琴葉葵はバーにいる~吸血鬼殺人事件~   作:一条和馬

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12月11日〈昼〉

アパート〈CeIVO〉は一人暮らしの学生さんがお世話になる事の多い格安物件の一つだ。最寄り駅までは徒歩30分、一番近いコンビニにも徒歩10分と、都会とも田舎とも言えないこの町では随分と交通が不便な場所である。しかし元気の有り余っている10代から見れば帰宅部でさえ徒歩30分など苦行ではない。加えて公立高校や大学が近いともなれば、必然的に学生からの人気は高まるのも納得だ。ネットの不動産屋で調べた所、間取りは簡素なワンルーム。タブレット一つあれば時間を潰せる学生なら、最低限寝る所とちゃぶ台があれば事足りるので、これも立派な城である。私が学生の頃はどうだったろうか? タブレットはまだ出てないからノートPCは置きたいが……いや、ダメだ。今更ブラックニッカのボトルとピースの缶が常備されていない学生時代なんて考えたくない。

 

 

「お待たせ。張り込みにはやっぱりあんパンと牛乳だよね!」コンビニのビニール袋をぶら下げた弦巻姉さんが戻ってきた。講義に出れないなら、もういっその事探偵を全力で楽しんでやるという気概を感じる。「私は弦巻姉さんの生搾り牛乳が飲みたい」素直に言った。心の底から言った。「出ないし。仮に出ても最初はゆかりんにあげるかな?」その姿を想像したのかにへら、と表情を綻ばせた弦巻姉さんからビニール袋をひったくり、あんパンにかぶりついた後にわざと音を立ててパック牛乳を飲み干した。

 

「甘さが足りない。今度からドリップコーヒー買ってきてよ。シュガースティック10本入れてね」

「それもうコーヒーの入った砂糖だよね?」

「コーヒーとはそういうものでしょ」

「あ、今カフェ店員の私に宣戦布告したね? 良い葵ちゃん? コーヒーっていうのは……」

 

 

 その後弦巻姉さんによる「美味しいコーヒーのドリップのやり方」なる講義を適当に相づちを打ちながら受け流し、たまに潜伏場所を変えながら待つこと一時間と少し。タカハシ君が息を切らしながら〈CeIVO〉の前へと帰還した。あの様子だと、さっきの場所からずっと走ってきたのだろうか。しかし直線距離で帰ってこればこんなに時間は掛からないはず。追っ手である私を撒くために敢えて遠回りしてきたことは容易に想像できるが、私がそこまで忌避される理由に皆目検討がつかないのだ。彼女を寝取ったから? いいや、さとうささら氏とはまだ寝てない。依頼が終わったら「一夜だけでも!」とは思ってはいるが、まだ未遂だから非難される謂れはない。

 

「部屋に入っていくよ!」

「いや、待って弦巻姉さん。私にいい考えがある」

 

 このまま私が玄関をノックしても開けてはくれないだろう。最悪の場合窓から逃走される可能性もある。ここ以外の潜伏先に当たりを付けてないので逃げられたら捜索は困難だし、なにより走りたくない。で、あれば弦巻姉さんに代わりに開けてもらうしかない。そしてその方法を張り込みの間真剣に考えていた。多感な時期の十代男子が美人な彼女にまで行き先を告げずに潜伏生活……。

 

 

……私が同じ状況に陥れば、間違いなくムラムラするだろう。

 

 

「と、言うわけで姉さん、枕営業よろしく」

「出来るわけないじゃん!?」

「ドアを開けるだけ。ドアを開けるだけでいいんだ」

「それって私の下のドアを開けるまでって下品なジョーク?」

「玄関のドアを開けるだけでいいんだけど、そこまでやってくれるなら是非お願い。あ、その前に私もご指名いいですか?」

「チェンジだバカ野郎。……はぁ、分かったよ。カギさえ開けさせたらいいんでしょ?」

 

 私の真摯な想いが伝わったのか、渋々ながら承諾してくれた姉さんを先頭に移動開始。錆び過ぎて元の色が分からない鉄の階段をおっかなびっくりしながら登り、ほどなくタカハシ君が消えた部屋の前に到達した。

 

 

「じゃ、後はよろしく」

 

 弦巻姉さんに小声でそう伝え、隣の部屋の前で屈んで待機した。ここならドアスコープを覗かれても私は視界に入らない筈だ。

 

 

「……すぅ~~~……はぁ……」

 

 扉の前で大きく深呼吸した弦巻姉さん。「よしっ」覚悟を決めてくれたらしくインターホンを鳴らす。微かにだが、中からベルの様な音が聞こえた。

 

「……あのーー……」

 

 たった数秒の沈黙だがそれに耐えられなかったのか、扉に胸を押し付け、ドアスコープを覗き見る弦巻姉さん。いいぞ! いいぞそのポーズエロい!! でも多分それだとタカハシ君眼球しか見えなくてビビるんじゃないかな!?

 

『……誰だ?』

 

 ドアの向こうからくぐもった低い声が聞こえた。タカハシ君の声だ。

 

「えっとぉ~。私『突撃! 隣の童貞君』っていうAV企画の『お前、さっき赤い目の女と一緒にいたな?』

 

 くそっ! 完璧過ぎる作戦だと思ったが、まさか弦巻姉さんの顔を見られているのは予想外だった。「どうしよう?」滝汗を流しながら横目でそんなニュアンスの視線を送ってくる弦巻姉さん。しかし残念ながらこれ以上の手が浮かばない。何か打開策はないかと脳内葵ちゃん会議が議論を重ねるが、下ネタに特化した彼女らに任せてなんとかなる状況でもなし。『今は一人か?』「う、うん」『そうか……入れ。急ぐんだ』だが、タカハシ君は何故かドアのカギを開け、弦巻姉さんを室内へと誘った。え? もしかしてあのAV企画本物だと思ってる系男子? しまった【ドッキリ大成功!】のプラカードを用意しておくんだった! 自分の行き当たりばったりな浅はかさには失望するばかりである。しかしこの状況、まさしく九割は嘘と言われた素人童貞のお宅にお邪魔する企画の残り一割としてカウントしてもいいのではなかろうか?『いやっ! 離して!』『へへへ、お姉さんの方からウチに上がってきたんだろ?』タカハシ君がゲスな笑みを浮かべて弦巻姉さんに歩み寄る『ダメッ!脱がさないで!』『うるさい! じっとしてろ!』強引に組み敷かれた弦巻姉さんの衣服が一気にめくられ、たわわに実った桃を支える下着が露になるんだ。白だ。うん、今日は白に違いない。『傷は!? 噛まれた跡はないのか!?』「いやーっ! 脱がすなドコ触ってんの!? 葵ちゃん! 葵ちゃん助けてー!! マジ無理! 緊急事態ヘルプミー!!」涙目になりながら私の名前を呼ぶが、ああ、哀れこんな所には誰も助けにはこない。無言で見つめる撮影スタッフとカメラの前に、弦巻姉さんのあられもない姿が……。

 

 

「ん?」

 

 

『葵ちゃん会議終了! 葵ちゃん会議終了!!』人一番正義感の強い葵ちゃんJの鶴の一声で会議は終了。AからZにまで分裂した脳内葵ちゃんたちの意識が統合され、五感がリアルの姿を捉えていく。高度な演算能力を得た葵ちゃん完全体が瞬時に導きだした答えは一つ「やっべ」タカハシ君潜伏先のドアノブを勢い良く回す。鍵は開いていた。「葵ちゃん!」「お、お前は!?」物が雑多に置かれた狭い部屋の奥で衣類を脱がされ半泣きになる弦巻姉さんと、今にもその柔肌に手を振れんと前かがみになっていたタカハシ君の背中があった。何という事だ! 今日の下着は黒じゃないか!! ……いや、今はそれは置いておこう。「弦巻姉さんを離せ!」土足で部屋に侵入する私。しかしタカハシ君の方が早かった!「悪魔め! これ以上近付くな!!」「悪魔はどっちよこの強姦魔!」今のは弦巻姉さん。しかしタカハシ君これをスルーし、自分の胸元から取り出した金色のネックレスを私の前に掲げた。あれは、十字架だろうか?「どうだ!? 苦しいだろう!?」なにをいってるのだろう? ちょっと心配になってきた。「安心しろ。お前は俺が守る!」弦巻姉さんに背を向けたタカハシ君がそう続ける。え、え? 待って。私が強姦魔みたいになってない? 酷い。酷すぎる。私はいつだって合意の上で美男美女を頂いてきた。いや、そりゃ、合意に至るまでに強引な所が無かったかと詰められるとちょっと怪しいが、それでも強姦魔は風評被害も甚だしい。「この空間ならお前は全力を出せない筈だ! 俺は……俺の心は絶対に渡さないぞ!!」

物語の主人公の様に格好良く決め台詞を放ったタカハシ君は部屋の隅に網で束ねられたニンニクの塊を首に巻き、怪しげな呪文を唱え始めた。

 

「……」

「……」

 

 

 私と弦巻姉さんの目が点になっている事に気が付かず、一心不乱に呪文を唱え始めるタカハシ君。しかし【本職】のイタコさんを知っていれば、そこに神秘的パワーがあるとは到底思えない。と、言うか普通の人間の私に何か影響があるのかもさっぱりだ。ただ、このままだと近所迷惑になりそうだと思った私は、部屋の隅に積み重なっていた本の一冊……【よく分かる悪魔祓い】というタイトルの内容の薄そうな割には分厚い本を手に取り、そのままタカハシ君の側頭部目掛けて軽くスイングした。「へぶっ!」タカハシ君は反応する間もなく直撃を受けたタカハシ君は衝撃で吹き飛び、そのまま壁に反対側の側頭部をぶつけ、そして床に倒れた。

 

 

「……やり過ぎたかな?」

「やり過ぎたと思う……」

 

 

 タカハシ君の頬を軽く叩いてみるが、反応はなし。仕方なく弦巻姉さんは救急車を呼び、私はさとうささら氏に電話を入れた。

 

 

 

 

 

「本当に……本当にありがとうございました!」

 

 

 実乃村医大総合病院の病室に搬送されたタカハシ君の横で、さとうささら氏が何度も頭を下げてきた。

 

 

「あ、いえその、仕事ですから……」

 

 

 一方の私は心の中ではあるが第一印象でボロクソに言った上に、最後は本で殴って気絶させたのだ。ぎこちない笑顔で返事をするしか対応が思い付かなかった。

 

 

「えっと、これ、約束のお金です……」

「いや、これは受け取れません」

「えっ?」

 

 

 成功報酬として渡そうとしてきた八万円を、私は拒否した。さり気なく手に触れたが、まるでパンの様に温かく、もっちりとした感触の手だった。

 

 

「発見はしましたが、これからお二人には色々お金が必要になるでしょう。これはその為に使って下さい」

「でも、お仕事なんじゃ……?」

「私がもう少し早く見つけていれば、タカハシ君はこのような目に合わなかったかもしれません。そのお詫びという事で……」

「じゃあ、私はどうやって感謝の気持ちを伝えればいいのでしょう?」

「では今度一緒に……ゲフン。お知り合いに困っている人がいれば、是非私の名前を出してご紹介ください。あ、私仕事で使う連絡手段がないので、こちらにどうぞ」

 

 <ARIA>の名刺を渡して部屋を出ると、廊下には弦巻姉さんとギャラ子の姿があった。ギャラ子は勤務中なので白衣を身にまとっている。

 

 

「どうだったギャラ子?」

「んぁ、葵か」

 

 

 カルテを挟んだバインダーをひらひらと振りながら、ギャラ子は診断結果を教えてくれた。難解な症状の長ったらしい説明は頭が痛くなるので省略。

 

 

「んまぁー、つまり、だ。今は大人しいが、極度の興奮状態と幻覚作用に悩まされてたっぽいな」

「それって、もしかしてクスリ……?」

 

 

 弦巻姉さんが小声で問いかけるが、しかしギャラ子は首を横に振った。

 

 

「オレも最初聞いた時はそう思ったんだが、どうもはっきりとは判断できんらしい。まず体内に覚せい剤などの薬品を使用した形跡が一切ないんだ」

「新種か?」

「仮に過去に該当例のない新種だと仮定しても、流石に体内に全く残留物がないのは説明つかねぇ。その場合手足の痺れみたいな症状が出るが、その兆候もなし。……首筋に太い注射針を刺したみたいなデカイ穴が二本開いてたから、何かしら注入したのは間違いないんだが」

「首筋の傷……」

「……そう言えばタカハシ君に脱がされた時『傷は何処だ?』って聞かれたかも」

「同じクスリを使っている仲間かどうかの確認をしたかったのか……いや、ちょっと待てマキ。お前今なんつった???」

 

 ここまで何があったか知らないギャラ子が目をギラつかせて弦巻姉さんに歩み寄る。「えっとぉ……」弦巻姉さんが歯切れ悪く私に目を向けると、ギャラ子は視線に追随する様に私の顔面に急接近してきた。

 

 

「おい葵。マキはな、若い頃男関係でちょっとトラブルがあったんだ。そんなアイツを危険な目に合わせたってんなら、たとえダチでも容赦しねぇぞ」

「いや、違う大丈夫だよ。ただタカハシ君の警戒を解く為に代わりに玄関を開けてもらったら錯乱したタカハシ君に上着を脱がされただけで……」

「その後は?」

「私が部屋に飛び込んで本で殴って気絶させた」

「うん。綺麗にクリーンヒットしてたね」

「……側頭部にあったたんこぶはお前が原因か。まぁいいや。どうもそのショックが原因で冷静さを取り戻せたらしい。ちと強く殴り過ぎだがな」

「そこは反省している」

「しかし何が原因か分からねぇのは歯がゆいなぁ。なぁマキ。お前そのタカハシとかいう男の部屋でなんか見なかったか?」

「そうだね……吸血鬼関連の書籍と、十字架にニンニクの束……後はしっかりと調べてないけど。部屋の小物の配置に何かしらの法則があったね。多分、風水。うん、風水だ。葵ちゃん、家の不自然に観葉植物が置いてあったの、覚えてる?」

「いや、全然」

「あったの。鬼門と裏鬼門……北東と南東ね? その方角に植物を置くのは魔除けの効果があると言われているの。他の小物の配置にも何か意味があったかもしれないけど、ちょっと見渡しただけだから細かい事は分からないかな……」

「……アイツ、私の事を【悪魔】って呼んでた」

「正しい」

「私が悪魔ならお前が大悪魔だぞギャラ子」

「納得いかねぇ。妥協して小悪魔だ」

「話が逸れ始めてるよ二人とも。……そうだね。タカハシ君はその正体不明のクスリで【悪魔】を見た……というのは間違いないかも?」

「その幻覚を振り切る為に吸血鬼関連の資料をかき集めてたのか?」

「だとしたらやっぱり変だな。とても理性を欠いた男の行動とは思えない。クスリをキメた奴が本を買って、賃貸マンション借りて、親に所在伝えるか?」

「……」

「……」

 

 私の疑問に対し、ギャラ子と弦巻姉さんは共に頭を捻り、そのまま喋らなくなってしまった。

 

 とりあえず人探しの依頼は終わりだ。という事で勤務中のギャラ子と<ARIA>で飲むといういつもの約束を交わした後、私と弦巻姉さんは病院を後にした。

 

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