琴葉葵はバーにいる~吸血鬼殺人事件~   作:一条和馬

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【前回のあらすじ】

じゅーにがつ、とーか。

きょうは、ひさしぶりに、あおいと、デート。
つくよみせんせいの、しんりょうじょにいって、それから、ふたりで、ごはんをたべたよ。
ほんとうは、よるまでいっしょにいたかったけど、おひるすぎから、またおなかがいたくなった。
たぶん、おいしいまっかなりょうり、たべすぎたんやとおもうよ。
あしたは、おねえちゃん、もっとげんきになるからな。
また、いっしょに、おでかけ、したいな。

(琴葉茜の手記より抜粋)



12月11日〈朝〉

 何やら身体がずっしり重い。

 昨日は珍しく「飲みたい」より「酔いたい」が勝った私は帰宅後もひたすら酒を呷り、気が付けば意識が混濁したまま布団の上で倒れていた。

 

 だからこの身体がずっしり重いのはきっと二日酔いのせいだろう。

 

 二日酔いのせいでこの身体がずっしり重いのなら、早く起きて水を飲まないといけない。

 

 でも身体がずっしり重いので起きられない。

 

 

 ……あれ? 今私、何回『身体がずっしり重い』って思っただろうか?

 

 

 何だかそれすら考えるのも億劫な程、とにかく身体がずっしりと重かった。

 

「ん……」

 しかし幸いな事に、瞼を開く事には成功した。

 布団以外の場所には雑誌やら何やらが適当に積まれて見えない床。

 劣化で色んな所に亀裂が入っていて、寝ている私の顔だけに直射日光を器用に当てる遮光カーテン。

いつもと変わらぬ愛しの我が部屋だった。

 

「あ、おはよう葵」

 

 キスでもするんじゃないかと言わんばかり急接近していた姉を除いて。

 

「……おはよう姉さん。何してるの?」

「う、うなされてたから……」

「それ多分、姉さんが馬乗りになってるからだと思うよ」

「あっ……!」

 

 指摘されて初めて気が付いた様子の姉が頬を紅潮させながら、私のお腹の上から離れた。

 

 ずっしり重かった身体が軽くなった。

 

「良かった。昨日飲み過ぎて動けなくなったのかと思ったよ」

「昨日飲み過ぎた事には変わりないよ。さ、ご飯作ったから一緒に食べよ?」

「うん」

 

 台所の方へと消えていく姉の後姿を見守ってから、私も立ち上がって後を追った。

 いや、正確にはすぐ後ろを着いて行ったつもりだったんだが、思い出したかのように襲ってきた二日酔いが三半規管を刺激していた。おかげで立って移動するのも一苦労である。

 

「大丈夫?」

 

 心配そうに顔を覗き込んでくる姉。

 姉とはいえ、エプロン姿の美女が心配してくれるというのはそれだけで生きる希望が湧いてくるというものだ。

 

「いや、エプロン姿の姉さんに見惚れてた」

「うふふ。嫁さんに貰いたくなったやろ? ……って、いつもこんな感じで女の子誘惑してんのかな?」

「いや、私はもっとガサツに行くけど。そういう路線も試してみる事にするよ」

「あっちゃー。妹に余計な知恵与えちゃったかな」

 

 ここ半年は家でずっとテレビを見るくらいしかやる事のなかった姉は、テレビの中から『余計な知恵』を付けてしまったのだろう。

 

 我が琴葉家の未来は、へんたいである。

間違えた。たいへんである。

 

「そういえば葵昨日帰って来てから着替えもしてないな。先にシャワー浴びる?」

「いや、お風呂にはゆっくり入りたいからご飯から先」

「さよか。ちょっと待っててな」

 

 椅子に座りながら、用意した朝食を皿に盛る姉の後姿を眺めた。

 しかし、エプロン姿というのは凶悪である。

見慣れた筈の姉が着てこれだけ情欲を煽るのだから、他の美女が着たのを見たらどうにかなりそうだった。

 

 

 

 

 

「そう言えば、IAさんはいつもエプロン姿だったね」

「実はそうなんだよね~」

 

 自宅でエプロン姿が興奮するという話をしたからか、〈ARIA〉で毎日見ているエプロン姿のIAさんをやけに意識していた私が居た。

 だが、姉さんのエプロン姿程の衝撃は無かった。

 きっとIAさんは毎日見ているから見慣れていて、姉さんの方は久しぶりに見たから新妻的な錯覚を起こしてしまっていたのだろう。

 

「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」

「いや、IAさんがお嫁さんなら毎日幸せだなんだろうなって考えてた」

「私は今でも幸せだけどー…葵ちゃんがタバコ吸うのを止めたら真剣に考えても良いよ」

「それには1000年は待たせるかも」

「すぐじゃん。全然待つよー」

 ニコニコしながら私の誘いを断るIAさんはやはり強敵だ。

 その気はないと言っておきながらパーソナルスペースが皆無なIAさんは無自覚に他人を誘惑する魔性の女なのだ。この〈ARIA〉がもう少し大通りに近い場所にあったら、きっとIAさんは色んな男を勘違いさせる恐ろしい女になっていたに違いない。

 

「IAさん、コーヒーお代わり頼んで良い?」

「良いよぉ。マキちゃーん! コーヒーおねがーい!」

「はーい!」

 

 自分で仕事しないのがIAさん流らしい。

 私は別に気にしていないが、程なくして気にしていそうな表情の弦巻姉さんがトレイにコーヒーを乗せて運んできてくれた。

 

「どうぞ」

「ありがとう姉さん」

「あ、そうだ葵ちゃん。この後時間ある? 大学院まで車で送って欲しいんだけど」

「良いよ」

 

 コーヒーを受け取りながら、私は快諾した。

 昨日の今日だが、適度な距離のドライブはそれだけで気分転換になる筈だ。

 

「えー! マキちゃん葵ちゃんとデートするのー!?」

「IAさんも休暇の日に誘ってくれたら好きな所に連れていってあげるよ」

「本当? じゃあ1000年後でどうかな?」

「すぐだな。じゃ、弦巻姉さん。車取ってくるから用意して玄関前で待ってて」

「分かった」

「……そういえば弦巻姉さん」

「ん?」

「弦巻姉さんいつもエプロンなのに、全然興奮しないよね」

「え、何それセクハラ? それとも純粋に馬鹿にしてるの???」

 

 エプロンを外した弦巻姉さんが困惑した表情で問いかけるのをのらりくらりと躱しながら<ARIA>を後にした私は、駐車場で待つフィアット500ちゃんのキーを回した。

 

「この車可愛いから好きだよ」

「文句ばっか言うギャラ子と違って弦巻姉さんは分かってるね」

「でも維持費とか大変そう」

「クラシックカーなんてそんなもんだよ。まぁ、私も買うまではよく知らなかったけど……」

 

薄井楼大学は<ARIA>から北にあるが、駐車場の前の道は一方通行なので南下を強いられてしまう。

 

 

「そう言えば、茜ちゃんの体調はどう?」

「元気だよ。今日も姉さんの朝ごはん食べて元気いっぱい」

「IAちゃんのパンケーキ食べる前にも食べてたの!?」

「デザートは別腹って言うじゃん?」

「どうして太らないのその生活で……」

 

 

 何気ない会話。流れていくいつもの景色。昨日一昨日と色々あり過ぎたせいか、一つ一つがいつもより尊いものに思えた。しかし、そんな談笑も流石に『この場所』では止まってしまう。通りかかったのは、イタコさんの遺体発見現場であるマンションのゴミ捨て場。今もどこかの報道記者らしき人物が辺りを徘徊し、それを遠巻きに眺める野次馬の御一行。自分の興味の為ならばと、死人を土足で踏ん付けるかの如き所業に私は憤りを覚えるが、一々指摘していてはそれだけで人生を無駄に終えそうなので沈黙したまま通り過ぎる事を選択。しかし、その沈黙は弦巻姉さんによってすぐに破られる事になる。

 

 

「あれタカハシ君じゃない?」

「え?」

 

 

 弦巻姉さんの指先が指し示した方向に視線を向けると、確かに野次馬の中にタカハシ君の姿があった。イケメンだけど顔が整い過ぎて背景を見紛うだろう。というのは確か写真を見た時の第一印象だったか。とまれ、私一人では間違いなく見落としていたのは間違いない。

 

 

「弦巻姉さんゴメン。ちょっと講義には遅刻してもらう」

「1単位と名探偵の助手を天秤にかけるのはズルいよホームズ先生」

「頼むから後で地味だって文句垂れないでねワトソン君」

 

 軽いやり取りの後道路脇にフィアット500ちゃんを停車させた私は弦巻姉さんと共にタカハシ君の元へと小走りで向かう。

 

 

「ちょっと君! タカハシ君だよね? 君の彼女さんがタカハシ君の事を……」

「うわっ! うわあああああああ!?」

 

 

 だが、タカハシ君の反応は予想外だった。私の顔を見るや否や血相を変えたタカハシ君は踵を返し、野次馬をかき分けて走り出してしまったのだ。

 

 

「なっ……え、何!?」

「弦巻姉さん! 車お願い!」

 

 

 「ここで逃してはいけない」直感でそう悟った私は弦巻姉さんにフィアット500ちゃんのキーを投げ渡し、タカハシ君の後を追って走り出した。「なんだ?」「なんの騒ぎよ?」野次馬達が視線を私達の方に向けるが気にしてはいられない。訳も分からず呆けている人混みをかき分けて進むが、残念ながら四捨五入して三十路の吞兵衛独身女では男子大学生の脚力には敵わず、交差点を二つ曲がった所で完全に見失ってしまった。国道に掛かった信号の手前で息を切らして立ち尽くしていると、程なくして弦巻姉さんを運転席に乗せた弦巻姉さんが現れた。

 

 

「どうだった!?」

「ゴメン見失った!」

 

 

 助手席に乗り込んだ私を確認した弦巻姉さんは交代しなくて良いのか迷っていたが、私が大げさに肩で息をして『疲れたアピール』をしたら素直にハンドルを握り直してくれた。

 

 

「それで、これからどうするの?」

「タカハシ君の現住所の目星はほとんど付いてる。先回りするしかない」

「なんで葵ちゃんの顔見て逃げたんだろうね?」

「そこが気になるんだ」

 

 

 国道を走り出したフィアット500ちゃんの助手席でスマートフォンに電話番号を打ち込む。掛けるのは勿論<ミライノタクシー>の事務所だ。

 

 

『はい。<ミライノタクシー>です』

「あ、京町セイカさんですか!? 私です! 琴葉葵です!!」

『あら、おはようございます。どうされました?』

「件の少年が降りた場所を教えて下さい! 大至急!!」

『な、何かあったんですか!?』

「葵ちゃんスピーカーモードにして! 私も話を聞くわ!!」

『あれ、その声はエロマキ……?』

 

 

 『エロマキ』というのは弦巻姉さんの渾名だ。最も、この渾名を使うのは結月さんや、今は亡きずん子さんだけだと思っていたが、本当にセイカさんと弦巻姉さんは面識があったらしい。と、そんな感傷はさておき、私は弦巻姉さんに言われた通り通話をスピーカーモードに設定した。

 

 

「セイカさん! 今ね、タカハシ君に逃げられたの! 様子が変だったから放っておけなくて!!」

『ちょ、ちょっと待ってね! えっと……えっとぉ……』

 

 

 普段大人しい弦巻姉さんが迫ってくれたからか、事の重大さをすぐに察してくれたらしいセイカさんは迅速に行動を開始してくれた。電話の向こうで書類の束をめくる音が聞こえる。その間に私はダッシュボードの下からしわくちゃに折れ曲がった街の地図を取り出した。スマートフォンを通話に使っているからグーグルマップが開けなかっただけだが、やはりこういう状況がある事を思えばアナログな装備というのは外せない。

 

 証拠は今のままでも十分に揃っていた。目撃者のそらさんが教えてくれた『<結月堂>から北にタクシーで帰っていった』というヒントに、タカハシ君母から教わった『頭文字がCのアパートの201号室』という情報。これを照らし合わせた結果、該当するアパートは6つあった。地図には『<結月堂>から北にある頭文字Cのアパート』達に丸印がつけられているので確認は容易だ。この印は私が付けたものではないが、地図の端に『ホメなくて良いぜ☆』というデカくてガサツな文字と、犬なのか熊なのかよく分からないイラストが添えられていた事から犯人の特定は容易だった。あの馬鹿、一枚しか持ってない地図に油性ペンで落書きしやがって。後でヒンヒン言わせてやる。

 

 

『あった! その日の時間帯にその近辺を走っていたウチのタクシーは1台だけ! アパート<CeIVO>の前です!』

「チェビオ……ちぇび……あれ、どこだ!?」

「大学から西に向かったとこにあるボロアパートだよ! 4丁目!!」

 

 

 <CeIVO>なるアパートが6つの中に無いと焦っていると、心当たりがあった弦巻姉さんが大体の位置を教えてくれた。大学から西に向かって指を這わせると、確かにあった<CeIVO>の文字。犬なのか熊なのかよく分からないイラストの間にあった。完全にギャラ子の見落としである。

 

 

「多分そこだ! 弦巻姉さん向かってくれ!!」

「了解!」

『頑張ってくださいね!』

「ありがとうセイカさん! 今度お茶しようね!!」

「あ、ゴメン葵ちゃん途中で通話切っちゃった」

 

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