琴葉葵はバーにいる~吸血鬼殺人事件~   作:一条和馬

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12月11日〈夜〉

「うっ……くあぁ……ッ」

 

 脳みそが振動し、視線も定まらない。何があった? 私は必死に記憶や視界の回復に勤めた。〈ARIA〉で飲んでいた。それは間違いない。イタコさんを殺したレイプ犯のクソ野郎の獄中自殺について議論し、タカハシ君が私を【悪魔】呼ばわりした事に対しての疑問も酒を交えながら知恵を絞り合ったが、結果が出なかった為に解散。良いぞ、順調に記憶のピースがハマってきた。そして、思っていた以上に飲み過ぎていたらしい私は千鳥足で〈きずな〉の自室を目指すが、途中で足をもつらせ、ゴミ捨て場にある、粗大ゴミシールを張り忘れ放置されたヨガマットの上に倒れた……。

 

 

倒れた? いや、違う。【倒された】んだ。

 

 

誰に? その疑問が浮かんだ時、私の意識は急にリアルに叩き戻された。聡明な私はこれを【本能】と呼んでいる。

 

 

「ッ!」

 

 

 状況を視認する前に【迫りくる影】に蹴りを一発。倒れた状態から足を伸ばした程度の、蹴りと呼ぶには程遠いそれはしかし襲撃者の脛を直撃し、一瞬の隙を作ることに成功した。

 

 すばやく上体を持ち上げて襲撃者の姿を確認。電柱から逆行になっていて顔はよく見えないが、体格や服装から若い男性である事は察した。

 

 

「なん……っ!」

 

 

 私が言葉を紡ぐ前に、襲撃者は動いた。相手が相当の使い手か、はたまた酔いすぎた私が油断したかは分からないが、とにかく今の私には対応出来ないスピードで両手首を捕まれ、再びヨガマットに押し倒されてしまう。

 

 

「なにしやがるッ!」

 

 

 必死に身を捩らせなるが、襲撃者が私の太ももの上に腰を下ろしたものだから抵抗らしい抵抗も出来ない。

 

 

 男が顔を近付ける。流石に三度目ともなれば誰かは分かる。タカハシ君の学生寮の前でたむろしており、また昨日の夕方に姉に骨抜きにされた【ゆでだこ青年】だった。

 

「きゅ……け……さま……」

 

 

 やられたらヤり返すの精神でも持ち合わせているのだろうか。取り巻きを侍らせずに一人でやってきた根性は認めるが、私は美女の股を強引に開かせる事は好きでも逆は大嫌いなのだ。美女ならともかくタコの異種姦なんて門前払い。なので私の選択はこうだ。

 

「ふんっ!!」

「がっ!?」

 

 

鋭い犬歯をギラつかせながら迫るゆでダコ青年のオデコに向かって、私は自身の美しいオデコを鈍器に見立てて全力でぶつけた。聡明な私はこれを【頭突き】と呼んでいる。

 

 

「吸血鬼様…吸血鬼様ァ……」

 

 

しかしゆでダコ青年は少し揺れた程度でダメージを受けた様子はない。もう何発か頭突きをお見舞いしてやれば状況を打破出来るかもしれないが、その前に私が気絶しかねない。

 

 

「やめろ! 放せ!!」

 

 

こんな大声出せたんだなと我ながら感心してしまう。性に爛れた生活を送っている手前、今更純潔なんて気にしてはいないので路上でいきなり性的暴行を受けても処女ほど取り乱しはしないだろうが、それは平時の話。レイプ犯にイタコさんを殺された記憶が新しい今、私を襲っていたのは【命の危機】そのものだった。

 

 

 それに、今のゆでダコ青年は【普通】じゃない。

 先程からブツブツと呟いているのは分かっていたが、丸刈り男子が恍惚とした表情を浮かべながら迫られている状態で冷静に聞き分ける事など出来る筈もない。ゆでだこ青年の顔が眼前へと迫る。強引に唇を奪ってやろうってやつか? 上等だ。舌噛み切ってやる。口を開ける瞬間を逃すまいと瞬きせずにゆでだこ青年を捉える。が、そこから動く気配なし。目が乾いてきた。しかしこれも狡猾な作戦の一つの可能性もある。私が目を閉じて怯える姿が見たいとかいう魂胆なら、絶対負けてやるもんか。眼球が乾きに耐えられず水分補給を開始する。まだ閉じない。「吸血鬼様…」ゆでだこ青年は動かない。瞼が痙攣してきた。「吸血鬼様…」まだ閉じない。嘘ついた。半分閉じかけた。「どうぞ…」ゆでだこ青年が動いた。頭を右に傾け、首筋を見せてくるゆでだこ青年。首にキスマークつけろってか? 恋人かよ。「どうぞ…」ゆでだこ青年は動かなくなった。もしかして強姦したいんじゃなくて、私に惚れた? 恋は盲目? いや全盲レベルだろこれ。「……吸血鬼様?」ゆでだこ青年が傾けていた頭を戻した。また目と目があった。「……お前! 吸血鬼様! じゃない!!」大声で叫んでくれたおかげでやっと何を言っているのか聞き取れた。キュウケツキサマ? 「吸血鬼様じゃない! 吸血鬼様じゃない!!」ゆでだこ青年は怒り出した。顔がゆでだこの様に真っ赤に染まってゆく。「違う! 吸血鬼様!! 供物!! 供物にする貴様!!」ゆでだこ青年が口を開いた。まるで犬の様に鋭い牙の向こうにチロチロと動く舌が見えた。チャンスはココだ! 今しかない! 内から湧き上がる生理的嫌悪感を無視し、ゆでだこ青年の唇に自分の唇を重ねた。相手のねっとりとした唾液が口内に侵入してきた。「んっ……」今すぐ吐き出したい気持ちを抑え、首を上げて更に深く唇を重ねた。「……!」ゆでだこ青年の身体が痙攣するのが伝わった。私の太ももを押さえつけていた股間がどんどん熱を帯びているのを感じる。まだ舌は入れてこない。唇の周りや歯に舌を這わせ誘う作戦に移行。美女を焦らせる為の葵ちゃんテクニックをこんな事に使う事は屈辱極まりないのだが、背に腹は代えられぬ。「ん……あっ……」艶めかしい私のexボイスもセットだ。さぁ、何人もの美男美女を天国に誘ってきた私のお口テクニック最上級フルコースだぞこの誘惑には勝てまい。そしてその時は来た。壺があれば入りたくなるというのが蛸というもの。ゆでだこ青年もDNAに刻まれた本能に遂に抗う事が出来なくなり、私の口の中にゆっくりと舌を伸ばし入れてきた。

 

 

「ふぃふぁふぁ!」

 

 

 『今だ!』と、言ったつもりだった。嚙み切ってやる勢いで口を閉じた。ただ悔しい事に、私もちょっとスイッチ入りかけていたので本気では噛めなかった。

 

 

「ギャアァァァァァァ!?」

 

 

 しかし、ゆでだこ青年にダメージを与える事には成功した。口内に溜まった血と唾液を吐き出し、一言「見たかクソ野郎!」痛みにより腕の束縛も解除されたので、セットで両手の中指も立ててあげた。「供物の! 供物の癖に!!」しかし私が優勢だったのはその一瞬だけだった。「供物!!」「ぐはぁッ!」振り上げられたゆでだこ青年の右拳が私の下半部を殴りつけた。「供物!!」「ぐはぁッ!」振り上げられたゆでだこ青年の左拳が私の下半部を殴りつけた。口の中が酸っぱくなったが、乙女の意地で逆流だけはなんとか阻止した。「供物があああああ!!」両手の指を絡ませたゆでだこ青年が、腕を頭上に振り上げた。あ、ヤバイ。あんなので腹パンされたら確実に食べたものが出てくる。ついでに赤ちゃん産めなくなっちゃいそう。少しでもダメージを和らげる為にお腹を守る様に両手で抱えた。ゆでだこ青年の拳が振り下ろされた。私は遂に目を閉じてしまった。

 

 

「葵になにしてるんじゃこの変態がああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 腹の上で衝撃が走った。

 

 私のお腹が殴られた?

 

 いや、その割には痛みはない。痛すぎて痛覚がバカになったのだろうか? 真っ暗で何も見えない。そこで私は瞼を強く閉じている事に気が付いた。目を閉じていたら暗いのは当たり前だ。私は目を開いた。

 

 

 後光に照らされた光の巨人が、そこにいた。

きっと私がギリギリまで踏ん張ってギリギリまで頑張ったけどピンチの連続だったからやって来てくれたに違いない。

 

 

「大丈夫か葵!?」

「あ、ありがとう……ウルトラマン……」

「は? 何言ってんだお前」

 

 

 よく見るとギャラ子だった。後光に見えたのは街灯だった。

 

 

 三分経たずして帰ってしまった光の巨人(※幻想)に変わって差し伸べてきたギャラ子の手を取って、私は立ち上がった。うまく足に力が入らなかったが、ギャラ子が支えてくれた。見上げると、ギャラ子は白い歯を見せて笑顔を見せている。

 

 

「……ヤバかった」

「惚れ直したか?」

「いや、本気で惚れかけた」

「次は絶対助けねぇからな」

「……そういや、あのクソ野郎はどうした?」

「あぁ、アイツならそこで伸びてるよ」

 

 

 ギャラ子が顎で指した方に顔を向けると、街灯の下でくの字に曲がれたまま白眼を向いていた。その瞬間こそ目に出来なかったが、恐らくギャラ子の全体重が乗った飛び蹴りが炸裂したのだろう。私は小柄で非力なのでカウンター主体になってしまうが、力持ちのギャラ子はそんな小細工を好まない生粋のバーサーカーなのである。

 

 

「なぁ、葵。いい加減離れて欲しいんだが」

「あ、ごめん」

 

 

 指摘されて初めて、私がギャラ子に強く抱き着いている事に気が付いた。何という事だ。この琴葉葵ともあろう者が純潔の乙女の様に身を震わせて恐怖したというのだろうか? それはない。絶対ない。少なくとも舌を噛んでやった時は確実に強気だった。確かにギャラ子が来た時凄い安心したが。ん? いや、待って欲しい。このまま離れると、解散になる。そうすると、私は帰って寝る。すると私は今日最後にキスをしたのはこの変態になるのではないか?

 人生の中でそんな最悪な一日の終わりがあって良いのか?

 いや、良い訳がない。

帰って姉さんとキスをするか?

 否。あんな野郎に私を介して間接キスさせるとか考えられない。

じゃあ、あかりちゃん?

 否。あんな野郎に私を介して間接キスさせるとか考えられない。

 

 

「あ」

「ん?」

 

 

 いるじゃん。目の前に気にしなくて良い適任者が。

 別に今日の私のヒーローに身を委ねたいとか、そんな事では断じてない。

 

 

「なんだ葵。オレの顔になにかついてぶっ!?」

 

 

 今日のギャラ子の言葉は一言一言が心に染みわたる様な魔力を秘めていて危険だった。

なので、私は黙らせる為にギャラ子の口を塞いだ。顔を合わせるのが嫌だったので、唇を合わせて塞いだ。

 

 

 そこから先、どうなったのかは正直覚えていない。

 

 ただ私が次に目が覚めたのは見慣れない布団の敷かれた畳張りの部屋の中であり、横では素っ裸になったギャラ子がいびきをかいて爆睡していた。身を起こすと、自分も衣類を纏っていない事に気が付いた。服は布団の周りに散乱していた。布団には見覚えはないが、部屋の間取りには見覚えがある。〈きずな〉の一室だ。とりあえず立ち上がった。違和感にはすぐ気が付いた。何も置いていないのだ。おそらく〈きずな〉の空室を一つラブホ代わりにしてしまったのだろう。そう言えば外のヨガマットの上にギャラ子を押し倒した時にあかりちゃんと、顔も思い出したくない元エリート刑事がセットでやってきたような気がする。

 

 

「……そうだ。姉さん……ッ!」

 

 ズボンのポケットに入っていたスマートフォンを手に取って時間を確認した。12月12日の朝6時13分。この一年、遅くはなっても朝帰りなんてした事はなかった。きっと姉は心配しているに違いない。主義には反するが一度脱いだ服を再度身に纏い、玄関へと向かった。ドアの脇の棚に鍵が置いてあったので外に出て施錠した後に郵便受けから鍵を投げ入れた。

 

 借りていた空室は一階の、大家さんであるあかりちゃんの部屋の隣だった。大急ぎで外階段を登り自室の鍵を開ける。いつぞやの黒いドレスを纏った姉さんがそこにいた。どうやら帰ってこない私を心配して外に出ようとしたらしい。目尻に涙を浮かべる姉さんが何かを訴えてきたが、緊張の糸が解けた私はそれを制して部屋に入り、最近は人よりも洗濯物が座っている時間の方が長いソファーに身を投げて、寝た。

 

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