サチがインタビューを受けます
噂の彼女は、馬房の掃除をしている最中だった。
「あ、おはようございますっ!」
男社会、厳しい実力の世界に身を投じているとは思えないほど、屈託のない顔だ。掃く手を一旦止めて丁寧にお辞儀をする様から、人の良さがうかがえる。
「末永先生ならもうすぐ戻られると思いますよ。そうだ、お茶でもお出ししましょうか?」
律儀な子だ。厩舎のほうまで案内すると言ってくれた彼女の申し出を、私はやんわりと断った。
今日はチョーさんに用があって来たわけではないのだ。
「あれ? そうなんですか?」
――今日は君野さんを取材しに来たんです。
「あー、そうだったんですね」
彼女はニコっと微笑んで、何事もなかったかのように再び掃き掃除に戻ろうとしている。
あれ?
拍子抜けしてしまうような反応だったが、あまりにも自然だったのでこちらもそのまま流してしまった。
あの……あなたですよ?
さて、彼女にどう声をかけようか考えていると、箒を持った彼女が勢いよく近寄ってきた。
「わ、わ、わ、私ですかっ!?」
目を見開いている彼女に、コクコクと首肯して答える。
「ほんとですか? だってチョーさん……末永先生からはテレビや雑誌への露出は控えるように言われてますし、もし受けるにしても先生の許可が必要っていうことで約束してるんですけど……」
――大丈夫です。許可はもらってます。先生からお話も行っているはずだと思うんですが……
「そ、そうですか? あれ、そうだったっけ?」
※
厩舎に戻ると待ち構えていたかのようにチョーさんこと末永調教師の姿があった。サングラスと同系色のキャップを被り、腕組みしながら仁王立ちでこちらを見ていた。
「お待たせ」
「はい、よろしくお願いします」
「あのっ、私お茶淹れてきますね!」
「あ、おい」
長介の制止する声も聞かず、彼女は奥の部屋へと入っていった。
「お手数かけてすみません。やれやれ。あの調子だと、取材の予定もすっかり忘れてたみたいですね」
彼女の師匠にあたる末永長介調教師――チョーさんとは長い付き合いだ。交流するようになって二十年近く経っている。
歳は五つほど離れている彼とは、同じ時期にこの業界に飛び込んだ。競馬学校を卒業した彼はジョッキーとして、大学を卒業した私は記者として。
新人だった私は彼の番記者に指名された。
若かった頃の彼はまだ受け答えもぎこちなかった。尖っていたのか、緊張していたのか、当初は目を合わせて喋ることもできなかった。
時間と共に打ち解けていき、次第に彼が熱い魂を胸に秘めて騎手という仕事に打ち込んでいるということがわかった。競馬に関わらずプライベートな話題についても気兼ねなく話せるようになったし、一緒に食事に行くことも増えていった。友人関係といってもいいかもしれない。
現状、末永長介がまともに取材に応じてくれる(踏み込んだ話をしてくれる)のは『晴駿』――ウチだけだ。調教師になった今も。
無論、彼がメディアを嫌いになった一件についても知っている。
それだけに、彼からこの「逆オファー」を受けた時には驚いた。
「どういう心境の変化?」
「色々あったんですよ。色々ね」
「ひょっとして親心みたいなもの? 高松宮記念を勝っていよいよ貫禄が出てきたんじゃない?」
君野佐知子のデビューからわずか数週間後、末永厩舎の管理馬から待望のGⅠ馬が出た。五歳になる牡馬ストラグルは、クラシック街道とは無縁の日陰を歩いてきたような馬だった。一時はダートを走っていたこともある。しかし、昨年末に転機が訪れる。末永長介の盟友であり日本競馬界の至宝と名高い「天才」王子進之助に鞍上が変わった。はじめて重賞を制覇すると、年明けの阪急杯も制して春のスプリント王に登り詰めた。血統的にも晩成型であり、全盛期を迎えた時に良いパートナーに巡り会う幸運にも恵まれた。天才と呼ばれた男が、もう一人の天才と呼ばれた男のメモリアル勝利をエスコートしたのだった。その晩は後輩の騎手や友人達も集まって盛大に食事会が催されたのは言うまでもない。
「まあ……そうかもしれません」
笑みを浮かべた彼の表情は、どこか懐かしい雰囲気がした。まるで私達がまだ二十代の若者だった頃のようなノスタルジーがあった。
「お待たせしました!」
湯呑みを持って彼女が戻ってきた。
席に着いた彼女と相対し、私は取材を始める。ちなみにチョーさんは彼女の後ろで腕組みして立っている。さながら娘の授業参観に来ている父親のようだった、
※
「『晴駿』の野間と申します。じゃあ、取材のほういきましょうか」
「は、はいっ!」
競馬界とは関わりのない、一般的な家庭に生まれた少女は、親戚に連れられて初めて競馬場へやって来た。その時の体験が彼女の中で原風景となった。
「ファンファーレを聞いた時に、全身の毛が逆立つような、ブルブルする感覚がしました。後は夢中でした」(まさか馬だった頃の記憶が蘇ってきました、なんて言えるワケないよね……)
そして、彼女は騎手の道に進むことを決める。
たびたび乗馬へ行くようにはなったものの、本格的な訓練を受け始めたのは学校に入ってからだったという。
「お父さんとお母さん……両親には反対されると思ってたんですけど、あっさりOKが出ちゃって。『いいのー!?』と思いましたね(笑)」
競馬学校時代、女子生徒は彼女一人だけだったが、持ち前の社交性と好奇心旺盛な性格からすぐに輪の中心になっていった。
「おしゃべりなだけですよ」(だってお話するの楽しいんだもん!)
そう言うと、後ろのチョーさんがくすくすと笑った。
「こいつ、馬のことばがわかるんですよ。前世が馬なので」
「いやいやわかんないって! そりゃ嘶いたり蹴ったり睨んだりして、なんとなく考えてることがわかったりするけど、ことばとか、人間みたいなコミュニケーションは馬には無いんだよ!」
「じゃあ、なんでパドックで馬に話しかけてるんだよ」
「それは、こう、お願いしますっていう感じ……向こうが考えてることはわからないけど、こっちが考えてることは伝えておいたほうがいいと思って」
「へぇー」
「ていうかチョーさんだって話してたじゃん」
「ああ。だけど馬の耳に念仏だと思ってたな」
話が少々脱線しているようだったが師弟の、というよりもはや父娘か、兄妹のような微笑ましいやり取りだった。二人はどうやら普段から良い関係が築けているようだ。
それに気づいたチョーさんが、こちらに軽く視線を向けた。
「すみません、邪魔しちゃって」
――いえ、仲が良いようでなによりです。では、騎手になってからのお話についても。デビューしたばかりの頃と比べてレースにも慣れてきたんじゃないでしょうか?
「そうですね。学校では大体6~8頭立てのレースだったのが、フルゲート18頭のレースもザラになりましたから、難しいところはありました。まだまだ未熟な点も多いですし、色々な経験を糧にしてもっと上手くなっていきたいです」
――デビューから半年が経ち、中央・地方合わせてここまで25勝。もちろん今年デビューした新人では勝ち頭ですし、複勝率も優秀です。ご自身の中では、ここまで結果を残せている理由は何だと思いますか?
「……なんでしょう。良い馬に乗せてもらっている、から?」
彼女は確認するように上目遣いで視線を向けてくる。もしかしたら自分の中でも半信半疑なのかもしれない。
すると、控えていたチョーさんがおもむろに語り出した。
「もちろん有力馬への騎乗もあるでしょうが、女性特有の当たりの柔らかさだったり、馬と折り合いをつける技術に関しては、新人ではありますが高いレベルだと思います。力強さは物足りないですけどね。……あとは、プレッシャーに強いことですね。どんな相手に対しても物怖じせずに向かっていける度胸もありますし、相手が強ければ強いほど、大舞台になればなるほど燃えるタイプなんじゃないですか」(まあ、昔に何度も修羅場くぐってきたから、ちょっとやそっとのことでビビるようなやつではないな)
彼の言葉になるほど、とうなずく。
振り返ってみれば初騎乗初勝利の時点で、その片鱗は垣間見えていた。
初の重賞挑戦となった新潟記念でも13番人気のデイライトガールを三着に突っ込ませたのだから、ここも当然狙っていたのだろう。
――新潟記念の騎乗も印象的でしたが、夏の間だけで勝ち星を15個伸ばしましたね。
「はい。牝馬は夏なので!」(牝馬は夏なので!)
「牝馬って、お前……」
「あっ! 違うんです今のは……ごめんなさい今のところカットしてもらえますか」
頭を下げてお願いする姿はとてもユニークで愛嬌のある女の子だった。
それだけにひとたびレースになるとスイッチが入ったかのように真剣な眼差しになる彼女のギャップには目を見張った。
どうしてだろう……ふと、その昔デビュー戦から追いかけ続けて、凱旋門賞挑戦の際にはフランスまで取材に赴いた牝馬のことを思い出した。人間――騎手に、調教師に、オーナーによく懐き、一方でレースになると女王の風格を漂わせて何物も追いつけない圧巻の走りを見せた牝馬。
もし、あの子が人間の姿をしていたら、もしかするとこんな感じになったのかもしれない。と、心の中だけでつぶやいた。
――それでは女性ジョッキーの話題についても少々お聞かせください。現在、中央競馬だけで6人の女性ジョッキーがいます。地方にも目を向ければさらに多く、また海外では各国のリーディング上位に女性ジョッキーがいることもザラになってきましたが、憧れの女性ジョッキーとかいるんですか?
「いますね。ひとみさん(美浦・
郷田ひとみ。今や全国リーディング上位に食い込むほどの実力派であり、女性ジョッキーとして平地GⅠを初めて制覇した騎手だ。
そのストイックさは枚挙に暇がない。幼少期には空手で全国大会を優勝。競馬学校時代は、自ら男子と同じような坊主頭に刈った。デビュー後も一貫してベリーショートの髪型を保っている。納得いかないことがあれば先輩騎手であってもハッキリと自分の意見を言う。それでいざこざがあったという話も聞き及んでいる。
騎乗技術については間違いなく日本トップレベルといっていい。もちろん、男女混合のカテゴリで。歴代新人最多勝利を記録し、平地GⅠを制し、色眼鏡をかけた識者たちを実力で黙らせた腕前の持ち主だ。その技術はさらに磨き抜かれている。現在のポジションは王子進之助に次ぐ二位だが、今年も既にGⅠ級を三勝(交流競走含め)するなど、虎視眈々と王位奪取の機をうかがっている。
「美浦の女性ジョッキーは私とひとみさんだけなので、色々と教えてもらったり、よくしてもらってます。怒られることもたまにありますけど、皆さんが思ってるほど怖い方じゃないんですよ? アイス屋さんやカラオケにも一緒に行くので」
――そうなんですか。
「意外とかわいい歌とか歌うんですよ。あ、飲み物はお水ですけど。さすがストイックです(笑)」
「おい、あんまり言い過ぎると後で郷田にバレた時にまずいんじゃないのか?」
「えっ! あ~~っ……すいません、できればここらへんもカットで」
――善処します(笑)
「本当に、本当にお願いしますよっ!」
※
「はぁ~~~」
取材を終えた野間が引き揚げていって、佐知子は大きくため息をついた。
「お疲れさん」
「インタビューって大変なんだね……学校でメディア対応の授業は受けたけど、いざ受けるとなったら頭が真っ白になっちゃった……」
「まあ仕方ない。何事も経験だ」
「……はっ! バレてないですよね、私がサーチライトの生まれ変わりだって!?」
「どうだか……バレてるかもな」
「えええぇぇぇぇ!!」
「野間さんだって伊達に二十年以上記者やってないさ」
ムンクの絵画のように絶叫する佐知子に、長介はほくそ笑んだ。
「だけどこんな話、誰が聞いたってフィクションにしかならん。もしあの人が本を出したら、その時は印税で美味いメシでもおごってもらうか」
「美味しい、ご飯、ですか?」
佐知子の目の色が変わる。そういえばすっかり季節も秋めいてきた。花より団子だ。
サチの重賞初騎乗は新潟記念で三着でした
まあ初重賞で勝てる騎手なんてほぼいませんし・・・
なのでお兄さんも達成できなかった「重賞初騎乗で重賞制覇」を達成した武幸四郎騎手(現・調教師)はやっぱり「持って」ますね(笑)(しかも騎手としても初勝利という偉業!)