琴葉葵はバーにいる~吸血鬼殺人事件~   作:一条和馬

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12月8日〈夜〉

     ●

 

 私とギャラ子が〈ARIA〉に着いたのは、23時を少し過ぎた頃だった。

 カウンターの端の席では弦巻姉さんがほんのり頬を赤らめながらグラスを見つめ、それをONEさんが人を小ばかにするような笑顔で見つめている。やはりそれ以外の客はいない。

 

「お帰りなさい」

 先に私達に気が付いたのはONEさんだった。私は弦巻姉さんの左横に座り、そしてその隣にギャラ子が続く。心身ともに疲れ果てたギャラ子はそのままウトウトし始めた。朝から無限のスタミナで動き続けたギャラ子だが、流石にギャラ子エネルギーにも限界があるようだ。私は原子力に代わるクリーンエネルギーとして『ギャラ子発電』を提唱し、余生を高等遊民として過ごす盛大な計画に大幅な変更を施さないといけない事に歯嚙みした。最悪この計画は凍結しなければならないではないか!じゃあこんなの煩悩も良い所だ、さっさとタバコの煙でかき消すに限る。隣でタバコ嫌いの弦巻姉さんが露骨に嫌な顔をするのを無視して、私はピースを一本口に咥え、火をつけた。ONEさんと目が合う。

「ギムレット」

「おや」

 スーパーニッカのボトルに手を掛けていたONEさんの手が、止まる。

 

「嬉しいですね。やっと私にバーテンダーの仕事をさせて頂けると」

「今日は良い事いっぱいあったからね。この流れなら成功するよ」

「良き日の締めくくりに選んでくれますか。光栄です。では、修行の成果をお見せしましょう」

 

 ウキウキと準備を始めるONEさん。彼女はバーテンダーとしての腕も、そして『話し相手』としてのトークセンスも一流だ。キレキレの『返し』に関しては一生勝てないとすらも思っている。しかしこのONEさん、どうもギムレットを作るのだけは下手なのだ。他のカクテルは大丈夫なのに、よりにもよって私の大好物であるギムレットだけが、だ。

ONEさんにカクテルの作り方を教わった弦巻姉さんは普通に作れるのにONEさんには出来ない。〈ARIA〉七不思議の一つだった。

 

「で、今日のデートどうだった?」

 弦巻姉さんがニヤニヤしながら聞いてきた。酒に弱い彼女の事だ。これが一杯目でも相当キテるかもしれない。

「それがよ聞けよマキィ!……ん、ちょっと待て。お前が飲んでるのコイルモアじゃん!」

「マジか!?」

 ONEさんのバーテン姿を眺めていた私も流石に驚く。まさか〈ARIA〉に置いているとは思わなかった!

 

「ん?これそんな名前のお酒なの?」

 弦巻姉さんがとろんとした目で応えた。彼女の目の前のラベルにはちゃんとドイツ語で『コイルモア』と書かれていたが、その上からマジックで大きく『弦巻マき』と書かれていた。誤字なのはおそらくONEさんが書いたからだろう。彼女にはひらがなとカタカナの区別がつかない。

 

「ちょっと頂戴姉さん!」

「あ、これ私の名前書いてるボトルなんだぞぅ!」

「硬い事言うなよマキ!」

 すっかり元気になった私とギャラ子はコイルモアのボトルをひったくり、カウンターから勝手に空のグラスを二つ拝借した。安くても一本1万は超える上等なウイスキーが今、私達の目の前にある。いつもなら安物の酒をチビチビと頂くが、今日はそんな細かい事いってられないのだ。なんたって私達は!仕事帰りなのだから!!

 

「注いでやろうギャラ子」

「へへっ、悪いな」

「あーっ!私のお酒ェ……」

 

 酒が入ってヘロヘロになった弦巻姉さんの豊満な胸を背中に感じながら、私はグラスにコイルモアを注ぐ。当然、最初はストレートだ。

 グラスにゴールドの液体が注がれる。ワクワクする私だが、酒通でもあるギャラ子が何やら訝しげな表情を浮かべた。

「どうした?」

「いや、コイルモアってこんな薄い色だったかなぁって」

「お待たせしました。ギムレットです」

 

 ギャラ子の疑問を断ち切る様に、ONEさんが私の前にギムレットを差し出してきた。相変わらずグラスを差し出す仕草、そしてギムレットの見た目だけは完璧だった。

「それは弦巻さん用のスペシャル仕様ですよ」

「コイルモアはコイルモアだろ。ほら、葵の分注いでやるよ」

「悪いね。折角だしONEさんも飲む?」

「一応職務中ですので」

 

 やんわりと断るONEさんを横に、ギャラ子が私のグラスにコイルモアを注いでくれた。これで三人の前には同じ酒が並んだ事になる。

「先にコイルモア頂いていい?」

「お二人の口に合うかどうか…」

「大丈夫だ他の店でも飲んでる。それにストレートだぜ?」

 

 ギャラ子は既に待ちきれないという様子だった。弦巻姉さんもちゃっかり乾杯のスタンバイをしている。何故か私が音頭をとる立場になっていた。まぁいいか。私はコイルモアの入ったグラスを手に取った。今日一日に思いを馳せる。

 

「それでは、彼女想いのタカハシ君に」

 

「ヒロとユキに!」

「ちょっと待って二人にしかわからない内容で進めないで」

「「乾杯」」

「かっ、乾杯!」

 

 ドイツで作られた『大きな森』の名を冠したウイスキーが、私の舌に触れ、そして喉に……。

 

 

 

 

「……」

 

 

 ギャラ子の方を見た。「え?」という顔をしているが、多分私も同じ顔をしていると思う。

 

 

「……」

 

 

 ONEさんの方を見た。眉を下げた笑顔を見せていた。はっきりと「だから言ったのに」と書いているのが分かった。そして、何故私達の見えない所に『コイルモア』を置いていたのかを心で理解した。

 

 

 

 これ、ほとんど水だ―――――――!!

 

 

 

 恐らく、アルコールに弱い弦巻姉さんの為に予めボトルに水を混ぜていたのだろう。ウイスキーの水割りやロックを飲む直前に用意するのは、純粋にアルコール度数も関係するが、水と混ざる段階での味や風味の変化を楽しむためだ。恐らくONEさんは目の前で9:1とかの割合でコイルモアの混ざった『水』を出されると心が傷つくと思って、ラベルに名前を書いた上で、私達から隠していたのだろう。そのさり気ない努力には思わず涙するが、それ以上にコイルモアを開発したドイツの方々に大変申し訳ない事しているのでは、と一介の酒飲みとしては思う。しかし、酒の飲み方など千差万別だ。それを理解している私とギャラ子はこの複雑な感情を『水』で流し込んだ。

 

「……やっぱコイルモアは美味いね。ギャラ子」

「あぁ、そうだな。でもマキのネームボトルを飲むのは不味かったな。悪い」

「いや、良いよぉ。やっぱお酒は友達と一緒に飲むのが一番だ」

 

 コイツさりげなく『不味い』とか言いやがった。

 が、酔っている弦巻姉さんは気にならなかったようだ。自分の好きな酒を私達が褒めたことによって完全にいい気分になっている。

 

 

 思えば今日は朝から人を騙してばかりだった気がしてならない。ギャラ子に、タカハシ夫人。そして今は弦巻姉さんにまで嘘をついてしまった。程度の差こそあれ、とても悪い事ばかりする一日だった。いつもは姉さんに報告する時は多少『色』を付けるが、今日はしっかり話して反省しよう。とりあえず今は酒を楽しもうじゃないか!私はONEさんの作ったギムレットに口を付けた。

 

 

「……ONEさん」

「はい」

「やっぱりこのギムレット、マズいよ」

「酷いですね葵さん。私には気を使ってくれないんですか?」

 

 

 

 

 今日一日色々あったが、〆の飲み会は最高だった。やはり汗水たらして真面目に働いたのが大きかったね。

 

 子どもの時、よく大人、取り分け男は「仕事の後のビールの為に働いている」なんて言っていたが、自分が成人して、労働の後に飲む酒の素晴らしさを知ればそれが誇張表現でも何でもないのを実感することが出来るよ。私は大学を中退してフラフラしていた身なので『働かないで飲む酒』の美味しさは十二分に理解しているつもりだが、こうやって改めて『働いた後に飲む酒』を堪能すると「嗚呼、どっちも甲乙つけがたいな」となるし、何より「私はお酒が大好きなんだな」と再確認する事が出来たわけだ。

 

 

 この日解散したのは、深夜1時を回った頃だった。

 デロンデロンに酔った弦巻姉さんは「よく効く頭痛薬があるから大丈夫」なんて言っていたが「頭痛薬で酔いが醒めるかアホか」とぼやいたギャラ子が“結月家”まで運ぶことになった。ギャラ子の事だ。きっとそのまま家に上がり込んでリビングのソファーで寝落ちでもするだろう。

 

 私が短い帰路をOZWORLDの侵略~the Chariots VII~の鼻歌を歌いながら移動していると〈きづな〉の前に一人の少女が立っているのが見えた。酔っている私でも見間違えるはずがない。アレは大家の紲星あかりちゃんだ。

 

「やっほーあかりちゃん。お出迎えありがとぅー!」

 自分でも分かる程に顔をにへら、と崩した私が手を振りながら近づいた。いやぁ、月夜の下の彼女も可愛いなぁ。

「葵さん……」

「へへ~っ、ただいまのハグゥ~」

 あんまりのも可愛いものだから、私はあかりちゃんに抱き着いた。そして気が付いたのだ。彼女の体温が異様に低い事に。

 

 酔いが醒めて一気に視界がクリアになる。

 腕の中で彼女が震えていた。

 この寒い夜空の下ずっと〈きづな〉の前にいたのだろう、彼女は歯をカチカチと鳴らしながらも、しかし部屋に戻ろうとしなかった。

 

「一体どうしたの……?」

 この体温差には、流石に私も真面目にならざるを得ない。

「葵さん……イタコさんが、イタコさんが帰ってこないんです……」

「えっ、イタコさんが?」

 

 そう言えば二か月分の家賃を滞納していたイタコさんが指定した期日は今日、いや正確にはもう『昨日』になってしまった訳だが、確かにこれだと期日オーバーになる。だが大家さんの事だ。きっとお金よりもイタコさんの安否が心配なのだろう。私はすっかり冷えてしまった彼女の銀色の髪を優しく撫でた。

 

「大丈夫ですよ」

「えっ……?」

 

 私はまた『嘘』をついてしまった。

 いや、これは『嘘』ではない。状況から推理した上で彼女が一番安心できるような『可能性』を選んだだけだ。今からその説明をしてあげようじゃないか。

 

「あの時イタコさんは『六日、いや二日待ってくれ』と言いましたよね?」

「いえ、『四日、いや二日』です」

 ありゃ、間違えたか。しかしそこはどうだっていいんだ。重要じゃない。私は続ける。

 

「ゴホン、ともかく。良いですか大家さん。イタコさんは一番最初に『四日でなんとか用意できる』と踏んだのです。しかし大家さんにこれ以上迷惑を掛けられまいと、なんとか極限まで予定を削って『二日』と言った。これは分かりますね?」

「はい…」

「ならば本来四日掛かった用事を彼女は二日で完遂しようとしているんですよ。例えばそうだなぁ……そう言えば彼女の実家は東北でしたね。新幹線で数時間。しかしそんな金もないので格安の夜行バスを使用したとしても……行き帰りで一日は使います。実家に戻ってからお金を工面する時間、下手をすれば親戚周りに頭を下げて事情を説明しているのかも……なんにせよ、非常に多忙なスケジュールをこなしている訳です。連絡がないのは、単に彼女が電話料金も未払いだったからでしょう。公衆電話で話すくらいなら一駅でも電車に……という可能性も捨てきれません。まぁ、ちゃんと毎月家賃払っていればそんな事は、とも思いますが、彼女は真面目です。それは私が保証します。ずん子ちゃんときりたんちゃんの名に誓った以上、遅刻はしても、雲隠れする事はないと思います」

「それは……そうですね……」

 

 私の腕の中で大家さんは納得してくれた様だ。だけど彼女は「でも…」と続けた。

「何か嫌な胸騒ぎがするんです……」

「胸騒ぎ?」

「はい。……うまく言えないのですが、今からでも探しに行った方が良いような、そんな気が……」

 

 なんてこった、『そんな気がする』オカルトの類だ。私はオカルトを信じないが、それを信じる人までは否定しない。こういうのは『棲み分け』が大事なのさ。

 

「……大家さんの気持ちは充分に理解しました。しかし、大家さんの様な可憐な少女がこんな時間に探し回ってイタコさんを見つけられると思いますか?その前に警察に未成年と勘違いして補導されるのがオチじゃないですか?」

「それは……」

 

 『若く見られる』というコンプレックスを指摘され、口を閉ざしてしまう大家さん。非常に心苦しいが、今日の私はもう『嘘』をつかないと決めたのだ。

 

「ではこうしましょう。私が早朝からイタコさんを探しに行きます。大家さんと違って車もありますし、最悪入れ違いになったら大家さんが私に連絡してくれればいい」

「良いんですか⁉……あ、でもその依頼するお金が……」

 

 【琴葉葵は何でもする便利屋だが依頼料かなり吹っ掛ける】という変な噂が大家さんの耳にも入っていたのだろう。先日のイタコさんの部屋に乗り込む時に同道した『依頼料』を差し上げていない。とでも思っているのかもしれない。今頃彼女の中では凄い桁の数字が株式市場の如く飛び交っているのかもしれない。

 

 だが私からすればこれくらいの『仕事』は単なる『暇つぶし』だし、それ以前に隣人を助ける『ご近所付き合い』に他ならない。大体、そんな事で金を取り出したら私は単なるヤクザになってしまうではないか!

 

「お金の心配はいりません」

「でも……」

 それでも食い下がってくれない大家さん。彼女の中の感情の天秤はよっぽど均衡を保つのが得意らしい。ここで「じゃあ体で払ってもらおうかグヘヘ」とでも言えば彼女は頬を紅潮させながら了承するだろうが、そんな事で支払いをOKしてしまっては以下同文。

 

「そうですね……では、大家さんの、それか大家さんの周りで困っている人がいたら、私に声をかけるように言ってください。お仕事の斡旋です」

「そんな事で、良いんですか?」

「そんな事なんてとんでもない!私にとっては仕事の有無は文字通り死活問題です。依頼されるという形でしか動けないので、どうしても受け身になってしまいます。そして私も依頼人の『人となり』から仕事を受けるか否か判断しないといけない……。もし、大家さんからの推薦であればその点を心配する事はありません。うーん、回りくどい言い方になってしまいましたね。要は私のお手伝い、と言った所でしょうか」

「なるほど……それくらいで手助けになるのであれば……」

「では、決まりですね!」

 

 私は一旦大家さんから離れ、冷たくなった彼女の手を両手でしっかりと包んだ。

「これからまた冷え込みます。大家さんも体を大事にしてください。もし帰ってきたイタコさんを、風邪をひいて出迎える訳にもいかないでしょう?」

「それは……確かに」

「なので今夜は大人しく寝ていてください。ちゃんとお風呂に入って体を温めてからですよ?」

「はい……」

 

 ようやく納得してくれた大家さんは、トボトボと自分の部屋へと戻っていった。明かりは消えていないが、窓からほのかに湯気が上がり出した。おそらく浴槽の蓋を開けたのだろう。

 

 

「……」

 私は〈きづな〉の周りをぐるりと見渡してから、それから姉の待つ305号室へと戻る事にした。階段を上がっている最中に、雪が降り始めた。

「……しばれるなぁ」

 一度動きを止めて、そして私は305号室のドアをゆっくり開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、私はこの選択を一生後悔する事になる。

 

 

 

 

 

 もし、この時大家さんを行かせておけば。

 

 

 

 

 そうでなくても、私が探しに行けば。

 

 

 

 

 もし、私が今日の段階でタカハシ君の潜伏先を見つけていれば。

 

 

 

 

 そうでなくても、彼の不可解な行動の“意味”を理解できていれば。

 

 

 

 

 もし、二日前に彼女の家賃を一旦肩代わりしていれば。

 

 

 

 

 そうでなくても、【封印の儀】が終わるまで待っていれば。

 

 

 

 

 もし、【あの日】の段階で気が付いていれば。

 

 

 

 

 

 そうでなくても……

 

 

 

 それらは所詮『たられば』の話だ。

 

 

 

 しかし、しかし。

 

 

 

 それらの『たられば』の内一つでも満たしていればあるいは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イタコさんは殺されずに済んだのかもしれないのだ。

 

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