞3着の雪辱に燃えるフリップフロップも上々の仕上がり。絶好の枠を引き当てて運も向いてきた。ブルーノ・シンガーの手綱さばきに注目』
『プロセニアムアーチが4番人気に支持された。毎日杯からのローテーションも、ダービー制覇へ自信。豪脚は炸裂するのか』
『まさかの大敗を喫した皐月賞。今回は人気を落としたものの地力は間違いなくメンバー上位。郷田ひとみとともに不退転の決意で復活を期す』
『青葉賞勝ち馬トランジスタは東京コースで3戦2勝二着1回。地の利を活かして大物食らいへ』
※
『五月晴れの東京競馬場。今年も世代の頂点を決める東京優駿――日本ダービーの日を迎えました。
天候は晴れ、芝・ダート共に良のコンディション。
本日の実況は、私坂本謙一。解説は小野田マサヤさん、ゲストには現役時代に三冠馬シンレミゼラブルでダービーを制覇した元騎手で競馬評論家の工藤優吾さんにお越しいただいております。それでは小野田さん、工藤さん、今日はよろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
『えーそれでは、工藤さんにお聞きしますが、シンレミゼラブルでダービーを勝利された時は一番人気で、しかも無敗で皐月賞を勝ってのダービーの舞台だったわけですが、その時はどんな心境だったのでしょうか?』
『そうですねぇ。とにかくすごい馬で、一番強いんだと信じて疑わなかったので、もうここまで来たら、後はやるだけだという気持ちでしたよ。ハイ』
『今年はドリームメイカーが土つかずで皐月賞馬となってこのダービーを迎えたわけなんですが、王子進之助騎手の心境というのも、その、工藤さんと似ているんでしょうか?』
『いやあ、そんなそんな。彼は僕よりよっぽどダービーを勝ってるし、きっと楽しんで乗ってると思いますよ。なんてったってお祭りですから』
『そうですね、今日の入場者数は発表によると十四万人。ダービーの大一番を見ようと多くのファンが東京競馬場に集まっている模様です。
そして王子騎手はこれまで五度、ダービージョッキーの栄冠に輝いています。そんな天才、最強の人馬に挑むのは、皐月賞二着のモミノキ、同三着でGⅠ馬のフリップフロップ、毎日杯1着のプロセニアムアーチといった顔触れですが、なんといっても注目はフォーユアアイズですねマサヤさん』
『ええ、女性初のダービージョッキーが誕生する瞬間を見れたら、それはすごいことですよね。前走はちょっとね、馬場も渋って100パーセントのパフォーマンスじゃなかったですけど、今日はきちんと修正してきてると思います』
『はい。無敗の三冠という目標を掲げ、弥生賞を制し、大本命に挙げられた皐月賞では悪夢の14着惨敗。今日も大外枠の18番からのスタートと、条件は有利とはいえません。しかし、陣営、そして郷田ひとみ騎手のダービーにかける強い想い。一部では騎手の交代も噂されていましたが、やはり鞍上は郷田ひとみ。不退転の覚悟で臨みます。
東京優駿――日本ダービー、間もなく発走です』
※
――皐月賞大敗後、
「アタシをアイズから降ろしてください」
ひとみは迷いなく言った。
「皐月賞はアタシの騎乗ミスです。三着までならまだしも、二桁だったら言い訳のしようもありません」
GⅠ馬とは思えない体たらくの大敗。単勝一倍台に推されながら、皐月賞では期待を裏切る結果となってしまった。
フォーユアアイズを管理する大塚保夫は、神妙な面持ちで彼女の言葉に耳を傾けた。数年前にフリーとなったものの、この二人の関係は『師弟』そのものだった。
「この馬は、負けちゃならない馬だったんです。皐月なんか序の口で、三冠を勝てる馬だったんです。でも、アタシが戦績に傷をつけちまった。このままじゃ、オーナーにも、おやっさんの顔にも泥を塗っちまう」
「スジ、通そうってのか?」
ひとみは黙ってうなずいた。
並の馬ならまだしも、高い能力と素質を秘めたサラブレッドだ。義理堅い性格の彼女は、不義理を働くような自身の騎乗が許せなかった。
皐月賞後、彼女自身もトンネルに入ったかのように成績が落ち込んでいた。
「最後、決めるのはオーナーとおやっさんですけど、アタシは、フォーユアアイズは別の騎手が乗ったほうが良い結果を残せるんじゃないかと――」
「ナマ言ってんじゃねえよ小娘」
「――!」
腹の底から響くような低い声。ひとみは背筋をピンと伸ばした。
「なにがGⅠ勝っただ、リーディングだ。俺に言わせりゃお前なんざまだまだガキだ。いい馬に乗せてもらって勝てるようになって、いい気になってんじゃねえよ。乗るか降りるか、お前ごときが決めれるワケねえだろ」
「…………」
「お前が乗らねえってんなら誰を乗せりゃいいんだ? 王子も外人も埋まってんだ、空いてる騎手なんてたかが知れてる。それともサチでも乗せるってのか?」
「それは……その……」
「ダービーはお前で行く」
大塚は力強く宣言した。その目にこもる炎のような意志を、ひとみは見た。
「オーナーには俺から言う。だけど、これっきりだ。お前が言う通り、アイズにおいそれと敗北は許されねえ。ダービーで勝てなかったら俺からはもう何も言わねえ。菊もアイズに乗りてえんだったら死にもの狂いで勝て。それだけだ」
「おやっさん……いいのかよ?」
「いいも悪いもあるか。俺は調教師として、ダービーを勝てる最善の方法を選ぶだけだ」
かつて騎手だった大塚が届かなかった頂。彼は、その夢を託すのだ。白髪頭で定年間近の老兵が、一頭の夢を、一人の男勝りな弟子に。
大塚は目を細めた。
「いい馬にいい女。俺たちの時代とはすっかり変わっちまったが、案外悪くねえや。勝てよ、ひとみ。お前ならやれるさ。伊達に大塚厩舎の門を潜っちゃいねえんだからよ」
「おやっさん……」
「お前はいい乗り役だ。俺が保証する。思いっきりぶちかましてこい」
ひとみは、その言葉に応えることができずに、小さく涙声を漏らした。大塚は、目に入れても痛くない――愛娘に向けるような優しげな眼差しを向けて笑っていた。
※
『スタートしました。18頭揃った良いスタート。
先行争いは4番ヴァンダーファルケが行きました。続いて5番のペンサールテック。気合いをつけて9番のブエンウモールもハナを争います。
一番人気のドリームメイカーは馬群の真ん中あたりにつけました。1コーナー回って行きます。
先頭は5番ペンサールテックと立石智弘、リードは二馬身。二番手は9番ブエンウモールと伊福部元樹がいきました。三番手4番のヴァンダーファルケ鞍上はエヴァン・ハリス、早めの競馬。外は6番のモミノキ、梁田初幾は2年連続のダービージョッキーへ静かに闘志を燃やす。ここで各馬第2コーナーカーブ。
1番フリップフロップとブルーノ・シンガー手綱をしっかりと持って皐月賞三着馬も好位の一角。京都新聞杯勝ち馬10番ミズサキテラーが半馬身差で続きます。内目を通っては7番マゼンダマーチと芦名勝、悲願のダービー制覇なるか。そしてここにいました皐月賞馬11番ドリームメイカーと王子進之助、抑えて七、八番手。無敗ロードは淀へと続くのか。スプリングSを勝利した14番シンプルプランと井浦がそれを追います。半馬身切れて16番のミセリコルディアは清水諭、インコースに2番清水段ストロングケミカルと兄弟で続いています。青葉賞馬12番トランジスタと内川秀樹は後方から。
1000メートル通過タイムは60秒7と表示されています。
外目17番プロセニアムアーチと永吉真琴も末脚に賭けます。皐月賞四着13番和久とフラジールソングがその後ろ。そしてピンクの帽子フォーユアアイズはここです。18番フォーユアアイズと郷田ひとみは後方から3、4番手の位置につけました。3番ヒゲパウダー、15番モトムがそれを追う。最後方が8番クリアウォッチと松崎卓篤。こういった展開で、前から後ろまで十馬身程度。先頭代わってブエンウモール。二番手にはヴァンダーファルケがつけました。王子進之助の手はどこで動くのか。フォーユアアイズはまだ後方、直線勝負に打って出るのか』
※
『優勝、郷田ひとみ選手』
『うわ、ゴリラが来たぞー』
『ひとみちゃん、お願いだからわたしたちのグループに入ってこないでね』
小さい頃から力――腕力は強かった。空手の大会で優勝できるくらいに強かった。
両親からは、自分の為だけに力を振るわないように教え込まれた。アタシはその言いつけを守った。
そして、力による暴力よりも言葉による暴力のほうが、相手に深い傷を与えるのだと思い知った。
『ぼくたちは、確かに世の中からはみ出してるかもしれない。だけど、はみ出したところで、それが間違いかどうかなんて誰にも分からない』
『ひとみがどう思ってるかは知らないけどね、ぼくたちのことを決めれるのは、ぼくたちしかいないんだよ』
環境が変わって、色んな考えを持つ友人に巡り会えた。
見てくれも、中身も、ありのままを、対等に受け入れて接し合えることがただただ嬉しかった。
馬に出会ったのも、この時期だった。
プロの競馬の世界に飛び込んで、何度も壁にぶつかった。
『女の乗り役はね、本質的に競馬をナメてるんですよ』
『ゴラァ! 危ねえじゃねえか! どこ走ってやがる!』
『ヘタクソー! もう二度と来るんじゃねえ!』
『女はいいよなぁ、
心無い言葉を言われる度、頭に血が上った。
悔しかった。不甲斐なかった。
ただ、言葉で何を言っても、何も変わらない。騎手なら結果を出すしかない。
『郷田ひとみ、平地GⅠ初制覇! 重たい扉が、とうとう開かれました!』
『グランプリ制覇ー! 郷田ひとみが、また一つ新たな歴史を創った!』
悔しさを糧に、ひたすら乗り続けた。
『そこいらの甘っちょろい女とは違うようだが、俺は特別扱いしねえぞ。馬房の掃除でもしてろ』
『なんだ、上手くなったじゃねえか』
『フリーになろうがなんだろうが、またいつでもウチに来い、しごいてやるからよ。はっはっは』
『お前が結婚する時が来たら読んでやるよ、祝辞。楽しみにしてるぜ』
頑固な師匠だった。
いつしか、実の父と同じくらいかけがえのない人になっていた。
『ひとみさんは、私の目標です。いつか私もGⅠを勝てる騎手になります。なってみせます!』
『郷田騎手は日本を代表する素晴らしい騎手で、ライバルです。前時代的な価値観は、彼女には不要ですし、邪魔でしかないと思います。ボクも、彼女に負けないように来年もリーディングを守れるように頑張ります』
『先輩の威厳に関わるから、あたしももっと勝たなアカンね。ま、なんにせよ郷田はこの程度で収まる器やない。もっともっと上を目指せるヤツやねん!』
色んな騎手と出会った。色んなホースマンと出会った。色んな馬と出会った。
皆、絶えず変わり続け、絶えず成長し続けるのだと知った。
アタシは――郷田ひとみは、どこまで行けるだろうか。
そのひとつの答えが、この二分三十秒とちょっとにあるはずだ。
フォーユアアイズは、まだ、その時に備えて力を溜めている。はじけるのは、もう少し先だ。
※
『三・四コーナー中間、大欅を通過して先頭は依然としてブエンウモール、リードは一馬身。徐々に後ろとの差が詰まってきました。二番手はペンサールテックと外を突いてヴァンダーファルケ。ドリームメイカーはまだ中団で前をうかがう。フォーユアアイズ郷田上がってきた、前を捉えられるか。
4コーナーから直線コース。先頭ブエンウモールほとんど差が無くなって競りかけるペンサールテック、ヴァンダーファルケも並んでくる。
追い上げるフリップフロップ前三頭に接近。モミノキも脚を伸ばしてくる。
先頭代わってフリップフロップだ! 並びかけるモミノキ! 坂を登る! 泣いても笑ってもあと200!
ドリームメイカーが来た! 鞭が入って王子進之助六度目のダービーへ飛んできた! 先頭に立った!
しかし大外から! 大外からここでフォーユアアイズ! 先頭まで二馬身、一馬身、かわしたかわした!
フォーユアアイズ後続との差を広げる! 二馬身、三馬身! 突き抜けたフォーユアアイズ!
今! 日本競馬の歴史が変わる! 史上初、女性騎手がダービーを制した! フォーユアアイズ、一着でゴールイン!
勝ったのはフォーユアアイズ!
今日は!
競馬の歴史が大きく動きました!
郷田ひとみダービー初制覇! 2歳王者が、皐月賞での悪夢を振り払う圧巻の走りを見せました!
ダービーの――三歳優駿の頂点に輝いたのはフォーユアアイズ! 続く二着には一番人気ドリームメイカー、三着には最後追い込んだフラジールソングが食い込んできました。四着争い以下は写真判定で1番フリップフロップ、6番モミノキ、8番クリアウォッチ、17番プロセニアムアーチが横一線で入線しています。
ですが一着から三着までは18、11、13とすんなり表示されました。タイムは2分23秒7。
道中じっくり脚を溜めて、直線追い出してからは一頭段違いの末脚。王子進之助の六度目のダービー制覇を打ち砕いたのは、リベンジに燃える若き闘魂の持ち主でした。世代最強の座、そしてダービー馬の称号を見事に手にしました。
……工藤さん、遂にこの日が来ましたね』
『来ましたね。……もう、お見事な競馬ですよ。前走が前走なだけにプレッシャーも、あったと思うんですけど、大したものですよ。馬の力を信じて、自信を持って乗ったんじゃないでしょうか。ええ……もう、ケチのつけようがない勝利だと思います』
『前走大敗、大外の18番。不安要素もあった中での勝利でした。マサヤさん感想はいかがですか?』
『大外でしたけど、郷田騎手は慌てずにレースしてましたよね。終いの脚を生かせるっていう展開も向いたんじゃないでしょうか。それにしても、すごいですよね。二着のドリームメイカーも、たぶん理想通りのレース運びができたと思うんですよね。ロスなく回って最後も伸びてきましたし。だけどね、それでもその上を行くっていう、圧倒的な強さがフォーユアアイズにはありましたね。しっかり強さを見せる勝ち方でした』
『東京競馬場には大歓声がわき起こっています。
さあ、ダービー馬フォーユアアイズとダービージョッキー郷田ひとみ、歓喜のウイニングランです。
女性として、騎手として、これまで様々な記録を打ち立ててきました。新人ながらあの王子進之助を抜いて新人最多勝利の歴代一位の記録。デビュー三年目にして平地GⅠを勝利、長い日本競馬の歴史において、女性としては史上初めての平地GⅠ制覇でした。昨年はGⅠ三勝と、初めての全国リーディング最高勝率騎手も獲得しました。
皐月賞後は、彼女自身苦しい時期が続きました――天皇賞とNHKマイルCを二桁着順で連敗し、先週のオークスで二番人気に推されたウィスタリアの五着がGⅠでの最高着順でした。今日は、この1ヶ月の悔しさを晴らすような勝利。
フォーユアアイズの大塚保夫厩舎に、郷田騎手はかつて所属していました。師である大塚調教師に初めてのダービートレーナーの栄誉をプレゼントしました。
今、噛みしめるようにガッツポーズ。ゴーグルの奥、その瞳には大粒の喜びの涙が浮かんでいることでしょう。
ゴーグルを外して……やっぱり涙が隠せません。普段気丈な郷田騎手も、感情を抑え切れません。場内からは大きな歓声と拍手が送られています。
あ、今笑顔で、笑顔で地下馬道へと引き上げていきます。今年のダービーを制したのは、フォーユアアイズと郷田ひとみ――』
※
日本ダービー レース後コメント
1着フォーユアアイズ(郷田ひとみ騎手)
『道中はすごくいい手応えでした。前走は期待を裏切る結果になってしまったので、勝てて本当に嬉しいです』
『(女性初のダービージョッキーについて)女だということで、これまで色々言われたりもしたんですが……これまで積み上げてきたものは間違いじゃなかったんだと、今は胸を張って言えます。
フォーユアアイズは能力の高い馬で、さらに今日は本当にデキが良かったので、自分がヘマしなければ勝てるという自信がありました。師匠やスタッフをはじめ本当に多くの方に支えてもらって、ここまで辿り着けたと思います。感無量です』
1着フォーユアアイズ(大塚保夫調教師)
『愛弟子がやってくれました。前走はちょっと不完全燃焼でしたけど、府中は向いていると思ったし、距離の不安もあまりなかったのでやれると思った』
『(厩舎初のダービー馬について)もう、獲れないで辞めるものだとばかり思っていたので、とても嬉しいです。こうなると「また来年も」という気持ちになってくるから、人間って不思議なものですよね。郷田騎手はずっと頑張っている姿を見てきたので、なんとか獲らせてあげたいと思っていました。強い勝ち方をしてくれました』
『(今後について)放牧に出して休ませます。秋は、現時点では菊花賞を目標にしています。鞍上はもちろん郷田騎手で』
2着ドリームメイカー(王子進之助騎手)
『状態も良く、レースもイメージ通りに運べました。リズムよく直線まで運べて頑張ってくれましたけど、今日は勝った馬が強かったですね。負けはしましたが力は出し切れたと思います』
『(今後について)ボクとしては淀の3000はちょっと長いんじゃないかなと思います。力はありますし、目指すなら(秋の)天皇賞がいいかもしれません』
3着フラジールソング(和久耕希騎手)
『パドックではチャカチャカしてたんですが、ゲートに入る時にはだいぶ落ち着いてくれました。道中もリラックスして走らせることができて、直線でも伸びてくれましたが、前二頭には迫れませんでした』
※
涼しげな風に吹かれて黄昏るひとみは、佐知子を待っていた。
(長かったような、あっという間だったような……不思議な感覚だぜ……まだ残ってるし)
手に広がるのは得もいわれぬ感覚。
プロスポーツ選手は競技中に「ゾーンに入る」ことがあるといわれるが、最後の直線のひとみが、まさにそうだった。
進路も、鞭を入れるタイミングも、他馬との間隔も、全てが手に取るように分かった――そんな感覚。
(ガキの頃にイジメられて不登校になってたやつがダービージョッキーか……世の中には不思議なことがあるもんだな。
もっとも、アタシの力だけで勝てたわけじゃないけどさ――)
パシャ、という音がして、慌ててひとみは目を剥いて音のした方向を向いた。
スマートフォンを掲げてニヤリと笑う後輩ジョッキーがそこにはいた。
「ダービージョッキーの侘しげな横顔、いただきました!」
「なぁに勝手に撮ってやがる」
立ち上がって佐知子に詰め寄る。佐知子はひい、と小さな悲鳴を上げた。
ひとみは軽くため息をついた。
「まあ、今日くらいはいいか」
「い、いいんですか!?」
「ああ」
「ありがとうございます」
「……? おい、何操作してるんだ?」
手際よくスマホをタップする後輩の姿に、ひとみが尋ねる。ピロンと音がした後、「何って、写真をジョッキー女子会のグループにあげたんですよ」
「ハァ? グループ?」
「ひとみさんはラインやってないですけど、こういう、みんなで参加できるチャットみたいなやつで」
「チャット??」
ぴんと来ないひとみに佐知子は画面を向ける。そこにはフキダシのメッセージが並んでいる。機械が苦手なひとみにはしっくり来ない様子だ。
「メールじゃダメなのか?」
「うーん。まあ今はみんなわりとラインで済ませるんじゃないですか?」
「へえ、便利な時代になったもんだなあ」
感心したようにうなずくひとみに、佐知子が質問した。
「で、私に頼みたいことって何ですか?」
「ああ。ちょうどそのケータイについてなんだけど、アタシのケータイ壊れちまったみたいで」
「ほんとですか?」
「ああ」
ひとみがガラケーを取り出す。見た目には壊れている様子はなさそうだ。開いてみると、大量の着信やメールが届いていた。
「何百って届いててよお。知らねえやつからも。なんかの間違いなんじゃねえかと思ってな。これって、壊れちまったのか?」
「違います。壊れたワケじゃないです」
「……ハァ?」
「全部、ちゃんとしたメールですよ! 内容はダービー優勝のお祝いで、騎手の皆さんや、馬主さんや厩舎の方、牧場の方、あとは……なんだかスゴい人からも届いてるみたいです!」
「……マジかよ。ハハハ」
ひとみは思わず笑っていた。
何百というお祝いのメッセージ全てに返信するとしたら、一体何時間かかることやら。いや、一日で済まないかもしれない。
「これもダービージョッキーの宿命か」
「ひとみさん、カッコいいです。あ、そういえばウチの妹からもお祝いのメッセージありました。生で見てたらしいんですよ」と、佐知子はその文面を読み上げ始めた。
「えっと、『郷田騎手ダービー制覇おめでとうございます。魂が震えるようなレースで、とても感動しました。前走での敗北のせいで一番人気は譲る形になりましたが、私は頭固定してました――』」
「……サチ、妹って未成年だよな。馬券買ってねえよな?」
「もちろんです。馬券はハタチになってからです!」
「お、おう」
「続けて『同じ女性として、とても勇気をもらえる勝利でした。きっと郷田騎手とフォーユアアイズに勇気づけられた人は、私以外にもたくさんいるんじゃないでしょうか。本当におめでとうございます。サチの妹、君野知恵より』だそうです」
「……ああ、嬉しいもんだな。そうだ、今度サイン書いてやるから持ってってくれよ」
「ほんとですか! うわあ、絶対喜びますよ!
チエ――私の妹も、実はちょっと騎手に興味持ってた時期があったんですけど、中学になって一気に背が伸びちゃって、諦めたんです」
「そうだったのか……」
「私も嬉しいですし、チョーさんもちょっと機嫌良さそうでした」
「ああ、そうだよな。末長先生にも世話になってるし、ちゃんと挨拶しとかねえと……ああ! 休みなんかバーッと潰れちまいそうだぜ!」
――まったく、サイコーだよ!
歯を見せ、少年のように笑うひとみに、佐知子はいった。
「私からも改めて――ひとみさん、ダービー優勝おめでとうございます!」
「ありがとよ!」
※
後日談。
佐知子がグループに載せた写真を美由がインスタにアップ。ひとみの普段とは違う表情に、多くのいいねを集めてネット上で話題となり、ちょっとしたニュースになった。
無断で写真をSNSへ投稿――この一件を受けて美由と佐知子は、ひとみから説教を受けることになった。
「ごめんねえ。次からはちゃーんと言ってからアップするからぁ」
「なんで私まで~!」
「うるせえ」
どうでもいいことかもしれませんが、ひとみはおっぱい大きいです