「さて、これで校舎の案内は一通り終わったわね」
理事長との打ち合わせを終え、絵里に学院内を案内してもらっていた紅夜は、彼女と共に先程の駐車場に来ていた。
くまなく校内を探索していたためか、案内が終わる頃には既に日が傾き始めていた。
「悪いな、俺なんかのために時間取らせて………何か予定とかあったんじゃないのか?」
自分1人のために休日を潰してまで付き合ってくれた絵里に、紅夜は申し訳なさそうに言う。
だが、彼女は気にしていないようだった。
「気にしないで。私としては、寧ろ試験生の案内が出来て良かったと思っているわ。こんな貴重な体験、もう2度と出来ないでしょうし」
「そ、そうか………まあ、ありがとな」
女子校であるこの学校からすれば明らかに異物である自分に、ここまで好意的に接してくれる事を疑問に思いつつ、紅夜は礼を言った。
身内や幼馴染み、そしてアメリカで出来た仲間といった親しい人間以外には基本的に自ら話し掛けたりはしない紅夜だが、最低限の礼儀として、謝罪や礼だけはきちんと言うようにしているのだ。
「それにしても、渡された教材見て思うんだが、入る学年が2年生ってどういう事だよ………まあ高校なんてとっくに卒業してるから、今更どの学年に入ろうが一緒だろうけどさ」
R34の助手席側のドアを開けて荷物を積みながら呟く紅夜に、絵里は苦笑を浮かべた。
因みに、紅夜が高校を卒業している事は、校舎を案内してもらいながら世間話をしている時に伝えており、そこで、初めて自分より2つも年上の相手にタメ口で話していた事に気づいた絵里が平謝りを始め、紅夜が慌てながら落ち着かせたのは余談である。
「それにしても、理事長から聞いてはいたけど本当に車通学なのね。それもスポーツカーだなんて………最初にこの事を聞いた時は驚いたわ」
紅夜が乗ってきたR34を横目に見ながら、絵里は言った。
ただでさえ車通学が許可される事自体が異例だというのに、通学で使われる車がスポーツカーだというのだから、雛からその話を聞かされた瞬間、彼女が驚きのあまり引っくり返りそうになったのは言うまでもないだろう。
「まあな、俺もこの事を条件に出された時には驚いたよ」
だが、驚いたのは彼女だけではない。紅夜も、雛がこの条件を出した時には驚いていたのだ。
というのも、アメリカではその国土の広さや車社会という事から、州によって多少の違いはあるが基本的に日本や他の国と比べて自動車免許を取得出来るようになるのが早く、紅夜が住んでいるカリフォルニア州では16歳から免許が取得可能である上に、他の州もそうだが車を使って登下校する学生が多い。
紅夜もその例に漏れず、通学には車を使っていたのだが、日本ではその常識は通用しない。
そのため、日本でもアメリカと同じように車通学が出来るようになるとは夢にも思っておらず、雛がこの条件を出した時には、試験生の話を拒否する意志がぐらついていた。
そして、その隙を突かれる形で話を進められた結果、試験生になる事が決まってしまったという訳である。
「(あれだけ拒否したのに、最後は呆気なく決められちまったな………ったく、どんだけチョロいんだよ俺は)」
右手で顔を覆い、過去の自分に呆れる紅夜。
「ど、どうしたの?」
「……何でもない。ちょっと過去の自分に呆れてただけだ」
そう言って、紅夜は運転席のドアを開けて乗り込む。エンジンを掛けると、ギアを入れてアクセルを踏み、R34をゆっくりと発進させる。
そして絵里の前を通過する際、運転席の窓を開けた。
「それじゃあ、俺はもう行くよ。今日はありがとな」
「ええ。明後日からよろしくね」
そう言われた紅夜は軽く右手を上げて返事を返し、そのまま走り去るのだった。
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「行っちゃったわね………それじゃあ、私も帰ろうかしら」
去っていくR34の後ろ姿が見えなくなるまでその場に留まり、見送っていた絵里。
そして完全に姿が見えなくなると、彼女はそう呟いて家路につく。
「(それにしても彼、随分と物静かな人なのね。案内してる間、殆んど私だけ話してるようなものだったし………)」
自宅へ帰る道すがら、彼女は紅夜の事を考えていた。
案内している間に彼女が彼に対して抱いた印象は、『あまり喋らない人』だった。
決して無口という訳ではなく、校内の設備の説明をしている際に相槌を打ったり、質問してくる事はあったのだが、それ以外で彼が自ら話し掛けてくる事は殆んど無く、基本的に絵里が話題を振って紅夜がそれに答えるといったやり取りを繰り返すだけだった。
勿論、口数が少ないのは、本来なら来る筈が無い女子校に通う事になって緊張しているからだと考える事も出来る。だが紅夜の態度からはそのような気配は感じられず、寧ろ絵里や雛に対して警戒しているように感じられた。
「(それに、体の事を言うとかなり反応するのよね………)」
彼女が思い浮かべたのは、左目の眼帯について訊ねた時の紅夜の反応だ。
その時は何も気にしていない風を装っていたが、訊ねた瞬間、僅かに体を強張らせたのを彼女は見逃さなかった。
「(やはり、何かあるわね)」
ただ怪我の痕を見られたくないために眼帯で隠しているだけなら、体を強張らせるなんて反応の仕方はしない筈。
それに、彼と一緒に居る間ずっと感じていた警戒心から、紅夜には何かがあると、絵里は確信した。
とは言え、誰でも他人に知られたくない秘密を1つや2つ持っているのは当たり前であり、そこに初対面である自分がズケズケと首を突っ込むのは野暮というものだ。
そのため、なるべく紅夜の体については触れないでおこうと決める絵里だったが、家に着いてからも、彼の事が頭から離れなかった。
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「ふぅ……何とか乗り切れたな」
その頃、高速に乗って自宅へ向かっている紅夜は、無事に今日の予定を完了した事に安堵の溜め息をついていた。
「それにしても、やっぱ眼帯つけてたら、目の事について聞かれるよな………分かってはいたが、聞かれたらつい警戒しちまう」
自分のように眼帯をつけている人間など殆んど見ないため、目の事について訊ねられるのは覚悟していたし、それに対する答えも予め考えていた。
だが、やはり自分のコンプレックスである目について触れられると、どうしても反応してしまうのだ。
「クソッ、また昔の事が……」
色素を失った白髪に、左右色違いの目。これ等が原因で、紅夜は小学校時代のいじめっ子や相談をしても大して何もせず、寧ろ『虐められる側に問題がある』等と訳の分からない事を言い出す教師。そして心無い大人からの害意に晒されてきた。
最近では、アメリカに居る仲間や日本の幼馴染み、そして家族といった親しい人間と関わっていたために当時の事がフラッシュバックする事は無かったのだが、今日は絢瀬絵里という他人と関わり、彼女が自分の事を知ったらどのような反応をするのかとずっと警戒していた事や、明後日からは彼女のような他人だらけの環境で1年間過ごさなければならないという不安から、再び昔の事が頭に浮かんでしまう紅夜。
幸運にも出口に近づいていたため、さっさと高速を下りた紅夜は近くのコンビニの駐車場に入ると、シートを倒して寝そべるようにし、心を落ち着かせる。
「はぁ………やっぱ簡単には消えねぇんだな、トラウマってのは」
そう呟きながらシートを後ろに倒した紅夜が思い浮かべたのは、あの忌々しい事件だ。
いじめや周囲の心無い大人からの害意に晒されてきた紅夜だが、当時は幼馴染みや身内、そして彼の事情を知っている知り合いといった味方が居たため、未だ耐える事が出来ていた。
だが、いじめっ子という連中は、自分達がいじめている者が守られる事を嫌う。
そのため、彼等は紅夜の精神を完全に壊してやろうと思ったのか、ある日とんでもない事を仕出かす。そして、それが紅夜を『化け物』にした事件の引き金となった。
その日は給食センターでトラブルが起こった事で給食を届けられなくなってしまったため、生徒達は弁当を持参していたのだが、いじめっ子グループは、あろうことか紅夜の弁当を床にぶちまけて囃し立てたのだ。
これまで身内や幼馴染みの支えもあって、苦しみながらも何とか堪えてきた紅夜だが、慕っていた母の弁当を台無しにされた事で遂に怒りが爆発し、これまでの復讐だと言わんばかりに大暴れしたのだ。
その結果、いじめっ子グループは暴走した紅夜に殴り倒された上に椅子で滅多打ちにされて病院送りとなり、更に追い討ちを掛けようと暴れたため、教室の中は台風が過ぎた後のような惨状となっていた。
その後、応援を呼びに行った担任教師や他の教師、そして警備員によって取り押さえられた紅夜だが、非常にも彼の悲劇は、これだけでは終わらなかった。
教室内で暴れ回り、更にいじめっ子とはいえクラスメイトを椅子で滅多打ちにする姿に恐怖を覚えた生徒や教師、彼等から話を聞いた親が、彼を『化け物』として腫れ物扱いするようになったのだ。
しかも、そういった連中は揃いも揃って、彼がいじめられていた際に傍観していたり、周りでクスクス笑いながら見ていただけの連中である。
そして、この噂を聞いた隣人からとどめとばかりに放たれた、『お前のような気持ち悪い忌み子は表に出てくるな』等、心無い暴言というオプションまでついてきた。
勿論、いじめられていたとは言え、それを暴力で返した紅夜の行動は、お世辞にも良いものとは言えない。
だが、容姿が原因で理不尽ないじめを受け、更に腫れ物扱いされるという仕打ちは、当時小学生だった彼にトラウマを植え付け、人間不信へと陥れるには十分な威力を持っていた。
こうして、小学生にして心に深い傷を負い、これまで味方になってくれた身内や幼馴染みすら信用出来なくなった紅夜は、学校にも行かず自室へ引き籠り、ただ時が流れるのを待つだけという廃人のような生活を送るようになったのだ。
「(あの頃は、皆に迷惑掛けまくったよな……今思うと、よく捨てられなかったモンだよ)」
不登校になってからは部屋に閉じ籠り、外界との繋がりを完全に絶ってしまった紅夜。
その心は酷く荒み、自分とは違って普通の姿で生まれ育った幼馴染みや知り合い、そして挙げ句の果てには身内すら拒絶してしまう有り様だった。
その後、旅行のついでに長門家を訪れた、父・豪希の友人であり、現在の紅夜のホストファーザーでもあるブライアン・デッカードの計らいで、彼は心の傷の療養という名目で彼が住むアメリカへと連れていかれ、そこの家族と生活するようになったのだ。
勿論、場所が変わったところで効果は無く、荒れていた紅夜は相変わらず閉じ籠っていたが、どれだけ拒絶しても真っ正面からぶつかってきた彼等のお陰で少しずつ心を開き始め、アメリカでの仲間も出来、拒絶していた日本の家族や幼馴染みとも和解を果たしたのだ。
「(本当に彼奴等には、感謝してもしきれねぇな………)」
そう呟いた紅夜はスマホを取り出すと、電話帳からとある人物の名前を出し、電話を掛ける。
それから2、3回コール音が鳴った後、その人物が出た。
「ああ、父さん?紅夜だよ」
『おお、紅夜か!急にどうした、もうホームシックか?』
そう陽気に訊ねてくる男性。彼こそが、紅夜のホストファーザー、ブライアン・デッカードだ。
因みに、『父さん』というのはブライアンからそう呼ぶように言われたもので、日本に帰って家族と和解した際、ブライアンが父さんと呼ばれている事に嫉妬した豪希がブライアンと取っ組み合いの喧嘩を始め、各々の妻に止められて正座させられ、説教を受けていたのは余談である。
「そうじゃないんだけど、ちょっと皆の声が聞きたくてさ………皆どうだ?元気にしてるのか?」
そう言う紅夜だが、その頬は赤く染まっていた。
『勿論だ。レナなんて、昨日も他の奴等とストリートレースやって警察に追われたって言ってたからな!』
『まあ、全員ぶっちぎったようだが』と付け加え、ブライアンは笑った。
すると、電話の向こうから少女の声が聞こえた。流暢な英語だが、7年間アメリカに住んでいた紅夜にとっては、最早英語も母国語のようなもので、電話の向こうに居る少女が、ブライアンに誰と話しているのか聞いている事は直ぐに分かった。何せブライアンと話している時も、紅夜は英語を使っているのだから。
その後、ブライアンが紅夜と話していると答えると、急にドタドタと足音が鳴り、彼が持っていたであろう携帯が引ったくられる音が聞こえた。
『紅夜、聞こえる!?アタシよ、レナよ!』
そして次の瞬間には、その少女の声が大音量で車内に響く。
あまりの声の大きさに思わず表情を顰め、スマホを耳から離す紅夜。
「ああ、聞こえてるよ。だからその大声止めろ。耳が潰れちまう」
再びスマホを耳に当て、紅夜はそう言った。
『ゴメンゴメン。パパが紅夜と話してるって言うから、つい』
何が『つい』だと言いたくなる紅夜だが、それを何とか抑え込む。
こうしてケラケラ笑いながら謝っている彼女は、名をアレクサンドラ・デッカードと言い、レナはその通称だ。
名字から分かるように、彼女はデッカード家の一人娘であり、紅夜が人間不信になってから初めて友達と認めた人物である。
「まあ良い、ちょうどお前の声も聞きたかったからな………それで、調子はどうだ?」
『ええ、相変わらず絶好調よ!昨日もレースで儲けてきたし!』
「それは父さんから聞いたよ。ついでに、サツに追われた事もな」
そう呆れたように言う紅夜だが、彼もベンチュラ・ベイでは有名なストリートレーサーの1人だ。
アレクサンドラや他の仲間と共にチームを組んでおり、レース中に何度も警察に追われては、その全てを撒いている。
そして、つい先日には仲間達と共にフォーチュンバレーへと出掛け、そこで出会した、警察すら買収する程の権力を持った裏組織に喧嘩を売って壊滅させたばかりなのだが、それはまた別の話だ。
『………それで、例の女子校はどうなの?嫌な思いとかしてない?』
それから暫く話していた2人だが、話題が紅夜の試験生生活の事に変わる。
紅夜から相談を受けた際には両親と共にやるべきだと主張した彼女だが、やはり上手くやれているか心配しているようだ。
「どうも何も、本格的に通うのは明後日からだから、未だ何とも言えねぇな。今日その学校に行ったけど、そこの理事長と生徒会長から、説明と学校の案内を受けただけだし」
そう答えた紅夜は、今日あった事を伝える。
絵里には目の事について聞かれたものの何とか誤魔化し、無事に乗り切った事を伝えた際には、アレクサンドラは安堵の溜め息をついていた。
やはり紅夜の事情を知る1人として、彼が無事に過ごせているか気にしていたのだろう。
『成る程ね………まあ、何も起こってないから良かったわ。でも……』
そこで一旦言葉を区切ったアレクサンドラは、優しげな声で言った。
『何かあったら、何時でも言ってね。アタシも他の皆も、きっと力になるから』
「ああ、そうするよ………ありがとう。何時も感謝してるよ、お前等には」
『フフッ………どういたしまして』
そうして、互いに別れの挨拶を交わして電話を切る。
「さて………帰りますか!」
デッカード家と話して調子を取り戻した紅夜は、シートを戻してR34のエンジンを掛ける。
軽くアクセルを煽ると、1026馬力を誇るツインターボエンジン、RB26DETTが唸りを上げる。
そしてギアを入れて車を発進させた紅夜は、学院を出た時とは違った晴れやかな気分で我が家へと向かうのだった。