「良し、到着っと」
翌朝、時刻は午前7時30分。未だ登校している生徒が殆んど居ないこの時間、音ノ木坂学院にある教員用の駐車場には紅夜とR34の姿があった。
この学校で唯一の男子生徒であると共に車通学が許可されている彼だが、登下校時に女子生徒の集団の中にこの車で入っていくのは憚られるため、こうして殆んど生徒が居ない時間を見計らって登校したのである。
「誰にも会わずに来れたか………なら、普段はこの時間帯に着けるようにするか」
そう呟き、紅夜は家を出た時間と到着した時間をメモに書き留める。
「後は下道を通った場合を検証しないとな。金はいっぱいあるが、だからと言って何時も高速使う訳にはいかねぇし」
日々ストリートレースで大金を稼いでいる紅夜は、里帰りをするたびに稼いだ金の一部を日本へ持ってきており、それらは母、深雪に作ってもらった彼の口座に入れている。
彼は10回以上も里帰りしているため、口座には日本円にして数百万円にも達する程の大金があり、その金額と比べれば、1回の高速の通行料など微々たるものだ。
だが、たまに使うだけなら未だしも、彼のように1年間使うとなれば話は別だ。しかもガソリン代や他にも車の維持費も掛かるため、かなりの出費になるのは必須。
少なくとも貯金が尽きるような事にはならないだろうが、可能であれば高速の通行料くらいは節約したい。
そのため紅夜は、余程急いでいる時以外はなるべく下道を使おうと考えており、今は登校する生徒が少ない時間帯や下道を使った場合に掛かる時間を検証中なのだ。
因みに今回検証したのは、登校する生徒が少ない時間帯だ。
「んじゃ、下道使った時の時間は明日にでも計るとしよう」
そう言ってメモを鞄にしまった紅夜は、車にロックを掛けて靴箱へ向かう。
そこで上履きに履き替えると職員室で教室の鍵を受け取り、さっさと駆け上がって中に入る。
「一番乗り。教室は俺だけの貸し切りだな」
席に着いた紅夜は、大きく体を伸ばしてそう言った。
普通の人間なら、誰も居ないというこの状況は寂しく思うだろうが、紅夜にとっては寧ろ過ごしやすかった。
その後、紅夜は机の下にあるスペースに教材を入れて準備を済ませると、スマホのアプリを起動して曲を聴こうとする。
イヤホンを取り出してスマホに繋ぎ、再生ボタンをタップする。
「そういや向こうでは、よく彼奴等とバンドやダンスやってたな」
指をコツコツと机に打ち付けてリズムを取りながら、紅夜はそう呟いた。
アメリカではストリートレーサーとして活動してきた紅夜だが、決してそれ1つしか趣味が無いという訳ではない。
1度、アレクサンドラの父、ブライアンから『ストリートレース以外にも1つや2つは趣味を作っておけ』と言われ、MAD RUNのメンバー全員で集まって話し合った結果、偶然にも全員音楽が好きだった事もあり、メンバーの1人である零の提案でバンド兼ダンスチームを結成。仲間内で何かしらのパーティーが開かれた際には、彼等でダンスやバンド演奏を披露していたのだ。
余談だが、瑠璃達Blitz Bulletのメンバーも紅夜達の影響を受け、同じようにバンドやダンスを始めており、時折動画サイトに投稿してかなり高い評価を得ている。
そして紅夜が日本に帰ってきた際には、幼馴染み6人組で演奏をしていた。
その場合は動画投稿はしないが、紅夜のダンスや楽器の腕は非常に高く、顔も整っているため、投稿すればかなりの高評価や視聴回数が期待出来るというのが、瑠璃の意見である。
それから曲を聴いている内に時間は流れ、教室に生徒が続々と入ってくる。
「おはよう、長門君!」
「おはようございます」
その中には、ことりと海未の姿もあった。
「……ああ、おはよう」
紅夜が挨拶を返すと、2人は席につく。
何故か一緒に行動している穂乃果だけが居ないが、その理由は海未の愚痴によって判明した。
彼女曰く、3人が何時も待ち合わせをしている場所で待っている時に、穂乃果から先に行ってほしいと連絡が入ったらしい。
それだけ聞けば、何か用事が出来たか、もしくは体調が優れなくて出発が遅れたと考えられるのだが、穂乃果の場合は違うようで、彼女からこのような連絡が入った際、その理由の殆んどが寝坊だというのだ。
そのため、今回の理由もそれだと思っている海未はほとほと呆れていた。
「はぁ……本当に、穂乃果の寝坊には困ったものです。何度言えば治るのでしょうか……」
「まあまあ海未ちゃん、そんなに言わないであげようよ~」
溜め息混じりに呟く海未を、ことりが苦笑を浮かべながら宥める。
「(成る程。高坂は学校では居眠り常習犯で、この3人で居る時は遅刻常習犯って訳か………結構苦労してるんだな、この2人)」
内心で2人に同情しつつ、音楽鑑賞を再開する紅夜。
数曲聴いたところでそろそろ予鈴が鳴る時間になったため、アプリを止めてスマホからイヤホンのコードを外す。
「ふぅ、間に合ったぁーっ!」
紅夜がイヤホンを鞄にしまうのと同じタイミングで、穂乃果が教室に飛び込んできた。
「長門君、おっはよー!」
パタパタと席にやって来た穂乃果がそう言うと、紅夜は先程海未達にしたのと同じように、軽く手を上げる。
「穂乃果ちゃん、間に合ったんだね」
「全く、新学期が始まって早々遅刻なんて事になったら笑えませんよ?もっと時間に余裕を持っての行動を………」
穂乃果が遅刻せず教室へやって来た事に、ことりは安堵の表情を浮かべ、海未は説教を始める。
「う、海未ちゃん。朝からお説教は勘弁してよぉ……」
涙目になってそう言う穂乃果だが、結局龍治が来るまで海未の説教は止まらず、説教が終わって席に戻った時にはグロッキーになっていたのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「ねぇ皆、コレ見て!」
昼休み、紅夜が外の景色を眺めながら1人飯を楽しんでいると、海未とことりを自分の席に呼び寄せた穂乃果が、鞄から出した数冊の雑誌を勢い良く机に置いた。
「スクールアイドル、ですか………」
「そうそう、今スクールアイドルが凄く流行ってて、それが人気の学校は入学希望者が多いんだって!今朝UTX学園って所に行ってきたんだけど、凄かったよ!そこにもスクールアイドルがあってね………」
そう言って、今度はパンフレットを取り出して2人の前に広げる。
「へぇ~」
「そ、そうなんですか………」
興味津々な様子でパンフレットや雑誌を眺めていることりの隣では、海未が顔を青ざめさせていた。
熱弁する穂乃果の様子から、彼女がやろうとしている事を悟った海未は、気づかれないように下がり始める。
「(あ、コイツ逃げようとしてるな)」
それを見た紅夜の予想は見事に当たり、こっそり会話から抜け出した海未は教室から出ようとしていた。
「それで思い付いたの!私達もスクールアイドルを………って、あれ?海未ちゃんは?」
そこで漸く海未が居ない事に気づいた穂乃果は辺りを見回す。
「ねぇ長門君、海未ちゃん知らない?」
そう聞かれた紅夜は、何も言わずに廊下の方を指差す。
「ちょっと待ってよ海未ちゃん、未だ話は終わってないよ!」
海未を追って廊下に出ると、穂乃果は彼女の背中に呼び掛けた。
脱走がバレてしまった海未は、『用事がある』という何ともありきたりな言い訳で逃れようとするが、穂乃果には通じない。
「せっかく良いアイデア思い付いたんだから聞いてよー!」
「………まるで駄々こねるガキだな」
「な、長門君って結構口が悪いんだね」
必死に海未を引き留める穂乃果にそんな辛口コメントをつける紅夜に、ことりが苦笑混じりに言う。
それからあれよあれよという間に、海未は教室内に連れ戻された。
「……貴女の言いたい事は分かっています。どうせ『私達もスクールアイドルをやろう』とでも言うつもりでしょう?」
「なんで分かったの?もしかして海未ちゃんってエスパー?」
そう言う穂乃果だが、こんなものはエスパーであろうがなかろうが分かる事だ。
雑誌やパンフレットを見せて力説してくる上に、態々スクールアイドルがある学校に行ってきたというのだから、これで気づかない方が逆におかしいというものである。
「そんなの、あれだけ熱弁されれば誰でも分かりますよ!」
「だったら話は早い!早速皆でアイドル部の設立を──」
「お断りします!」
穂乃果の言葉を遮り、バッサリと切り捨てる海未。
「なんで!?今はスクールアイドルが流行ってるんだよ!?皆こんなに可愛くてキラキラしてるんだよ!?しかも衣装だって!」
広げた雑誌のページを見せつけて熱弁する穂乃果。
「ねぇ、長門君も見てよ!凄いんだよ、スクールアイドルって!」
味方をつけようと思ったのか、穂乃果は紅夜にも声を掛ける。
ちょうど昼食を終えて弁当箱をしまったところだった紅夜は、彼女が差し出してきた雑誌を手に取り、どうでも良さそうに読み進める。
「穂乃果、長門さんを巻き込むんじゃありません!大体こんなもの、やったところで必ずしも生徒が集まるとは言えないんですよ!」
確かに、今の日本ではスクールアイドルが流行っている。これを取り入れれば、学校のアピールポイントにもなるだろう。
だが、それはあくまでも、スクールアイドルをやって、
雑誌に載っている彼女等も、それこそ血の滲むような努力の末に有名になり、こうして雑誌に取り上げられるようになったのだ。
今の穂乃果のように、単なる思い付きで始めたところで上手くいく筈が無いというのが海未の意見だった。
「はっきり言います…………アイドルは無しです!」
何も言い返せなくなった穂乃果に、とどめとばかりにそう言い放つ海未。
そして昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、彼女等3人の話し合いは何とも言えない形で幕を下ろすのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「さて、暫く時間がある訳だが、何しようかな……」
放課後、紅夜は教室に残っていた。
下校する生徒の数が減るまで未だ暫く時間があるため、暇潰しが必要だった。
穂乃果は放課後になるや否や教室を飛び出していき、海は部活に、そしてことりも用事があるため、この教室には居ない。
「……探検でもしてみるか」
鞄を持って席を立ち、紅夜は教室の外へ出る。
数日前に絵里に案内してもらったばかりなのだが、それ以来1度も行っていないが故に場所を忘れかけている教室が幾つかある。
そのため、この校内探検は何処にどの教室があるかのおさらいも兼ねていた。
「えっと、此所が科学講義室で、あっちにあるのがLL教室。それで奥にあるのが………」
校内を適当に歩き回り、各教室の場所を確認していく紅夜。
中央階段を上がって次のエリアに来ると、再び歩き回って教室の場所を確認していく。
「よし、このフロアで見ていないのは、向こうの教室だけだな。さてさて、何があるのやら」
そう呟いて歩き出そうとする紅夜だが、突如行こうとしていた方向から聞こえてきた何かに足を止める。
「ピアノの音に声か………だとすれば、向こうにあるのは音楽室だな。あそこって吹奏楽部の部室じゃなかったのか?」
大抵の学校では、吹奏楽部は音楽室で活動しているものだと相場が決まっている。
それに、たとえ吹奏楽部ではなかったとしても、合唱部の可能性もある。
だが、聞こえてくる声は1人分であるため、合唱部とも考えられない。
つまり今、音楽室を利用しているのは吹奏楽部員でも合唱部員でもない生徒だという事になる。
「(この学校では、一般生徒も自由に音楽室を使えるのか?)」
そんな事を考えながら、音楽室へ向かっていく紅夜。
ドアの窓から中を覗くと、赤毛の女子生徒がピアノを弾きながら歌っているのが見えた。
「(水色のネクタイ………という事は、彼奴は1年生か)」
この学校では学年ごとにネクタイの色が異なっており、1年生は水色で2年生は赤色。そして3年生が緑色となっている。
2年生として通っている紅夜も、赤色のネクタイをつけていた。
「(……それにしても上手いな。ピアノは勿論だが、やはり声だ。高音域や強調の部分に力みが無いし、何より声が透き通ってる)」
これまで、基本的にMAD RUNの仲間と共にストリートレーサーとして活動してきた紅夜だが、同時にバンドやダンスもしていたために音楽の心得も持ち合わせている。
そのため、彼女を一言で『上手い』と評しても、具体的に何処がどのように上手いのかが分かるようになっていたのだ。
「あっ、長門君。そんな所で何してるの?」
「ん?」
思わず聞き入っているところへ、穂乃果がやって来た。
彼女は音楽室と紅夜を交互に見ると、再び口を開いた。
「もしかして、長門君もこの声が気になったの?」
「ああ」
紅夜は頷くと、壁に凭れて再び音楽室からの歌声に集中する。
途中、スマホを取り出して歌詞を打ち込み、何という曲なのかを調べてみるものの、結果は何も出なかった。
「(曲名はおろか、それらしい歌も出てこねぇぞ………という事は何か、コレは彼奴のオリジナル曲だってのか?だとしたら凄いぞ)」
「凄い……綺麗な声………」
聞き入っている穂乃果を他所に、紅夜は歌っている女子生徒に深く感心していた。
仲間とバンド演奏やダンスをしていた紅夜だが、その曲は全て既存のものであるため、演奏するにあたって彼等がやっていた事は、精々曲の音を各々が使う楽器に当て嵌めて楽譜を作ったり、日本語の曲を英訳して歌詞を当て嵌める事ぐらいだ。
それに比べて、あの女子生徒は曲の音色やリズム、そして歌詞まで1人で作り上げたのだから、彼女の音楽に関するスキルはかなりのものだろう。
「……あっ、曲が終わったみたい」
穂乃果のその言葉で、紅夜は現実に引き戻される。
再び中を覗くと、弾き終えた女子生徒が息をついていた。
「そのようだな………それじゃあ、邪魔しちゃ悪いし、俺はもうかえ……って、おい!?」
彼女の邪魔にならないよう、静かにその場を去ろうとする紅夜だったが、穂乃果はバレようが知った事ではないとばかりに拍手を送っていた。
「ヴェェェ!?」
これには流石に女子生徒も気づいたらしく、此方に拍手を送っている穂乃果を見て驚いていた。
「凄い凄い!私、感動しちゃったよ!」
「べ、別に………」
そのまま勢いに任せ、音楽室へ乗り込んで絶賛する穂乃果。
褒められる事に慣れていないのか、その女子生徒は頬を若干赤く染めて顔を背ける。
「歌もピアノも上手だし、何よりアイドルみたいに可愛い!」
「ッ!?」
だが、その言葉がとどめになったのか、女子生徒の顔は耳まで真っ赤に染まり上がった。
何とか平静を装う彼女に、穂乃果は続けた。
「ねぇ貴女。いきなりだけど、アイドルやってみようと思わない?」
「……はあ?」
いきなり勧誘された事に、思わず呆然とする女子生徒。教室の外では、紅夜が溜め息をつきながら右手で顔を覆っていた。
「おい高坂、演奏が上手くて感動するのは分かるが、流石に急すぎるだろ。その1年困ってるぞ」
「だってこの娘、歌もピアノも上手いんだし、きっと輝けるよ!」
呆れ顔で言う紅夜に、穂乃果はそう言い返す。
「……………」
そんな2人のやり取りを呆然と見ていた女子生徒は、椅子から立ち上がった。
「何それ?意味わかんない!」
それだけ言うと、彼女は教室を後にする。
「……だ、だよねぇ~」
彼女が去った後には、そう言って乾いた笑みを浮かべる穂乃果と呆れ顔の紅夜が残された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「アイドルって………何よ、それ」
音楽室を後にした女子生徒、
自分のオリジナル曲で弾き語りしているところを見られるのは予想外だったが、それは大して気にしてはいない。
問題は、その後に茶髪の2年生が言ってきた、『アイドルをやらないか』という勧誘だった。
幼い頃から英才教育を受けてきた真姫は、特に音楽にずば抜けた才能を発揮している。
自分で作詞、作曲が出来るのも、その才能故の事だ。
だが、それをどうすればアイドルをやらないかという勧誘につながるのかが分からなかった。
「本当………意味わかんない」
誰にも聞こえないように呟いた彼女は、教室を後にする。
靴箱でローファーに履き替えると、校門前で待っている黒塗りの高級車に乗り込み、我が家へと向かうのだった。
オリキャラの名前が紅夜の母と被っていたため、変更しました。