土曜日の夕暮れ、神田明神では練習に励む穂乃果達μ'sの姿があった。
そこには勿論、新入生歓迎会までの期間限定マネージャーとなった紅夜の姿もある。
「1、2、3、4、5、6、7、8……!」
彼の手拍子と掛け声に合わせ、辿々しさを見せながらもステップを踏む3人。この様子から分かるように、彼女等が今やっているのはダンスの練習だ。
曲が昨日の時点で出来ていた事に加え、ことりがある程度の振り付けを考えていたのもあり、今回からはダンスの練習も取り入れられたのだ。
ライブ本番までの残り時間は、もう1ヶ月も残されていない。にもかかわらず、彼女等は未だに歌やダンスといったパフォーマンス面の練習に踏み出せていない。
つまり3人は、この残り少ない時間で1年生に見せられるだけのパフォーマンスを仕上げなければならないという事だ。
だからこそ、こうして早速ダンスの練習を取り入れている。少しでも多くパフォーマンスの練習時間を確保するには、それしかない。
そのため練習前に話し合った結果、今後の練習では午前に体力作りを少し短縮して行い、空いた時間にダンスや歌の練習を。そして午後は、ダンスや歌の練習をメインにする事に決まったのである。
「……よし、ストップ!」
紅夜が号令を掛けると、3人の動きが止まる。
ダンスの練習をするのは今日が初めてというのもあり、いきなりは通さず一定の区間で区切り、元々の曲よりテンポを落として行ったのだが、それでも彼女等の表情には疲れの色が出ている。
「今日はここまでだ。お疲れ様」
そう言って、スポーツドリンクのボトルを渡す紅夜。
余程喉が乾いていたのか、3人はそれを受け取るや否や蓋を開けて口をつける。
海やことりが少しずつ飲んでいる中、穂乃果は一気に半分以上飲んでいた。
顔を上に向けて片手を腰に当て、上体をやや反らしてごくごくと喉に流し込んでいく。
「んくっ、んくっ………ぷはぁーっ!この1杯のために生きてるなぁ!」
「会社帰りのサラリーマンですか………」
海未が呆れ顔でツッコミを入れ、ことりが苦笑を浮かべる。何時もの3人のやり取りだった。
「……………」
そんな彼女等を尻目に、紅夜はルーズリーフタイプのメモ帳を開いて今日の練習内容やその反省点を書き留めていた。
「こんなモンかな」
そう呟くと、紅夜はそのページを外して3人に差し出した。
「今日の反省点を纏めといたから、後で写真撮るなりして家でも確認しておいてくれ。素人の意見だが、無いよりはマシな筈だ」
「うん、ありがとっ!」
メモ用紙を受け取り、笑みを浮かべて感謝を伝える穂乃果。海未とことりもそれを覗き込むと、揃って笑みを浮かべた。
「本当に、長門さんがマネージャーになってくれて良かったですね。練習中も分かりやすく教えてくれましたし」
「そうだね。振り付けの修正とかも考えてくれたから、ことりも助かっちゃった!」
「…………」
紅夜は、そんな3人に言葉を失っていた。
「(変な奴等だ、文句1つ言ってこねぇ………今まで勧誘拒否してきた人間が、偉そうにマネージャー面してあれこれ指示出してんだぞ?何故不満を言わない?)」
今まで何度も勧誘を断ってきた自分が指示を出しているのに、彼女等は嫌な顔1つせずに従っている。
休憩中にトイレに行くと嘘をついてその場を離れ、物陰に隠れて彼女等の会話を聞いてみたのだが、愚痴を溢している様子も無かった。
「本当にありがとね、長門君!」
終いには、こうして感謝を伝えてくる。
そんな彼女等の反応は、果たして演技なのか、それとも本心なのか…………それは、紅夜には分からなかった。
「あ、ああ……」
そのため、返事もいまいちパッとしない。気まずそうに目線を逸らし、頬を掻いている。
その後は次に集まる日時を決め、今日は解散となった。穂乃果達は神社の裏で着替えるとの事なので、紅夜とは此所でお別れだ。
「じゃあ、また明日な」
「うん!」
穂乃果が答えると、残りの2人が彼女を挟むようにして1列に並ぶ。
「……どうした?」
怪訝そうに首を傾げる紅夜。だが、3人はそれに答えず互いに顔を見合わせると、改めて紅夜に顔を向け、深々と頭を下げた。
「「「ありがとうございました!」」」
「…………」
またしても、紅夜は言葉を失う。この言葉は、MAD RUNに居た時でも言われた事が無い。
「(コイツ等、今日1日で何回俺を困惑させれば気が済むんだ?)」
そう心の内で呟きながらも、『ああ』と短く返す紅夜。そして踵を返すと、今度こそ愛車の元へ向かう。
長い石段を下りて路地を進み、コンビニの駐車場に入る。すると彼の愛車、R34が待っているのが見えた。
共にアメリカのストリートを駆け抜けてきた愛車の姿に、紅夜は頬を緩ませる。
「ようR、待たせて悪いな」
そう言いつつ乗り込んだ紅夜は、キーを回してエンジンに火を入れる。
すると、1026馬力を誇るRB26DETTエンジンが目覚め、キュルキュルと短く音を立てた後に唸りを上げた。
「ふぅ、何時聞いても良い音してるぜ……」
シートに深く凭れ、目を瞑って愛車の力強い鼓動を感じ取る紅夜。
やや強めにアクセルを煽ってやると、独特のエキゾーストノートが耳に飛び込んでくる。
ストリートレーサーの楽しみとは、ただ車を走らせるだけではない。外装は勿論、心臓でもあるエンジンにも手を加えて世界にたった1台しかない自分だけの車を作り上げ、その鼓動を感じ取るのも、ストリートレーサーの楽しみの1つだ。
「……っと、こうしてる場合じゃなかった」
このまま余韻に浸っていたいところだが、此所はトラビスのガレージではないため、何時までも留まっている訳にはいかない。
紅夜はギアを入れて車を発進させ、自宅へと向かうのだった。
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その頃、とある歩道では私服姿の少女が2人、立ち往生していた。
絢瀬絵里と、その妹である
「全く、こんな事になるなんて………今日はついてないわね」
頬を掻きながら、絵里はそう呟いた。
彼女の手には大きな穴が開いたレジ袋が握られており、足元には、先程までその袋に入っていたのであろう食材や飲み物のペットボトル、パック等が散乱している。
「それにしても、まさかレジ袋がこんなに破れやすくなってるなんて思わなかったわ。やはり家からエコバッグ持ってくるべきだったわね」
そう言って深く溜め息をつく姉に、亜里沙はコクコクと相槌を打った。
今の世の中、殆んどの客がエコバッグを持参している中、彼女等はレジ袋を使っていた。その理由は単純明快、エコバッグを自宅に置き忘れてきたからだ。
しかもそれに気づいたのが会計を終えた後である事に加え、そういう時に限って買い物の量が多いときたものだから、何とも不運な事である。
家に取りに帰る時間も惜しいため、一番重いものには袋を二重にして対策を施したものの、重みに耐えきれなかったのか穴が開いてしまい、この有り様だ。
「お姉ちゃん、どうする?」
亜里沙が不安そうに訊ねた。
自分達は今、自宅からスーパーまでのちょうど中間地点に居る。スーパーへ袋を貰いに戻るとしても、何とか家まで持っていくとしても、この散乱した荷物を抱えて歩くのは避けられない。
「(なら、このまま家まで抱えていくのが良いわね。スーパーに戻るより早く終わるし)」
そう決心した絵里は散乱したものを集め、自分と亜里沙が持つ分を分ける。
その結果、亜里沙は比較的軽い食材を、絵里は重い飲み物のペットボトルやパックを持つ事になった。
「じゃあ亜里沙、悪いけどこれだけ持ってくれる?私は此方を持つから」
「う、うん」
亜里沙は頷き、絵里から食材を受け取る。そして絵里が飲み物のペットボトルやパックを抱え、歩き出そうとした、その時だった。
「ん?あれって……」
「え?」
交差点を曲がり、此方へ向かってくる1台の青いスポーツカーが、彼女等の目に留まる。
ボンネットやルーフが黒く染まったそれは、絵里にとって見覚えのあるものだった。
「長門君……?」
ポツリと、頭に浮かんだ人物の名を口にする絵里。向こうもそれに気づいたのか、ハザードランプを光らせて車を寄せ、2人の前で止まった。
「絢瀬か、奇遇だな」
助手席の窓が開き、ドライバーが声を掛ける。
ポニーテールの白髪に、左目を覆い隠す黒い眼帯。彼女の予想通り、紅夜だった。
「見覚えのある車がやって来たからまさかと思ったけど……やっぱり、長門君だったのね」
そう言う絵里は、安堵の表情を浮かべていた。
「まあ、こんな改造したRを乗り回す人間なんて俺くらいしか……ん?おい、ソイツは誰だ?」
紅夜は、物珍しそうに自分の車を眺めている亜里沙を指差した。
「妹の亜里沙よ。買い物に付き合ってもらってたの……ホラ、亜里沙」
「初めまして、絢瀬亜里沙です!お姉ちゃんがお世話になってます!」
絵里に促され、自己紹介をする亜里沙。
初対面の人間にここまではっきりと言うその姿は、何処と無く穂乃果を連想させる。
「……長門紅夜だ。此方こそ、お姉さんには世話になってる」
そんな彼女に当たり障りの無い自己紹介を返した紅夜は、2人が必死になって抱えている食材やペットボトルに気づいた。
「ところで、なんで食材やペットボトルを袋に入れてないんだ?」
「ッ!じ、実は……」
気まずそうにしながらも、こうなるまでの経緯を説明する絵里。
エコバッグを忘れた2人の自業自得とは言え、こんな所で袋が破れて立ち往生する羽目になった事に、紅夜は同情した。
「それは、何と言うか………災難だったな」
「ええ。まあエコバッグ忘れた私達が悪いんだけどね……」
そう言う絵里の頭に、ある案が浮かんだ。
「ねぇ長門君、お願いがあるんだけど……」
「……『家まで乗せていってくれ』ってか?」
絵里はコクりと頷いた。
袋が破れるだけあって、2人が抱えている荷物は多く、持ちにくい上に重い。
現に、亜里沙は今にも落としそうなのを何とか踏ん張っている状態で、絵里もまた、ペットボトルやパックを抱えている腕が震えている。
この状態で歩けば家に着くまでに何度落とすか分からないし、それが思わぬ事故に繋がる可能性もある。
「図々しいのは分かってるけど………お願い出来ないかしら?」
「……………」
紅夜は直ぐには返事を返さず、シートに背を預けた。
『歩いて行ける距離なら親でも呼べ』と言ってしまうのは簡単だが、それが出来るならとっくに呼んでいるだろうし、既に呼んだというのなら、自分に助けを求める必要は無い。
つまり、自分に助けを求めるしか手段が無いから、絵里はこうして頼んできているのだ。
チラリと目を向けると、絵里と亜里沙が不安そうに此方を見つめている。その表情には、『やはり駄目か……』という諦めの色も見られる。
「はぁ……俺は無料タクシーじゃないんだがな」
紅夜は溜め息混じりに呟いた後、助手席のドアを開けた。
「まあ良いだろ、さっさと乗れ」
「……!ありがとう!」
「やった!ありがとうございます!」
2人は顔を輝かせてそう言うと、荷物を纏め直して車に乗り込む。
先に亜里沙が乗り込んで後部座席に座り、隣に荷物を置く。そして絵里が、ナビのために助手席に座った。
それから紅夜は車を発進させ、絵里のナビに従いながら彼女等の自宅を目指す。
「長門君、その交差点で左に曲がって、後は真っ直ぐよ」
「ああ」
コクりと頷き、絵里が言った通りに車を動かす紅夜。
そして暫く走らせると、絵里から止めるように指示が出たため、ハザードランプを光らせ、路肩に寄せて止めた。
「着いたわ、この家よ」
そう言って絵里が指差したのは、白を基調とした2階建ての一軒家だ。
家の敷地内には駐車場と思しきスペースが見られるが、車は1台も無かった。
「(成る程な。親御さんが家に居ないから、助けを呼ぼうにも呼べる人が居なかったって訳か)」
そう結論を出し、1人で頷く紅夜。その後は2人と協力して、彼女等の荷物を家に運び込んだ。
「……よし、これで全部ね」
亜里沙が最後の荷物を入れるのを見届けると、絵里はそう言って紅夜に向き直った。
「ありがとう長門君、お陰で助かったわ」
エコバッグを自宅に忘れるというミスをした事により、袋が破れて妹共々立ち往生する憂き目に遭った絵里だが、偶然通り掛かった紅夜のお陰で無事に我が家へ辿り着く事が出来たのだから、彼には感謝していた。
「別に大した事はしていない、練習帰りに偶然通り掛かっただけだからな」
紅夜がそう言うと、絵里の顔から笑顔が消えた。
「練習、ねぇ………それって、スクールアイドルの練習かしら?」
そんな絵里の言葉に、紅夜の目が見開かれた。彼が穂乃果達μ'sのマネージャーを引き受けた事は、自分達4人と希しか知らない。にもかかわらず彼女も知っている事に、彼は驚いていた。
「あ、ああ。そうだが…………何故分かった?少なくともお前に話した覚えは無いが……東條にでも聞いたのか?」
「いいえ、希からは聞いてないわ」
「なら、誰から?」
「……まあ、ちょっとね」
訊ねてくる紅夜にそんな曖昧な返事を返した絵里は、玄関から此方の様子を窺っている亜里沙に家の中で待っているように伝え、再び紅夜に顔を向けた。
「ねえ長門君。月曜日の放課後、少し時間を貰えないかしら?車の中では言えなかったけど、貴方に話したい事があるの」
「あぁ、悪いが明日は──」
「お願い。なるべく時間は取らせないようにするから」
紅夜の言葉を遮り、絵里は真剣な眼差しで言う。何を言おうとしているのかは分からないが、この様子から単なる世間話ではないだろう、紅夜は予想した。
「(………まあ、練習場所は知ってるし、コイツの話が終わって直ぐ向かえば、練習には間に合うか)」
そう考えた紅夜は、コクりと頷いた。
「ありがとう。じゃあ月曜日の放課後、生徒会室に来てちょうだい。そこで話しましょう」
「ああ……じゃあ月曜日にな」
そう言って車に戻った紅夜はエンジンを掛けて車をゆっくり発進させ、挨拶代わりにクラクションを短く鳴らして家路につく。
「貴方なら、分かってくれるかしら……?」
去っていくR34の後ろ姿を見送りながら、絵里は小さく呟く。そして家に入ると、何を話していたのかと訊ねてくる妹への返事もそこそこに、夕飯の準備に取り掛かるのだった。
そして日曜日も飛ぶように過ぎていき、あっという間に月曜日がやって来る。