今回からにこ襲来編に入ります。
時は流れ、6月初日の早朝。紅夜はとある目的のため、暫くぶりに神田明神を訪れていた。
「おはよう、紅夜君!」
相変わらずの長い石階段を上り終えると、既に来ていたことりがストレッチをしながら声を掛けてくる。
「ああ、おはよう……って、何だ。来てるのはお前だけか?」
「うん。でも他の皆も直ぐ来るって、さっき連絡あったよ」
彼女はそう言って、ポケットから取り出したスマホのメッセージ履歴を見せてくる。
どうやら海未を除いて全員来るようだ。
「(そう言えば、園田って弓道部と掛け持ちしてるんだっけな……しかも作詞に練習メニュー作りに、挙げ句の果てには練習の指揮……彼奴自身の練習もあるだろうに、よく1人でそこまで出来るモンだ)」
学生でもなければ正社員でもないために自由に使える時間があり余ってる自分とは違い、限られた時間でこれだけの激務をこなしている彼女に、紅夜は内心称賛を送っていた。
彼もチームでは、バンド演奏の際の譜面作りや翻訳、はたまたダンスの振り付けを担当しているものの、彼女と比べれば大した負担ではない。
「(……っと、いかんいかん。今はそんなの考えてる場合じゃないんだった)」
頭を振った紅夜は境内を軽く見回し、小声で話し掛けた。
「ところで例の不審者についてだが、今のところはどうなんだ?」
「……ううん、特には何も。見られてる感じもしないかな」
その答えに『そうか』と短く返す紅夜。
これで何事も無ければ安心なのだが、同時に態々早出してきた意味も無くなってしまう。
「(お袋にも無茶させちまったしな……)」
早出する自分に合わせ、普段より遥かに早くから起きて朝食や弁当を作ってくれた母親を思い浮かべ、紅夜は溜め息をつく。
「えっと……ごめんね?巻き込んじゃって」
「……いや、今回の場合は事情が事情だからな。お前が謝る必要は無いよ」
それを怒っていると解釈したのか申し訳なさそうに言うことりだが、彼は手をヒラヒラと振りながらそう返した。
今回、紅夜が再びことり達の練習に合流したのは、決して正式にマネージャーになったからではない。その目的は、彼女等のボディーガードだ。
と言うのも先日、突然ことりに呼び出された紅夜は、『最近、朝の練習中に何者かの視線を感じる』と相談を受けていたのだ。しかもかれこれ数日続いており、他のメンバーも薄々気づいてるらしい。
そんな中で彼女等は、何度かその正体を確かめようとしたものの毎度逃げられて終わっており、このままでは練習に支障が出たり、メンバーが危険に晒されるのではないかと考えた彼女は、唯一の男性である紅夜に助けを求めたのだ。
世間の目に触れるスクールアイドルとして活動する以上、こうなるのは必然と言えなくはないのだが、だからと言って『自分達で何とかしろ』と見捨てる訳にもいかず、『朝だけ』という条件付きでことりからの依頼を引き受けたという訳だ。
「(まぁ、俺もコイツ等とは全くの無関係って訳でもないからな………これで活動取り止めにでもなったら流石に目覚めが悪い)」
そうしている内に他のメンバーも到着し、練習を始めていく。
相手に勘づかれないよう、紅夜はあくまでも練習に来れなくなった海未の代理を演じている。
「1、2、3、4……!」
練習の指揮を執りながらも、紅夜は周囲への警戒を緩めない。
「(……おっ、来やがったか)」
すると、遂にことりの言っていた不審者と思しき者からの視線を感じ取る。
気づかれないように軽く目だけ向けると、そそくさと建物の影に隠れる小さな影が視界に映る。
「…………」
一先ず気づいていないフリをして通しを終えた紅夜は、彼女等に休憩するように言って移動を開始する。
行き先は勿論、不審者の元だ。
建物の裏から回り込むようにして移動すると、その人物の元に辿り着いた。
「(……って、何だよ。ガキじゃねぇか。こりゃ拍子抜けだな)」
そこに居たのは、6月にも拘わらずコートを着た小柄なツインテールの少女だ。
体格だけ見れば中学生辺りだろう。
「(全く、こんなガキのために駆り出されるとはな………まぁ彼奴等も正体は分からなかったみたいだから、責める訳にもいかないんだが)」
ヤレヤレと首を振った紅夜は、ゆっくりと少女に近づく。そして……
「おい、お前」
少し威圧するように声を掛けた。
「うわぁぁぁぁ!!?」
悲鳴を上げながら盛大に飛び上がる少女。
「あ、アンタ、何時の間に……足音1つ聞こえなかったわ」
「そりゃ聞こえないように気を付けてたからな。必要な時は砂利道を飛び越えたりしてたし」
「足音全く立てなかった事と言い、徹底しすぎでしょ!忍者かアンタは!?」
「……まさか俺が忍者呼ばわりされる日が来るとはな」
盛大にツッコミをかまされながら紅夜が思い浮かべたのは、今もベンチュラ・ベイの何処かで騒いでいるであろう黄色いNSX乗りのチームメイトである和美の姿だ。
兄の零と共にパルクールに興じていたのもあって身軽な動きをする上、首にバンダナを巻いたその姿は、さながら現代版くノ一だ。
「こ、紅夜君。もしかしてその人が……?」
そうしていると、ことりが駆けつけて声を掛けてくる。
その後ろからは、穂乃果達も何事かと集まってきていた。
「ああ、お前の言ってた不審者だ……まさかこんなガキだとは思わなかったがな」
「ぬぁんですってぇ!?」
『ガキ』という単語が癪に障ったのか、怒りの形相で振り向く。
……と言っても、サングラスにマスクという姿のために表情は分かりにくいが。
「言っておくけどね、私はアンタ等と同じ学校で3年生よ!よぉ~く覚えておく事ね!」
「……正体明かしちゃったよこの人」
そんな穂乃果の呟きに思わず『ヤベッ』と口を塞ぐ少女だが、最早手遅れだった。
「こうなったら仕方無いわね……アンタ達!」
正体を明かしてしまった事で寧ろ開き直ったのか、少女は立ち上がってマスクを取り、穂乃果達を指差して言った。
「とっとと解散しなさい!」
そんな捨て台詞を残して、彼女は走り去る。
「……何だあれ?」
呆然とする穂乃果達を代表するかのように呟いた紅夜の言葉が、境内に空しく漂った。
その後、不審者の正体が分かった事や帰ってくる気配が無い事から、今日はもう問題は起こらないと判断した紅夜は今日の任務を切り上げ、何時も車を停めているコンビニの駐車場へ戻り、
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「それでは、これより新たなメンバーを加えた新生スクールアイドル、μ'sの練習を始めたいと思いますっ!」
放課後、6人は何時ものように練習を始めようとしていた。
グループを代表するかのように前に出て意気揚々と号令を掛ける穂乃果だが、他のメンバーは微妙な表情を浮かべていた。
とは言え、決して練習を嫌がっている訳ではない。問題は、それとは別の所にあった。
「穂乃果、それ未だ言うつもりなのですか?花陽達が加入してから毎日言ってますよね?」
そんな面々の気持ちを代弁するかのように、海未が呆れ顔で言った。
そう。花陽達1年生が加入してからというもの、穂乃果は練習を始める度に同じ事を言っているのだ。
花陽達が加入してから、もう既に2週間も経っている。これでは流石に、『新生』とは呼べないだろう。
「だって嬉しいんだもん!3人だったのが6人になったんだよ!」
「……まぁ、そうですね」
だが、こうも目を輝かせて言われては敵わない上、元々新メンバーを欲していたのもあり、海未はその言葉を否定したりはしない。
彼女もまた、新たな仲間が増えて嬉しいのだ。
「という訳で、何時も恒例の……1!」
「2!」
「3!」
「4!」
「5!」
「6!」
穂乃果に続き、各々が番号を言う。
元々はファーストライブで緊張を解すためにやっただけなのだが、今となってはμ'sの活動開始時の掛け声となっていた。
「くぅぅ~……コレだよコレ!6人だよ6人!これぞグループって感じがするよねぇ!」
感極まったように自身の体を抱き締めながら言う穂乃果。
「何時かこの6人で、"神
「ほ、仏だと死んじゃってるように聞こえるけどね……」
「でも、こうして毎日同じ事でこんなに感動出来るなんて、羨ましいにゃ~」
「凛、それ人によっては馬鹿にしてると思われるわよ」
そんな1年生達のやり取りに苦笑を浮かべる海未とことりだが、穂乃果は構わず続ける。
「だって私、賑やかなの大好きでしょ?それに、人数が多かったらちょっと歌やダンスでミスしても誤魔化せるし……」
「……それが本音なのでは?」
「そ、ソンナコトナイヨー?」
「片言になってますよ」
「うぐぅ……」
一瞬で言い返せなくなる穂乃果に、今度はことりが言う。
「穂乃果ちゃん、人数が多くて嬉しいのは分かるけど、ちゃんと練習しなかったら今朝みたいに怒られちゃうよ?」
ことりの言うのは、言わずもがな例の不審者の事だ。
「確か、『解散しろ』と言われたんですよね?」
「うん……まぁ幸い、紅夜君が居てくれたお陰か手を出したりはしてこなかったけどね」
「そうですか………事が済んだら、彼には改めてお礼を言わないといけませんね」
そんな海未の言葉に頷いたことりは、窓の外を見ながら呟いた。
「いっそ、紅夜君もメンバーになってくれたら良いんだけどな……」
しんみりとした様子でそう呟くと、穂乃果も先程までのテンションが引っ込む。
「そうですね。新歓ライブと言い花陽達が加入する時と言い、彼には色々とお世話になった訳ですから……」
「ことり達にとっては、もう紅夜君もメンバー同然なんだけどね……」
すると、凛がこんな疑問を投げ掛けた。
「今更だけど、長門先輩ってなんでメンバーじゃないの?未だ3人だけだった頃は一緒に居たんだよね?」
「……ああ、1年生は知りませんでしたか」
「実はね……」
そうして穂乃果達は、紅夜を勧誘した時の事を話した。当然、その時に彼が返してきた言葉も。
「『本当に信用出来る人としかやらない』か……どういう事なんだろ?」
「ず、随分難しい事言うね。先輩も……」
「そんな言い方をするって事は、基本的に他人を信用していないって事になるわね……人間不信とか?」
「どうでしょう?その辺りは何も……本人も話してくれないので」
そうしていると、ふと穂乃果が呟く。
「……こうしてみると、私達って紅夜君の事、何も知らないんだね」
その言葉に沈黙する海未達だが、何時までもこうしてはいられない。
「まぁ先輩の事もそうだけど、先ずは練習しに行きましょうよ。時間無くなっちゃうわよ?」
真姫が髪を弄りながら言う。
頑なにメンバーに加わろうとしない紅夜の事も気になるが、それよりも先ずは少しでも練習するべきだと判断したのだ。
「おっ、真姫ちゃんやる気満々にゃ~!」
「ッ!?ち、違うわよ!私はさっさと練習終わらせて帰りたいだけ!」
顔を赤くしながら言い返す真姫だが、凛には通用しない。
「またまたぁ、そんな事言っちゃって~。凛知ってるんだよ?お昼休みに態々人気の無い所行って練習してるの……」
「あ、あれは、この前のステップがカッコ悪かったから変えようとしてたのよ!あまりにもダサすぎるから!」
そう言い放つ真姫だったが、そこへどんよりしたオーラが漂ってくる。
何事かとオーラの主へ視線を向けると、そこには髪を弄りながら引きつった笑みを浮かべる海未の姿があった。
「そうですか……あのステップ、考えたの私なんですけどね……」
「ヴェェ!?ち、違うんです海未先輩!私そんなつもりじゃ……!」
「良いんです、どうせ私なんて……あは……あははは……」
それからいじける海未を元気付けるのに数分程費やした後、一行は練習するべく屋上へ向かう。
だが、そんな彼女等を待っていたのは、ドア越しに聞こえてくる雨の音だった。
「そう言えば、梅雨入りしたって今朝のニュースでも言ってたもんね。しかも、ここ数日はずっと雨が続くって……」
「もぉ~。せっかく気持ち切り替えて練習しに来たのに、これじゃ台無しだよ~!」
腕を振り回し、駄々を捏ねる子供のように叫ぶ穂乃果。その傍らでは、海未が深刻な表情を浮かべていた。
「困りましたね……これじゃ何時まで経っても練習が出来ません」
「他の場所は使えないんですか?講堂とか体育館とか」
「それか、何処か使われていない教室とかは?」
真姫や花陽が提案するものの、海未から返されたのは否定の言葉だった。
講堂や体育館は他の部に使われている上、空き教室を使わせてくれるよう教師に頼んでみた際には、『正規の部活動でないと使わせられない』と門前払いを喰らったのだ。
「何処か施設を借りるとしても、何度も借りるとお金も掛かりますからね。どうしたものか……」
すると、穂乃果が再び不満を口にした。
「て言うか、前から思ってたけど梅雨だからって雨降り過ぎだよ!今日の降水確率なんて、60%しかなかったのに!」
「半分以上じゃない。それなら十分降ってもおかしくないでしょう……」
真姫が的確なツッコミを入れるが、それで納得する穂乃果ではなく、相変わらずブー垂れる。
だが、不意に雨の勢いが弱まる。
「あっ、少し弱まったみたい」
「えっ、本当!?」
ことりの呟きにいち早く反応した穂乃果がドアを開け放つ。
「ホントだ、さっきよりかなり弱くなってる!」
「これなら練習出来そうにゃー!」
嬉しそうな2人だが、海未は浮かない顔だ。
「でも、完全に止んだ訳ではありませんし、床も濡れていますから練習には……って、ちょっと2人共!?」
穂乃果達は、そんな海未を無視して屋上に飛び出す。
「大丈夫、これくらいなら練習出来るよ!」
「テンション上がるにゃー!」
すると、突然凛が側転や前方宙返りを披露し、そのまま滑るように屋上を動き回る。そしてポーズを決めた途端……
「……また強くなっちゃった」
まるで、『そこで頭を冷やしていけ』と言わんばかりに再び強い雨が降り、凛と穂乃果は瞬く間にずぶ濡れになった。
「馬鹿らしい。私帰る」
「わ、私も止めた方が良いかと……この天気じゃ練習なんて出来ないだろうし」
真姫がスタスタと去っていき、花陽も今日は中止にしようと提案する。
「……まぁ、そうですね。残念ですが」
すると、話が聞こえていたのか穂乃果達が戻ってくる。
「ええ~っ、皆帰っちゃうの!?」
「これじゃ凛達が馬鹿みたいじゃん!」
「馬鹿なんです」
文句を言う2人に、海未が冷静にツッコミを入れた。
その後、このまま帰るのは寂しいと穂乃果や凛がごね始めたのもあり、今後の練習に関するミーティングという名目で近くのファストフード店に向かう事を決め、先に行ってしまった真姫を追い掛けるのだった。
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「……………」
あれから、何故か立ち止まっていた真姫と合流し、ワイワイ騒ぎながら歩いていく穂乃果達を、東條希は影から見ていた。
彼女等の声が聞こえなくなると、もう1人の生徒に向けて声を掛ける。
「どうやら、解散する気はこれっぽっちも無いみたいやで、にこっち」
「…………」
『にこっち』と呼ばれた小柄なツインテールの少女は、小さく鼻を鳴らして去っていく。
「あの子達が行くのは……あの店か」
そう呟くと、彼女はとある部屋へと駆け込み、ソフトクリームのような帽子や白い上着、そしてサングラスを取り出して袋に突っ込み、穂乃果達を追うように部屋を飛び出す。
その部屋の表札には、こう書かれてあった。
『アイドル研究部』と…………