後書きでお知らせがあります。
季節は秋競馬の時期。
京都競馬場の調整ルームで、佐知子はヌーベルベケット――かつての友人と旧交を温めていた。
「っていうことがあってね」
「…………あっそ」
「あれ? どうかしたの?」
「べっつにぃ~、久々にアンタに会えたと思ったら急に惚気話が始まるもんだから、もぉ~なんていうか、おめでとうございますゥ~って感じになっただけよ」
「うん。ありがとう!」
呆れたように吐き捨てるヌーベルベケットと対照的に佐知子が心から嬉しそうにお礼を言う。
ヌーベルベケットは意地や見栄を張るのもばかばかしくなった。
「アンタの彼氏も結構やるじゃない」
「えへへ!」
「まあ、やっと進之助の足元に追いついたくらいだけどね」
「私たちの世代では光が一番になるって思ってたけど、その通りになったね」
先週のメインレース・秋華賞で福盛田光は初のGⅠを制し、GⅠジョッキーの仲間入りを果たしていた。同期一番乗りとなるGⅠ勝ちだった。さらに今年、光は勝ち鞍を量産し、全国リーディングで9位につけている状態だ。
「私は、ヘマして出遅れちゃったからなぁ……」
一方の佐知子は落馬による怪我で長期離脱を余儀なくされたこともあり、リーディング上位にその名はなかった。
「アンタだって若手にしちゃよくやってるわよ。自信持ちなさい」
「……ヌーちゃん」
「明日のメインだってそれなりにやれそうなコに乗れるんでしょ? だったら思いっきりぶちかまして――」
「そうそう! そうなの!」
励まそうとするヌーベルベケットを遮って、佐知子は目を輝かせて語り始める。
牡馬クラシック最後の一冠・菊花賞。佐知子が騎乗するのはホワイトページという馬だ。
「え、その馬ってもしかして」
「うん。私が新馬戦でやらかしちゃった時に乗ってた。入院してる時に美由さんで未勝利に出てて、もう乗れないかなーって思ってたけど、また依頼が来たんだ」
再び佐知子の手綱で東京の未勝利を勝ち、初勝利。その後も福島、新潟と条件戦を連勝し、菊花賞トライアルのセントライト記念では8番人気ながら2着に食い込み、本番への出走権を手に入れた。
「でも、かなり怖がりなコだったんでしょ? よくそこまで持ち直したわね」
「それはチョーさんや厩舎のひとたちのおかげかな。元々能力のあるコだったからレースに慣れてくれば力を出せるとは思ってたんだ」
予想の印は△や☆が多く並んでいたものの、佐知子も、長介も、確かな手応えを感じていた。
その後も佐知子は熱っぽく話し続けた。
「それでね!」
「サチ……あんまムチャするんじゃないわよ」
「え……?」
ヌーベルベケットの声のトーンが落ちて、佐知子は旧友の顔をあらためて見た。
じんわりと潤んだ瞳が揺れていた。
「アンタが落馬したって聞いて……心配、したんだから!」
「ヌーちゃん……」
「サチの……バカッ!」
「ごめんね」
「バカ、バカ、バーカッ! うっ、うう……」
「ありがと。優しいね、ヌーちゃんは」
泣きじゃくる友人が落ち着くまで、佐知子は彼女を包むように抱きしめた。
――――――――――――
『雲の切れ間から陽の光が注いでいます。昼過ぎににわか雨があったものの、現在の馬場状態は良の発表です。3歳クラシック戦の総仕上げ、最後の一冠を手にするのはどの馬なのか。最後に18番ミノベストロングゲートに収まります。
スタートしました。12番のジュエルホーキンスが後ろから、それ以外は揃ったスタート。まず先手を奪うのはどの馬か。
やはり宣言通りに逃げます2番のアカデミアン。続けて外のほうからは17番レヴォルタ。5番バインドミュウモも前へ。坂の頂上から下りへ。直後に6番ホワイトページ。内からは4番クロモリテックがいっています。半馬身切れて3番ブルベリブルー坂を駆け下ります。中段に7番エイトギース。14番ジレッドが続きます。外のほうでは16番のコガタンと13番のワイヤレス。
4コーナーから1周目のホームストレッチへ。馬群の中に18番ミノベストロング。1番のヤングアチーブ、15番ターコイズミント並んでいます。スタンドから拍手が沸き起こっています。その後ろから11番ロベルトサーガ。そして1番人気の8番シヴァレンズはここ、後方から3、4頭目の位置。さらに12番ジュエルホーキンスと9番アナリティクスほとんど並んでいます。最後方追走が10番のガンガンダンクとなりました。
先頭は変わらずアカデミアン。二馬身ほど差をつけて1コーナーカーブへ入っていきます。二番手入れ替わってクロモリテック。並びかけるようにしてバインドミュウモ。さらにその外にレヴォルタがつけています。1馬身半差でホワイトページがいます。向こう正面で、ブルベリブルーがいて、エイトギース。ここでヤングアチーブが一気に前に進出しようとする動き。シヴァレンズはまだ後方、後方で脚を溜めている模様です。
さあ二度目の淀の坂越え。徐々に馬群が凝縮されていきます。先頭は外から進出したヤングアチーブに変わっています。さらにアナリティクス、シヴァレンズもここで一気にポジションを上げていきます。シヴァレンズ、ブルーノ・シンガーの手応えはどうか。内のほうからはホワイトページ、さらにジレッドもこれに接近しています。
さあ第4コーナー回って直線に向きました。先頭はヤングアチーブ、リードは1馬身ですが外から襲い掛かるホワイトページ、赤い帽子が先頭。さらに外から追ってシヴァレンズ。馬場の真ん中からはエイトギースも来ている。内ラチ沿いからはブルベリブルー。
ここで抜け出したのはホワイトページ! 1馬身、2馬身! 2番手にはシヴァレンズか、エイトギースか。
先頭はホワイトページ、ゴールイン!
雨上がりの京都競馬場、勝ったのは6番ホワイトページ!
まっさらなページに、クラシック最後の冠を刻みつけました!
エスコートは君野佐知子! 先週の秋華賞に続いて、再び若い才能が大仕事をやってのけました!』
――――――――――――
――ホワイトページ号で菊花賞を制しました、君野佐知子ジョッキーです。おめでとうございます。
『ありがとうございます』
――強い競馬でした。
『はい。入厩した頃から見てきた馬で、能力が高いことは知ってたので、きちんと引き出してあげれば大きな舞台でもやれると思っていたので、勝たせてあげることができてよかったです』
――走破タイムはレコードでした。
『あ、そうだったんですか。あー、気づいてませんでした。あはは……』
――レース前に末永調教師から何か指示はありましたか?
『前目につけたいということでした。私も後ろからよりは前のほうでレースがしたかったので、そうなってよかったです』
――君野騎手にとっては初めてのGⅠ勝利ということですが、実感はどうですか?
『ちょっと、ほわほわしてるというか、まだ実感はないです』
――検量室では他のジョッキーからも祝福されたと思いますが。
『はい。関東の方からも関西の方からも「おめでとう」と声をかけていただきました。ひとみさんからは潰れそうになるくらいギューって抱きしめられました(笑)』
――先週の福盛田騎手に続いて、同期での初GⅠ制覇となりました。
『嬉しいです。私の中で、光は若い世代の中でいちばん上手なジョッキーだと思うので、ちょっとでも追いつけたかな、と思ってます』
――ホワイトページは今後は古馬との戦いになりますが、意気込みをどうぞ。
『はい。長距離・中距離で力を出せる馬で、今日もレコードで走ってくれた頑張り屋な馬なので、次のレースでもしっかり力を引き出してあげれるように頑張ります。これからもホワイトページを応援よろしくお願いします!』
――君野佐知子騎手、ありがとうございました。
『ありがとうございましたっ!』
――――――――――――
明くる日、佐知子のGⅠ初勝利を祝う会がトレセンの食堂でおこなわれた。
かねてより親交のある女性騎手、関東の騎手はもちろん、関西から王子進之助や永吉真琴といったトップジョッキーが参戦したかと思えば、中央競馬への移籍の話題があがっている湖月美景の姿もあった。厩舎スタッフや記者たちも交えておこなわれた宴会はたいそう盛り上がった。
会がお開きになった後、佐知子は馬場を見渡すスタンドで風にあたっていた。
「サチ、ここにいたか」
「チョーさん」
「お疲れ。お前は本当によくやってくれたよ」
「ううん。私はレースに出ただけ。厩務員のみんなのおかげだし、チョーさんのおかげだよ。あとは……」
「アイツ自身の力、だな」
「うん」
かつての相棒同士、そして今の師弟は多く言葉を交わさずとも互いに意図をくみ取っていた。
「やれやれ、ここまで来るのにいろいろあったな」
「そうだね。あっという間だった気もするし、なんだか長い旅をしてきたような気もするよ」
「…………」
「ねえ、前に聞いたことあるかもしれないけどさ」
「なんだ?」
「チョーさんの夢って何?」
「……そうだな――」
長介は被っていた帽子を外して、髪をかき上げた。
「どっかの危なっかしい弟子が早く一人前になってくれりゃあ、それでいい」
「うげっ」
「レコードタイムで走ったんだ。そのくらい把握しとけ。お前は一応ウチの厩舎の看板を背負ってるんだからな」
「はーい……」
「後は、長生きすることだな」
「長生き? へえ、まあチョーさんらしいといえばチョーさんらしいけど――はぇ?」
長介は自分の被っていた帽子を佐知子の頭に目深に被らせた。斜めになったつばのおかげで、佐知子の視界は完全に塞がれていた。
長介の声が、次第に涙声になっていった。
「その……なんだ……どこぞの危なっかしい弟子の、夢が、叶うところを見届けてやりたい、と思ったからだ」
「えっ」
「お前を……」
「…………」
「お前を二度も失いたくねえ……!」
長介は震えていた。
――佐知子の夢。
それは、五体満足で騎手を引退することと、結婚をすることだった。
それは、彼女がサーチライトだった時に果たせなかった心残りそのものだ。
「チョーさん……」
「無理するな、とは言わねえ。俺もお前も、どうせ勝負の世界でしか生きていけやしねえ職業なんだ。だから無理は承知だ。必ず、無事に帰ってこい」
「…………」
「いいな?」
「……うん」
佐知子もまた、気づけば涙を流していた。
そのままふたりは、蹄鉄の止んだスタンドで、そっと互いの手を握り合っていた。
それからどれくらい経ったろう。
心の落ち着いた佐知子が、帽子を取って長介に被せた。
「ありがと。チョーさん」
「……ああ」
「次はダービーで、恩返しさせてね」
「お前がダービージョッキーになれるのか?」
「チョーさんがなれたんだもん。私にだってなれるよ」
「大層な自信だな…………楽しみにさせてもらうよ」
「えへへっ」
佐知子はいつものように舌を出して笑った。
「でもね、実をいうと私の夢の片方は、もう叶いそう……なんだよね」
「…………はっ?」
(あ、あれっ?)
長介の目つきが変わった。
「サチ、それはどういうことだ? なんて聞かなくても分かるぜ。俺もバカじゃねえからな」
(あ、そういえばチョーさんにはこのこと内緒だったんだっけ?)
『おれたちのこと、末永先生には内緒で頼む』
『えーなんで? チョーさん、光のことかなり買ってるよ?』
『それでもだ。いつか認めてもらえるようなジョッキーになれた暁に、末永先生にはおれの口から直接伝えたいんだ。だから、秘密にしておいてくれ』
『そっか! わかった!』
(ごめん光……)
「どこのどいつだ? どこの馬の骨ともわからねえ野郎だったら俺が根性を叩き直してやる」
「あ、いや、えーと、け、競馬のことならよく知って――」
「騎手か?」
「……チガウヨ」
「騎手だな?」
「んーっ!」
目を泳がせてバレバレな佐知子は、ゲート入りを嫌がりごねる馬のごとく口を堅く結んだ。
長介は目を血走らせて、かわいいサチを誑かした犯人を突き止めようとする。
「どいつだ? 若手か? 中堅か? ベテランか? それとも外人か? ハッ、まさか王子じゃあないだろうな!?」
「なにもきこえませーん! 馬耳東風でーす!」
「なっ! サチ、それが師匠に対する態度か!」
「あーもーっ! この話終わり! はい、帰ろ!」
「待てサチ!」
さて、今回のお話で「三冠牝馬が女性ジョッキーに転生する物語」は一旦完結とさせていただきます。第一部完!と思ってください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
あ、競馬ネタがたまったらまたちょくちょく書いていきたいと思いますのでよしなに。