三冠牝馬が女性ジョッキーに転生する物語   作:nの者

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サーチライト号の勝負服について考えてみました。
指定された色・柄から組み合わせるわけなのですが、なかなかたくさんの組み合わせができますね。


クロニクル(青、水色縦縞、袖黄一本輪)

 青、水色の縦縞、袖に黄色の一本輪。

 サーチライトをはじめとするGⅠ馬を送り出した幸野松太郎氏の勝負服である。

 調教師の藤坂寅一氏とは旧知の仲であり、所有馬の多くを藤坂厩舎に預託していた。

 彼は馬主を「一代限りの道楽」としていたため、彼の死後、その勝負服を競馬場で見かけることは無くなった。

 

                  ※

 

 火曜日。トレセンの一週間が始まる。

「チョーさん」

「野間さん、どうも」

 昼下がりの末永厩舎に顔を見せたのは長介と親交の深いライターだった。

「君野さん、いるかな?」

「今はちょっと外してますけどすぐ戻ってきますよ」

「あ、そうか。じゃあ、ちょっと待とうかな」

「どうしました? もしかして、突撃取材ですか?」

「いやいや、そうじゃない。別の厩舎を回ってきて、今日の仕事は終わり。取材するんだったら事前にチョーさんにお伺いを立てとかなきゃいけないからね」

「……じゃあ、どういったご用で? あ、中どうぞ」

 大仲――厩舎の休憩所には香ばしい香りが漂っていた。野間は長介にいった。

「いい匂いがするね」

「はい。実はそのサチが作ったんですよ」

 中央に置かれたテーブルの上には、アップルパイがあった。取り皿と切り分けるナイフも傍らにあり、パイは既に1/3を残す程度に小さくなっていた。

 野間は感心したようにつぶやく。

「これはなかなか……おいしそうだねえ」

「よかったら召し上がってください、野間さん」

 不意に、上機嫌そうな声が野間の耳に聞こえてきた。振り向くと、当の佐知子が後ろで手を組みながら立っていた。

 野間は質問する。

「あの、これは?」

「実家からリンゴをたくさんもらったので、厩舎の皆さんにもおすそ分けしようと思って作ってみました。あ、味のほうは食堂のキヨさんからも『いいね!』をもらったので、大丈夫だと思います。甘いのが苦手じゃなかったらぜひどうぞ」

「そうなんですか。じゃあ、ひとついただこうかな」

「はいっ!」

 丁寧な手つきで佐知子が切り分けたパイを、野間は口に入れた。出来てからいくらか時間は経っているだろうが、リンゴの甘みと酸味をいっぱいに味わえた。

 しっかりと咀嚼して、飲み込んでから野間は感想をいった。

「おいしいです。温かみのある味、という感じで、好きですね」

「ありがとうございます!」

「君野さんって、普段から料理されてるんですか?」

「はい。時間があればなるべく作るようにしてます。小さい頃からよくしてましたし、お菓子も作ってました。これも、食堂のオーブンを特別に借りて作らせてもらいました」

 ――サッちゃんが来てくれたらあたしらも安心して引退できるよ。いい旦那選びなよ。

 食堂で勤めている女性にそう言われた佐知子は、照れ笑いしきりだったそうだ。

「それで、私に用というのは?」

「ああ、そうでした。実は先日自宅の倉庫を整理してたら、懐かしいものが出て来まして――」

 野間はバッグに入っていた紙袋の中からあるものを取り出した。

 

 青地に水色の縦縞。袖に黄色の一本輪。

 サーチライトのオーナーだった、今は亡き幸野松太郎の勝負服だった。

 

 わっ、と佐知子が声を上げる。長介はなるほどといった具合にうなずいている。

「だいぶ昔に、幸野オーナーからいただいたものです。レプリカですが状態はかなり良いですよ。なので、もしよかったらこれを」

「……わ、私に? いいんですか?」

「はい。私が持っているよりも、君野さんが持っているほうがふさわしいと思ったので、受け取ってもらえれば」

「あ……それって…………」

「ええ」

 眼鏡の奥のにっこりとした目は、佐知子を見つめた。佐知子は思わず目を逸らした。

 

「サーチライト号の熱心なファンだというあなたにこそ、持っていてほしいんです」

「あ、はい……ですよねー」

 

(私が自分(サーチライト)のファン……、そう言われるとすごい変な気分だなぁ)

 

 その後、長介に促された佐知子は、その勝負服を着て長介と写真を撮った。長介が『いつかコイツがうちの馬でGⅠを勝ったらスチルにでも使ってください』というと、野間も『楽しみにしてます』と答えた。

 野間が帰った後で、佐知子はいった。

「似合う?」

「ああ。俺より似合ってるよ」

 ふたりはくすくすと笑いながら顔を見合わせていた。

 

                  ※

 

 日曜日。上半期の東京開催も残り少なくなった。

「へえ、そんなことがあったんだ。いいなぁ。俺もサッちゃんの焼いたパイ食べたかったな。追い切りの日だったら食べれたのになぁ」

「運が悪かったな」

「あ、そういえば前に小中さんが打ったお蕎麦を食べさせてもらったことがあるよ。お店で食べるのと同じくらい美味しかった」

「小中は、相変わらず多芸だな」

 GⅢ・エプソムCの発走が目前に迫っていた。

「それじゃ末長先生、よろしくお願いします」

「進之助……まったくお前ってやつは……まあいい、こちらこそよろしく頼むよ」

「今日はどう乗ったらよろしいでしょうか?」

「だからやめてくれ、その口調は」

「ハハハ。じゃあチョーさん、今日も前目でいいかな?」

「ああ。メイチで仕上げたから最後は流してもいい」

「ほんと、大した自信。頼もしい」

「……頼んだぞ」

「頼まれました。それじゃ、いってくる」

 




スプリングタイムス電子版 6月☆日 18:50配信
エプソムC・モノノケクロニクル重賞初挑戦V 王子・末永黄金コンビ完勝!

『エプソムC(東京芝1800・GⅢ)が行なわれ、王子進之助騎乗の3番人気モノノケクロニクル(牡4、美浦・末永長介厩舎)が、並み居る実績馬を抑えて、重賞初挑戦ながら見事勝利を収めた。
 好スタートから中団前で折り合い、最後の直線では鋭く伸びて1番人気サテライトリライトに二馬身差をつけて勝利。勝ちタイムは1分46秒3。
 鞍上の王子とはコンビを組んでこれが三戦目。天皇賞(秋)とマイルCSを制覇した父・モノノケギンガの背中を知る男が今回も完璧なエスコートで連勝。
 王子騎手が「直線を向いてからも脚色が他の馬と違った。スタッフがとてもいい状態で仕上げてくれたので、自信を持って乗ることができました」とコメントすれば、末長調教師は「ジョッキーが上手く乗ってくれた」とコメント。
 気心の知れたコンビは昨年ストラグルで高松宮記念で制しており、これが厩舎初GⅠ勝利でもあった。モノノケクロニクルの次走は未定だが、恐らくは父と同じ秋の中距離・マイル戦線に進むはずだ。再び黄金タッグでGⅠを取る日はそう遠くない。』

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