三冠牝馬が女性ジョッキーに転生する物語   作:nの者

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『――――其の神は人間の暮らしぶりが羨ましくなった。
 しかし、神の使命を放棄して下界に降りて往くことはできない。
 其の神は、自らを模した人形を創りだした。
 そして、その人形を善性と悪性の二つに分けた。
 其の神は善性のほうをヴァース、悪性のほうをピティと名づけ、人間の世界に住まわせた。
 其の神は、ヴァ―スのほうが人々から好かれ、ピティのほうが人々から嫌われるものだと予想していた。
 しかし、その予想は外れた。
 人間に受け入れられたのは知能体としての欠点を全て排したヴァ―スではなく、知能体としての欠点にまみれたピティのほうだった。
 ピティの不器用で、悪たれで、できの悪い部分を、人間は受け入れ、世話を焼き、愛した。一方で、ヴァ―スの人間とはかけ離れた完全無欠さには畏怖を覚え、親しくなる者は誰もいなかった。
 やがて、人間の世界での暮らしを通して、ヴァ―スとピティは生まれた時には持っていなかった悪性と善性をそれぞれ持ち始めた。
 善性を手にしたピティはさらに人間たちから愛されるようになったが、ヴァースは悪事を働くようになりさらに人間たちから忌避されるようになった。
 其の神は、これを見てヴァ―スを人間の世界から取り除いた。
 ヴァ―スが抵抗すると、其の神は掌から八十八の炎を放った。燃え盛る焔が、一瞬でヴァ―スの身を包んだ。
 最期に、ヴァ―スは慟哭した。

「主よ。何故私をお生みになられたのですか。これならば、生まれないほうがどんなに良かったか!」

 其の神は、かつての半身に静かに祈りを捧げた』


(Iolite)




方情記

『フロントドールが突っ込んでくる! 前三頭固まっている! 最内からは2番のシカノメメントだが、その横でまだ粘っているヴァーチャリティ! そしてサンアライメント! ヴァーチャリティ! フロントドールはここで脚が止まったか! ヴァーチャリティ! サンアライメント! サンアライメントか! 二頭並んでゴールイン!』

 

『勝ったのは僅かに13番サンアライメント、二着には9番のヴァーチャリティが来ています。三着には最内を突いたシカノメメント。グリルシューホー、ラトレビアンがそれに続いて入線』

 

「ということで、中山メインは1番人気のサンアライメントが勝利しました。勝ったサンアライメントの末永長介騎手は、これが今日の3勝目。二着ヴァーチャリティの郷田ひとみ騎手は惜しくも勝利を逃しています」

 

 映像がスタジオへと戻され、メインMCがレースについての感想を口にする。その隣には、カメラに目線を向けている千里の姿があった。

 

 昨年の競馬シーンを振り返ってみれば、ダービーを含むGⅠ6勝を挙げ史上初の騎手四冠に輝いた郷田ひとみをはじめとした女性騎手の席巻が一番のトピックスだろう。今年三十路を迎える八坂優花里は関西の中堅ポジションを固め、小中、柊、木津も虎視眈々とGⅠタイトルを狙っている。もっとも、男性ジョッキーたちは彼女たちの活躍を黙って見ているわけではない。

 王子進之助、末永長介という長らく競馬界を支えて来た2人のレジェンドが開幕週からダッシュを決めた。早くも今年初の重賞勝ちも収め、リーディングの1、2位につけている。その騎乗からはこのまま老いぼれてなるものか、という気迫が伝わってくるようだった。

 

 その後京都メインまで終了し、つつがなく番組は進行していった。そしてエンディングを迎えたところで「ここで千里さんから大事な発表があります。それでは、お願いします」と司会の男性が発した。千里はあくまでも笑顔で、カメラの前の視聴者に向けて伝えた。

 

「私、新居千里(あらいちさと)は、3月いっぱいをもって、この番組を卒業することになりました。これまでの3年間、競馬を通して様々なことを学び、感じ、知ることで、私自身成長することができました。未熟な私をここまで支えてくださった共演者の方、スタッフの方にもとても感謝しています。ありがとうございました。卒業ということで淋しい気持ちもありますが、残りの2か月も皆様方に競馬の感動や情熱を伝えられるように頑張っていきたいと思います。よろしくお願いします」

 

 彼女が言い終わると自然と拍手が起こった。千里の目に涙は無く、ただ毅然としてまっすぐ前だけを見据えていた。

 

 

 

方情記

 

 

 

 日経新春杯に騎乗するため、光は中山から京都へ移動しているところだった。

 その日、彼はカメラロールの古い写真を眺めていた。なぜ、そんな写真を見ようと思ったのか、彼自身「なんとなく」としか説明ができないだろう。それとも自然とスマホに手が伸びて指が動いたから、とでも言うのだろうか。

 光は、画面に視線を落とす。画像と共にその時の記憶が蘇ってくる。

 競馬学校に入学した時の写真。

 坊主頭の級友たちとじゃれ合っている写真。

 卒業式の写真。

 デビューしたてで緊張して顔が強張っている写真。

 デビュー後に家族と撮った写真。

 先輩と食事に行った時にふざけて撮らされた写真。

 お世話になっているオーナーとの写真。

 中学時代の友人と久々に遊んだ時の写真。

 ファンフェスティバルの時の恥ずかしい写真。

 初めて重賞を勝った、関屋記念の写真。

 自分という人間の歴史を振り返って行くかのようなスライドショーをひとしきり終えて懐かしさに浸っていると――どうも()()()()()()感じがした。違和感が肩にのしかかったかと思うと、急に焦燥感にも似た感情が光に降ってきた。それはあの夜、千里との別れ際に襲ってきた不快感にも似ていたが、あの時に比べれば軽度のものだった。

 

(なんだ……なんなんだ……?)

 

 何度も何度も過去から現在へ写真を行ったり来たりするたびに、"何かズレている"ような感覚に陥るのだが、その正体を掴むことはできなかった。

 そのうち、光は思考を止めてイスに深くもたれかかった。

 ひと呼吸ついて、気休めに本でも読もうかとバッグを漁る。すると、本を取り出す際に荷物が少し溢れてしまった。ため息をつきながら、光はこぼれ落ちたタオルを再びバッグに押し込もうとした。

 

(妙な柄のタオルだ。ウマ? ウシ? ヤギかな?)

 

 おおよそ自分の趣味ではない。

 なんだこれ?

 どういうことだ?

 では、なぜ自分のバッグに入っているのか。自分はなぜこんなタオルを使っているのか。

 『  』にあげたタオルがなぜこんなところにあるのか――

 

(――?)

 

 そこまで考えて、また引っかかった。

 ちょっと待った。『  』って誰だ――いや、何だ?

 不意に頭に去来した空白が、光を再び思考の渦に引き戻していった。

 

 

                  ※

 

 

(千里さんの言う通り、おれ、ちょっと疲れてるのかもな)

 

 結局、光の自問自答はやはり違和感の正体を掴み損ねた。去来した謎の空白に対して解答を埋めることはできなかったのだ。

 

(眠たい時とか、意味不明なことを考えたりするもんだから、きっとそういうものなんだろう。調整ルームに入ったらさっさと休むか)

 

 静かに目を閉じた。

 ふと、真後ろの席に座っている乗客の会話の声がはっきりと聞こえてくる。視覚を閉じたことによって聴覚が敏感になったのだ。

 

「誕生日に女性がもらって嬉しいものですか?」

「ああ」

「それだったら僕より女性の社員さんに聞いたほうがいいんじゃないですか?」

「いや、もちろん聞いたさ。だが、これには男性側からの意見も大事なんだ。言うなればお前の意見は『誕生日に女性に贈りたいもの』もしくは『これを贈っておけばいいだろうと思うもの』のデータのサンプルになるんだ」

「贈っておけばいいだろう、って……」

「いいから頼むよ」

 

 仕事の話か、移動中も大変だな、と光は胸でつぶやいた。

 

「例えばお前、モモちゃんの誕生日には何を贈ったんだよ?」

「先輩……それ言わなきゃダメっすか?」

「なんだ、人には言えないようなモノでも贈ったのか?」

「いや、そんなんじゃないっすけど……ちょっと失敗しちゃったんで」

「成功例より失敗例のほうが得るものは多く大きい。教えてくれ」

「はい……オルゴールを贈ったんですよ。小さい、オルゴール」

「オルゴールって、あのオルゴールか。洒落てるじゃないか」

「ええ。で、曲が流れるわけじゃないですか。それを彼女が好きだったバンドの曲にしてたんですけど、プレゼントする前の日に、バンドのボーカルが覚せい剤で逮捕されちゃって……」

「あらら」

「悩みましたけど、渡しましたよ。結構値段もしたので。そしたら案の定ボロクソに言われまして。傷口に塩を塗り込むようなマネしやがって、と……」

 

 ――とんだ災難があるものだ。

 その辺りで一気に睡魔がやって来た。頭の普段使わない部分を使い過ぎたせいだろうか。

 

「じゃあその反省を生かして、」

「そうですね……やっぱり無難に腕時計とか、帽子とか、アクセサリーとか贈りますかね」

「まあ、そうなるな」

 

 ――そうか。おれはやっぱり間違ってなかったのか。『  』に似合うといいんだけどな。

 

 

 混濁した意識のまま、ゆっくりと光は暗闇の中へ堕ちていった。

 

 

                  ※

 

 

『前世の記憶とか、生まれ変わりとか、本当にあると思う?』

『またコロコロ話が変わるなぁ』

『えへへ、どうも恐れ入ります』

『褒めてないからな』

『で、どう? 光はそういうの、信じる?』

『うーん。ネット小説とかでそういうのは見かけるけど、本当にそういうのがあるかと聞かれるとなんとも言えないかな』

『うん。うん。だよね。そうだよね』

『○○に転生した、みたいな作品ってとにかく母数が多いから玉石混交なんだよなぁ。出オチも少なくないし』

『えっと……よく分かんないけど、そうなんだ?』

『あ、ごめん脱線した。そうだな、おれは転生とか生まれ変わりとか言われても、正直なところよく分からない』

『……うん』

『もしそう言い張る人がいたとして、結局それが本当なのかどうなのか確かめようもないんじゃないかと思う』

『そっか、そうだよね……』

『でも、もし本当にそういうのがあって、例えば時空を超えるくらいに強い縁や絆があったとして、そんなミラクルがあるんだとしたら、それもそれでいいんじゃないのか、とも思う。まあこれはちょっと、つーか、かなりネット小説から影響を受けた意見ではあるけども』

『…………』

『――だけどさ、前世のおれがどうとか来世のおれがどうとか言っても、今ここにいるのは、この"おれ"しかいないだろ。サチだってそうだろ。前世がなんであろうと、サチはサチだよ』

『光……』

『おれはさ――』

『――ありがとう』

『……なんでお前が礼を言うんだ?』

『あー、その、なんとなく?』

『そっか。でもまあ、確かにリアルでいきなり前世がどうだの言い出したらちょっと警戒されちまうかもな』

『う”っ…………イゴキヲツケマス』

『あははは』

 

 

                  ※

 

 

 

 彼女を知っていた――

 

 ――私は福盛田くんのフォーム、好きだよ。

 

 とても大事な人だった――

 

 ――あ、『サチ』でいいよ。

 

 とても大事な人なのに――

 

 ――それで、私も『光』って呼んでいいかな?

 

 どうして今の今まで思い出せなかったんだろう――

 

 ――じゃあまた明日ね、光。

 

 彼女は何処だ――

 

 ――光、カッコよかったよ。

 

 この世界は何だ――

 

 ――すごいすごい! うわーありがとう光!

 

 待ってくれ――

 

 ――えへへ、光。

 

 行かないでくれ――

 

 

 

                  ※

 

 

「サチ!」

 

 気がつくと、光は布団の上に居た。

 新幹線から調整ルームに来るまでの記憶がすっぽり抜け落ちている。しかし、その代わりに、彼はそれまで抜け落ちていた彼女の存在への認識を取り戻していた。

 速くなっていく鼓動を感じながら、布団から這い出た。

 どうすればいい?

 グルグルと高速で脳が回って焼き切れそうだったので、まず彼はシャワーを浴びて頭を冷やすことにした。

 お湯というよりもぬるま湯、少しだけ温かめの水を頭から被ったが、記憶の中にいる彼女の顔が幾度も浮かんできた。

 

(なんなんだよこの状況……悪い夢なら早く醒めてくれよ。なんて、言ってもしかたないよな)

 

 シャワーを終え、寝間着を再び纏った光は、寝室には戻らず休憩室のほうへ向かった。非常灯のみがついた廊下を抜けて、無人の休憩室の電気をつける。娯楽設備もついている休憩室は広々としていて、それでいてカラッポだった。ペットボトルの水を口に含み、窓から京都の夜の空を眺めた。星はなく、月もなかった。

 

(これからどうすればいい。おれ一人で、どうにかできるのか……?)

 

 突如として、それまで袖で見ていた舞台の真ん中に押し出されてしまったような感覚だ。三文役者以下の大根役者が、上演の最中に長台詞のある重要な役どころに急遽キャスティングされたかのような。ただし、これは舞台ではなく台本のない、彼の身に直接巻き起こっている出来事だ。

 光を一気に無力感が襲った。

 ――朝になって、他のどんな騎手にサチのことを尋ねても、全員が全員口を揃えて「そんなジョッキーはいない」と答えるだろうということが、ありありと浮かんだ。「君野佐知子なんて人間は知らない」と。そう確信した。聞かずとも結果が分かってしまった。きっと、この世界のどこにも彼女はいないのだということを、光は感覚的に認識してしまった。

 虚無を溶かしたような闇が窓の外に広がっている。光の暗い目が、それをぼんやりなぞっていた。

 

「……誕生日、過ぎちまったじゃねえか」

 

 ほとんど悪態のように、彼はひとりごちた。

 光は、プレゼントを渡した際の彼女の反応次第ではそのまま告白をしてしまおうと思っていた。しかし、それは実現することなく、彼女の誕生日というものは世界の暦の上から永遠に抹消されてしまったのだった。

 

 じくじくと胸が痛み、涙が溢れた。自分だけが世界から取り残されているようだった。

 どこかに走り出してしまいたい衝動に駆られ、それを押し殺して、握りこぶしを思い切り壁に叩き付けた。

 自分に生身の身体があることを伝える痛みが、かろうじて光の正気を保った。

 

 

                  ※

 

 

「アンタみたいな男に惚れられるなんて、サチも苦労してるのね」

「ッ!?」

 

 突然、玉を転がすような声が部屋に響いた。

 慌てて光は声の方向へ顔を向けた。そこには、ジョッキールームにはおおよそ似つかわしくない、深い真紅のドレスに身を包んだ美少女が、どこか不機嫌そうに腕組みをして立っていた。

 光の目には、その少女の姿がどこか神々しく見えた。

 

 

(え……いつの間に……何処から……誰?)

 

「ヌーベルベケット」

「…………はい?」

「ヌーベルベケットって馬、アンタ知ってる?」

「…………」

 

 鋭い眼光は有無を言わさぬ迫力があった。

 普段であれば、調整ルームに怪しい少女が現れた時点でとっとと警備員でも呼んでくるのが正しいのだろうが、今の異常な状況において、その選択は自然と無視された。そして、なぜか彼女が信頼するに足る人物であると直感できた。

 光は、恐る恐る答えた。

 

「な、名前くらいは……ちょっと、聞いたことがあるかもしれません。でも、詳しくは、知らないです」

「あっそ。じゃあ、サーチライトは?」

「ええと、末永さんが乗ってた三冠牝馬、ですよね? 凱旋門賞にも行った馬で――」

 

 ――帰国後に心不全で急死した馬。

 

「ふーーん」

「……」

「悔しいけど、やっぱりサチとアタシじゃ知名度の差がありまくりね。ぐぬぬぬ――」

 

「待って!」

 

 光が大声を出したことで、少女がビクっと驚いた。

 

「今、サチって言ったけど、それって――」

「ええ、そうよ――」

 

 彼女はハッキリとその名前を言い切った。

 

「三冠牝馬のサーチライトじゃない、人間のジョッキーの君野佐知子のことよ」

 

 その名前を聞いて、ほとんど夢中で彼は少女の元へ駆け寄った。

 

「教えてくれ! 君は何を知ってるんだ!」

「ちょ、ちょっと! 近いわよ! 離れなさいバカ!」

「あ……ご、ごめん」

 

「まったく、変なところでアンタたちって似てるのね。まあ、いいわ教えてあげる。今、何が起こっているか。そして、あの子の、サチのことについてもね。サチのことについては、本当はあの子自身の口から伝えるのがベストなんでしょうけど、この状況じゃそんな悠長なことも言ってられないし」

 

 




to be continued in "Search & Light"


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