01
人は時折巨大な何かに試される時がある
──目を開けると、独房の中にいた。
手足を縛られ地べたに転がされていた。知らぬ間の醜態にため息が漏れる。いくら寝ていたとしても拘束と移動に気がつかない自分が悪い。
ミルキかキルアどちらかの仕業かわからないが、拘束に縄を使うのはいかがなものだろうか。外すのが簡単すぎる。せめて鉄の枷ぐらい使ったらどうだと思ったが、破壊してしまうためどちらにしても意味がないと思いなおす。
そこで真面目に周りを見る。物は何もなく独房は簡素な造りだった。こだわりのある実家の独房ではない。
じゃあ、ここはどこなんだ。
だが手足の拘束以外は、体には特別なものは見られなかった。
なぜこんな場所にいるのか心当たりがない。
蟻の王を倒した直後の記憶がひどくあやふやで何も思い出せない。記憶の海に飛び込むが、たらふく海水を呑み込んだだけで有益な情報は何も得られなかった。ただ、記憶を無くしているというのに焦燥が湧いてこない。それがなんだか虚しく感じた。
所詮はその程度の記憶ということなんだろうか。何が何でも思い出すという執着の無い自分に嘲笑が漏れる。ならば悩むのも馬鹿らしくなってきた。一か月前のその日の晩御飯は何だったでしょうという問いかけを悩むのと同じくらいには、なんだかめんどうくさく感じてきた。
ただ、頭と違って体は自分に起こっているこのあり得ない状況を打破しようと感覚を研ぎ澄ましていた。
コツ、コツと石が規則的な音を反響する。音は次第に大きくなり、何かが近づいてくる。
暫くして黒い服を着た背の高い男が姿を現した。
「おい、出ろ。取り調べだ」
男は顎でジェスチャーし、高圧的な態度をとるが、瞳はせわしなく動いていた。
偉そうに振舞うことで不安を隠そうと虚勢を張っていることが見て取れる。男が何に不安を抱いているのかわからないが、新しい情報を得たかったこちらとしては人を探す手間が省けたことに肚の中で笑う。
脚の縄を外し、男の前を歩く。窓の無い廊下を進むにつれ、後ろの男がガタガタと震えだす。建物の奥からは禍々しい気配を感じる。
取り調べはダウトだ。男の怯え様は組織のトップに抱く恐怖とは種類が違って見える。この建物の奥に何かがいる。生贄としてそこへ連れていかれることで、後ろの男はその何かから助かろうとしている。保身のために他者を差し出す姿は弱者らしく身の程をわきまえていが、オレはオマエ程安くはない。対価を計り間違っている。大きく値引きしても国家予算ぐらいは出せよと思うが男にそんなことはできるはずもない。
肉体を操作し爪を伸ばす。手首に巻かれたロープを切り後ろの男に襲い掛かる。
足を払い、男の頭を床に叩きつける。片手で両腕を拘束し、もう一方の手で男の眼を潰す直前で止める。
「正直に話すことが生き残る選択だ」
それ以外の選択はオマエを殺す。
男は泣き出した。張りつめた緊張の糸が切れ、濁流の様に話し出した。
話をまとめると、いつのまにか上司が鬼になっており同僚が上司に次々と喰われていった。生き残るために受刑者を上司に差し出し、受刑者がいなくなると近隣の住民を攫って差し出していた。
まあ、よくある話だ。人間は極限状態に陥るとどこまでも非道になれる。
「で、オレはなぜここにいる」
「知らないっ! わ、私は君がなんでこの中に居たのか知らないんだっ!! 本当なんだ! 信じてくれ!!」
もちろん、信じるわけないだろ。
手に力を入れ、男の腕を軋ませる。もう少し力を入れると骨は折れるだろう。男は痛みに叫び、尚も必死に話しているが、その様が握りつぶしたカエルがもがいているように見え、不快感が募る。
この鳴き声は、耳障りだ。
何度も質問の角度を変えて男が話せなくなるまで喋らせる。暫くすると男は壊れた人形のように同じことしか言わなくなった。知っている情報を話しきったことに約束通り拘束を外すと、男はこけながら走って逃げた。その姿はカエルが跳ねながら逃げているように見えた。
建物の深部へ歩を進めると、最奥に扉があった。扉を開ける前から既に濃い死臭と何かの気配がする。男の言う『鬼』と呼ばれる魔獣がこの扉の向こうにいるのだろう。ミルキやキルアとよくやるRPGゲームの様に、その存在を明らかにすることでこのよくわからないこの状況を一変させるトリガーとなる生き物が。
扉を開けると強烈な死臭が飛び出してきた。部屋を見渡すと血と肉塊にあふれていた。
奥にいる何かと目が合う。そいつは食っていた肉を投げ捨て、ニタリと笑った。新鮮な肉にテンションが上がっている。
なるほど、こいつが鬼か。言いえて妙だと思った。人の本質に似た姿だなと。
魔獣のように純粋ではなく、人間よりも自己中心的な本能と欲求の生き物。姿も本質も人の様で人にあらず。
鬼は嬉々として言った。
「新しい餌だ。餓鬼だ餓鬼だっ。餓鬼は食われる時間だ!」
「昔言われたのは、ガキは死ぬ時間だったよ」
言葉と同時に鬼の体から心臓を盗み取る。だが握っていた物はただの肉塊だった。
こいつに心臓は無いのか。
瞠目している間に鬼は体を再生して穴を埋め、肉体を岩の様に硬化した。
自己再生と身体強化系の能力か。だがヤツからは念を発動しているようには感じられない。こちらは分が悪いことにまだ念を使うことができない状態である。能力のあるヤツに念も武器も使用できない状態は非常にだるい。
「おい、それがお前の念能力か」
「ネン能力? んなもん知らねぇなぁ! これが俺の血鬼術だ! 肉体を岩よりも強固にする力だ!」
「ケッキジュツ……?」
念とは違うのか?
目の前の鬼はニタニタと下卑た笑みを浮かべている。恐怖はなく、頭が幸せなヤツだなとしか思わなかった。自分の能力を開示し、絶対的に強いと疑いもせず盲目的に自分だけの楽園を作り上げている。井の中の蛙という言葉が当てはまる。熱した石でも落としてやろうか。
息を深く吸い、再度念をイメージしてみるがやはり念は使えなかった。だが念とは違う、何かもっと前段階の何かが体に起こった。血の巡り、体温の上昇、念の生命エネルギーとは違う体の活性化を感じる。
鬼が強化した腕を振るう。瞬間、間合いに入り眼球を潰す。間髪入れずに胴体を蹴り上げ壁にぶち当てる。壁に巨大な穴が開き、ヤツは破片と共に外へ飛んでいった。
空いた穴から青白い光が差す。穴から出てみると外は夜だった。空を見上げると月が目に入った。月は仕事をする時によく見ていた。
月がきれいだと眺めていると、体勢を整えた鬼が勢いよく殴りかかってきた。
先ほどまで立っていた地面は抉れ、クレーターができている。普通の人間ならば一発で死んでいるのだろう。
だが威力はあってもスピードが遅い。知能が低く動きに無駄もある。戦い方はおろか格闘術すら身についていない。赤ん坊が与えられたおもちゃをただひたすら床に叩きつけている状態と何ら変わらない。
ただ一点、こちらにとっては自己再生が邪魔である。生物である以上、何かしら欠点は存在する。ただその欠点を見つけることができなければ、再生能力が尽きるまでコイツを殺し続けなければならない。
長期戦を想像し、思わずため息が漏れる。めんどうくさいことは嫌いなんだ。
気配を殺し、鬼の視界から消える。肢曲を使い、残像で居場所を攪乱しながら弾丸の速度で小石を投げつける。壁の破砕と拳と蹴りでヤツの頭を途切れることなく何度も強打する。
始めの内は直ぐに立ち上がっていた鬼だが、何時間も経過すると反応が鈍くなっていった。それに伴い、体にも傷が入りだし再生力が追いついていかなくなった。
鬼とはその程度の生物なのか。一人で勝手に期待し、勝手に失望する。鬼という生物に興味が消えていく。情報を吐かせて痛めつけた後、殺すことを視野に入れる。
鬼の注意力を散乱しつつ、背後から忍び寄り爪で眼を潰す。眼球を抉り取り、痛みで鬼が首を反らしたと同時に手刀で首を刎ねる。
鬼は離れていく自身の体を見ながら叫んだ。
「頭がっ!! 岩より硬い俺の体がお前なんかの手で斬られんだよ!!」
鬼は、ダメージを受けると硬化が弱まることを知らなかったようだ。恐らくダメージを受けたことがなかったのだろうけど。狭い自分の国で大将と成れてさぞ気分がよかったのだろう。まあ、オレには関係ないけど。
鬼の爪をはぎ取り、首を地に打ち付ける。自分で自分の首を絞める、ならぬ自分の爪で自分の首を打ち付ける。
鬼は何かを叫んでいたが全く魅力的に聞こえなかった。
首と胴体が切り離されても痛覚は脳に伝わるらしい。硬化と自己再生が低下していくヤツの体を斬り刻みながら、知りたいことを聞いていく。極度の疲労とストレスは精神を脆弱にする。始めは口が堅かった鬼も胴体を刻むにつれて話すようになってきた。
だが残念なことにオレが欲しい情報は得られなかった。
刻んで弱った鬼を見て、思ったことをふと口にする。
「血鬼術だっけ、それと再生の能力も無限ではないんだな。オマエらもただの生き物なんだな」
こいつらが使用する能力は
そう呟いた時、鬼が激高した。
大声で喚き怒気をむき出す首に、何をそんなに怒っているのかわからなかった。
怒りにはエネルギーが必要だ。体の再生もできない状態で使う最後のエネルギーの使い道が怒気ということに、理解できなかった。無駄に思えた。何もできずただ喚くのは弱者の特権だ。
鬼という未知の生物への期待が下がっていくのとは反対に、夜が明け太陽が昇る。暗闇が白み、朝日が周囲を照らし始め、太陽に灼かれて鬼は消滅した。
なんだ、吸血鬼みたいに太陽で死ぬのか。そもそも吸血鬼は西洋の鬼ともいわれていたと思い出す。人間はあっけなく死ぬが、鬼も死ぬ時はあっけない。
ため息と共に死角に向かって石を投げつける。鬼と戦っていた時から新たな気配を感じていた。
隠す気もないのだろうが視線がうるさい。
「そろそろ出てきたらどうなんだ」
気配のする方を睨みつけると男が姿を現した。がたいのいい、袖のない詰襟を着た、奇妙な男だった。大粒の輝石が3つもついた額当てをし、その横にジャラジャラと小粒の輝石を垂らしている。左目のペイントも特徴的だ。
視線も見た目もうるさい奴だ。こういう種類のうるさい奴はヒソカで一人で十分である。
だから願った。できれば無口な奴であってほしいと。無口であるが故に見た目だけにインパクトをおいたという方向性を願うが、恐らくそんなはずはないのだろう。嫌な予感がして気分が下がる。
「ずっと見てたようだけど、絵を描くのが趣味なのか?」
挑発的に笑って皮肉を言う。
「お前、拷問のやり方が慣れてるな。……何者だ?」
「名前を聞く前に自分から名乗るもんじゃねぇの」
「ふん、俺は『元』忍の
ドヤァッと効果音がつきそうな言い方にため息が出る。見た目だけじゃなく口もうるさい元忍者だった。忍者はみんな自分が大好きなのか。忍べよと毒づく。
だが新しい情報も得た。キサツタイとは忍者の隊名なのかよくわからないが、そういう界隈の奴ならば『反応』するのかもしれない。
ソイツを注意深く観察しながら言った。
「クルイ・ゾルディック。ゾルディック家の者だ」
「……ゾルディック。外国人か」
外国人か?
ソイツは家の名前に反応しなかった。
瞳孔の動き、表情、動作、呼吸、脈拍、体温、手元から足先に至るまで人間は情報を様々な形で表現する。だから五感全てを使って相手の情報を細部まで盗み取る訓練を受けてきた。
だが読み取れる反応はすべて正常だった。とぼけているようには見えない。と、いうよりもその界隈の人間なのにその名を知らないように見られる。この地域では家の名が知れ渡っていないだけかもしれないが。
現在得られている情報を整理する。鬼という存在。念が使えない状況。念とは違う能力。通じないファミリーネーム。
まだこれだけの情報では結論付けられないが、過去の経験から薄々とある可能性が浮上する。時間遡行、異世界トリップ、未知なる大陸への上陸。
異世界転生トリップ経験者のオレの読みでは
また独りになった。ミルキとだらだらしながらゲームがしたい。怠惰な日常に戻りたい。特殊な家族ではあったが、別に家族が嫌いなわけではなかった。家族にもひた隠しにしていた真実が突然消えた。
体の中心が空虚になり、乾いた嗤いが口からこぼれ落ちる。両手に絶望がいっぱいで希望が持てません。
人は時折巨大な何かに試される時がある。そんな時はどんなに考えても答えが出ない。どうにもならないことをオレは知っている。巨大な力に流されて活路を見出すしかない。オレは今また新たに、巨大な何かに試されている。
朝焼けが空を染めていたが月はまだ見えていた。
ミルキ、こっちの世界も月がきれいだ。帰るまでゲームはお預けだ。
心の中で怠惰な日常に別れを言い、目の前の男に答える。
「そうだな、遠いところから来た……」
「お前、何者だ? さっきの鬼との戦い方、拷問、お前俺と同じ側の人間だろ」
「暗殺者だ。仕事として請け負えばそうなる」
──人形のように生産性を求めて殺せ。
幼い頃からイルミに刷り込まれた言葉が頭に響き渡り、自身が無機質に変わっていく。
自分の中にある精神の海が一瞬で凪ぐ。波の無い、無の空間が一面に広がる。
ソイツはでかい目をより一層見開いた後、そっと瞳を閉じて、開いた。
「お前、そうか……。よし、俺についてこい。継子にしてやる」
差し伸ばされた手と共に、ソイツは何かを決意したかのようにそう言った。
「ツグコ……?」
「俺がお前を育ててやるってことだ。細っこいし」
「いらねぇ」
「んだとこの餓鬼!!」
「ガキじゃねぇよ」
うるさいを具現化したコイツと一緒にいると精神がすり減る。一人で旅しながらあの世界に帰る方法を探した方が有意義だ。
「いや、お前餓鬼だぞ。10歳そこらだろ」
19歳は十代前半じゃねぇよ。オマエの目は節穴か。
建物に近づき窓まで寄る。そこでふと気がついた。
窓はこんなに高かっただろうか?
嫌な予感がしながらも、そうでないことを願いながら窓を覗き込んだ。窓には10歳そこらの昔の自分が映っていた。
「マジか、ガキじゃねぇか」
「俺様の言う通りだろ」
男の指摘通り、これまでにない程テンションが降下した。ミルキが見たら「いつもの死んだ目が腐って悪臭を放っている」と言うのだろう。
虚勢ではなく、一人でもやっていける自信がある。やわな育ち方をしていないことに、今さらながら家族に感謝した。
「悪い話じゃない。鬼の殺し方、情報も教えてやる」
単純に、餌の出し方の上手さに感心する。やはり鬼は効率の良い殺し方があるようだ。予想だが、念能力の様に異能も鬼によって異なるのだろう。今回殺した鬼の異能は皮膚の硬化。ならば空間や時空、次元を操る鬼がいるのかもしれない。
自分の中で勘定が動いた。
鬼との戦い方、情報が揃うまでコイツの言う通りにした方が得策である。その後は勝手に動く。
オレはあの世界の家に帰る。そのために一匹でも多くの鬼に出会い、目的の能力を探しだす。
今後の方針が決まった。
それでもコイツと行動を共にするのは心底嫌だ。口がうるさい奴は母、キキョウで十分である。
だからオレは最大限の抵抗の意味を込めて、目線を逸らして言った。
「……よろしく頼む」
ソイツは顔をキョトンとさせた後、ニタァと笑った。新しいからからかい相手を見つけたような顔だった。
「いいか! 俺は神だ! お前は塵だ! 俺が烏は白いと言ったら烏も白になる! もう一度言う、俺は神だ!! 俺を崇め! そして跪け!! 今日からお前は俺の継子だ!! お前を派手に迎え入れる!!」
さっそく機嫌は急降下し、口が蔑称を放つ。
「うるさガミ」
そうしてオレは宇髄天元の継子となった。