12月10日〈昼〉
この世でファミリーレストランほど素晴らしいものはないと思う。至高と言っても過言ではない。なんたって多種多様なメニューをテーブルで待っているだけで用意してくれるのだ。材料の買い出しから調理、後片付けに至るまでひっくるめ考えると、これほどまでに効率のいい環境はないのでは、と思うほどだ。『レストラン』となると上流階級ご用達だが、『ファミリー』がつくと小さいお子様と財布に優しいのが何よりだ。
「どれも美味しそうやねぇ」
久しぶりに調子がいい、と〈月読クリニック〉の月読ショウタ先生からお墨付きをもらった姉を連れてファミリーレストランに入ったのは正解だったようだ。庶民的な店に似つかわしくない黒のドレスに身を包んだ姉が、メニューを開きながらニコニコと笑顔を見せていた。
「ゆっくり決めてもらっていいよ」
「んー、でも葵、その、お葬式の準備あんねんやろ?」
最後の方は気を使ってか、声が小さくなっていた。壁に掛けてあったデジタル時計が示すのは16時。昼飯としても遅すぎる時間だ。事実いつも親子連れで賑わうこの店も、定年を迎えやる事のない老人達が何組かいるだけだった。そろそろ『若い』という括りから追い出されそうな私達姉妹が一番若いというのはそれだけで心が安らぐ。
「片付けの時に何倍も働くから、気にしなくていいよ」
「そう?」
少し怪訝な表情を見せた姉だが、やがてサラダとミネストローネを選択した。一方の私はアルバイトらしき若い女性に「君をこの場で頂きたいな」と声を掛けそうになったのを喉元辺りで抑えつけ、リゾットを注文した。
「一年前は毎月通ってたのに、随分ご無沙汰しちゃったよね」
ゴマドレッシングのかかったサラダを上品に食べる姉を見ながら、私はリゾットを口に運んだ。
アツアツのご飯に溶けたチーズが良く絡んでいる。これがワンコインしないというのは如何なものか。
「これからまた、毎月これるようになるかな?」
一年前を思い出す。
私は昼を少なめで済ませるのでさほど変わりはないが、姉はいつも男子高生の様にステーキやハンバーグに大盛ライスを頼み、太陽な笑みを溢しながら平らげていたものだ。それで夜も巨大エビフライを丼ぶりに乗せて食べていたのに呆れていたのも覚えている。
とにかくよく食べて、よく食べる印象が強かった。
「毎日ご飯のメニュー考えるのは辛いから、早くそうしたいよ。あ、姉さんミネストローネちょっともらっていい?」
「ええよぉ」
姉があまりにも美味しそうにミネストローネを食べるものだから、思わず私も一口頂いてしまった。サラサラしたトマトスープと、しっかり煮込まれた玉ねぎが口の中で蕩ける。なんてこった、これが本物か。私は感動すると同時に「もうあの料理サイトは使わない」と固く心に誓うのだった。
デザートにプリン(ホイップクリーム付き)とコーヒーを一杯堪能した私達は会計を済ませ、ファミリーレストランから出た。一階が駐車場で二階が店舗となっているので、必然的に階段で下に向かう事になる。
12月の風が暖房で温まった体を突き刺す。身震いを一つしながら階段を降りると、スカートを抑えながらゆっくりと姉が続いてきた。これがあるから私はスカートを穿きたくないのだが、生憎ギャラ子や弦巻姉さんはその辺りを理解してくれない。
「あ、お前!」
そんな思考を遮る様に、私の後ろから声が聞こえた。振り返る。大学生らしき男が五人、その中の、鼻に絆創膏を貼った黒ジャンバーの男が私に向かって指をさしていた。
誰だっけ?
「お前、この前の暴力女!」
年上の、それも初対面の女性に対してなんて言い草だ。私は憤慨した。が、年上なので表情には見せない。一方の少年はゆでだこの様に顔を真っ赤にさせ、周りの男子はそれを見て大爆笑、それに対しても怒っている様に見える。今この瞬間、目の前で負の連鎖が誕生したわけだ。
と、この辺りで私は彼がタカハシ君の大学寮の前でたむろしていた青年である事を思い出した。私は普段街で見かけた男の顔を律儀に覚えるタイプの人間ではないが、女子大生を頂いた後と、ガトリングトーク事務のおばちゃんという強烈な記憶に挟まれることによって、うっすらと覚えていたらしい。この手法にもっと早く気が付けば学生時代もっと成績上がったのかもしれない、と酷く後悔していると、件のゆでだこ青年が肩を怒らせて歩み寄ってきていた。
しかし残念ながら、ギャラ子ほど威圧感がない。虚栄もいい所だ。
「大体なぁ! 女がなぁ! 男の顔殴るなんてなぁ!!」
「はぁ」
令和のこの時代に実に昭和思考を引き摺る青年に対し、私は一抹の不安を感じながらため息をついた。嘆かわしい事に、『時代遅れ』と言われたこの思考を持つ若者は存在する。別に矯正しろ等は言わないが、それを私に押し付けられるのはたまったものじゃない訳だ。
ゆでだこ青年の右拳が私の眼前に迫る。正面からだ。しっかりと腰の入った重い一撃。しかし格闘技の経験や、喧嘩慣れをしているかと問われれば、そうは思えない。せいぜい気弱な男子や女子ばかりに威張っていた『お山の大将』が成長して気だけが大きくなった、そんなよわよわなパンチだった。
左手の甲で外側に押すと、青年の拳は本来の狙いから大きくずれた。軽く触れただけで攻撃をかわされた事に困惑の表情を見せたゆでだこ青年。しかしそれも一瞬だった。右足を一歩前に踏み込んだ私が右手の平でゆでだこ青年の顎を救い上げたからだ。「うぇ!?」舌を噛んだ青年が悲鳴を挙げた。そのまま左足を横薙ぎ。
ゆでだこ青年は再び私の前で地面とキスをする羽目になった。
後ろで笑っていた四人から笑みが消える。私は少し後悔した。
つい軽くあしらってしまったが、後ろの四人は明らかにゆでだこ青年より体格がしっかりとしていた。一人二人ならまだしもそれが四人、しかも階段の上には姉がまだいる。先日軽く蹴飛ばせたのは一人で逃げ切れる算段もついていたからだ。今は戦うにしても逃げるにも最悪の状況だった。姉との久方ぶりの外食で気が緩んでいた自分に大きく恥じる。
更にゆでだこ青年が意地と根性で復帰。これで勝利の可能性だけが先に逃げ出したことになる。実にヤバイ。流石に連れの一人が急に女に殴りかかって返り討ちにされたのを見て逆上するような若者ではないと祈りたいが、なんせ女に急に殴りかかる男の連れなのだ。同程度かそれ以上のバカである可能性も捨てきれない。ならばいっそ先手を打ってボコボコにしてやらねばならない。
その時だ。
私の目の前に、大きな黒い蝶が舞い降りた。姉さんだ。
「こらぁ」
間延びした声、しかし姉が咎めたのは私ではなく、向かいのゆでダコ青年だった。
「こんな皆に迷惑かかる所で女の子に手ぇ出すなんて、悪い子やね」
そして、姉はしなやかな手つきで青年の顎に手を当て、一瞬だけ顔を近付けた。
「あ……」
私からは黒い帽子で見えないが、後ろの少年団がこぞって頬を染めていることから、何をしているのかは明白だ。
「ほら、ちゃんと謝れる?」
「えっと…ごめんなさい…」
「……お、おう……」
まるで別人の様な豹変っぷりに、流石の私も動揺を禁じ得ない。キス一つで子犬みたいになるとか、さては童貞集団だったのか?
「ほら葵。はよ帰ろう?」
「あ、うん……」
優雅な足取りで駐車場を歩く姉さんの後ろを、私は黙って着いて行った。
青年たちは、まだ、惚けている。
「いやぁ、久しぶりの新鮮な料理は美味しかったなぁ」
「姉さん、それはこの前の刺身に対する皮肉?」
「…ん、そんなトコかな」
ハンカチで口許を拭いていた姉がにっこりと笑った。
「じゃあ、一旦着替えに戻ろうか」
「あの、その事やねんけど…」
やはり病み上がりであったが故か姉さんは体調不良を訴えてきた。「単なる食べ過ぎやと思うんやけど…」と恥ずかしそうに言っていたが、確かに顔が少し青ざめていた。
食後直ぐに車で揺れていたのも一員だろう。車体が低いというのはこう言う時にも悪く響いてしまう。
「わかった。じゃあ、下まで送るよ」
「堪忍なぁ」
ハンカチで口許を押さえる姉は、本当に苦しそうだった。そんなに、食べ過ぎていただろうか?
〈きずな〉の自室に姉を送り届けた後、私は成人式以降二度と着ていなかったスーツに袖を通していた。まぁ、成人式も前日になって「振り袖が!葵と一緒に振り袖が、着たいんや!!!」と駄々を捏ねる姉に押しきられて赤と青の色違いの着物を着せられたので、実質今日が初めてなのだが。
「じゃあ姉さん、いってくるよ」
「ん、いってらっしゃい」
寝間着に着替え、ベッドに横になった姉に挨拶を入れた私は、急いで葬式が行われる会場へと車を走らせた。
イタコさんの親戚の数はそう多くないが、いかんせん遠路はるばる東北からやって来ている人がほとんどの為、狭い駐車場はほぼ満車となっていた。私がなんとか最奥のスペースにフィアット500ちゃんを押し込んで入り口へ向かうと、スーツ姿の美女とすれ違った。
「おい、葵!」
美女の正体はギャラ子だった。あまり見たことない、必死な形相をしていて気が付くのに遅れてしまった。
「葵、お前、車か?」
「あ、あぁ……」
今にも食い付きかねないギャラ子にたじろいでしまう。やっぱりクソガキの群れよりよっぽど怖い顔をしていらっしゃるのだ。
「悪い葵。病院まで連れていってくれるか!?」
どうやら急な『患者』が入ってきたのだろう、車のないギャラ子的には私はタクシー代のかからない移動手段という訳だ。しかし今夜は同じ知り合いで、もしかすれば私がもう少し用心していれば助かったかも知れないイタコさんの葬儀の日である。これ以上急な予定で席を空けるわけには……と、まで考えていた所で、その思想を一発で引っくり返す程の爆弾をギャラ子が口にしたのだった。
イタコさんの命を奪った松原忠司が、獄中自殺をしたと。
「一体どういう事だ!?」
「それを調べるのがオレの仕事だ!」
折角停めたフィアット500ちゃんに乗り込み、私達はギャラ子の職場である実乃村医大附属総合病院へと急行していた。夕方に差し掛かってきたからか、車の数がポツポツと増えてきている。
無心でハンドルを握るも、赤信号で止められるとどうしても何があったのかが気になって仕方がなかった。
「警察から何か聞いていないのか?」
「取り調べの関係で署内の拘置所にブチ込んでいたらしいが、どうも昼過ぎ頃に急に体調不良を訴えて、そのまま動かなくなったらしい」
「確かあの野郎、相当酔ってたって話だよな……。私の推理では、こうだ。丸一日酒から離れた松原忠司はやっと一人の人間がブレて二人に見える世界から帰ってきた。そして、レイプ殺人を犯してしまった自責の念に堪えられず、命を絶った」
「ありえない話じゃねぇな…。で、どうやって死んだと思う?」
「舌を噛み切ったか、出された食事を故意に喉に詰めたか……」
「結局はオレが切り刻んで情報集めないといけない訳か、クソッ!」
足を組み、貧乏揺すりさせている事から相当焦っている事が伺えるギャラ子。
無理もない。殺されたイタコさんの妹、ずん子さんはギャラ子の同級生だったのだ。恐らくイタコさんとの付き合いも、私よりギャラ子の方が長い。だから、そんな『姉』を殺した犯人が罪を償う前に鬼籍に入った等と聞かされ、その司法解剖をさせられるなど、心中穏やかでいられるはずがない。
「……まぁ、あのクソ野郎に合法的に刃物を入れられるという事にだけは感謝しねぇとな」
「私の分も怨み込めておいてくれ」
「任せろ。毛細血管の一つまで切り刻んで何があったか調べてやる」
元医大生としては止めるべきだったろうが、そんな気はさらさら無かった。
病院前までは20分ほどで到着した。一応帰りはどうするか聞いてみたが「〈ARIA〉で待ってろ」という一言を残して院内へ走っていくギャラ子。連絡するから飲まずに待ってろ、という意味なのかは分からないが、どうせ今日は飲める気がしない。
私はギャラ子を下ろしてすぐ、フィアット500ちゃんのアクセルを踏んだ。