エトの埋め合わせ、それは付き人としての仕事だった。新作を出せばたちどころに売れる彼女の本は、瞬く間に話題を呼んだ。記者会見での彼女は本当に世界を憎んでいるのすらも分からないほどに、穏やかに微笑んで見せていた。カメラのフラッシュがエトを照らす、彼女は手を振ってそのカメラに応えて見せた。記者会見が終わり、送迎の車に乗ってしまえばたちまち我儘な暴君に成り果てる。後部座席に足を組み、手に顎を置き、不敵に笑う。さて、行こうか。車を出して移動する。
【黒羊の卵】、彼女の本は売れていく。何処かの学生が鉄骨事故に巻き込まれ、移植手術を受けたと言うニュースが流れたのはそれから間もなくのことだった。医者の勝手な判断とそれに奪われて、救われた命。一時は話題になるそれは無数あるニュースに埋もれ、あっという間に忘れ去られていった。……事態は進展する。アオギリの樹が全員招集された。エトにヤモリ、アヤトから下っ端まで全員が一つの空間に集まっていた。中心で座るタタラから、命令が下された。
【“リゼ”あるいは“リゼの匂いがする奴”の捕獲】
「随分、ボーっとしていたね?」
クスクスとエトが笑う。悪かった、素直に謝ってみればどうしたの、と訊かれてしまう。そうエトに訊かれてしまえば答えざるを得なかった。
「……話は聞いてたよ、少し気になることがあったんだ」
回答を、濁してしまう。確証もない憶測だからエトに伝えることは
「ふふっ、いいよ。気になることがあるんでしょ。私もやることあるから先に行ってるね」
後で答え合わせでもしようか、エトはステップを踏みながら歩き出す。そして、取り残された。自由にしてもいいということだった。……神代はどんな喰種だったのだろうか、それが一番の近道になるように思えた。出自不明の彼女、何処からきて何処へ行ったのか。俺には妙にそれが気にかかった。エトもタタラも何処からか漏れ出した情報から神代を求めているのは確かだ、それは組織に進展あること、そしてそれは必ずしも彼女でなくてもいいと言うこと。それだけは分かる。だがそれ以外が分からない、自由にしていいということを機会に行動に移すことにした。手始めに、俺が歩き始めた先は下っ端達の群れだった。同じマント同じ仮面、そんな集団に入っていけばあっという間に道が開く。目的の人物は常にガスマスクを付けた三人組を連れていた、
「……万丈。少し、話さないか?」
「……何でしょうか?」
話は聞く気があるようだ。俺達は場所を変えることにして、俺は本題に入った。11区を取り仕切っていたな、そう訊けば万丈はますます表情が硬くなった。
「だから、何だって言うんですか?」
「……11区に住んでた神代はどんな奴だったのかなと思ってな」
「リゼさんは、あの人は……ッ、こんなところに来ていい人じゃない!」
噛み付いたような言い方で万丈は睨む。赫子をまともに出せないのに、見上げた根性だ。エトの部下である俺では信用ならないようだ。そして何より、神代に対する並々ならぬ情を向けていることも確かなようで、これが命取りになるようにも思えた。万丈さん、三人組の一人が彼の肩を掴む。ハッとした表情で俺を見た後、万丈はバツの悪そうな顔で謝った。
「……すいません」
「気にするな、……万丈は神代に何か、特別な感情があるようだな」
万丈は慌てるような様子で首を振る。顔を赤らめて、分かりやすい。思わず笑ってしまう、ギョッとした様子で四人は俺を見ていた。
「照れるな、照れるな。俺の勝手な憶測だ。それで、答えられるか?……答えたくないなら、無理には聞かない。勝手に俺がやっていることだからな」
「……あんたは」
見開いた目を瞬かせ、万丈は口元を緩ませた。どうやら話してくれるようだ。リゼさんは、ポツリポツリと降り出した雨のように万丈の口から言葉が溢れ出す。万丈の話を聞く限り、知っている所は少ないように思えた。突然滞在し始めて暴食を繰り返す厄介者。周囲の認識通り神代は万丈が居た11区の喰い場の掟を破り、その結果、
「……そうか、聞かせてくれてありがとう」
「あんたは、……此処をどう思ってるんだよ」
「……どういう意味だ」
突然、万丈は妙なことを話し出す。どうやら樹に不満があるようで、聞いてもいないのにベラベラと話し始めた、反アオギリを組織して、逃げ出す心積もりを俺に打ち明ける。あんたなら信用出来る、万丈はそう言って俺に笑いかける。何を気に入ったのか知らないが、勝手に決めつける男に、無性に腹が立った。頭から冷水を被せられたように、心が冷え切っていくのを感じる。万丈は、まだ何か言っている。
「そうだ、あんたも一緒に――」
「……万丈。今の話は聞かなかったことにする。それが神代のことを話してくれた恩を返すことだと思うからな。義理はこれで返した、これでチャラだ。……違うか?」
万丈の言葉を遮る。これ以上、何かを聞いたら何かをしてしまいそうだった。面越しの眼と眼が合えば万丈の表情が固まった。急に黙り込んだことを良いことに俺は言葉を続けた。
「万丈、お前がアオギリを抜けようが消えようが構わない。好きにしろ、その時は逃げたい連中を組織して何処へなりとも逃げてもいい。勝手に隠れていろ、見つけても黙っておいてやるよ。見逃してやってもいい。……ただこれだけは言っておく。頼むから、俺を巻き込むな。お前の勝手な押し付け感情で俺を動かすな。俺を好きにしていいのは、勝手に殺していいのは、たった一人だ。それ以外が動かそうっていうのなら、……お前をどうにかしてしまいそうだ」
――だから、俺とお前が此処で他愛もない話をしただけ、そうだろ?
俺が問いかければ、万丈は戸惑いながらも頷いた。良かった、万丈は守ってくれるようだ。平和に話が済んでよかった。胸をなでおろし、お礼を言って万丈を置いていく。部屋を後にしてしばらく歩いた。頭を冷やそう、と思った。万丈が勝手に何か言っただけだ、命令なら、タタラからだって来るじゃないか。エトから引き離される、それを考えるだけでこうなるなんて、此処まで心乱されるなんて、思いもよらなかったのだ。ガンッ、思わずやりようもない感情を壁にぶつけてしまう。パラパラとコンクリートの壁がひび割れて欠けていく。破片が落ちていく光景を見下ろした。あらあら、物騒じゃない、独特の喋り方が目の前から聞こえる。見上げれば、ヤモリの傍にいる男が身体をくねらせている。確か、ニコと呼ばれているヤモリの関係者だった。
「……悪かったな、八つ当たりだ」
「んもう!!素直で可愛いわ」
……正直何をもって可愛いと言っているのか分からない、ニコとの会話はどうにもこういう舐め回すような言い方が気になって苦手だ。騒がしくして悪かった、早めに切り上げるために一言言って立ち去ることを決めた。
「待って頂戴、そこまで急がなくてもいいじゃない」
不意にニコが呼び止める。一体何だと言うのか、用件を聞こうとニコの言葉を待った。あなた、何の話をしていたの。そんな問いかけに心臓が高鳴った。せっかく忘れようとしていたのに、何故か掘り返す相手の心境が窺い知れない。八つ当たりはしないように、ニコに問う。
「……聞いていたのか?」
「いいえ、残念ながら。でも元11区のリーダーを連れ出しているのは見ていたわよ」
頭を振ってニコは答えた。どうやら、詳細は聞いていないようだ、内心ホッとしながらニコに答えた。
「他愛もないことだ、神代の話を聞いただけだ。昔、11区に住んでいたらしいからな」
「あらあら、それで」
「11区で散々好き勝手やって20区に引っ越したらしい、神代は。後は大喰いの異名通りだ」
それで話は終わりだ、これ以上ニコに話すことはない。もうニコの呼び止める言葉を聞かず、帰ることに決めた。
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取り残されたニコは頬を膨らませていた。
「んもう、ツレないんだからァ!!」
でもそこがいいわ、ニコは舌なめずりをして身体をくねらせる。
――人の生き方は二通りしかないわ、【美しく生きるか】、【美しい人のために生きるか】
素敵よねェ。ニコ以外居ない空間で、そんな言葉を口にする。ヤモリは前者だった、先程話した相手と言えば、ゾクリと背筋を舐められるような快感に襲われて、身体をくねらせる。興味深い情報も聞かせてくれた訳だしねェ、ニコは笑う。今自身を魅了してやまないヤモリの元へ向かうためにニコは足を急がせた。役に立つ女は辛いわね、そんな言葉を口にして。そして、そこには誰もいなくなった。
その後原作通り、万丈は危機感を覚えて20区に向かって、ヤモリもニコも向かいます。