「よし、これでOKっと」
校門から敷地内へ入った紅夜は、出掛ける前に深雪に書いてもらった校内の見取り図を頼りに教員用の駐車スペースを見つけ、その端の1つに愛車を止めた。
今日は休日だが、駐車場には彼のR34を除いて数台の車が止まっている。恐らく休日中に活動している部活の顧問のものだろう。
「それにしても、こうしてみるとつくづく俺のRが場違いだってのを思い知らされるよな」
他の車と自分の愛車を見比べながら、紅夜は苦笑混じりに呟いた。
教員の車が何処にでもあるコンパクトカーなのに対し、彼が乗ってきたR34はスポーツカーだ。それも、エアロパーツや一部に添える程度に貼られたデカールによるカスタマイズが施されている上に、スペックも1000馬力以上という、明らかに町乗りや登下校に使用するにはオーバースペックな代物だ。
エアロパーツやデカールはそんなに派手なものではなく、目立つものと言えば精々GTウイングくらいだろうが、理事長である雛直々に車通学が許可されたとは言え、少なくとも学校に乗ってくるようなものではないだろう。
だが、こればかりは紅夜としてもどうしようもなかった。
何せ、彼はこのR34を含めて車を2台持っているのだが、両方カスタマイズされたスポーツカーである上に、スペックも1000馬力前後のモンスターマシンだ。
豪希がFord Focus RSを持っているが、これは彼が仕事で使っている車であり、尚且つ長門家には、それ1台しか無い。
それに、彼はストリートレースで大量に金を稼いでいるが、たかだか1年間の通学のために別の車を購入するというのも、金が勿体無い。
いずれにせよ、車通学をするには紅夜が今持っている車を使うしかないのだ。
「まあ、Silviaを持ってくるよりは幾分かマシか。あれにはデカール貼りまくったからな」
そう呟きながら、紅夜はスマホを取り出してフォルダを開き、ある写真を表示する。
その写真には、彼のもう1台の愛車であるNISSAN Silvia S15 Spec Rが写っていた。
R34と同じようにカスタマイズが施されているが、それと比べて明らかに貼られているデカールの量や大きさ、そして派手さが違う。
R34はボディのあちこちにデカールが貼られているが、大きさはそれ程大きくはなく、色も殆んどがボディの色に近い事からそんなに人目を引くようなものではない。だがSilviaの場合、色は勿論だが1枚1枚が派手な上に大きいものが多く、R34とは逆にかなり立つ。
決して不格好という訳ではないが、これで通学するのは流石に無理があるだろう。
実際、アメリカに帰った後で雛に自分の車の画像を送り、どちらなら通学に使っても良いか訊ねた際に、彼女は既読をつけるや否やR34の方を選んでいた。
しかも、その後続けて送られてきたメッセージには、『Silviaを持ってくるのだけは絶対に止めてほしい』とすら書かれていた。
彼女としては、改造されたスポーツカーに乗ってくるだけなら何とか許容出来るが、流石に派手なデカールがあちこちに貼られたものに乗ってこられたら堪ったものではないのだろう。
「まあ、コレについては予想してたから良いんだけどな。そもそも車通学させてもらえる事自体、普通なら有り得ない事なんだし」
そう言って、紅夜はスマホをポケットに押し込んだ。
「さて、それじゃあ理事長室に向かいますかね」
R34のドアにロックを掛け、先ずは来客用の入り口へ向かおうとする紅夜。
「そこの貴方、ちょっと良いかしら?」
だが、歩き出そうとしたところで声が掛けられる。
出鼻を挫かれたような気分になりながら振り向くと、そこには制服に身を包んだ少女が立っていた。
紅夜の左目と同じ、サファイアのように青い瞳に混じりけの無いポニーテールの金髪を持ち、スタイルも良くて顔つきも整っており、可愛いと言うよりは美人と言った方が適切だろう。
「………俺に何か?」
「ええ。1つ聞きたいのだけど、理事長が言っていた試験生というのは、貴方で合ってるかしら?」
どうやら、彼女は紅夜に用があるらしい。
「ああ、此所に通う試験生は俺で合ってる」
「そう、なら良かったわ」
安心したように、その少女は言う。先程までの警戒心も、紅夜が試験生である事を知った瞬間に消えていた。
「私は
『よろしくね』と付け加え、右手を差し出す絵里。
紅夜は差し出された右手と絵里の顔を交互に見た後、おずおずと右手を差し出した。
「………長門紅夜だ。此方こそよろしく」
そう言って握手を交わすものの、その表情は何処と無く固い。
「……?まあ取り敢えず、理事長室に案内するわね」
その事を不思議に思いながらも、絵里は先に立って歩き出す。
紅夜も彼女の後に続く形で歩き出し、校舎に足を踏み入れるのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
がらんとした廊下に、2人の足音だけが響く。
耳を澄ませば部活に励む生徒達の声が聞こえてくるのだが、それでも静かだ。
生徒数の減少によって廃校の危機に瀕していると言われているだけあって、空き教室が多い。
横目で教室の中を覗けば、教室の後方に集められた机や椅子が積み上げられているのが見える。
「(うわぁ、アメリカの学校でもこんな空き教室は無かったぞ………ん?)」
そう思いながら歩いている紅夜は、何時の間にか真横についていた絵里がチラチラと此方を見ているのに気づいた。
「……何だ?」
「ッ!?あ、えっと……」
まさかバレるとは思っていなかったのか、先程の落ち着いた雰囲気から一転して慌てる絵里。
そして紅夜の目を指差しながら、言いにくそうに口を開いた。
「その、左目の眼帯が……気になって……」
「……ああ、コレの事か」
そう言う絵里に、紅夜は納得したように頷いた。
「別に大したものじゃない。
紅夜はそう言うが、これは嘘だ。傷痕など無いし、そもそも怪我なんてしていない。
「(大して親しくもない他人に見られたくはないからな………この目は)」
実は、紅夜は外出する際にオッドアイである事を知られないようにするため、左目を黒の眼帯で隠しているのだ。
昔、自分をいじめていた生徒や周囲の心無い大人から、左右で異なった色の目を『気持ち悪い』、『忌み子の目』だと言われた事がトラウマになり、外出する時は常につけているのだ。
勿論、車を運転したり、親しい人間と一緒に居る時は外しているが。
「そ、そうだったのね………ごめんなさい、嫌な事思い出させて」
その嘘を信じたのか、申し訳なさそうに謝る絵里。そんな彼女に、紅夜は気にするなと手をヒラヒラ振った。
そうして歩いている内に、2人は理事長室の前に着いた。
絵里がノックすると、中から返事が返される。
「失礼します」
そう言って先に入った絵里に続き、紅夜も理事長室に足を踏み入れる。
そこでは、グレーのスーツに身を包んだ雛が待っていた。
「絢瀬です。長門紅夜君を連れてきました」
「ええ、ありがとう絢瀬さん。それとごめんなさいね、休日なのに態々来てもらって」
苦笑混じりに言う雛に、絵里は『気にしないでください』と返す。
「じゃあ、私は外で待っているわね」
そう言って絵里が退出すると、後には紅夜と雛が残された。
「さて紅夜君、先ずは音ノ木坂学院へようこそ」
優しげな笑みを浮かべ、歓迎の言葉を投げ掛ける雛。
「明後日から、貴方はこの音ノ木坂学院の生徒です。試験生という特殊な立場だけど、あまり深く考えず、あくまでも一学生として過ごしてね」
「了解しました………因みに、何か気を付ける事はありますか?一応女子校に男が来る訳ですし、反対意見が出たりしたんじゃ?」
淡々と答えた紅夜は、ふと浮かんだ疑問を投げ掛ける。
その瞬間、雛の表情が曇った。
「出たんですね?」
「ええ……残念ながら」
それから彼女は、主に一部の女性教員やOG、保護者からの反対の声が上がっていた事を伝えた。
『今行うのはあまりにも急すぎる』、『もっと慎重に考えるべきだ』という真っ当な考え方をする者も居たが、それよりも感情論や私的な理由で反対する者が、教職員に多かったという事も。
「勿論、それらの意見は私の方で捩じ伏せておいたわ。それから教員にも、不満の矛先を貴方に向けるようなら然るべき処分を下すと釘を刺しておいたから、安心して良いわよ」
「そ、そうですか………ありがとうございます」
学校の未来が懸かっているとは言え、たかが1人の試験生のためにそこまでやるかと若干引きつつ、紅夜は礼を言った。
それから男子トイレや更衣室といった設備に関する注意や、明後日の予定、そして、試験生として学期ごとに提出するレポートについて説明を受けた後、制服や教材が入った袋を受け取った。
因みに、制服のサイズは既に報告済みである。
「それにしても、俺1人のために特注で制服を作るとは、よくやりますね」
「当然よ。今後それを着る男子生徒が現れるかもしれないんだし、何より他の生徒が制服の中で貴方だけ私服なんて、流石に無理があるわ」
袋を開けて制服を見ながら言う紅夜に、雛は苦笑混じりに返した。
「さて、取り敢えず今日やる事は終わったから、後は綾瀬さんに校内を案内してもらうだけね………あっ、でもその荷物を持ったままじゃ──」
「大丈夫ですよ、これくらい慣れてるので」
雛が言い終えるより先に、紅夜はそう言った。
アメリカで暮らしている時は、ストリートレースをする傍ら、ステイ先の仕事を手伝っていた紅夜。
その内容が殆んど力仕事だったため、今更教材を持って歩き回る程度で音を上げる程やわではない。
「そ、そう………それじゃあ、もう行って良いわよ」
そう言われた紅夜は、『失礼します』とだけ言って理事長室を後にした。
その後、廊下で待っていた絵里と合流し、彼女に校内を案内してもらうのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~
「はぁ……」
紅夜が去った後、1人残った雛は椅子に腰掛け、小さく溜め息をついた。
「あの様子だと、未だ完全には信用されていないみたいね………あの警戒のしようは、そこらの野良猫と同じ、いや、それ以上かしら」
そう呟いた彼女が思い浮かべるのは、紅夜の目だ。
自分を見つめる赤い瞳からは、かなりの警戒心が感じられた上に、自分が紅夜の味方である事を伝えても、あまり信じているようには見えなかった。
「成る程、先輩が言ってたのはこういう事だったのね」
そう呟いた雛は、紅夜が一旦アメリカに帰ってから再び深雪と会い、紅夜が昔受けていたいじめについて話した時の事を思い出した。
白髪にオッドアイという、普通に生まれ育った者からすれば明らかに異様な姿をしている紅夜。
クラスという1つの集団の中で、紅夜だけが違う姿をしている、ただそれだけのくだらない理由で、彼はいじめを受けていた。
しかもタイミングの悪い事に、彼がいじめを受けている間に、『人の個性を尊重しよう』という授業が行われており、たとえ言語や文化が違う外国人だろうと障害を持っていようと、同じ人間として尊重するべきだという事を習っていた。
だが、人間とは時として汚い生き物で、その場では良い顔をしても裏で迫害する他、『十人十色』や『皆違って皆良い』といった聞こえの良い言葉を作り、その癖いざ自分達とは違った存在が現れると、それを異物として排除しようとするのだ。
それに彼の敵は、クラスでのいじめっ子だけに留まらなかった。
当時、長門家の隣には若い夫婦が住んでいたのだが、その夫が、引き籠ってしまった紅夜について、その容姿や暴力事件の事もあって『薄気味悪い化け物』と暴言を吐いたのだ。
勿論、この男はその後、息子を傷つけられた事に怒り狂った豪希による鉄拳制裁を受けたのだが、これが決定打となり、紅夜は大人も信用しなくなり、豪希や深雪、はたまた味方になってくれた知り合いすら拒絶するようになったのだ。
「…………」
雛は徐にスマホを取り出すと、アルバムのアプリを開いて1枚の写真を表示する。それは、アメリカに移り住んだ紅夜が初めて里帰りした時、家族や幼馴染み達との和解を果たした記念に撮った写真で、深雪から送られてきたものだった。
家族や仲間達に囲まれた紅夜は、心の底から幸せそうな表情を浮かべていた。
「(紅夜君。幼い頃から他人の害意に晒されてきた貴方に、他人の私が言っても説得力は無いのかもしれない。でも、貴方がこの学校生活を楽しみ、悔いの無い生活を送れるように、全力でサポートするわ。教師として……そして、1人の大人として)」
この場に居ない紅夜に向けて、雛はそう誓いを立てるのだった。