11
私という存在に、意味を求めていた
産屋敷耀哉として生を受けてから、自我が芽生えるまで、五感で得たもの全てを記憶していた。
一度呑み込んだものを再び口に戻して咀嚼する反芻動物の様に、私は時間を掛けて何度も情報を噛み砕いては呑み込み、状況を整理した。
生前の記憶を持ち、脳が発達するにつれ、私は背負った重責を理解する。
父は、鬼殺隊の当主であり立派に隊を率いていた。
だが、その命は短かった。産屋敷一族では、20代前半まで生きれば長生きし、誰も30年と生きられない。それが、始まりの鬼である鬼舞辻無惨を血筋から出した呪いである。次期当主である私は、父が死んだ後もすぐに隊を率いる人間となるよう幼い頃から厳しくも愛情のある教育を受けた。
立場が私を変えた。当主となり、遅くとも私はやっと今の私を受け入れた。私は鬼殺隊当主、産屋敷耀哉であるということ。そしてここは、鬼滅の刃の世界であるということを。
鬼が増えると犠牲者も増える。市井の死傷、隊士の死傷、鬼の報告を聞くにつれ、生きることを絶たれた暗い恨みの声が耳の傍で聞こえる。
──お前の血筋が鬼を出したから、私たちは死ぬ羽目になったんだ。
──お前の血筋が鬼を出したから、俺は鬼になってしまったんだ。
その度に想いが強くなる。犠牲者をこれ以上出してはいけない。一族の呪いを次代へ継がせない。どんな手を使っても私の代で鬼舞辻無惨を殺さなければならない。
だが、いくら強い想いを持っていても私は原作の知識は乏しく、また体も脆弱であった。
想いを原動力に体を突き動かすことはできず、呪いが私の体を蝕む。刀を振れば10回ももたずに脈が狂い、感情の起伏も体に障る。呪いが体を侵蝕し腐らせるまで、植物の様にじっと静かに生き耐えなければならない。
転生という力を与えられて生まれてきたはずなのに、私には力がなかった。こみ上げてくる狂気を何重にも包んで肚の奥底にしまい、静寂に隊の指揮を執り続けた。
その狂気は、今か今かと肚の底から出てくる機会をずっと窺っている。
──あいつは、優しすぎる奴です。
音柱、宇髄天元は鬼殺隊当主、産屋敷耀哉の前で言った。
元忍びである彼は、鬼殺の剣士、甲に位置するクルイ隊士の『元』師範である。
5年前、音柱となったクルイは下弦討伐作戦の指揮をとり、討伐と共に人質の患者を全て救出した。だが、その代償に、一般人の死傷者が過去最多に上った。その内約8割の死因は鬼ではなく、彼に殺されている。
市井を守る鬼殺隊が、意図的に人を殺めることは隊の存在意義に反する。
クルイはその処分として、鬼殺隊最高位である柱の剥奪及び宇髄の門を追放された。──と、周囲は認識しているが、事実は、クルイ自ら宇髄の門から籍を抜き、姿を消した。
宇髄は承諾していないが、師弟関係は事実上解消されている。
耀哉は一度、宇髄に尋ねたことがある。「クルイに会わないのかい」会う手立てをしようと提案したが、宇髄は
心の片隅で悔やみ続ける宇髄を思っての提案だったが、彼自身のその言葉に心打たれ、和解の席を設けることをやめた。
今でも度々、疑念が過る。クルイは、降格されるために市井に手をかけたのではないかと。
彼は柱への就任を拒否していた。聡明な彼であれば、降格されることも計算の上でとった行動ではないかと疑いの目が向くが、すぐにその考えを消す。
情報を得る前から先入観をもっては見えるものも歪んで見えなくなる。クルイの経歴、人柄をまだ把握しきれていない。それらを知るために、本日、クルイの師範である宇髄天元を呼びつけたのだから。
突然の招集にもかかわらず、天元は迷惑なそぶりを見せることなく頭を下げ、口上を述べた。
天元はクルイとの出会いから絶縁となっている現在までを詳細に語った。クルイの経歴、能力、性格、思考などを淡々とした口調で語っていたが、時折思い出を懐かしむように表情が柔らかくなる。兄が手のかかる弟を気にかけているようにも見え、その想いに笑みがこぼれた。
だからこそ胸が痛む。天元は5年経った今でも、あの時クルイを信じられなかった自身を責めている。
「──以上が私の知りうるクルイの情報です」力強い眼差しを向けて、嘘偽りなく天元は話した。
ありがとう、と目を伏せて頷く。入隊後の話は、凡そ鴉の報告を基に作られた報告書の通りであり、入隊前のクルイの話は興味深い点がいくつか見られた。
その一つが、天元と同業であったという経歴である。暗部の業界に身を置いていたからか、彼の性格、発言及び行動はこの時代においては珍しく合理的な要素が多い。
原作を詳しくは知らないが、クルイという登場人物は存在していないはずである。そんな原作に名前すら登場していない彼が、どうして予定されていた未来を変えることができたのか。変わった内容は、未来から見て許容される範囲の改変だったということなのか。
答えの出ない疑問が次々と湧き出て頭の中を占領する。それらを一つ一つ丁寧に整理して紐解くと、最後はクルイに繋がっている。
正体を掴む糸口は、蜘蛛の糸のように細く透明で一見見えないが、しっかりと繋がり形跡を残している。
耀哉はその先を辿り、宇髄を見つめた。
「クルイは、どうして目に呼吸を集中させたんだい」
それは以前から抱いていた疑問だった。
「きっかけはわかりません。ただ、鬼の気配を読むよりもオーラを視た方が早いと言っていました」
「オーラ……。それは、彼が言った言葉なのかい」久しく聞いていない言葉を発し、音を頭に刻み込む。
はい、と宇髄は頷き、オーラを気やエネルギーと言っていたという追加情報を差し出す。
「気、エネルギー……」
「気とは、気配とはまた違ったものの様です。水が沸き湯となって蒸気が発生するように、人や動物、生きとし生けるもの全てに湯気の様な気が放出されていると言っていました。俺はそれを『生命力』と解釈しています」
「オーラ、気、エネルギー、生命力……」
耀哉は背中にヒヤリとした汗が伝う。前世でその言葉が頻繁に出てくる二次元を耀哉はいくつか知っている。
「クルイは呼吸を使えた時、何か言ってなかったかい。気やエネルギーとは違う別の言葉で、何か称していなかったかい」
宇髄は、クルイと出会った日を起点に記憶を高速に再生させた。継子にした日、呼吸の基礎知識を教えた時、音の呼吸を教えた日々、鬼の気配について話した時のクルイの反応を一つずつ汲み上げては次々と是非の判定を下す。その中で、一度だけ聞きなれない言葉を掬い上げ脳が是と判定した。
記憶の中のクルイが呟いたように、宇髄は言った。
「──なんだ、ネンじゃないのか」宇髄は顔を上げ、耀哉の目を見る。「……そう呟いたのを聞きました」
「ネン……」
宇髄の記憶に頼った証言は、客観的に聴くと心もとないが、耀哉にとっては確たる証言となった。
気、エネルギー、ネンと聞けば『念』と勝手に文字を変換した。それならば、クルイが凝のように目に呼吸を集めて人や鬼のエネルギーを視ようとしたのも頷ける。
あの世界の人間が、この世界にやってきたということか──。
早鐘を討つ鼓動を落ち着かせる余裕もなく、耀哉は思考に没頭した。それだけで決めつけるのは早計であると、飛びつきそうになる答えにブレーキをかける。他にも何か決定打がなければ確信してはならない。
他に、クルイに何か手掛かりはないのか──。そう考えた時、ふと名前が引っかかった。
──クルイ。
あの世界のある一家の兄弟達の名前は、3文字で構成され、2番目に『ル』が入っていたことを思い出す。
耀哉は暫し思案した後、宇髄に問いかけた。いつものように柔らかく、だがどこか緊張感のある声だった。
「天元、クルイは同業者だと言ったね。彼は、それを彼の言葉で何と言っていたのか覚えているかい」
「暗殺者です」
ネン、クルイ、暗殺者。
耀哉は諦めたように瞳を閉じる。息を吐き出し、心を落ち着ける。意を決し、瞳を開けて答えが予測される質問をする。
「彼の苗字は、わかるかな」
「一度だけ、聞いたことがあります。確か……『ゾルディック』」
その言葉に耀哉は頷いた。
違う漫画の世界から来た人間がこんなにも身近にいたことに驚く。
耀哉の心の中を覗き見る者がいるのならば、新たな宇宙を創造するほどの大爆発を起こしているのだが、耀哉がとった行動は、ただ瞳を閉じて開いただけだった。
「天元、話してくれてありがとう。クルイの事が分かったよ」
──私は、世界の存在に驚く。
驚きや不思議とは、他でもない世界が私たちの周りに開かれ、事象として起きている。それは、何かあるものがあり、何も無いのではないということである。ものが在り、そのものの最中に私たちが存在している。
不安の無の明るい夜において、初めてあるものが『ある』と根源的に開示される。在るものはあくまで在るものであり、無ではない。
在るものの不思議、つまり在るものがあるということ。
逆に、存在の無根拠性とは、森羅万象があることに必然的な理由も起源も目標も無いということ。つまり万物は、ある必然性などないのに在るという存在の非必然性及び原始偶然を意味する。
存在が非必然だということは、万物は無くて当たり前であり、むしろないことこそがオリジナルとなる。在ることが異様となるのに、それなのになぜか在るという状態になる。
だが、もし仮に必然的な理由や目的があって何かがこの世に登場したのならば、それがあるのはごく当然なことになるだろう。存在しないことの方が理屈としてはおかしい。
在るなんてことは、論理的には異様なことであり、無い方が理屈としてはむしろ無理がない。存在していることこそ自明で当然と思っているが、無根拠ということを前提に考えれば、自明なのは非在や無の方であって、存在することはとても奇異であり、稀有なことである。
つまり、
天元を下がらせ、息を吐き出す。
天元の話を聴いて理解した。クルイは外国人でもなく、この世界の人間でもなく、違う次元からきた人間である。彼の居た世界を知っている。前の世界にいた時、熱中して読んだ漫画だ。
だが、あの一家にクルイ=ゾルディックという人物がいた記憶はない。
だからこそ新たな疑問が生まれる。彼は『何者』なのか。どうしてこの世界に『存在』しているのか。なぜ今もなお鬼殺隊に『所属し続けている』のか。それは天元の話を聴く前と後では解釈の違いが生まれる。
頭の中で大小様々な疑問が湧き、一人で疑問百出の刑に陥る。
彼の正体には大きく分けて3つの解釈が上げられる。
第一は、原作には描かれていない存在であるということ。過去または未来に存在するゾルディック家の人間であるか、もしくは原作時間に存在しているか。
一説によると、世界は一つではない。樹木のように、一つの基となる世界にいくつもの分岐点が枝葉となって存在し、それらが基の世界と並走するように同じ時間が流れて新たな世界を更に創りだし分岐する。
その場合、彼の居た世界は原作の世界から分岐した平行世界となる。故にその世界は私が知っている原作の世界とは異なる世界といえる。
第二は、彼は自分の居た世界が
第三は、一と二を合わせた存在という解釈。ゾルディック家で生まれた人間、あるいはその体に憑依した者であり前世の知識を持つ者。
いずれの解釈にせよ、彼がなぜこの世界に来たのかという疑問が生まれる。
この世界に自ら来たのであれば、目的を達した後は自らの力でこの世界を発つのだろう。目的を達していなくとも鬼に関する知識も十分に得ており、彼にとって窮屈な組織に居続ける必要は無い。
ならば、彼は受動的にこの世界に来たと考える方が自然である。
敵または力の暴発などによって己の意志とは無関係にこの世界に飛ばされてきたのであれば、元の世界に帰る方法を模索し続けているのかもしれない。
数多にある世界の中で、原作に登場していない
息を吐き、お茶を口に含み最期の疑問に思考を巡らせる。彼は、なぜ鬼殺隊に所属続けているのか。
──自らを餌に鬼を釣る。
クルイに初めて会った日、彼が言った言葉が頭に浮かぶ。
当時は、言葉の通り鬼を倒すと言う意味で受け取ったが、裏に違う意味が含まれていたのではないかと今更ながら思案する。
自身を餌にして鬼をおびきだす。鬼を積極的に狩る理由がないはずの彼が、なぜ誰よりも鬼を狩ろうとしているのか。
鬼を狩ることで彼にとってメリットがあるのか、もしくは狩るのではなく鬼の何かを必要としているのか。どちらにしろ、鬼には個体差があるために数を稼がなければならない。
──個体差。
バチッと、頭に電流が走ったように脳が一瞬にして活性化する。
鬼には個体差がある。鬼の共通項である不老、再生力、元は人間といったことを取り除くと、人としての過去、鬼として生きている時間、人を喰った数そして血鬼術が残る。
──血鬼術。
念能力に近い異能。仮に、念能力を使っても元の世界に帰れなかったのであれば、最初に頼るのはそれに近い能力を持つ異能ではないだろうか。
つまり、彼は目的の異能を持つ鬼を探し出そうとしている。
鬼を使って元の世界に帰るために、鬼の情報が最も多く集まる鬼殺隊に所属し続けている。そう考えると辻褄が合う。
私は世界の存在に驚く。私が
私が想像しえない世界や事柄はまだたくさんあり、この世界はさらに変わることができるのかもしれない。
未来は変えられる。
それができるのであれば私はそれを選択する。原作から分岐した平行世界、もう一つのあったかもしれない話に変えてみせる。
物語を終焉に導くのは
未来の私が、過去となる現在の私を見て断罪するのかもしれない。悲しい話だと言われたこの世界を改悪する選択になるのかもしれない。
それでも、膠着状態の続いた戦いに無策で子供たちの屍を積み上げ続けるわけにはいかない。罵られてもいい。この体が呪いで朽ち果てた後も、未来永劫魂が呪われ続けてもいい。
全てが私の代で終わるのならば、その呪いを受け入れよう。
息を吐き、熱くなりかけた心を落ち着ける。
耀哉は鎹鴉に文を結び付け、不死川にクルイを本部に連れてくる旨を伝えた。
──私に念能力を教えてくれないかい。
瞬間、目の前に座る男の首を掴み、折る。
それは想像に終わった。
念能力──。身体に宿る生命エネルギーをコントロールして身体の強化、老化の遅延、異能を操る力。
耀哉がそれを知っていることに、クルイは思考を回転させ言葉を推し量らなければならなかった。
誰にも言った覚えはない。だが、誰に言うでもなく一人言を聞かれていた可能性はある。その場合の報告者は宇髄、不死川、鴉の2人と1羽に絞られる。
そのいずれも『念能力』の意味は知らない。言葉だけが先行し、意味を持たない音の羅列を報告したに過ぎない。
クルイはコテンと白々しく首をかしげ、耀哉に訊き返した。
「ネンノウリョク、とは?」
「──念能力。肉体に存在する
耀哉にしか見えない透明な辞書の中身を読み上げるように、淀みなく連ねた言葉にクルイは警戒の色を強めた。
「初めは天元の継子として見守っていた。藤の花を切って選別に臨んだのも、通過後の『刀』の要望も天元と共に行動したからこその知恵と知識だと思っていた。その見解が変わったのは、君の魔眼の報告を受けた時──」
微笑んでいた耀哉の眼の奥が刀の様に鋭く怜悧に変化する。
「クルイ、目に呼吸を集中させたのは、君の習慣がそうさせたのではないのかい。全集中・常中を体得した者は体の一部に呼吸を集中させ、止血や瞬間的な身体強化を図る事はある。でもね、それを常にしようと考える者はいないんだよ。天元から聞いたことはあるだろう。人体に負荷をかけ続ければ表面または内部の欠陥を起点に徐々に負荷が進行し疲労破壊が起きる」
耀哉はクルイを見据えた。クルイの瞳に自分の姿は映っても心には映っていないように感じた。
肚の奥底に何重にも包んでしまい込んだ狂気が、久しぶりと這い出そうとするのを平静を装い抑え込む。
「クルイは何をしようと、何を見ようと目に呼吸を集中させたんだい。人よりも気配に敏い君が、何のために」
じわじわと秘密に近づいてくる耀哉に、クルイはため息を吐いた。ここまで推理ショーを展開されれば、目の前の男が原点の世界もしくは
「そんなの、オーラを視るためしかないだろ」
吐き捨てた言葉には嘲笑が混じっていた。
「それだけじゃない。君はこの世界の人間ではない。別の世界、HUNTER×HUNTERの世界から来た。違うかい?」
耀哉は勝負に出た。彼のいた世界の漫画のタイトルを言えば、反応次第で彼の正体が判明すると踏んだ。
確信を持つ答えを事実と照らし合わせながら、確実にクルイの精神を刺突する耀哉に、クルイは狂気を感じた。
クルイは鋭刃な爪を伸ばした。この得体の知れない奴からどう情報を吐かすか拷問の準備をする。
「私を拷問しようか計算しているね。だがそれは徒労となるよ。私は、今クルイが知ろうとしているその話をするために、君をここに呼んだんだ。君は私に危害を加えたところで何のメリットもない。むしろデメリットしかない。今後一切鬼の情報を得られず、私を慕ってくれている子供たちからも追いかけられる」
「地獄の果てまで追いかけられそうだな」
「追いついた処が、地獄の果てとなるだろうね」
「地獄の使者は鬼ではないようだ」
まあ、どうせみんな返り討ちになるんだろうけど。
耀哉の言葉にクルイは伸ばしていた爪をひっこめた。
刀は入室前に預けている。武器がなくとも圧倒的な力でクルイは本部にいる人間を蹂躙できる。
それでもクルイは、大樹の様に悠然と座り続ける耀哉を拷問することはしなかった。傷つけても得はない、その通りだと自身の中で答えが導き出されていた。
「単刀直入に言う。オマエは何だ」
そう言葉に出した時には答えは絞り込まれていた。先程までの会話に耀哉の真実は含まれており、クルイも態度で耀哉に答えを開示していた。
──念の知識、漫画のタイトル、さらりと使った外国語。
お互い、心のどこかで気づいてほしいという願望があったのかもしれない。
「「──転生者」」
二人の声が奇しくも重なり合った。
空間が切り取られたかのように、景色は音を消し、ふわりと清浄な空気に生まれ変わる。
耀哉は生き別れの友に出会えたように深く頷き、クルイはあるかないか程度の笑みを顔に漂わせた。
こんな日が来るとは思ってもみなかった。隠していた真実が共有されるなんて。
瞼を閉じ、目を開く。目の前に座る男を目に映す。何度も見てきたはずなのに、今初めてそこに居る人間を目にした気がした。
「やっと、私を見てくれたね。……クルイ」
耀哉は笑った。どこか泣いているような優しい笑みだった。
「……それで、目的はなんだ。この先をノープランで呼んだわけじゃないだろ」
もちろん、と耀哉はゆっくりと頷き芯のある声を発した。
「2年後に、鬼舞辻無惨を殺す」
「へえ、頑張れば」
気のない言葉とは裏腹に、やはりそう来たかとこの後の展開を予測する。未来を知る者の多くは、無駄だと受け入れるまで未来を変えようと奔走する。
組織のトップである耀哉はそれとは別に、組織の存続と利益を最優先に考え行動しなければならない。クルイの強大な力を利用して常に最善手を打ち、原作を改編するという思考は想像に容易い。
味方の利用価値を最大限に引き出して利用する。組織最高位者としての戦い方であり、前線で戦えない体だからこその戦い方でもある。
クルイは耀哉の立場をそこまで理解しながらも、その願望を叶える気はなかった。組織に従ったふりをして必要な情報が揃い次第離脱する。
仕事のようにビジネスライクの関係でありたいが、ここではそれは期待できそうにもない。己の思想を胸に掲げ、命が尽きるまで突っ走る、なんてことはしない。利用しても利用されるのはごめんだ。
「クルイ、察しの悪いふりをしないでいいんだよ」──協力してくれないか。
裏の言葉が聞こえてくる。
微笑みを浮かべる耀哉とは反対に、冷たい視線を向けながらクルイは心底嫌そうにため息を吐いた。
「原作は変えられない。重要なイベントの結末は決して変わらない。悪天候で交通の便が麻痺していたとしても、社畜が翌日の仕事に間に合うように全ての手段を使って必ず目的地に辿り着くのと同じだ。行き着くまでの過程は変わるが、結果は変えられない。労力の無駄だ。オレは原作の改変には手を貸さない。念能力も教えない。秘密を共有したところでだから何だという話だ」
「──胡蝶カナエは生きている」
突如、一定の音程で紡がれた一太刀がクルイの頬を掠める。
濃霧の中にいる姿の見えない敵を見定めるように、今までの話の流れとは一見関係のない話にクルイの視線が訝しくなる。
「──原作では、胡蝶カナエは先日の任務で殉職するはずだった。君は、原作を変えた」
クルイの瞳が僅かに見開く。身体が情報を発しないようにトレーニングを積んでいるクルイをもってしても、動揺を顕にするほどの衝撃を与えた。
原作を、変えた? どんなにもがいても変えられなかった原作を?
クルイの中の幼い自分が問いかける。
……違うだろ。本当は本気で改変する気はなかったんだ。だってあの時まで未来を変える念を創らなかったじゃないか。
ソイツはそう指摘する。
分かっているからこそ、自分のリスクが最小限になる合理的な選択をしてきた。正しい選択はその逆だと知ってるくせに。
ソイツはいつの間にか成長して、目線が同じ高さになっていた。
オレには力がある。だから今ココにいる。
「クルイには力がある」
張りのある声に、潜っていた意識がハッと浮上した。
──やめてくれ。
「君を災厄ではなく、神からの贈り物にしたい」
「頭でも湧いたか」
「鬼殺隊が壊滅する程の犠牲を払えば、私か次の代で無惨と相打ちできるかもしれない。だが、そこにクルイが加われば、私の代で勝てるだけでなく被害も最小限に止まる」
──もう諦めたんだ。
「原作は、変えられる。クルイ、未来は未定なんだよ」
「そんなこと──」できるさ。クルイが言い切る前に、耀哉が否定の言葉を打ち消した。
「できるよ。カナエが生きているのだから。死ぬはずだった者が生きた。それは大きな変化だ。この変革の積み重ねが連鎖を起こし革命となる、と私は思うよ。意味は違うけれどバタフライエフェクトと名付けるかい?」
心地よい耀哉の声音に畳み掛けられ、心が溶かされていく。喉を掻きむしりたくなる程の望まないその感覚に、苛立ちが募る。
なんで……オレは、この世界の話を変えてるんだ。
いつしか本音が喉元までせり上がり、自己嫌悪に拍車がかかる。
暗闇と虚無の世界で光を求めて彷徨い続けた。何も見つからず、何も聞こえず、己で光を生み出そうと試みるがそれも適わず、何も見えない
それなのに、耀哉はクルイを見つけだし手を差しのばした。
手を掴みたいと思った。同時にこれは罠だと自分の声が囁く。
差し伸ばされた手の掴み方をクルイは知らない。掴んだ後に離されるぐらいなら始めから掴んだりはしない。
家族以外は信用するな。イルミの声が頭に響く。
──オマエの味方は家族だけだ。他は望むな。
瞬間、体温がスッと下がり刃の上を歩くように揺れていた心がぴたりと止まる。
クルイは伸ばしかけた手を下ろし、拒絶を口にした。
「それは、ただの妄想だ。オマエの言っていることは、都合のいい情報だけを選択して話を作り上げたに過ぎない。本能的に浮かんだ最初の妥当な説明に飛びつき、それを支持するような信頼性を確かめてもいないエビデンスだけを収集して根拠として張り付けているだけだ」
「原作ではカナエは死んだ。その鬼の能力もわからずに。だが、カナエは助かった。その鬼の特徴と能力の情報も得た。カナエの命を繋ぎ止めたのはクルイだよ。上弦の弐の情報を引き出したのはクルイと実弥だ。これだけでもクルイは運命を変えた人間だとはいえないかい」
クルイは俯きながら耀哉に言った。目にかかる前髪によってクルイの表情は読めない。
「『今』、胡蝶カナエは『まだ』生きている。死ぬ運命ならば直に死ぬ。原作を改変したとは言えない」
原作を知らないが故に何がイベントだったのかが分からない。上弦と戦うことがイベントだったのか、胡蝶が死ぬことがイベントだったのか。
「さっき言っていた『重要なイベントの結末は決して変わらない』ということかい」耀哉の問いかけにクルイは「ああ」と返す。
「人の生死はイベントではないよ」
耀哉は、瞳の奥に刃を構えてクルイを見据えた。
クルイもまた、暗く感情の無い目で耀哉を捉えた。
寂しい目だと思う。彼の言葉からして、前の世界では何度も原作を改変しようとたのだろう。だができなかった。その度に打ちひしがれて、傷を負って、自己嫌悪して……今の彼がある。
耀哉には、死神と呼ばれている男が暗闇の中で動けずに蹲る小さな子供に見えた。そして、彼にこんな体験をさせた残酷な神を恨んだ。
「クルイ、神はいると思うかい?」
「──神はいるさ……ただ、ひどく暇を持て余している」
クルイの皮肉に耀哉はふっと笑った。確かにその通りだと心の底から共感した。
「前の世界で、君は原作と大いに戦った。たった一人で立ち向かった」耀哉は立ち上がり、クルイの傍に膝を就く。「もう一度だけ力を貸してくれないかい。共犯となって、原作を壊してくれないかい。暇を持て余して人を娯楽に見ている神を、共に殴りに行かないかい?」
優しい口調に反し、粗暴な言葉と獰猛な目の光にクルイは耀哉の本心を見た。その本心をもって、裏切られても信じてみたいと思えた。
「共犯か……悪くない……」
嗤いながらクルイは耀哉の手を握った。初めてできた共犯者に毒を吐く。
「呪いで死ねると思うなよ。無惨を殺して、オレがオマエを殺す」
「それは楽しみだね」
春の日差しのように柔らかくも冷たく耀哉は微笑んだ。