執念が生まれる
──肌を刺すほど寒い日の夜、
小屋の中は薄暗かった。部屋の真ん中で鬼が逆さに吊るされている。目の前に座る男の質問に、鬼は途切れ途切れ正直に話す。始めの内は口を割らなかった。だが、何時間にも渡り手足を切り落とされ、皮を剥がれ、内臓を抉り出され続けると、肉体と違って精神が先に朽ちてしまった。
男は表情一つ変えずに問う。
「もう一度聞く。青い彼岸花は植物か」
「しら、な……い。わか……な、い」
「知らないとわからない、どっちだ」
「しら、なぃ」
闇に呑み込まれたような真っ黒な目を向けて、男は問い続ける。
「無惨とはどうやって情報を交換している」
鬼はがくがくと震えだす。脳内に鬼舞辻の声がこだまする。「私の事は何も言ってはいけないよ」ひどく優しい声音なのに、底冷えする恐ろしさが体を襲う。
「し、知らな、いっ!」
「ダウト。信じねえよ」
クルイは立ち上り、鬼の足を切断した。
片足首に体重がかかり鬼は声なく叫ぶ。涙は出ない。既に枯れている。
クルイは鬼を上から下へスキャンするように感情のない目でじっくりと観察し思案した。
「呪いか」
自分に置き換えて考える。信頼のない奴からの定期連絡など意味はない。ならば嘘偽りのない情報を常に手に入れればいい。感覚器官を乗っ取るように。その中でも一瞬で膨大な情報を入手できるのは何か。
鬼を見て、目が合う。
鬼はクルイの視線から逃れるように目が泳ぐ。
「……目。見た物が無惨に共有されている」
視覚は、目を持つ生物にとって最も多い情報量をもつ。
鬼は浅い息を繰り返し、暗く定まらない瞳を向けている。この状況も無惨に自動送信されている。
やはり目を隠すべきだった。
「これで最後だ。質問に答えたら解放する」
死んでいた鬼の目に涙が浮かぶ。解放、という言葉が希望に満ち溢れる。
「対象を移動させる、もしくは空間や次元を歪められる能力の鬼はどこだ」
「聞いた……ことは、ある。が、しら……ない」
収穫は得た。目的の能力を持つ鬼がいることにクルイは満足した。
縄を切り、吊り上げられていた鬼がべしゃりと床に落ちる。鬼は再生力が限界を超え、足だけでなく至る箇所が満足していない。
そんな鬼を見下ろし、クルイは自身の血を数滴落とした。
鬼は血を飲み、瞬く間に力がみなぎる。目が開き、体が熱くなり、酷く甘美な味わいで力が湧く。他の血など、もう飲めない程に。
念を修得しているクルイの体は、一般人とは違い
鬼は目の前の男の肉を喰いたいと心底思った。だがすぐにそれは愚行だと理解する。今まで鬼である自分が男に圧倒され、手も足も出なかった。沸き立つ食欲が恐怖に負ける。鬼の矜持は既に折られている。
「もう用はない」
男が「行け」と言ったと同時に鬼は走り出した。求める男の血肉の欲を振り切り、戸を目指す。
戸を突き破り、夜空を見る。これからは山でひっそりと暮らそう。そう未来を描いた時には首が地面に落ちて目に土が付着していた。
なぜだ。
眼球を動かして周りを見渡す。先ほどの男とは違う、傷だらけの男と目が合った。そいつは殺意をむき出しにして頭を突き刺した。
「とっととくたばりやがれ」
──そいつの目が苦手だった。
クルイはキメラ=アントを思い浮かべた。人間を襲い、食した特性を次世代へ反映する摂食交配生物。より栄養価の高い念能力者を襲い、念さえも自在に操るようになった
クルイは鬼と蟻の共通する生態に嘆息した。栄養価の高い生物、人間を食すこと。生命エネルギーが一定値を超えると異能力が発現すること。
何も成せなかった
クルイは、
捕縛されても同じである。ポックルの様に情報を抜かれ、鬼は蟻の道を進む。
一方でも実現すれば終焉が始まる。この世界にはクルイ以外の念能力者はいない。
クルイはめんどくさそうにため息をはき、鬼が壊した戸口へ歩き出した。
実弥は小屋から出てきたクルイに問いかけた。
「テメェ、あの鬼に何をしたァ」
クルイは実弥に目もくれず周りを見渡し、歩みを進める。何も話すことはないという態度に、実弥は舌打ちと共に苛立ちが募る。
タコ殴りしても飽き足らないくらいムカついてはいても、決して実弥はクルイを軽んじているわけではない。何かあるというのであれば
それでも、こっちを向けと荒々しく肩を掴むくらいはする。
「捕えた時よりも随分と皮膚が硬化してやがった。テメェ、
「話す必要はない」
実弥に肩を強く掴まれ、無理やり視線を合わせられる。
クルイはため息と共に視線を外し、村一帯を視た。
もうここには鬼の痕跡はない。少しなら無駄話をしてもいいのかもしれない。言ったところで不死川がどこまで信じるのかわからないが、全てを信じない程そこまで理解力が乏しい奴ではなかったはずだ。
「力を与えた。鬼は人間を喰ってるんじゃなく、人間の
「テンメェ!!」
実弥は怒りで顔の至る所に筋が浮かび上がりながらも、刀にかける手をなんとか理性で押し止める。
クルイが与える量を見誤れば、鬼は狂暴化し実弥は無事では済まなかっただろう。
クルイは実弥の様子を横目にし、拳を鳴らし出す前に話を続けた。
「鬼が男よりも女を好んで喰うのは、女の方が生命力が高いからだ。子孫を一定期間腹の中で育てて産むしな」
実弥を置いてクルイは歩き始めた。話は終わったという態度が実弥の癇に障り、不快感が積み重なる。
「チッ。反吐が出る」
「吐くなら見えないところでやってくれ」
「アアン?! んだとテメェ!」
常識を持った隊士であれば、苛ついている実弥は恐怖の対象であり、クルイもまた実弥とは違った種類の恐怖の対象である。真っ暗な目と濃い隈、過去の事件が要因となっている。そんな二人が行動を共にするようになり、より強大となった恐怖に一般の隊士は震えあがった。
クルイは感情が読めない目で実弥をじっと見た。
「オマエいつもイライラしてるけどさ、高血圧なんじゃねえの」
「テンメェ!!」
クルイの鎹鴉が猛スピードで二人の間に割って入り、ぜいぜいと息をきらせながら叫ぶ。
「応援要請イィ!! 胡蝶カナエ、上弦の弐と戦闘中!! 至急応援セヨォオ!!」
クルイは実弥を置いて姿を消した。実弥は舌打ちを残してクルイの後を追った。
──「やあ、久しぶりだね」
突如上空から降ってきた巨大な氷柱に、花柱、胡蝶カナエは5年前の光景がフラッシュバックした。
隊士の多くは氷柱に貫かれ絶命している。鬼の姿は見当たらない。姿を隠しているか、視認できない程遠距離にいるか。
カナエは即座に指示を出した。
「口元に布を覆いなさい! 火薬を持っている者は投げなさい。煙幕で一度退きます」
血鬼術、粉凍を忌避しての考えだ。毒ガスの様に、空気中に散布された童磨の血を吸引すると肺胞が壊死する。
体勢を立て直す必要がある。生存者が何人いて、そのうち何人が動けるのか。氷柱に潰された隊士は全員絶命しているのか。
だが無情にも、爆風と共にそいつは上からやってきた。
「久しぶり。ちょうどいい具合に成長したね。月のものはもう来たかい?」
「君はこの5年間よく頑張ったよ。ただ、努力が実るとは限らない」
童磨は殺した隊士の目玉を食し、口福にひたる。喰った人間が美味いからか、目の前のカナエを挑発しているかはわからないが満面の笑みを浮かべている。
挑発に乗ってはならないとカナエは自制するが、ギチギチと刀を握る手に力が籠る。数時間にも及ぶ戦闘と負傷は、カナエの体力と精神力を極限まで削っていた。
カナエは5年前にも十二鬼月、上弦の弐に位置する童磨と戦っている。当時入隊して2ヶ月ということもあり、カナエは童磨の圧倒的な力と己の弱さを痛感した。音柱、宇髄天元がいなければカナエは間違いなく死んでいた。
カナエは守らなければならない者を守ることができない己に涙し、その後悔を胸に血の滲む努力を続け、鬼殺の剣士の最高位の称号を得るまでに実力をつけた。
それでも戦って思う。その差は縮まっていないと。
遠距離拡散型の童磨の間合いに入らないように、カナエ達は代わる代わる間髪入れずに斬りつけた。腕を落とし、身体に斬撃を入れ、肉を削ぐ。刺突し、肉を抉り、頚を斬ろうとして皮を掠る。
童磨はその間も二対の扇で斬りつけ、隊士を地に眠らせていく。
最期まで残ったのはカナエだけだった。
童磨は空虚な笑顔を浮かべ、カナエとの殺し合いを楽しんでいる。幼子の成長を喜ぶように、カナエ達にわざと体を斬らせてその成果をねぎらった。
「うんうん、練習したことがちゃんとできてるよ。よくできました。でも残念、俺は再生できるんだ」
「よいしょ」と斬られた箇所を修復し、じゃーんと両手を広げて全身を見せる。斬られた身体は傷跡一つ見当たらない。
童磨は垂れた眉をよりひそめてカナエを哀れんだ。
「かわいそうに、5年も修行して爪痕すら残せないとはね」
カナエと死んでいる隊士を見て、童磨は馬鹿だなあと思う。信者は皆『辛い、苦しい』と解放を求めてくるのに対し、鬼殺隊は自ら苦行を歩む。どんなに鍛錬し己を磨いたところで人間は非力から抜け出せないというのにだ。
どうして彼等はわからないのだろうか。雑魚の鬼を倒せたところでより強い鬼がいる。上には上がいる。自ら喰われようと身を差し出しているようにさえ感じる。
そこで思う。
「ああ、もしかして、君達は復讐するという行為で生活を充実させているのかな。頑張って頑張ってできなかったことができるようになった。鬼を一匹倒せた。達成感を得た。それは分かりやすく努力を評価できる。だからいつまでも俺達を追いかけている。そういうことかい? 君は、復讐で、今、充実してるかい?」
カナエは一瞬理解できなかった。
こいつは何を言った?
そして叫び出す程の怒りが込み上げてくる。童磨を睨み、刀を握りしめ、何度も大きく息を吐いて吸う。胸を駆け上る怒りを抑えつけ理性を保つ。
感情を、乱しては、駄目だ。
死に行く親と仲間達を見てきた。助けられなかった人達を見てきた。それを悲しむ人達も見てきた。首を跳ねた鬼が人の心を取り戻し、泣きながら崩れ行く姿も見てきた。
この不幸の連鎖を断ち切ろうと心に誓った。
「私が可哀そう? いいえ。違います。可哀そうなのはあなたの方です。そんな風にしか考えられないあなたは、愛を知りません」
鬼に殺された両親からは、死ぬ瞬間まで愛をもらった。仲間達は、故人への愛を原動力に駆け抜けた。人は愛する人を失い涙する。その痛みに耐え、立ち上がり、前に進む。同じ思いを味わえと──。
「復讐という言葉の意味は広い。愛する人を奪われた感情を
「へえ」──こいつの頭は大丈夫か。
愛や正義が薬の様に働いて理性を溶かす。それを大義名分にすれば耳ざわりはよく幸せなまま攻撃的になれる。昔から周りの人間は馬鹿ばかりだった。そして目の前の女も同様に思う。
童磨はにっこりと笑った。自分の主張ばかり信じてやまない小娘に、少しばかりの意地悪を言う。
「ねえ、俺が善意だけで君達に体を斬られてあげたと思う? 冬だから気づかないのかな? ここら辺は俺の血が至る所に付着してるね」
その言葉に、カナエは周辺の気温が低下していることにようやく気がついた。真冬の未明に、外で何時間も死闘を繰り広げて感覚が麻痺していた。急いでその場から離れるが、空気中に舞う童磨の血を吸い、体内はゆっくりと冷やされ既に蝕まれている。
童磨は口端を上げ、八重歯を見せた。時間をかけて熟成させた肉をやっと食べることができる欲にまみれた笑みだった。
「5年越しになったけど、やっとこの苦行に満ちた世界から君を救えるよ。もうつまらない復讐なんてしなくていいんだよ。俺は、今度こそ君を幸せにしてみせ──」
突如背後から頚に刃が入る。童磨はとっさに自身で頚を断った。落ちる自身の首が監視カメラのように空を映し、後ろの正面を映す。だがそこには何も映っていなかった。
何が起こった。
胴体はすぐに落ちた首を掴み、後ろに飛んで距離を取る。
クルイは宙に浮いたその瞬間を狙い、技を放つ。
音の呼吸──壱ノ型 轟
滞空している胴体と首を目掛けて交差した斬撃を放つ。
威力が大きい。直撃すれば再生に多少時間がかかる。その時間が明暗を分けると直感が訴える。
血鬼術──
首は胴体に指令し、胴体は二対の扇子をあおぎ凍の刃で相殺する。着地した胴体は首を頚に置き、扇で頚を隠してくっつける。
危なかった。思わず死ぬところだった。心臓からヒヤリとした焦りを取り払う。
クルイは着地した瞬間に距離を詰めた。足にオーラを40%集結し、童磨の胸を蹴り胸骨から胸椎をへし折る。ぐしゃりと童磨の胸が陥没し、足が体内に沈み込むのを厭わず頚にベンズナイフを入れる。
童磨は咄嗟にクルイの腕を掴んだ。胸に沈んでいる足を肉で固定し扇子で鳩尾を刺突する。
転瞬、クルイは
風の呼吸──弐ノ型
上空から4つの爪状の斬撃が童磨の肉体を刻む。背後で童磨を羽交い絞めするクルイごと躊躇なく斬撃は放たれた。
──こいつら!
目の前には人間の形をした獣が第二撃を浴びせようと刀を構え迫っている。背後には男が体を固定して動くことができない。このままでは首が飛ぶ。ならば飛ぶ前に相手を不能にすればいい。
コマ送りのフィルムの様に、時間が引き延ばされてゆっくりと見える。
実弥が距離を詰め、童磨の間合いに入る。
童磨の口がニヤリと弧を描く。
童磨が鬼血術を念じる前に実弥の後方から刀が飛んでくる。
後方でカナエが指文字で離れろと二人に指示をだす。
血鬼術──粉凍
童磨が念じた時、既に二人は距離を取っていた。
「もー、君は余計なことして!」
苦しそうにゼェゼェ……と呼吸をするカナエに童磨は頬を膨らませる。それでも三人への警戒は怠らない。童磨は対峙する二人を特に注視した。今まで戦ってきた鬼殺隊の中でも上位の強さに相当する。
「胡蝶、それ飲んで口をゆすげ。本部に帰ったら肺の洗浄だ」
実弥はカナエに止血薬と藤の花の蜜を溶かした水を投げた。外傷と共に内臓の負傷もあるのだろう。花柱、胡蝶カナエはもはや鬼と戦うことはできない。生命活動を長く続ける己との闘いに変わる。
実弥は上弦の弐に視線をひたと据え、その奥にいるクルイに目を合わせる。剣術よりも体術が飛びぬけている奇人である。超近距離型のあいつには上弦の弐の能力とは相性が悪い。
だが、それを凌駕する程あいつは強い。
実弥の瞬きを合図に二人は両側から童磨に飛び掛かった。
血鬼術──冬ざれ氷柱
童磨が思念すると、任意の上空に二人を狙った巨大な氷柱が出現する。ドリルの様に回転しながら自由落下し地面を穿つ。
風の呼吸──参ノ型
実弥は無数の横なぎの斬撃で落下してくる氷柱を相殺する。視界が晴れた時には、氷柱をもったクルイが童磨の頭に槍投げの如く刺突していた。首を差し出すように頭を貫かれた童磨は実弥の間合いに入る。
「やれ」
無機質で傲慢な声に反抗するように、実弥は雄叫びを上げて一閃した。
血鬼術──枯園垂り
童磨は氷の斬撃を飛ばし、氷柱に突き刺さった頭をより深く突き刺して首の皮を斬られるに留まる。同時に、氷柱を掴んでいた死んだ目の男には氷柱を集中的に落とし遠ざける。
この男は厄介だ。
「あー、危なかったなあ」
言葉とは裏腹に眉が弧を描く。酔いそうになる程、何処からかもの凄く良い匂いがするのだ。
童磨は自分を挟む二人を見た。一人ずつ顔を向け、空気中に漂う血の匂いを嗅ぐ。匂いの元は傷だらけの男からだった。
先程の斬撃で傷を負ったのだろう。男の傷口からは血が流れている。稀血の中でも稀少性の高い稀血なのだろう。流れ出る少量の血からでも濃い匂いが漂ってくる。
意図せず高級な餌に出会い、唇を舐める。
その血が欲しい。
童磨は心の中のドロリとした欲望を隠し、明るくカラカラと笑った。
「君さあ、稀血だろ。それも稀少種の。俺は女しか喰わない主義なんだけどなぁ、君だけは特別に喰べてあげるよ」
「違ェだろ。喰べてあげるじゃなくて喰わせてくださいだろうがァッ! どんなに頼まれても喰わせねェけどなァ!!」
実弥は目の前の鬼を睨み付けた。腕に刀を当てて引き、自ら血を流した。その匂いを嗅ぐだけで鬼が酩酊するほどの稀血の中の稀血を。位が高い鬼ほど酔う、最高のご馳走を。
この血で前後不覚になれ。
血が流れる度に、先程とは比べようにない程の血の香りが広がり、口角が上がる。よりうまいものを食べたいという欲求が頭を揺らし理性を追いやる。
日の出も近い。一気に片を着けなければ喰えなくなる。だが二人を相手する時間はない。ならば俺じゃないやつがもう一人の男の相手をすればいい。
童磨はニタリと笑い、血鬼術──
「君達はあっちをやって」
クルイを取り囲むように、常に三体の御子が遠距離拡散型の三種の攻撃を仕掛けてくる。粉凍で呼吸を止めさせ、斬撃を飛ばし、氷柱を落とす。四体目の御子は常にクルイに接近して斬撃を飛ばす。それぞれの御子に決められた技のみを指示し、必要以上に手の内を見せない攻撃にクルイは悪態をついた。
クルイは早々に一度、接近してくる御子を足で砕いている。片足を
クルイは息を止めたまま動き続けることに限界を向かえていた。
まだ酸素が足りている今できることを考える。氷像を砕いても斬っても意味はない。ならば一時的にもその存在がいなくなればいい。
クルイは追尾してくる御子を掴み、奥で実弥と戦っている童磨に向けて投げつけた。オマエうざいんだよ、と。それは何年経っても発が使えない自身への苛立ちも含んでいた。
残り三体が展開する攻撃を躱し、最短距離で三体の御子を掴み鬼に投げつける。鬼は四体の氷像が飛んでくる様子に瞠目した後、顔から表情を消した。
鬼の視線を無視してクルイは高くジャンプし、新鮮な空気を肺に取り入れる。体が最高到達点に辿り着いた時、クルイは遠くの空が微かに白み始めている様子を確認した。
日が昇る。安堵よりも任務を完遂できていないざわめきが胸に広がる。
──何やってんの。クルイは任務完了が第一。
突如、幼い頃に刷り込まれたイルミの言葉が頭に響く。
そうなるとなぜか、視野が広がり身体が自然と最適解の動きをする。
クルイは着地と同時に鬼との距離を一瞬で詰めた。刀にオーラを纏わせ
童磨と戦っていた実弥は、クルイの刀が頚に入ると確信した。
だが、刀は空を斬った。鬼はその場から消えていた。
「あー、また朝が来ちゃうか」
少し離れたところに童磨は居た。
垂れた眉を更に垂らしてカナエを見ている。手を振りながらひどく軽い口調で勝手に約束を交わす。
「またね、コチョウちゃん。君が死ぬ前に俺が迎えに行くからね」
君の最期は俺に
血鬼術──冬ざれ氷柱を発動し童磨は姿を消した。
墜落する巨大な氷柱を二人が全て砕いた時には夜が明け始めており、鬼の追跡は望めなかった。
クルイは壁を殴り、苛立ちを発散させた。今まで念の発が使えなくとも四体行と応用、家仕込みの技術で鬼を倒すことができていた。知らないうちにそれに慢心していた。
発が使えないことがひどくもどかしい。発さえ使えれば早々に片が付いたのにという三下みたいなことを考え、自分に嫌気がさす。
何かを得るためには何かを捨てなければならない。自分を捨ててでも、発が使用できるようにしなければ捕獲など実現しない。それは鬼よりも圧倒的に戦力が高くなければならない。今の状態で、目的の能力をもつ鬼を捕獲するという過去の楽観的な思考に嘲笑する。
上弦の鬼の力量を知り、今の自分の力量に愕然とし、こぶしを強く握った。
胡蝶カナエは鬼殺隊を辞め、療養に専念している。剣を振るい駆けまわるどころか、日常的に歩く事すら困難な身となった。肺を主に、日に日に童磨の血鬼術に蝕まれていき、そう遠くない日にはベッドから起き上がることすらできなくなるだろう。
死が、一歩一歩カナエに近づいていた。
夢の途中でカナエは目を覚ました。夜風が入り心地よい。だが寝る前に確かしのぶが窓を閉めたことを思い出す。
窓を見ると、見知った後姿が窓に腰かけ夜空を眺めていた。真っ暗な目と隈は死神を連想させると言われているが、それとは似ても似つかないほど彼が優しいことをカナエは知っている。
「起きたか」
カナエの変化を察知し、クルイは振り向かずに言った。
「ええ。こんな夜中にどうしたんですか」
「会いに来た。オマエは……生きたいか。死ぬのを待つか」
クルイは自身の手を見ながらカナエに問う。ゴンとキルアがやったみたいに、生命エネルギーをカナエへ送れば助かるのではないか。
だが同時に懸念する。オーラを送りコイツが回復した後、鬼に喰われたらどうなるのかと。最悪の事態を予測しながらもここまで来て、未だ迷っている。
そんなクルイにカナエは優しく笑った。背中を向け続け、『何か』と葛藤するクルイにカナエは5年前の事を思い出す。
「あなたは、本当に優しい人ですね。……何もしなくていいんですよ」
口下手なクルイの代わりに今度はカナエが話し出す。
優しい彼なら、今なら否定してくれるかもしれない。昔から抱く、理解されない理想を。そんなずるい考えと共に、カナエは言葉を紡いだ。
「人と鬼は、共に生きることはできると思いますか」
「それは共生か」
「ええ、そうです。私の夢です」
カナエはにっこりと笑顔を繕った。
クルイはカナエに胡散臭いものを見る目を向けた。クルイのような人間からは、平和主義者というのは得体の知れないものだ。魔獣に好かれるゴンでさえも、親類同然のカイトを殺された時は蟻を殺す対象としたのに、ゴンでもないカナエにオマエは何を言っているんだと心の中で毒づく。
だが、互いが何も奪わないのであれば、その夢は実現する可能性はあるとも思った。
「共にあることはできる。だがお互い不可侵領域に踏み込むことは許されない」
「具体的には?」
「鬼が積極的に人を喰わないこと。人も積極的に鬼を狩らないこと。そして人間の倫理に則ること」
「難しいことを言いますね」
「難しい議題だからな。だが倫理はもっと難しい。倫理的に正しい人間は、自らの置かれている環境を支配するルール……規則に従順であるだけで、その実何も考えていないことが多い」
それはクルイ自身も当てはまる。
裏の世界のルールに従って生きてきた。何も考えずに決められたルールに従うのは楽だった。何度もそうやって答えを出してきたはずなのに、自分はいつのまにか迷子になっていた。
「つまりは、人間が考えた規則に鬼を従わせるということですか」
「随分乱暴にまとめたな」
「それは私の描く共生ではありません」
「だろうな。まあ、日本的な考えだ」
「日本的?」
「人と自然。自然に関しては人ならざる者、異形と捉えて構わない。共にあろうとするがどこか違うと一線を引き共生することはない。こと西洋においては、自然は人が完全に支配するものと考えられ、東洋のある地域では人と自然は一心同体のものと考えられている。つまり、オマエの理想は文化的思想の形成であり、自身で導き出したものかは疑問だ」
カナエは全く新しい世界を見た気がした。今まで考えていたこと、言われてきたこととは考え方の次元が違った。
クルイは淡々と畳みかけた。
「鬼を、信じるなら裏切られても信じろよ。それができないなら自分の理想を押し付けてるだけだ」
カナエは頷き、笑って涙した。
男は音もなく塀を飛び越え、蝶屋敷から出てきた。
「テメェ、今度は胡蝶に何をしようとしたァ」
実弥は壁にもたれかかり、クルイを待ち伏せていた。つり上がった鋭い目がクルイを睨みつける。
実弥の問いかけにクルイは答えようとしない。暗い目をしたまま淡々と前を見据えて歩き始めている。
「テメェは今何を考えてやがる」
質問を変え、苛立ちを隠さず問いかけるが、クルイは更に目を暗くするだけだった。またも話す必要は無いという態度に実弥は怒りが込み上がる。
お目付け役という立場はあれ、クルイとは何度も組んできた。少なくとも実弥はクルイの実力を認めており、必要最低限の信頼関係も築いている。
上弦の弐との戦いからクルイの態度が変わった。今まで以上に人嫌いとなり、一人で何かをしている。
「おい」と文句を言おうとしたが、言葉が出てこなかった。
クルイの黒い気配が実弥の心臓をがしりと握る。思わず息が止まり、汗が伝う。
ぞっとするほど凍てつく目を向けてクルイは言った。
「関係ない」
この世界の人と関わり、下手に色々と感じてしまったせいで自分でも気づかぬうちに仮面がはがれかけていた。
──音柱、宇髄天元は鎹鴉からの手紙を読み、本部へ駆けだした。
産屋敷耀哉は上弦の弐との戦闘について速報を聞いた後、報告に来た隠を一旦下がらせた。
直ぐに手紙を書き上げ鎹鴉に括りつける。事の詳細は後で聴く。今は一刻も早く確認しなければならない。
耀哉は鴉に話しかけた。
「天元を呼んできてくれるかい。クルイのことを全て教えくれと」
鴉は主の言葉に頷き飛び立った。