三冠牝馬が女性ジョッキーに転生する物語   作:nの者

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「お姉、いいよ~!」
『さあ直線入って先頭は10番のランデブーアリア、リードを二馬身。その外から接近14番のメルメドが二番手。それを追って9番ドリームコンパス三番手。
 残り400を切って、さらに後ろ外から7番のオトモダチカメラ、まだ楽な手応え。そして、大外から追ってきたのは3番のポッピングサワー』
「いける! 差せる! あとは後ろから来なければ――」
『200の標識を通過して先頭は10番ランデブーアリア! 内からはメルメド、外からオトモダチカメラとポッピングサワー!』
「お姉っ! ああっ3番来ないで! そのまま! そのまま!」
『ポッピングサワー! ポッピングサワーが単独先頭! オトモダチカメラは二番手!』
「あ~~~~っ!」
『先頭、3番ポッピングサワー! ゴールイン!』
「……」
『勝ったのはポッピングサワー! 最後に一気に伸びてきました!』
「…………はぁ」
『勝ち時計は1分38秒3。上がり3ハロン最後の600メートルは37秒2と表示されています』
「最後の最後に……いったと思ったのに」
『勝ちましたポッピングサワーの鞍上は福盛田光騎手、美浦・野々口厩舎所属――』
「福の字にやられた……この野郎……」



ポッピングサワー(初夏情緒微炭酸風味)

 無駄の無いスイング。

 快音が響き、白球が飛んで行く。

 打球の行方を確認し、彼女がこちらを振り向く。

 髪をポニーテールにまとめ、白のキャップを被っている。暖色系の薄手のパーカーと、動きやすいショートパンツ。

 彼女は舌を少し出して軽くウインクをしてきた。「どんなもんだい」という口の動きから、彼女の手応えが伝わってくる。

 ボールがティーにセットされ、再び彼女は集中モードへ。ボールをじっくりと見て、スイング。背骨を中心にした回転力を生かしたフォームから繰り出されたボールは真っ直ぐ伸びていく。

 満足そうにうなずいて、彼女――君野佐知子は休憩用の椅子に腰かける。

「上手いなお前。やっぱり経験者は違うな」

「へへへ。まあ、小さい頃に何回かやった程度だけど」

 運動神経がいいのか、それともセンスがいいのか。あるいはその両方か。相変わらずサチのハイスペックぶりには舌を巻くばかりだ。

 

 休日、おれはサチと打ちっぱなしに来ていた。

 休日といっても――普通の学校や会社は土日が休みだけど、おれ達ジョッキーは土日が働く日だ。休息の日は大体月曜で、火曜からは調教とトレーニング。金曜の夜までに各競馬場の調整ルームに入り、土日がレース。基本的にそれの繰り返し。中央競馬は一年中開催してるから、中央の騎手は夏休みも冬休みもない職業だ。

 なぜおれがサチとこうして休日を共にしているかというと――

 競馬関係者にはゴルフ好きの人間が多い。

 昔から騎手会のコンペがあったり、厩舎関係者や馬主さんとのコンペがあったり、また、ジョッキーの中には趣味がゴルフという人もけっこういる。

 かくいうおれも、先日とある先輩から『福盛田くん、ゴルフ興味ない?』と誘われた。初心者だったけど、いい息抜きになればと思い二つ返事で了承すると、たまたまそこを通りかかったサチが話を聞きつけ、一緒に参加することになった。しかし、直前になって先輩から急に行けなくなったという連絡が来た。日を改めて行きましょうか、と提案したが『サッちゃんはそこそこできるみたいだから、二人で行ってきなよ』と勧められ、今日この日を迎えこの場にいるわけだ。

 

「じゃ、今度は光の番だね」

「ああ、いってくる」

「がんばって!」

 サチがおれの肩を叩いて送り出してくれた。

 ゴルフクラブを手に取るのは7番アイアン。クラブにも色々種類があるらしい。プロゴルファーは状況によってかなり使い分けるそうだが、ずぶの素人おれにはなかなか見分けがつかない。とりあえずここで使うべきはパターではないということぐらいしかわからない。

 サチに教えてもらった握り方で、グッと力を込める。

 はっと気づくと、隣で打っていたオヤジがおれの方に視線を向けていた。おれと目が合うと、すぐに目を逸らして快音を響かせていた。

 ボールに意識を集中させる。大きく息を吐いて、グラブを振り上げる。

 頂点までいったところで、今度は強く振り下ろす。

 ――スカッ。

「あ」

 快音は鳴らず、代わりにサチの声が聞こえた。

「あわわわわ」

 勢いをどこにも逃がすことができず、ホームラン狙いのバッターみたく豪快に空振りしたおれは、そのまま尻もちをついてしまった。

 おれは天を見上げる。そこにあるのは無機質な天井だ。

 心配したサチを声をかけてくる。

「だ、大丈夫?」

「あ、いや、うん。ぜんぜん」

「そっか。ま、まだまだこれからだよ」

 サチのエールに応えなければ。

 おれは立ち上がって、もう一度仕切り直す。さっきのはナシと考えて、今度は慎重に……

 ――スカッ。ポロッ。

「あ」

「…………」

 思わず身体が固まり、なんとも言えない時間が流れる。

 あちこちからは小気味良い音が絶えず聞こえてくる。

 嫌な汗が一気に噴き出す。

(な、情けねえ~~~~!)

 おれは心の中で叫んだ。

 

                  ※

 

 打ちっぱなしを終えて、おれ達は近くにあったアイスクリーム店に入った。打ちのめされた心に、甘く冷たいアイスがよく沁みる。

「はぁ……」

「まあ最初はみんなこんなもんだって。それに、最後のほうはちゃんと当たってたじゃん」

「当たってた、かぁ……」

 そこまでハードルを下げられないといけないという事実に、またため息をつく。

 誘ってくれた先輩には申し訳ないが、この調子だとコンペの誘いが来ても断ったほうがよさそうだ。

「お前のスイングを見た後だと……完膚なきまでに叩きのめされた気がして……」

「あ~、でも私より上手い人なんてゴマンといるよ。美由さんなんて女子プロばりのスコアで回るし」

「小中さんか……あの人ほんとに趣味が多彩だな」

「ひとみさんは男子プロばりの飛距離で飛ばすし」

「郷田先輩なら、まあ……」

「優花里さんは腕前もだけど、相手に花を持たせるのが上手」

「分かる。ゴルフそっちのけで喋ってそうな気がするな」

「ふふっ。実際そうみたい。ミスショットのたびに『アカーーン!』って言ってるんだって」

「めっちゃ言いそう」

「光もやってみたら『アカーーン!』て」

「人の持ちネタ盗っちゃダメだろ」

「あ、ちなみに十回に一回くらい『オカーーン!』ってフェイク入れてるらしいよ」

「誰に対してのフェイクだよ」

 

 サチとの会話を楽しんでいると、徐々に傷も和らいでくるようだった。

 

 デビュー二年目。おれは嬉しいことに、だいぶ乗れるようになってきた。前と比べて何が良くなったのか、明確に「これ」というものは言えないけど、勝負の感覚を掴めてきた気がする。

 昨年は勝ち星でサチにダブルスコア以上の差をつけられたが、今年春の時点まででいえばそこまで差は開いていない。

 まあ、夏にまた水をあけられそうな気がしないでもない。が、重賞を勝ったことがないという点については横一線だ。

 もうすぐ上半期の総決算、グランプリ宝塚記念がやって来る。それが終われば夏競馬だ。三場に騎手が分散するため、若手の騎手にもチャンスが回ってきやすい。

 おれは密かにサチより先に重賞を勝ちたいと思っている。とはいえ初重賞で二桁着順だったおれに対し、サチはのっけから三着に食い込んできた騎手だ。勝負強さでは敵わないだろう。

 ――そんなことをぼんやりと考えていると、サチの丸い瞳と目があった。

「何考えてるの?」

「別に……今年の夏は涼しくなってくれないかなー、って」

「そうだねー」

 

                  ※

 

 帰り駅までの道すがら。

「こうして歩いてるとさ」

「うん」

「なんか、『内に寄せなきゃ』とか『外に進路開いてる』とか、脳内で認識されちゃうんだよね」

「マジで?」

「うん。後ろから追い抜かれたら『差された』って感じるし。そういうのない?」

「ないない」

「うーん。私だけなのかなあ」

 そんな会話をしていると、ふとサチの目がある店の看板に釘づけになった。ゲームセンターだった。

「サチ?」

 店内の一角、とあるクレーンゲームの台を凝視したかと思うと、スタスタと店内へ入っていって、その台のガラスに張りつくようにして景品(プライズ)を眺めていた。

 ウマなのかウシなのかヤギなのかよくわからないデフォルメされたゆる~いキャラクターのタオル。

「チエの言ってたやつだ……いいなぁ」

「欲しいの?」

「うん。あー……でも、私ってこういうのド下手だから無理かなぁ……」

 物欲しいそうに眺めるサチに、おれは思いがけずいった。

「おれ、取るか?」

「え? ……いいの?」

「ああ。これなら多分――」

 おれは小銭を何枚か取り出して投入。アームの幅や動きを確認して、少しずつ景品をずらしていき、何枚目かを投入したところであっさりと謎の生命体タオルはおれ達の元へやって来た。

「すごいすごい! うわーありがとう光!」

「いやそんなでもないよ。このタイプの台だったらけっこう取り慣れてたから」

「はぁ~っ、えへへ!」

 サチの幸せそうな表情を見て、今日はカッコ悪いことも見せちゃったけど、やっぱり来てよかったと素直に思えた。

 すると、サチは何事かを神妙に考えるような顔つきになって、ぼそりといった。

「……こうなってくると私も取りたいなぁ」

 そして、彼女は、君野佐知子は――

 まるでこれからGⅠレースに臨むかのような真剣さで――

「光先生」

「お、おう」

「私にこのゲームの攻略法を教えてください!」

 ――そういったのだった。

 

                  ※

 

 で、結論だけいうとサチはダメだった。

 競馬やゴルフのセンスのよさはどこへいってしまったのか。彼女は、折角景品の位置をズラしたのに、それをまた元の位置に戻す→ズラす→また元の位置に戻すという動きを連発していた。

 最終的にはおれが二つ目のタオルをゲットすることで収支のバランスを保ったが、サチは心底悔しそうだった。

 タオルは二つともサチにあげた。二つ目に関しては拒んでいたが、おれがもらっても仕方がなかったので、なんとか受け取ってもらった。すると調教で末永厩舎に行った時に末長先生がそのタオルを持っているのを見て、なんともいえない気持ちになりました。

 と、まあ、なんとも小学生の作文じみた結びになってしまったけれど、実際そうだったのだからしょうがない。

 後日、誘ってくれた先輩からは『サッちゃんとのデートどうだった?』と冗談半分で尋ねられた。空振りしてコケました、と答えると『ガンバレ』と慰めの言葉をいただいた。

 




『大逃げを打った福盛田光とホワイトマーチが直線コースに入りました!』
「逃げ切れるわけないでしょ~、この小童が! こっからお姉が追い込んで勝ち! これで決まり!」
『さあ残り200を切って先頭はまだ粘っているホワイトマーチ! 続々と後方の馬も迫ってきているが果たして届くかどうか!?』
「届く届く」
『二番手はアネモネマジック! その外からアイシーオーレ! 断然人気のカミングサマーもやって来た!』
「来た来た来た! やっちゃえお姉ー!」
『カミングサマー捉えたか! しかし、ここで大外からプレイヤーワンだ!」
「あ」
『プレイヤーワンが前をまとめて差し切って、ゴールイン!』
「…………」
『一着はプレイヤーワン! 鞍上はリーディングを快走中の郷田ひとみ騎手! 逃げるホワイトマーチと、それをかわしたカミングサマーをまとめて抜き去りました!』
「……弱肉強食って感じかな」


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