錆兎は盾になっていた。守ると決めた人を鬼から守るために。
錆兎は十二鬼月・下弦の壱、魘夢と上弦の伍、玉壺の分身と戦っている。
幸いなことは、分身玉壺の実力が上弦の伍の力に達していないことと、鬼同士が縄張り争いに興じていることである。
それでも鬼は、互いに争いながらも餌を逃がすつもりはない。
錆兎は刀を構えて血鬼術を打ち消していた。背後に居る義勇は魘夢の血鬼術で眠り続けており、義勇と青年を庇いながらでは逃走の機を見いだすことができずにいる。逃げることもできず、積極的防衛に転じることもできず、その場で血鬼術の余波を受け流すしかなかった。
「義勇、起きてくれ!! 頼む! 目を覚ましてくれ!!」
切羽詰まった声で錆兎が義勇に呼びかけるが、義勇は涙を流すだけで眠りから起きる気配はない。
青年が義勇に藤の花の蜜を溶かした水を少しずつ飲ませているが、血鬼術がそれだけで解除できないことは百も承知している。この水が術を解くきっかけとなることを願うしかない。
「錆兎さん!! 俺が彼を背負う!! 逃げるぞ!!」
青年は義勇を背負い、逃げる算段を整える。
動けない彼を自分が背負えば、今なら3人とも助かるのではないか。そう考えての提案だった。
だが錆兎の言葉は否であった。
「無理だっ!!」
「何で!!」
玉壺の血鬼術、
「全員まとめて逃げるのは無理だ。奴らはその時だけ結託して俺たちを喰らうつもりだ。俺が足止めをする間に全力で逃げろ!!」
玉壺は魘夢と戦いながら、錆兎にも血鬼術を放っていた。
背後に居る義勇と青年を守るには、錆兎は一人残り盾となって攻撃を相殺し続けるしかない。
青年は無慈悲な現実に心と体が衝突した。
バクバクと、青年の耳元で心音が鳴り響く。徐々に心臓の音が頭の中を侵食し、脳を揺さぶる。同時に胸へじわじわと不快感が広がっていき、過度な自分の呼吸音が嫌に聞こえる。
彼の言っていることは正しい。それが、生存率が最も高い選択だと理解している。だがその選択はしたくない。彼を死なせたくはない。
動かない青年に錆兎は怒声を浴びせた。それは彼の師が、かつて彼等によく言っていた言葉だった。
「判断が遅い!!」
一瞬だけ、錆兎は青年と義勇を見た。その顔は笑っていた。
「早く行け、俺は死なない。誰も死なせない」
ひどく泣きたくなった。これが差なのだろうか。ぬるま湯で生きていた自分と、常日頃から命のやり取りをしている彼らとの。
玉壺の一撃が魘夢に入り、家屋ともども吹き飛ばす。
玉壺は錆兎達を見てにやりと唇をゆがめた。他人の飯をそいつの目の前で横取りすることに悦を覚えた、邪悪な笑みだった。
「走れ!!」
「……くそったれえ!!」
錆兎の言葉に青年は義勇を背負い全力で走り出した。
錆兎は遠ざかる足音に口を吊り上げた。
そう、それでいい。どうか逃げ切れ。
肌を裂くほどの殺気が玉壺から流れ出る。玉壺は蠱毒の笑みを浮かべ錆兎を嘲笑した。
「人間は意味のないことをする。あの二人は喰われる。お前なんぞではこの玉壺を足止めになど出来ぬわ。ちんちくりんの脆い盾では時間など稼げぬ」
「上弦の伍を、嘗めるな──」肌を刺す殺気は強く、悪臭も濃い。常人の鬼殺隊隊員であればその殺気を浴びただけで泡を吹いて倒れているだろう。
だが錆兎は地に足をつけ、怯むことなく玉壺を睨みつけた。これまで経験したこと、接した人との想いを全て思い返し、地の底を這う声をぶつける。
「俺の選択は誤ってなどいない。俺が助けられる全ての人を助けることが、俺の意志だ。その代償がたとえこの命であったとしても、俺は迷わずそれを選択する」
家族が喰われた日──救いたいと、強く誓った。傷つく全ての人が悲しい思いをしないようにと。誰もが幸せであってほしいと。幼い頃の自分の願いは、決して間違ってなどいない。
「お前たち鬼にはわからないだろう。かつて人間だったにもかかわらず、人を喰い、人の心を亡くしたお前たちには。狂猛な力と能力で人の幸せを蹂躙し、嘲笑うお前たちに、人の繋ぐ想いの重さなど最早わからないだろう」
錆兎は構えた。水の呼吸、最強の威力を誇る拾ノ型、
「お前たちには喰った人の躯が重なり、無念の声が巻き付いている。一人一人の声は微々たるものに違いない。だが、喰われた人の数が多くなるにつれてその声は大きく、想いは強く、代を重ねて強固になる。その強大な想いを乗せた刃でお前たちを滅する!!」
錆兎の姿が消えた。
「お前こそ、人間を嘗めるな」
君がいなければ、家族は死んでいた
青年は走っていた。体が重く、息が切れ、足がもつれ、涙がこぼれ落ちる。それでも足は絶対に止めない。身を挺して盾となった錆兎の事を思い、自分の命と背負う少年の命を守らなければならない使命感が生まれる。
全力で走る。苦しくて涙が出てくる。それが、心の痛みによるものなのか、それとも体の悲鳴によるものなのかはわからない。生きることに初めて必死になっている。
走っている最中も幻覚の様に、錆兎の後ろ姿が頭に焼き付いて離れない。
あんな勇敢な背中は見たことなかった。そして、これからも彼を超える存在などいはしない。だからどうか願う。絶対に生きてくれと。
青年は走りながら自分に問う。今自分にできることは何だと。そして答える。背中にいる少年を目覚めさせることだと。
青年は義勇に叫び続けた。息が絶え絶えになりながらも、眠り続ける義勇に助けを懇願する。
「起きれくれ義勇さん!! 錆兎さんをっ!! 助けてくれ!! 鬼に負けないでくれ!! 」
青年の流れ続ける涙が背後に居る義勇に流れる。
「彼を犠牲にしないでくれ!!」
一粒の涙が、義勇の頬に当たった。
「義勇さん、お願いだ!! ……錆兎さんが死んじゃうよ。彼を、助けてくれ!!」
青年は体力が続く限り走り続け、その声が枯れるまで懇願し続けた。
──今日の鮭大根は甘い
──けて!!
「え?」
義勇は食べていた鮭大根を置き、辺りを見回した。
「義勇、どうしたの?」
「どこからか、声が聞こえたんだ」
蔦子は義勇と共に耳を澄ますが、何も聞こえない。蔦子は首をかしげ心配そうに義勇を見つめた。
「……何も聞こえないわよ?」
──助けてくれ!!
「!! また!! 助けてくれって」
再び聞こえた必死な声に、義勇は食事を一旦やめる。はっきりと聞こえた助けを求める声に、空耳ではないと確信するが、声の出所が分からない。
きょろきょろと鳥の様に辺りを見渡す義勇に、蔦子は苦く笑った。
「もう、義勇。何も聞こえないわよ。貴方疲れてるのよ。早く食べて、今日は早く寝ましょう」
「待ってくれ姉さん。今聞こえたんだ」
義勇の目の前を一滴の雫が落下した。それは置いていた椀の中に入り、波紋を作った。
義勇の胸の中にどうしようもないざわめきが波紋の様に広がる。ざわつく胸に言いようのない焦りが生まれてくる。
誰かが助けを求めている。
ポタリ──と水が椀の中に再び落ちる。
蔦子は首を傾げ続ける義勇に苦笑し、食事の続きを促した。
「義勇、具材だけでなく煮汁もちゃんと飲みなさい」
「……わかった」
置いていた椀を持ち上げ、義勇は煮汁を全て飲みほした。
今日の煮汁はいつもより甘い。
──錆兎さんを!! 助けてくれ!!
今度は名前まで聞こえた。
「……さびと? 姉さん、さびとって誰なんだ?」
その名を口に出すと、なぜだか鼻先がツンとなり、目頭が熱くなる。先程とは比べようにならない程の焦燥が胸に広がる。
俺は、何か忘れてないか?
──鬼に負けないでくれ!! 彼を犠牲にしないでくれ!!
鬼ってなんだ? 犠牲……は、何のことだ。
上から落ちてきた水滴が手の甲に当たり、弾ける。水滴を嘗めてみると、ほんのり藤の香りのする甘い水だった。馴染みがないはずなのに、その香りは焦燥を抱く義勇をなぜか落ち着かせた。
義勇は蔦子を見た。蔦子の顔がひどく歪んで見えた。
これは姉ではない。そもそもどうして俺はここに居るんだ。
──義勇さん、お願いだ!! このままじゃ……錆兎さんが死んじゃうよ! 助けてくれ!! 起きてくれ!!
涙がこぼれ落ちる。袖で拭うと、それは姉の羽織だった。そばには見慣れた自分の刀があった。右腕から忘れていた激痛が襲ってくる。
義勇は瞼を強く閉じて、思いを断ち切る。左手を強く握りしめ、頬を殴って甘えを捨てる。
ああ、幸せだな。こんな幸せをあの時までは幸せだと思っていなかった。ここに居たい。あの頃に戻りたい。だが──今の自分を導いてくれた仲間がいる。
頭の中で錆兎、鬼殺隊の仲間、師匠、妹弟子の姿が思い浮かぶ。
目を開けると、蔦子が心配そうに見ていた。その目には、鬼殺隊の隊服を着ている現在の自分が映っていた。
義勇は泣きそうに眉を垂らした。
「……すまない、姉さん。まだ一緒に暮らせない。ただ、嘘でもまた会えてうれしかった」
義勇は刀を目の前に置き、左手で刀身を抜いた。
帰り方はおそらくこの方法しかない。過去に囚われる己を断ち斬るしかない。
「義勇!!」蔦子の悲痛な声を無視して、義勇は自身の首に刃を当てた。
──目を覚ますと土の上に転がっていた
血鬼術──千本針魚殺
考えるよりも先に殺気から離れる。
「邪魔をしないでくれる。喰べ損ねたじゃないか。上弦だからって何しても許されると思うなよ」
「下弦は上弦のこの私に、縄張りも餌も譲ったらどうなんだ」
「上弦の力に達していない分身のあなたに言われたくないね」
「本来の力を出していない私にすら勝てぬお前はさっさと消えろ」
「全力を出していないのはあなただけだと思わないでくれないかなあ」
「どうせ似たような餌場をいくつも持ってるんだろ」
「あんたもだよねえ」
「さっきからこの玉壺に向かって何だその無礼な口は!!」
義勇はすぐさま周囲を確認した。目の前には上弦の伍と下弦の壱が一体ずついる。助けた人たちはいない。
上弦の鬼の壺には見覚えがあった。あの青年が抱えていた壺だ。
やはりあの時の悪寒は正しかった。
義勇は自身の状態を確認する。利き腕ではない片腕で十二鬼月を二体相手にするのは絶望的だ。一旦退避し、錆兎たちと落ち合うことを考える。
義勇は足の筋線維一本一本を意識し力を籠め、一気に解き放つ。
だが玉壺がそれを許さなかった。
「逃がしはしない」
血鬼術──
玉壺がそう念じると、一万匹の鋭い歯を持つ魚が玉壺の意志に従い義勇を刺突する。肉を裂き、歯で抉り、弾丸となって急所を狙う。
一万匹の弾丸を撃ち落とさない限り、それはいつまでも義勇を襲った。
義勇は深く息を吸い、吐き出した。荒波となっている気持ちを落ち着け、生き残るための最善を尽くす。
水の呼吸──陸ノ型 ねじれ渦
渦のように回転し、刺突する魚の大群を渦に閉じ込め撃滅を図る。だが利き手ではない左手一本では威力はない。切り損ないの魚達が義勇目掛けて突く。
斬られた魚は肉塊となり、体液を撒き散らす。散ってくる溶解液が羽織と隊服に付着し布を溶かす。
義勇は、自分の置かれている状況を再度認識した。
魚の体液を直接浴びれば死ぬ。右腕は骨が砕けている。呼吸で止血しているが、血を流しすぎている。それにより酸素が全身に回らない。魚の毒液が気化して周辺に充満している。自分の手に負えないことを再度痛感する。
ならばなおさら一度引き、錆兎と連絡を取りお館様へ柱と隊を要請しなければならない。
「お前に新作を見せてやろう」
玉壺はヒョッヒョと気持ち悪く笑った。出来上がったばかりの自信作を周りに見せびらかし、己のすばらしさを誇示する。玉壺の脳内では、既に称賛の嵐が巻き起こっていた。
「ヒョッヒョッヒョッヒョッヒョ。この玉壺様の作品をみて慄け!!」
「見よ!! この芸術を!! 名は“赤銅の亡霊”!!」玉壺は義勇の目の前に作品を置いた。現れたのは標本の
天を向く錆兎の胸には錆兎の刀が貫いており、体を固定するそれぞれの刀には彼の血が伝い赤く輝いていた。
ヒュウ……ヒュウ……という微かな呼吸音から錆兎が辛うじて生きていることが分かるが、その目は暗く死の淵へ落ちかけている。
青年もまた何本もの刀で貫かれており、手足のみならず体があらぬ方向に捻じ曲げられ全身が血で赤く染まっていた。目は堕ち、彼の命が消えていることが読み取れる。
「錆兎っ! 錆兎!!」
義勇は呆然と震えた。信じられなかった。何で錆兎達がこんなことになっているのか。
信じられない、というよりは信じようとしなかった。深く考えれば玉壺が現在義勇の目の前に居る理由が想像つくからだ。
なぜ。なぜ。と湧き上がる疑問と共に涙が目にあふれる。
「どうですこの作品は!! 特に宍色の髪という上々な素材をより美しい芸術品へと昇華させたこの玉壺様の腕を!!」
「僕ならもっと希望と絶望の落差を出すね」
魘夢は半目となって玉壺を見た後、屈託なく義勇に笑った。甘い蜜を得た顔は悦に入り、義勇を絶望に落としていく。
「そいつらは君を助けに来たからやられたんだよ。笑っちゃうよね。弱いのに身の丈を考えないから」
悪意にまみれた言葉と笑顔が、義勇の心を切り裂く。
「お前が寝ている間に宍色が盾となって、黒髪がお前を背負って逃げたけどすぐに追いつかれたんだ。こいつらは、お前のせいで喰われるんだよ」
義勇の目に涙があふれ、憎しみで顔がゆがむ。
怒れ。憎め。戦え。滅ぼせ。全ての負の感情が湧き上がり、頭が熱くなる。
プツン──と何か自分を押し留めていた糸が切れた。
──錆兎を、返せ。
それ以外、義勇は考えられなくなっていた。
水の呼吸──肆ノ型 打ち潮
義勇は玉壺を相手に斬りかかる。だが心乱れた義勇の剣技は繊細さを欠いていた。怒りで冷静さを失い、初撃の技にこだわり剣筋を見切られる。
それがより一層義勇を熱くした。
玉壺はもはや義勇を喰うことよりもいかに芸術的に殺すかを考えていた。そのためには素材をより良い状態で保存しなければならない。必要な個所が欠損しては、より高度な芸術になりはしない。玉壺が目指すのは、究極の美だった。
血鬼術──
人を一人閉じ込める程の巨大な水鉢が現れ、義勇を呑み込む。粘度の高い液体に閉じ込められ、義勇は内側から刺突した。だが水鉢は柔らかく、ゴムのように形状を変化し、突き破ることはできなかった。
もがく義勇を観賞し、鉢の外から二体の鬼が嗤う。
次第に義勇の息が切れ、体が動かなくなる。刀を握る力も残っていない。思考も停滞し、視界が霞みだす。
それでも義勇は、執念で鬼の後ろに見える錆兎に手を伸ばした。
──錆兎を……返せ。
水の呼吸三連斬り
──肆ノ型 打ち潮、陸ノ型 ねじれ渦、壱ノ型 水面斬り
突如、義勇を閉じ込めていた水鉢は斬れ、義勇は血鬼術から解放された。突然の空気に咳き込み、必死に呼吸を安定させる。
顔を上げた時には、二体の鬼は胴が二つに切断されていた。
目の前に、誰かが立つ。その人の背中を見て、自分を守り戦い続けていた錆兎と重なり涙が溢れた。
その人の姿が歪む程、義勇は涙を流した。涙で視界が霞む中、その人が握る藍色の刀が義勇の目に鮮烈に焼きついた。
あまりの疲弊に、体が地に沈みこみ指一本動かすことができない。それでも義勇は、動かない体を叱咤し無理矢理土を握りしめる。
立ち上がれ。起き上がれ。錆兎を取り返せ。
歯を喰い縛り、体を起こそうとするが体は動かなかった。想いだけでは困難に打ち勝つことはできなかった。
背を向けて立つ男は義勇を振り返らず言った。
「俺が来るまでよく耐えた。後は任せろ」
「お前は頑張った」そこで義勇の意識は再び落ちた。
駆けつけた水柱は分身玉壺を滅し、魘夢を取り逃がした。
藤の花の家紋を掲げる家に義勇は暫くの間療養することになった。家の者が気を使い、部屋に閉じこもる義勇を縁側に座らせ庭の景色を見せる。
部屋に閉じこもったままでは自傷の恐れがあったからだ。
義勇は涙が出なかった。悲しいという感情を超え、心が死んで喰われていた。
一人の男が義勇の前に立つ。それはあの日、義勇を救った水柱だった。
だが義勇は、目の前に立つ水柱を認識していない。精密機器の様に、外界から入った視覚情報を角膜と水晶体を屈折させて光の情報として脳に伝達するが、義勇の脳はそれを処理していなかった。その機能をシャットダウンすることで、義勇の精神は保たれていた。
「立て」
水柱が言う。
聴覚もまた同様であった。耳の機能として聴覚情報を拾っていても脳がその情報を活用していない。
水柱はお館様こと産屋敷耀哉から言われた言葉を思い返す。
──冨岡義勇を継子にしてくれないかい。あの子は、強くなるよ。
こんなふやけた奴を庇って錆兎がやられた。
茫然自失している義勇を見て、拳を強く握りしめる。ふつふつと、やり場のない苛立ちが出口を求めて義勇の襟首を乱暴に掴んだ。
「お前を、俺の継子にする。錆兎に救われたその命を、多くの人を救ってその価値を証明しろっ!」
『錆兎』『命』『救う』その言葉に義勇は辛うじて反応した。
水柱の手に雫が落ちる。襟首を掴んでいた手を下げ、義勇を見る。
飾り物のように、ただレンズの役割をしていたガラス玉の様な目から涙がこぼれ落ちていた。
ぽつぽつと、号泣するのではなく雨の様に義勇は涙を流し続けた。
それから3年後、冨岡義勇は錆兎との約束通り鬼殺の剣士の最高位、柱に就任した。
──光
蝶屋敷の一室に義勇は足を運んだ。普段であれば何かとちょっかいをかけるしのぶは、この時だけはいつも義勇に話しかけない。
義勇はベッドに眠り続けている錆兎の寝顔を見ていた。あの日から錆兎は目を覚まさない。
義勇は両手で錆兎の手を握り、額に近づけ強く願う。
起きてくれ。目を覚ましてくれ。
弱かった昔の自分を悔いる。後悔しか浮かんでこない。努力が足りなかった。だから今も錆兎は眠り続けている。
自分を責め痛めつける。戒めのように、あの日を忘れないように。
あの時俺が弱かったから錆兎の足をひっぱった。精神が強ければ。もっと早く血鬼術を解いていれば。
何気ない日常が幸せであることを姉さんから教わった。戻らない幸せがあることを錆兎が教えてくれた。俺は、大切な人からいろんなものを奪って今生きている。
義勇は先代水柱との誓いを思い返す。
姉さん、錆兎、先代の三人に助けられたこの命で、その価値を証明し続けなければならない。
義勇は、錆兎の手を布団の中に戻し立ち上がった。
優しい思い出を全て振り払うように、蔦子と錆兎の着物を繋ぎ合わせた羽織を翻して蝶屋敷を後にした。
水柱、冨岡義勇は今日も鬼を滅しに行く。