三冠牝馬が女性ジョッキーに転生する物語   作:nの者

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サチと同期の騎手のハナシです

ちなみに前話のラストでサチと「キャッ」してた彼です


ドウキ(共に並び共に往く友)

中山6R 芝 外回り1600メートル戦

 

『スタートしました。好ダッシュは4番サリー、気合いをつけていきました。

 8番サムマイトセイがこれをかわしてハナに立ちます。13番オールノヴァも今日は先行策。

 一馬身差、外の四番手につけました15番のナシオバレル。その後1番ミノベハローと11番グローリーモーニンが並んでいます。

 一馬身から二馬身開いて中団前につけた10番ヒゲエレクトリック、ほぼ並びかけて2番ロールウィズイットです。

 そこから二馬身開いて14番のアクイーステック。直後に3番ウォールワンダー、12番サヤケキがこれを追走。

 3コーナーへ向かっていきます。残り1000メートル通過しました。

 二馬身差、中団後方7番バンクホリデイ。その外に9番ノーキャスト、ジワっと押し上げていこうという構え。

 間もなく3コーナー。後ろは差が開いて5番のヘイナウと6番のアンタイトル、最後方に16番タウンヨークという展開になっています。

 既に800メートルを切って先頭は4番のサリー、リードを一馬身。

 4コーナー向かっていって二番手集団は固まっています。

 8番サムマイトセイ、13番オールノヴァ二頭が並んでいって先頭を奪いにいきます。この後ろからは15番ナシオバレル。

 好位馬群の外からは12番サヤケキ、11番グローリーモーニンが前をうかがいます。

 4コーナーカーブから直線コースに入って、先頭はサリーがまだ粘っています。

 並びかけるオールノヴァ、鞭が入った。二頭の間にはグローリーモーニン。先頭争いはこの三頭か。

 ここでサリーが後退。200を切ってオールノヴァが先頭。グローリーモーニンがそれを追う。二頭の競り合いになった。

 激しい追い比べ、オールノヴァかグローリーモーニンか!

 二頭がほとんど並んでゴールイン!

 オールノヴァかグローリーモーニンか、前二頭最後は接戦となりました。

 

 一着二着は写真判定。三着以下はすんなりと掲示板に表示されました。

 三着は逃げ粘った4番サリー、四着に追い込んできた10番のヒゲエレクトリックをわずかに凌いでいます。五着には14番のアクイーステック。

 さあ、判定のストップモーションが表示されていますが、これは微妙です。クビの上げ下げですが……ほとんど同時に見えます。

 11番グローリーモーニンが十番人気、鞍上は君野佐知子騎手。一番人気に推された13番オールノヴァは、福盛田光(ふくもりたひかる)騎手。ルーキー2人によるデッドヒートとなりました。』

 

『お手持ちの勝ち馬投票券は確定までお捨てにならないようお願い致します』

 

                  ※

 

 まだ身体が震えている。馬の興奮がこちらにも伝わってきて、伝染したかのようにぶるぶると鳥肌が立っている。

 レースの余韻の中、よく通る声がおれの名前を呼んだ。おれは、なんとなくそれを予期していた。

「光!」

「……どっちだ?」

「どっちかなあ」

「お前、差しただろ」

 おれは、自嘲気味に笑っていった。本当のところ、どちらが勝ったかなんて、もう少し後に判定が出るまではわからない。当事者として、勝ったという確信もなければ負けたという確信もやはりなかった。それだけ、ギリギリのレースだった。

 彼女は、にやりと口角を上げた。

「私はちょっと自信あるよ」

「だよなあ」

「でもね」

 ゴーグルを外して、彼女は目を細めて笑った。

「光、カッコよかったよ」

 艶めいた桜色の唇に動揺し、どきっと動きを止めていると、馬のほうが激しく首を振るった。おれは慌ててなだめすかす。

 すると外から先輩騎手の茶化すような声が飛んでくる。

「光ー! 口説くんだったらもうちょっと場所を考えろ!」

「そ、そんじゃないっすよ!」

 苦笑いしながら否定する。隣の彼女もくすくすと声を漏らして笑っていた。

「上手くなったじゃねえか、2人とも」

「ありがとうございます」おれたちの声が重なった。先輩は楽しそうにいう。「息ぴったりだ。こりゃ同着かもな」

 

                  ※

スプリングタイムス電子版 12月○○日 9:20

 一年最後。多くの中央のジョッキーにとって仕事収めとなる開催日。

 GⅠに昇格したホープフルステークス、2歳馬にとってクラシック戦線への試金石となるレースが行なわれる日。

 成績については、既にほとんどの記録が確定しているといってしまっていい。

 クラシック戦線における絶対王者がいなかった今年は、三つのレース全てを別の馬が勝利。これは牝馬に関しても同じだ。

 古馬については中距離戦線で海外のGⅠと、国内GⅠ2つを制した馬がいるので、その馬で決まりだろうというのが下馬評である。

 一方、人馬のうち人については確定済みである。

 平地競走の騎手部門は、王子進之助騎手(栗東・フリー)が最多勝利騎手、最多賞金獲得騎手の2冠を達成した。前述の馬の3勝を含めてGⅠレースを4勝したレジェンドが、またしても新たな記録を打ち立てた。これで10年連続15度目のリーディング獲得となった。

 最多勝率騎手は、郷田ひとみ騎手(美浦・フリー)。今年はNHKマイルC、安田記念、朝日FSの三つのGⅠを制覇し、全国リーディングも二位につけている。男女の枠を越え、既に「ポスト王子」の声も上がるほどの若手最有力ジョッキーは着実にステップアップしている。

 フレッシュな女性ルーキーもタイトルに名を連ねる。昨日時点で33勝を挙げて最多勝利新人騎手に内定済みなのが君野佐知子騎手(美浦・末永長介厩舎)だ。競馬学校卒業時もっとも優秀な生徒に贈られるアイルランド特別大使賞を受賞したルーキーは、デビュー戦初騎乗初勝利を挙げるなど前評判に違わぬ活躍を見せた。このままいけば郷田騎手以来2人目の女性の新人最多勝利騎手となる――

 

                  ※

 

 ホワイトボードの一着の欄には「11」と「13」が並んで書かれている。その下には「写真」の文字がある。

 

 思い返してみても、サチはあの頃から規格外だった。

 騎手になってダービー制覇、そんな夢を抱いて競馬学校の門を叩いたおれだったけど、現実は甘くない。

 五時起床の寮生活。毎日の体重管理に、厳しいトレーニング。日を追うごとに自律神経がジリジリと削られていく感覚がした。寝ても覚めても競馬のことばかりで、普通の学生らしい楽しみはほとんどなかった。

 入学直後は特にナーバスになっていた。一緒に入った同期がひとりふたりと辞めていった時、正直にいって、おれも辞めようと思った。

 思いつめたおれは、もう家に逃げ帰ってしまおうと計画を立て、実行に移した。日が沈んでから、ひっそりとトイレの窓から外に出て、塀をよじ登って敷地の外へ出ようとした。

「!」

 そこでおれは人の気配を察知した。

 教官だ。

 無我夢中で逃げようとしていたおれだったが、突然の出来事で身体が固まってしまった。そして、諦めて塀から敷地内へ戻ろうとした。

「福盛田くん……?」

 だが、おれの予想は外れた。高い声だ。ぼそりとつぶやいたのは、君野佐知子――サチだった。

 彼女は目を丸くしていった。

「何してるの? もしかしてどっか行くの?」

「……」

 やや考えてから、おれは答えた。

「ちょっと……腹が減ったから」

 なぜウソをついたのか、自分でもわからなかった。

 ただ、なんとなく彼女に後ろめたい気持ちがあったんだと思う。

「そっか。じゃあさ」

「……」

「私も行っていい?」

「……え?」

 おれは、遅れて反応した。「マジ?」と聞き返そうとする間もなく、彼女はひょいと塀を登っていた。

 

 灯りのほとんどない暗がりの道を、おれたちは歩いた。

 おれの心はグルグルと迷宮の中をさまよった。逃げ出すのは日を改めるしかないか、と嘆息しながら。

 サチは、同期の中でいちばん優秀な生徒だった。学校全体の中でも、とにかく優等生だったといえる。女性特有の柔らかさとしなやかさを備えたフォームは、無駄が無かった。全身が固いおれの不器用なフォームとは雲泥の差だった。

 落ちこぼれだったおれは、彼女のズバ抜けた素質を見るたびに、自分の不出来さを思い知らされて自己嫌悪に陥った。

 寮の中でもムードメーカーで、中心的な存在だった彼女に、おれが壁をつくっていたのは、そんな劣等感からくるものだったのだろう。

 おれの胸の内を知ってか知らずか、サチはたくさん話をしてきた。

 小さい頃に競馬を見に行った時に騎手を志したこと。競馬にのめりこんでから末永長介の大ファンだということ。食べ物の好き嫌いのこと。妹のこと。目標にしている騎手のこと。

 ニコニコと語る彼女に相槌を打つ作業をしてくると、罪悪感がわいてきた。

 数十分行き過ぎると、自動販売機の明かりが灯っていた。その前で彼女は立ち止まった。

「あった!」

 探し物を見つけたような彼女は、ジャージのポケットから小銭を取り出してボタンを押した。ガコンと音がして、取り出したのはリンゴジュース。

「福盛田くんも、何か買う?」

「えっと……あっ!」

 ポケットをまさぐって、初めて気がついた。財布を忘れてきた。

 やれやれ、どれだけおれはテンパっていたんだろうか。

 途方に暮れていると、サチが「貸してあげるね」と小銭を自販機に投入した。「いや、でも……」と遠慮したかったが、結局「どうぞ」と促されるままにボタンを押した。炭酸飲料。冷たい缶の感触が、一気におれを現実世界に引き戻していくみたいだった。

 自販機にもたれかかりながら炭酸飲料を一気飲みした。泡の弾ける感覚が口から喉まで広がって、なぜかじんわりと涙が出た。

 そして、言葉がぽろぽろと口からこぼれた。

「……君野みたいなできるやつにはわかんないだろうけど、おれ、やっていける自信がないんだよ。小学校から乗馬やってたけどさ、学校入ったらおれより上手いやつはたくさんいるし、これ以上やって本当に上手くなれるのかって……」

「…………」

「ここでやっていけるのか、とか、卒業してちゃんとジョッキーになれるのか、不安なんだよ。おれ、ダメかもしれない……」

 サチは黙ったままじっとおれのほうを見ていた。と思う。おれがずっとうつむいたままだったから、実際はどうかわからないけれど、彼女の視線は強く感じた。

 また涙が溢れた。

 なんか情けないな、と思った。こんなの、カッコ悪い。

 自販機の灯りが、弱々しい俺を糾弾するかのように煌々と照っている。

 このまま続けていける自信は無い。だけど、逃げ出してしまえばここまで積み上げてきたものを自分で全部否定しているような気持ちになるだろう。それが、怖かった。もしかすると、おれは脱走しかけたところを目撃されて安心してしまったのかもしれない。

 おれは、どっちつかずのチキン野郎だった。

 目の前を、ゆるい風の音が通り抜けていった。

「そうだったんだ……」

 サチは、おれの背中をさすっていた。手つきはやさしく、人肌のぬくもりが確かに伝わってくる。しばらく嗚咽していたおれが落ち着いた頃、彼女は言った。

「私は福盛田くんのフォーム、好きだよ」

「……よせよ」

「ううん。本当だよ。確かに、見てくれはちょっと悪いかもしれないけど、必ずしも教科書通りのフォームがいいわけじゃないから、騎手が十人いたら十通りのスタイルがあるわけだし。私がいいなって思ったのは、福盛田くんの一生懸命さが伝わってくる感じだよ。馬っていうのは賢くてね、乗っている人がどんなことを考えているか、わかるんだよね。頭のいい馬なら、人の見分けもつくし、喋ってることも覚える」

 サチはしゃべり続けた。

「私、大事なのは人と馬の信頼関係だと思ってる。だから福盛田くんの一生懸命さが伝われば、きっと馬も応えてくれるんじゃないかな」

「ウソつけ、そんな都合のいい話があるかよ」

 卑屈に溺れ、やさぐれている自分が、ひどく子供っぽく思えた。

 サチは照れくさそうに舌を見せて笑った。

「かもしれない。でも私、福盛田くんがこれまで頑張ってきたことはウソじゃないと思うよ」

「…………」

「もし、騎手の道をやめても、別の道に行っても、ここまで頑張ってきたことは糧になると思う。もし福盛田くんが、違う道に進むことになっても、私は応援するよ。もちろん、騎手を目指し続けるっていうなら、それも応援する。だって、せっかく友達になったんだから」

 屈託なく微笑むサチの顔を見て、おれは何かが許されたような気がした。そして、おれはおれのことを許してもいいんだと思えた。こんなにちっぽけで、優柔不断なやつを。

 おれはサチに答えたくて、声を振り絞ろうとした。だが、泣いて喉が渇いたせいか、かすれて上手く声が出ない。

「あ、飲む?」

 サチから飲みかけのリンゴジュースを飲ませてもらって、おれは喉の調子を整えてからいった。

「あ、ありがとな……」

「いいっていいって!」

 リンゴと同じ赤色に染まる彼女の頬を見て、おれは急に彼女との距離が恥ずかしくなった。姉三人の末っ子長男ではあるが、サチの雰囲気はどの姉のそれとも当てはまらない。

「どうしたの?」

 長いまつ毛。まん丸い瞳。甘酸っぱいにおいは果実のそれに似ていた。無意識に意識して、思わずどきりとしてしまう。

「あ、いや、なんでもない」

「そっか」というと、彼女はさっきおれが口をつけたリンゴジュースを飲み干した。おれは何かを言いかけたが、満足そうな彼女の顔を見て口をつぐむことにした。

 それから帰り道の数十分、今度はおれがサチに自分の話をする番だった。ダービージョッキーに憧れていること。好きな競走馬のこと。姉たちのこと。体重制限が厳しすぎてトイレで吐いたこと。好きなマンガやゲームのこと。

 サチはつぶさに反応してくれた。しゃべること、コミュニケーションが好きなのが彼女の性格らしい。行きに比べると、遥かに楽しい時間を過ごせた。

 寮の前まで戻ってきた。

「君野はさ――」、こんなふうによく抜け出したりしてるのかと問いたかった。

「あ、『サチ』でいいよ」

 そうして彼女はウインクを送ってきた。

「それで、私も『光』って呼んでいいかな?」

 言わずもがなおれはうなずいた。

「じゃあまた明日ね、光」

「ああ、おやすみ、サチ」

 おれが寮を抜け出したのは、この日が最初で最後になった。

 

 後検量の検量室は、GⅠレースの前にも関わらず賑やかなムードに包まれていた。騎手をはじめとした関係者たちによる拍手までわき起こっていたほどだ。

 ボードには「同着」の文字が書かれていた。

 

                  ※

スプリングタイムス電子版 12月○○日 16:01

■フリップフロップ無傷でGⅠ制覇 ホープフルS

年内最後のGⅠホープフルSが中山競馬場の2000メートル芝コースで行なわれ、短期免許で来日中のT.アザール騎乗の二番人気フリップフロップ(水戸雄二厩舎所属)が優勝。デビュー3戦3勝、無傷のGⅠ制覇となった。勝ちタイムは2分1秒8。

 

■ルーキー同着V 君野騎手34勝でフィニッシュ

中山6Rは11番グローリーモーニンと13番オールノヴァが同着V。新人勝ち頭の君野佐知子騎手(美浦・末永長介厩舎)と、同期の福盛田光騎手(美浦・野々口徹厩舎)による同着優勝となった。君野騎手はこれで今季34勝、福盛田騎手は13勝。

 

                  ※

 

 写真の中、別々の勝負服を纏った佐知子と光が肩を並べている。佐知子のほうは光の肩に右手を回してもう片方の手でピースサインを作り、光のほうはぎこちない笑みをしながら控えめにピースをして、もう片方の左手は所在なさげに虚空に漂っている。表彰式の時に気を効かせた記者のひとりが撮った写真を厩舎宛てに送ったのだ。

 佐知子はコタツの中に足を突っ込んでぬくまりながら大晦日のテレビ番組を見ていた。

「お姉、こっちの男のひとって誰?」

「ん、あー、それは光。競馬学校の同期だよ」

「ふーん。かっこいいじゃん」

「そうかな?」

 写真をまじまじと見ていた妹からそう言われ、佐知子はあまりピンとこなかった。普段の競馬に臨む姿は確かにかっこいいと思うが、こういう風にじっくりと静止画で見るとまた違う印象があるのかもしれない。

 お菓子を頬張りながら、妹は続けた。

「でも、お姉より勝ててないってことはまだまだだね」

「そんなことないと思うけど……」

「ダメ。男ならもっと強さを渇望してなくちゃ。引かぬ!媚びぬ!省みぬ!っていう感じの男じゃなきゃ認めないよ」

「えぇ……」(それはあなたの趣味じゃないの……?)

「まあ、まだ一年目だしこれからかな。がんばれよ小僧」

(〝小僧〟って言った! 今この子〝小僧〟って言った!)




青春って感じがする!・・・青春ってなんだっけ?(唐突なノスタルジー)

レースの実況と競走馬の名前を考えるのは楽しいですが、実際にレースをリアルタイムで実況するのはまずできないですね(笑)
アナウンサーの方々はすごいです。こなみ。

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