三冠牝馬が女性ジョッキーに転生する物語   作:nの者

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「やあやあ皆の衆、ぼかぁこのたび秋の一大GⅠレース、天皇賞に出ることになったんだ。伝統と由緒あるスバラしいレースだ。そこで今日は諸君に紹介しておきたいやつがいるんだ。今日の相棒、ジーニアスキングだよ」

馬「…………」

「乗り替わりなんですが、こいつはどうもかなりの癖馬らしくてねぇ。ウイニングランで騎手を振り落としたり逸走したり斜行したりロデオしたり、やりたい放題なんですわ。春の天皇賞で三着になった実績馬ではあるけども、その次の宝塚記念では最下位だったんですって奥さん。まぁぼくの手にかかればこーんな癖馬でも楽勝っすよwww」

馬「……」ギロリ

「ひいっ! ななななんだこいつゥ!?」

~発馬~

「のわっ! なんだこの操作性の悪さ……(ドン引き)」

「動け! 動けってんだこのポンコツが!」

馬(今日走る気ねンだわ)

「な、なんてやつだッ! いくら押してもビクともしねェーー! ああッ! 最後方だァーー!」

~1000メートル通過~

「先頭まで何馬身あるんだろ……もうだめだぁ……おしまいだぁ……お願いしますキング様ぁ……」

馬(おっ、ようやく自分の立場が分かってきたじゃねえか)

「……へ? 手応えが――」

馬(いっちょやってやるか。そら、振り落とされンじゃねェぞ)

「うわ、うわわわわわわーー!!」

~府中の坂、試練の坂~

『先頭に立ったドリームメイカー! サイバーロードランもすごい末脚! ここで内からジーニアス! ジーニアスキングだァ! どんどんどんどん外目にヨレていっているが、先頭をとらえるぞォ!』

「あばばばばばば!」

『先頭に踊り出た! ジーニアス先頭! ジーニアスキングだ!』

「ハッ! 若干記憶が飛んでた……って、おわーっ! よく分からないけど先頭だ! しかもゴール板は目の前! いける! ぼくの華々しいジョッキー列伝の新たな1ページがここに――」

馬(疲れたわ)

「……あれっ!?」

『おっとジーニアス! 外ラチに向かってよろけているぞ! ここで馬場の真ん中からドクターブルース! 今ゴールイン! 僅かに前に出たのはドクターブルースか!? しかしこのレース、審議のランプが灯っています』

「えぇ…………(呆然)」

『郷田ひとみジョッキーのドクターブルースと木津かれんジョッキーのジーニアスキングが一二着で入線しているように見えます。もしこの通りなら、GⅠで女性騎手がワンツーフィニッシュということになりますが』

「何やってんだよ馬ァ! あとちょっとだったのによォ、こんにゃろめ!」

馬(あ?)

「んがっ!」

『あっと! 木津ジョッキー、振り落とされたでしょうか? これは大丈夫か?』

「ひいいいい! ごめんなさい! ニンゲンごときが盾突こうとして申し訳ありませんでした!」

馬(……)

「許してください! なんでもしますから!

馬(今度の乗り役は面白いやつだな。気に入ったぜ)ニタァ ペロリ

「おお、もう……」

『木津ジョッキーは大丈夫そうです』


ひとみ「何やってんだあいつら……」

『郷田ひとみジョッキーはウィスタリアの秋華賞、フォーユアアイズの菊花賞に続いて、なんと三週連続GⅠ制覇です! 勢いが留まることを知りません!』


審議の結果:降着なし、木津騎手に戒告




シカノコサージュ(花道と花束)

エグゼクティブKEIBAニュース

 

【女性騎手】君野佐知子騎手、GⅠ初騎乗&二週連続騎乗へ

 

君野佐知子騎手のGⅠ初騎乗が決まった。

初GⅠレースは京都競馬場で開催されるエリザベス女王杯。コンビを組むのはシカノコサージュ(牝8)となった。

オークス三着、秋華賞二着の実績を持つ牝馬の花道を飾ることができるだろうか。

また、関屋記念で二着に入ったイチダイジ(牡5)でマイルチャンピオンシップに挑む予定でもあり、二週連続でのGⅠ騎乗となる見通し。

 

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                  ※

 

 

 シカノコサージュ。

 佐知子にとって初めてのGⅠ騎乗馬だ。

 母は阪神JFを制したコサージュマリア。クラシックでの活躍を嘱望されたが三歳で故障し、そのまま繁殖へ上がった。

 三歳になってからデビューしたシカノコサージュは、フローラSを制して、母が立てなかったクラシックの舞台に立った。

 オークスは三着。以後、彼女はGⅠレースへの出走を重ねた。

 秋華賞二着、ヴィクトリアマイル四着。彼女は牝馬限定戦で、好走を続けた。

 豊富なスタミナを生かしたロングスパートが持ち味の、美しき青鹿毛の持ち主。

 しかし、GⅠ馬の称号を得ることはできないまま、歳月が過ぎた。時間は残酷なまでに現実を突きつける。

 最後の勝利は二年以上前のこと。ここ一年は二桁着順が続いていた。

 佐知子が初めて騎乗した前走・府中牝馬ステークスも最下位。

 

 シカノコサージュは、これがラストランとなる。

 

                  ※

 

「コサージュ……次が最後だよ。も少しだけ、がんばろうな」

 

 馬房には老いた男がいた。

 くたびれた格好で、ボロボロになったキャップからはみ出ている髪は真っ白である。顔に刻み込まれた皺の数、欠けた前歯、第一関節から先が曲がらない右手の薬指、首筋に垣間見える手術痕。それら全てが、これまで厩務員として彼が歩んできた道程の長さと険しさを物語っている。

 鼻頭を撫でてやると、シカノコサージュは目を閉じて心地良さそうな顔になった。

 すると、小さな声がした。

 

「ヨシさん」

 

 男が振り返ると、そこにはライトブルーのジャージを着た佐知子が立っていた。

 

「サッちゃんか」

「はい、コサージュに挨拶しておこうと思って」

「そうか。ほら、コサージュ、サッちゃんが来たよ」

 

 目を開けたシカノコサージュはぼんやりと佐知子に視線を向けた。佐知子がはにかむ。しかし、彼女は興味を示していないようで、頭を老いた厩務員の胸元へ近寄せた。

 

「まったくおまえは」

「あちゃ。私、もしかして水差しちゃいましたか」

 

 佐知子は困ったように笑った。

 

 ヨシさんと呼ばれた男は、長く美浦で厩務員をしてきた男だった。

 彼はシカノコサージュの母の担当厩務員でもあった。彼は、母娘二代に渡って世話を焼いてきたのだ。母は気性が荒く、蹴られたり踏まれたり、そうしたことが何度かあった。とにかく、気の強い女性だった。一方で娘は母に似ず、おっとりとした性格だった。調教を終えたら――たとえそれがどれだけハードでも――飼葉を食べてのんびりと昼寝をするくらいの神経の太さがあった。

 それでも、彼は娘の目の中に母の面影をよく見ることがあった。ふとした時に見せるしぐさが、似ているのだ。また、艶やかな青鹿毛はまさに親から譲り受けたそれだ。

 

「本当に綺麗な毛並みですね」

「ああ。この子のお母さんと同じ色だよ。」

「お母さんとお揃いかぁ……なんかいいですよね」

「性格は真逆だけどね。お母さんよりこの子のほうがよっぽど素直だ」

「そうなんですか?」

「お母さんが良い反面教師になったのかもね」

「へえ~、あっ」

 

 ふと、シカノコサージュが首を引っ込め、馬房の奥へと行ってしまった。

 男はこともなげに話す。

 

「いつも通りさ。馬には、次が最後のレースかどうかなんて分からないからね。賞金がかかっていることも関係ないし、究極的にいえば誰のいうことも聞く必要がない」

「あ……はい……そう、かもしれないですね」

「どうかした?」

「いえ、なんでもないです!」

 

 男は少し不思議そうな表情で佐知子を見たが、そのまま続けた。

 

「テキからは何か言われた?」

「"コサージュの思うように走らせてやってほしい"って言われました」

「そっか。そうだよね。これで、最後になるんだからね……」

「はい。前走と同じ、中団後方待機になるかなー、と。私も、できるならあまり無理させたくないです」

 

 馬房の奥で光る眼に視線を向けて、彼はつぶやいた。

 

「無事で、帰ってきてくれたらそれでいいんだ」

 

「それだけで、いいんだ」

 

 

                  ※

 

 最後のパドックだ。

 今まで何度も周回してきた道は、今日も何も変わらない。変わり映えなどしない、当たり前の光景が、今日で終わりになるのだ。

 男は、なるべく平静を保って歩こうと決めていた。

 

 空は、彼女の最後の舞台を祝福するかのような晴れ空だった。

 

 シカノコサージュの名前が書かれた応援幕が目に入った。

 

 蹄鉄の音と共に、これまで彼女と過ごしてきた日々が蘇ってきた。

 

 

『末脚一閃! フローラS! オークス行きの切符を掴んだのは! シカノコサージュです! 母が立てなかったクラシックへの挑戦権を手に入れました!』

 

 ――最後の望みのつもりで出走したトライアルレースで豪快な差し切り勝ち。時計も良かったから、オークスのダークホースとして名前が挙がったんだよなあ。

 

『シカノコサージュ最後方から一気に追い上げ! 届くかどうか!』

 

 ――オークスでは緩みないラップでなし崩しに脚を使わされた。最速の上がりを見せたが、健闘及ばずの三着。それでも手応えはあった。

 

『3コーナーから一気にシカノコサージュが上がっていった! 先頭集団に追いつこうかという位置まで来ています!』

 

 ――秋華賞はスタミナを生かして捲り気味にいった。普通の牝馬ならとっくに脚が上がっているだろうが、彼女なら大丈夫だと信じた。実際、直線に入っても脚色は衰えなかった。

 

『シカノコサージュ届くか!? 届くか!? 届いたか~~~~!?』

 

 ――ハナ差の二着だった。ジョッキーはこの上ない騎乗をした。仕上げも完璧といえるデキだった。だが、わずかに届かなかった。

 

 ――どうしてこんなに頑張っている子が勝てないんだ……! 私は天を恨めしく思ったさ。

 

『ヴィクトリアマイル四着のシカノコサージュでしたが、ここは相手が少し悪かったですね』

 

 ――宝塚記念では牡馬との力の差をまざまざと見せつけられた。

 

『雨中の死闘! 激闘と呼ぶにふさわしい戦い! シカノコサージュ、一番人気に推されましたが、惜しくも敗れました!』

 

 ――トライアルを勝って臨んだエリザベス女王杯で、一番人気になったこともあったなあ。0.1差の五位という大接戦は、雨に泣かされた。もっとてるてる坊主を作っておくべきだったか。

 

『八歳牝馬、まだまだ元気。10番シカノコサージュです』

 

 ――気づけば同じ年にデビューした馬は周りにほとんどいなくなっていた。あの子は淋しがっていないだろうか。そんな余計なお節介は、胸の中だけに留めた。

 

 

 ふと、真横の顔と目が合った。

 

 ――あっ……ダメだ。

 

 彼は、鼻の奥にかすかな痛みを感じた。鼻をすすって、必死に込み上げてくるものをこらえる。

 

 勝たせてあげたい。

 無事で帰ってきてほしい。

 

 この二つの想いが渦を巻いている。

 彼は、一度だけ袖で目元を拭った。

 

「まだ泣くわけにはいかないね」

 

 長く連れ添った彼女に語りかけ、男はまた鼻をすすってはにかんだ。上手く笑顔を作れた自信はなかったが、みっともない姿を見せるわけにはいかなかった。

 

 ――今日は、この子の最後の舞台なのだから。

 

 

                  ※

 

 

(えっ?)

 

 ゲート直後、佐知子は違和感を覚えた。

 シカノコサージュは年齢もあってズブい馬だ。押しても押しても反応が悪い。エンジンのかかりも遅い。

 しかし、この日は前進的な姿勢があった。前走とは全く違う感覚だった。

 位置取りは後方二番手だが、この日の彼女の雰囲気はただならぬものがあった。

 

『さあ、各馬坂の上りに差しかかるところです。ここで後方からシカノコサージュが動いていきました、最後方はリフレッシュタイムに代わりました。シカノコサージュが、一気に上がっていこうかという構え、三番手集団の一角をとらえて、そのまま先頭に並びかけようかという勢いです! 場内からはドッと歓声が上がります』

 

 鞭を入れたわけでもなければ、促したわけでもない。シカノコサージュが自発的に、進出をしたのだった。それは、かつて秋華賞の時に見せた――魅せたやり方と同じ。

 

(コサージュ!)

 

 佐知子は、無事に彼女の最終レースを終わらせることこそが使命と思っていた。GⅠ初騎乗初制覇などという色気は出さず、シカノコサージュの引退劇を無事に終えることが正しいことであると。

 しかし、彼女は、シカノコサージュは違っていた!

 長年連れ添った父であり、兄であり、師といえる男が流した涙に、何も思わないはずがなかった!

 競走馬としては年老いた身ではあるが、その闘志は、出走馬の中で誰よりも静かに滾っていた。それを、ここで、最盛期さながらのまくりで爆発させようというのだ!

 

『4コーナーから直線コースへ! 先頭に並んだシカノコサージュ、内からはロングポート。ウィスタリアも外から前をとらえようというところ。ハナビヨリが一歩抜け出したか。ハナビヨリ先頭。ハナビヨリ。ブリリアントベリーも来ている。ハナビヨリだ。ハナビヨリが先頭だ、ゴールイン!』

 

 しかし、シカノコサージュの躍進も4コーナーまでであった。直線入ってすぐに失速。そのままズルズルと後退してしまった。

 終わってみれば十着。最後の最後も二桁着順であった。

 

                  ※

 

「コサージュ……コサージュ!」

 

 シカノコサージュが無事に帰ってくると、男は大きな声を上げて出迎えた。最後の任を終えた彼女の瞳に、光るものが見えたのは、恐らく目の錯覚ではないはずだ。

 勝てはしなかった。しかし、最後の最後に、彼女らしい走りを見せてくれた。それだけで、彼の胸は否応なく熱くなっていた。

 調教師が佐知子に尋ねた。

 

「あのまくりは、サッちゃんの判断かい?」

「いえ、コサージュが自分から行きました。止めようと思えば止めれたと思うんですけど、彼女の走りたいように走らせようと思ったので、そのままいきました」

「そうだったのか……それは驚きだな、まるで昔のコサージュを見てるようだった」

 

 目を丸くする調教師の傍ら、長く連れ添った牝馬の労をねぎらう老兵を見ながら、佐知子は思った。

 

(競馬って、やっぱり凄いな……)

 

 引退レースだったシカノコサージュに向け、温かい拍手が送られた。それは、佐知子がこれまで体験したことないものだった。

 

 ――私もちゃんと引退できてたら、あんな風になってたのかな?

 

 

 こうして、シカノコサージュは無事に引退を迎えた。

 




 京都競馬場の女神、ヌーベルベケット。かつてのサチ――サーチライト号のライバル。
 夏競馬を挟んで、およそ五か月ぶりの登場である。

「最っっっっっ高に暇だったわ。まあ、毎年のことだけどね。おかげで"王子進之助無双プレイ"の実況動画がPart17まで行ってしまったわね……」

「…………」

「で、どうだった? 最後のレースは?」

 ヌーは、目の前にいる女性に尋ねた。濡れ羽色の美しい髪の持ち主だ。

「あの人と一緒に、最後に勝ちたかった?」

 ヌーの問いに、女性はゆっくりうなずいた。それを見て、ヌーは言った。

「ま、競馬なんてこんなもんよ」

 そして、ヌーは優しい笑顔を彼女に向けた。

「お疲れさま」

 それはまさに女神と呼ぶにふさわしい慈愛に満ちたものだった。


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