不確実性下の改変   作:hrd

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12.5 藤咲紫緒の最終選別

 ──絶対に勝てないその才能に嫉妬する

 

 

 薬品と木と花が混ざり合った匂いは蝶屋敷の香りだ。主として消毒液や薬湯の匂いが床や柱に染みつき、庭にある季節の花の匂いが屋敷に漂う。

 

 朝焼けで空が赤く染まる頃、澄んだ空気と蝶屋敷の香りを深く吸い込み、少年は三和土に立った。

 細くさらさらとした髪は頭の丸さを主張して柔らかな雰囲気を助長しているが、前髪から覗く意志の強い大きな目は近寄りがたい空気を醸し出している。

 藤色の上衣に菫色の袴という名前に因んだ着物を纏う少年は藤咲紫緒(ふじさきしお)という。

 紫緒はもう一度深く息を吸い、師範である胡蝶(こちょう)しのぶを見つめた。

 

「師範、それでは行ってきます」

「はい、いってらっしゃい。大丈夫と思いますが、気をつけてくださいね」

「ちゃんと帰ってきます。そのための準備を今日までしてきました」

「そうですね。……いろんなことがありましたね」

 

 しのぶは瞳を閉じて昔を思い返す。

 いってらっしゃいを言う度に帰ってこない継子たちの姿が目に浮かぶ。

 陰りが見えるその微笑みに、紫緒はしのぶの意識を強引に引き戻した。

 

「師範、これからもいろんなことがあります。なので帰ってきたら稽古の続きをお願いします」

「……気を遣わせてしまいましたね」

 

 しのぶは閉じた瞳を開き、にこりと挑発した。

 

「より一層厳しくしますよ」

「望むところです」

 

 紫緒は自信に満ちた目でしのぶを見返し、しのぶの隣に立つアオイに視線を移した。

 アオイは縋るような目で紫緒を見つめている。

 

「絶対に帰ってきなさいよ……。絶対よ」

 

 眉を垂らすアオイの瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が浮かんでいた。

 

「……やめてくださいよ、今生の別れにしないでください。それよりカナヲは?」

「それよりってあんたねえ! ……まあ、いいわ。今日はまだカナヲを見てないわ。しのぶ様は見られましたか」

「いいえ、私も見てません」

 

 そう言いながらもどこか心当たりがありそうなしのぶの顔に、紫緒は一抹の不安を抱いた。その不安は後に的中するのだが、この時の紫緒はまだ知らない。

 喉に小骨が刺さったように、小さな不安が引っかかる。紫緒は暫くの間思案した後、お守りの短刀に手を伸ばした。

 かつてクルイから受け取ったその刀を紫緒は肌身離さず持ち歩いている。それ故に紫緒は、不安を感じると無意識にその刀に触れていた。

 紫緒は遠慮がちにアオイを見た。

 

「──アオイさん、お願いがあります。アオイさんの刀を貸してください。もしかしたら──」

 

 

 刀を借りた紫緒は、引き戸に手をかけて二人を見た。その表情(かお)は晴れ晴れとして死に行く者の顔ではない。

 

「では師範、アオイさん。行ってきます」

「いってらっしゃい」

「紫緒っ、必ず帰ってきなさいよねっ!! 絶対よっ!!」

 紫緒は笑顔で屋敷を出た後、最終選別が開かれる藤重山(ふじかさねやま)へ歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 藤咲紫緒は幼い頃に両親を亡くし、親の代わりに育ててくれた姉も4年前から眠り続けている。それは鬼と鬼に協力する人間、協力者によって狂わされた結果だ。

 

 紫緒の両親は医者から処方された薬を飲んでいたが、医者と助手は協力者であった。両親は山奥の病院へ入院し、二度と家に帰ってくることはなかった。後に判明したことだが、処方された薬は病を促進させるものであり、山奥の病院は鬼が管理する食糧庫であった。

 悪夢は更に続いた。紫緒の姉の血液は、稀血という鬼にとって栄養に富む特殊な血液であった。姉も両親と同様に鬼の元(病院)へ送られ、気がついた時には稀血製造機として利用されていた。

 

 そんな紫緒と姉を救ったのが、当時、鬼殺隊音柱であったクルイである。

 クルイは3つの条件を引き換えに紫緒の依頼を引き受けた。

 一、胡蝶姉妹の弟子となり花の呼吸と蟲の呼吸を習得すること。

 二、胡蝶姉妹の懐に入り情報をクルイに流すこと。

 三、死の淵に立った際は鬼となり鬼の情報を渡すこと。

 

 契約通り、クルイは鬼と協力者を殺害し紫緒と姉を救済した。

 紫緒は契約を履行するために鬼殺の剣士にならなければならない。

 だがそれは、年月が経つにつれ義務ではなく意志へと変わった。

 未だ目覚めない姉を見る度に鬼とその仲間に対し憎しみが湧く。自分と同じように鬼に蹂躙された人を見ると、毒々しい感情に巣食われて力がなかった過去の自分を思い出す。

 だからこそ、人に仇成す存在を殺し続けると紫緒は強く誓った。

 感受性が強すぎるが故に、他者を己に投影し、それを助けることで己を救済していることを紫緒は気づいていなかった。

 

 

 

 

 

 藤の花が辺り一面に咲き乱れ、頭を垂れて選別者を招き入れていた。

 

「ああ、やっぱり居た」

 

 カナヲ、と呼ばれ一人の少女が振り返る。

 蝶が花に佇むように、きれいな黒髪を蝶の髪飾りで片側に高く結び、華奢な体を鴇色(ときいろ)の上衣と薄紅梅の袴に包んでいる。笑みを浮かべて蝶と戯れているが、どこか人形味を感じる冷たい微笑みだ。

 

「勝手にいなくなると師範に迷惑がかかるだろ。読み書きできるんだから書置きぐらいしろよ」

 

 紫緒はいつもの様に小言を言うが、カナヲもまたいつもの様に笑みを浮かべるだけで返事をすることはなかった。

 仲が悪いというわけではない。

 カナヲは基本的に胡蝶しのぶの命令に従う。命令が無ければ自由に動くとも話すこともない。

 紫緒が何か言ったとしてもにこやかに笑みを携えるだけで、自発的に他の反応を返すことはない。それを紫緒は常々寂しいと感じているが、無理やりにでも指摘して直そうとは思わなかった。本人が心の底から自分を変えたいと思わない限り、他人がいくら矯正したとしても変わらないことを紫緒は理解している。

 だからこそ、カナヲがしのぶの命令ではなく自らの意志でここに来たことに紫緒はほっとした。

 カナヲには意志があるのだと再認識したからだ。

 

 紫緒とカナヲの付き合いは4年になる。紫緒が胡蝶姉妹の弟子となった後、胡蝶姉妹がカナヲを拾ってきた。なぜ拾われたのか調べようと思えばいくらでも調べられるが、紫緒はそれをしなかった。幼い子供が蝶屋敷に引き取られた時点で大体のことは推察できるからだ。

 紫緒は、興味本位で人の過去を暴いてはならないと思っている。それは自分の過去を他人に踏み入れられたくないという自己防衛でもある。

 踏み入れないから踏み入らないでくれ。もし踏み入れるならば、お前の力が尽きるまで全力をもって攻撃する。

 そうやって心の距離を見誤る者に、視線で態度で空気で紫緒は語った。

 だからこそ、紫緒はカナヲだけでなく全ての人の心の中に入り込んだりはしない。周りから求められる人を演じ、円滑な人間関係を築く。

 しのぶの笑顔、カナオの微笑み、紫緒の演技は、自己防衛という点においては共通していた。

 

 紫緒はカナヲの腰を見た。カナヲは鬼を唯一殺せる刀、日輪刀を下げていなかった。

 他人の刀を使うつもりだったのか、カナヲの考えを推察することはできないが、アオイの刀を借りてきて正解だったと紫緒は胸をなでおろした。

 喉の小骨を吐き出し、カナヲに刀を差し出す。

 

「アオイさんからだ。帰ったらちゃんと返しに行けよ」

 

 刀を受け取ったカナヲから視線を外し、石畳の参道を見た。石段と空の境界から狐のお面がひょっこりと現れる。次第に首、体、脚へと見える範囲が増えていき、最終的には狐面を着けた少年が石段を上ってきた。

 狐面の少年を観察していると、目が合った。

 紫緒はすかさず友好的にほほ笑んだが、心の中は穏やかではなかった。

 彼を見ると、なぜか無償に不安が募っていった。

 そんな紫緒の心情を断ち切るように、鬼殺隊当主のご息女とご子息の声が波紋の様に静かに響き渡る。

 

 ──皆様、今宵は鬼殺隊最終選別にお集まりくださってありがとうございます。この藤重山には、鬼殺の剣士様方が生け捕りにした鬼が閉じ込められており外に出ることが来ません。山の麓から中腹にかけて、鬼どもが嫌う藤の花が一年中狂い咲いているからでございます。しかし、ここから先には藤の花が咲いておりませんから、鬼どもがいます。この中で7日間生き抜く。それが、最終選別の合格条件でございます。では、いってらっしゃいませ。

 

 二人は、藤の花のように優美に頭を下げて選別者を見送った。

 

「カナヲ、また7日後な。今度は一緒に帰るぞ」

 

 カナヲに向き合い最終選別が終わった後の約束をする。相手がまたこの場所に戻ってくると確信しているからこそできる約束だった。

 紫緒はカナヲの反応を待たずに森へ入った。カナヲの返事が何であれ、紫緒の中では共に帰ることは既に決定事項である。

 カナヲは頷く代わりに瞬きをし、紫緒とは違う方角へ進んだ。

 

 

 

 

 

 暗闇の中、紫緒は東を向いて歩いていた。

 月と星の光を遮断した夜の森は、あの日を思い出す。

 姉を助けるために夜の森を駆け、病院に侵入したこと。人の悪意に触れ、心から血が流れたこと。自分の無力さを痛感し、力と知を求めてクルイと契約したこと。

 

 蝶屋敷に預けられた紫緒は、胡蝶姉妹が心配するほど血反吐を吐いて剣の修業に励んだ。日々の目標を設定し、達成するために努力する。そのためにあらゆる分野の書を読み漁り、医学や薬学も学んだ。

 そんなある日、誰もいない道場でカナヲが木刀を片手に紫緒の真似をしていた。カナエとしのぶはカナヲに花の呼吸を指導したことはない。にもかかわらず、カナヲのそれは紫緒よりも完成度が高かった。

 

 途端に足元が揺らいだ。

 

 稽古中、カナヲが物陰からこっそりと見ていることは知っていた。けれど見稽古だけで、必死に努力した自分を超えられるとは想像もしていなかった。

 カナヲには剣の才能がある。自分にはその才能は無い。だからこそ、必死に努力を続けるしかない。報われるかどうかではなく、継続することで自分を肯定するしか道はないのだと結論づけた。

 そうやって割り切ってはいるが、絶対にかなわないその才能に、ひどく嫉妬したことは確かだ。

 

 

「──っ!!」

 

 風に乗って小さな音が流れてきた。紫緒は音のする方向へ駆けだし、注意深く耳を傾ける。

 

「い、嫌だっ! 助けてっ!! 誰か!! 助けてぇえええ!!」

 

 はっきりと聞こえた声に、誰かが鬼に喰われそうな状況であることを理解した。

 紫緒は鞘から刀を抜き、脚に力を入れて森を駆ける。

 この場にしのぶが居たならば、目の色を変えて駆けだす紫緒の肩を掴み、落ち着けと止めただろう。紫緒の実力を侮ってはいないが、想定外の状況に於いても万全に対処し任務を遂行するとは言い難い。

 だが、この場には紫緒を止める人間はいない。全ての人を救えるわけがないのに、困っている人の声を聞いてしまうと紫緒は助けずにはいられなかった。

『助けて』と言って紫緒は胡蝶姉妹に、クルイに、鬼殺隊に助けられた。

 クルイとの契約は今思うと破格の条件だったのではないかと考えている。あの契約のおかげで生きる道筋を示され、蝶屋敷に預けてもらえ、剣術や様々な分野の学を学ぶことができた。

 

 一人では生きていくことはできなかった。多くの人に助けてもらい、生きていけるように生きる術をたたき込まれて生かされている。

 だからこそ、紫緒にとって『助けて』という言葉は何とかしてあげなければならないという呪いの言葉だ。恩を受けたら返さなければならないと素直で真面目な本来の性格が顔を出す。

 

 

 走り続けた先には鬼と二人の少年がいた。

 藤重山(この山)には、人を二・三人喰った鬼しかいないはずだが、二人が対峙している鬼は50人以上は喰ったと推測される大型の異形だった。

 鬼は、寺の門程もある巨体から幾つもの剛腕が生えていた。鼻から頚にかけては、何重にも腕を巻きつけて鉄壁の守りを築いている。自分の弱点を理解し、能力と共に知性を備えて進化していた。

 

 やっかいだな、と紫緒は幹に身を潜めて様子を窺う。

 

 短髪の少年は、恐怖に呑み込まれて地面に尻をつけ、ガタガタと切っ先の定まらない刀を向けている。

 もう一人の少年は、最終選別が始まる前に目が合った狐面の少年だった。短髪の少年の前に立ち、盾となって鬼と対峙している。

 その状況に、紫緒はクルイに助けてもらった時の自分を重ねた。

 あの時は、クルイが盾となって紫緒と姉を守り鬼と戦っていた。紫緒はただ震えながら姉を抱きしめているだけだった。

 心の底から助けたいと思った人を自分の力で助けられないことがひどく情けなく、それが悔しくて苦しくて、弱者は奪われるだけの人生だと思い知った。

 

 次第に刀を握る力が強くなる。未だ腰を抜かしている少年に立ち上がれと怒りが込み上げてくる。

 立ち上がれ、戦え、加勢しろ。恐怖に呑み込まれる程度の覚悟と実力なら最終選別(ここ)に来るな。

 クルイが過去の自分に言ったように、紫緒は心の中で少年に吐き捨てた。

 

 鬼が狐面の少年に何か言い、少年の刀が震えだす。内容は聞こえなかったが、鬼が彼を挑発したと判断した。

 彼は走り出し、鬼に斬りかかる。

 だが、むやみやたらと感情的に刀を振り回した剣だった。

 鬼は、腕を伸ばしては斬られてを繰り返し、彼の視野を狭めていく。

 

 このままじゃあいつ死ぬな。

 

 紫緒は情に至極熱い人間だが、命を懸けた状況に於いては思考はどこか冷めていた。

 厳しい顔で戦いを観察し、冷静に、彼を囮にして鬼を分析し続ける。

 狐面の少年の横腹に鬼の拳が入った。

 彼は吹っ飛ばされて木に衝突し、立ち上がることはない。周りには割れた面が散らばり、面が頭を守り緩衝材となったことが分かる。

 ああ、気絶したな、と紫緒は分析するのを辞めた。

 鬼は下卑た嗤いを上げながら、彼との間を詰めていく。

 紫緒はすかさず飛び出した。鬼の背後から跳躍し、静かに剣を振るう。

 

 花の呼吸──伍ノ型 (あだ)芍薬(しゃくやく)

 

 芍薬の花弁を表す様に、九連撃の斬撃が鬼を襲う。斬撃は頚を覆う剛腕を削いだ後、目玉を一閃した。

 

「アァァァアアアアアアアアッ!!」

 

 鬼の汚い叫びが山に響く。

 

「おいっ! 立てっ! 走れっ! 行けっ!!」

 

 紫緒は、呆然と座り続けている短髪の少年を睨んだ。

 少年はよろけながらも立ち上がり、紫緒が指し示した方向へ走りだす。

 鬼は斬られた腕を再生させながら、癇癪を起した子供の様に怒りを撒き散らす。

 

「喰ってやる!! お前ら鬼狩をばらばらに引き裂いてぐちゃぐちゃにして喰ってやる!!」

 

 握りしめた拳を振り上げて地面を殴打するが、紫緒は既にその場から消えていた。

 気絶した少年を背負い、響き渡る鬼の雄叫びを耳にしながら紫緒はそっと森の奥へ姿を消した。

 

 

 

 

 

 ──!! ──兄ちゃんっ!! 

 死んだ弟の声が聞こえ、炭治郎はとっさに飛び起きた。

 

 

 手鬼から逃げ切った紫緒は、少年の頭の傷を治療しながら辺りを警戒していた。

 血の匂いに誘われて、飢えた鬼が絶好の機会と襲ってくる。

 紫緒は笑みを携えて刀を構えた。心を乱すことなく余裕をもって鬼を殺していく。幼い頃とは違い、紫緒は経験と知識と知恵から最適な体の動かし方を導き出していた。

 最期の一匹の頚を刎ね、紫緒は未だ眠りこける少年に冷笑を向ける。

 さっさと起きろ、石投げんぞ。そう物騒なことを考える程度には少年の危機意識の低さが気に入らなかった。

 

 最終選別に行く少し前の事だ。

 紫緒が一人でいる時に限り、どこからか剛速の石が投げつけられる訓練が突如始まった。始めは一石目で気絶していたが、何度も投げられるにつれ、投石前の殺気を感知するようになった。躱す石の数が増えるにつれて難易度は上がり、それは眠る間も続いた。

 結果、避けることと殺気を読むことに関しては、紫緒は寝ていても体が反応するようになった。

 

 手近な石を掴み、当時の仄暗い思い込めて少年に投げつける。

 瞬間、少年は石が当たる直前に跳び起き、殺気の元へ視線を合わせた。

 

「随分眠ってたけど、もう大丈夫なのか?」

 

 白々しくも、紫緒は笑顔と柔らかい声音で話しかける。

 

「えっと、ここは?」

 

 少年は呆けた声で問いかけた後、気絶する直前の光景を思い出して追い詰められた声を上げた。

 

「大丈夫だ。殺ってないけど深手は負わせた。完全に回復するまでにはまだ時間がかかる」

「そう、なのか……?」

「そうなんだよ。じゃあ君も起きたことだし、おれはあの鬼を殺しに行く。じゃあな」

「なっ!! 待ってくれ!!」

「うん?」

「俺も連れてってくれっ!!」

「はあ?!」

「あの鬼は俺が倒したいっ!! 鱗瀧さんの弟子や喰べられた子供たち、真菰の手足の仇を撃ちたいんだ!!」

 

 勢いよく袖を引かれ、必死に懇願する少年に紫緒は面食らう。

 

「でもお前、そんなんじゃ死ぬぜ?」

 ──鬼の挑発に乗ってる奴が、鬼を倒すとか大口叩いてんじゃねえぞ。

 

 紫緒は、本心を隠して少年の頭を指した。

 怪我人は安静にしてろと動作が語るが、少年は鼻をひくつかせた後、意味を間違えることなく本心に言い返した。

 

「許せなかったんだ。鱗瀧(うろこだき)さんと真菰(まこも)を嗤って貶すあいつが。ぐあーって許せない気持ちになったんだ」

 

 紫緒の本音と建て前を見抜き、建前を飛び越えて本音に本心をぶつけてきた相手に紫緒は顔を歪めたくなった。

 

「……その鱗瀧さんと真菰はお前の師範か何かか?」

「俺はお前っていう名前じゃない。竈門炭治郎(かまどたんじろう)だ!」

「じゃあ、竈門」

「炭治郎でいいですよ。あなたは?」

「藤咲紫緒。おれも紫緒でいいよ。敬語もいらない」

「わかった」

「で、話戻すけど師を侮辱されてあの様なのか?」

 

 見てたんだ、と棘を含めて紫緒は言う。

 

「我を忘れて、とか言うなよ。それはお前の師を侮辱することになるからな。感情も制御できないお前の未熟さは育手の質の低さを表す」

「そんなことはないっ!! 鱗瀧さんも真菰も錆兎もすごい人たちだっ!!」

「このでこっぱちめ。それをお前が貶めてるってことが分かんねえのか。そうやってすぐに熱くなるのをお前の育手は指摘しなかったのかって言ってんのっ。師範方がお前にかけてくれた時間と手間と期待を『お前の死』という絶望で返そうってのか?」

「そんなわけないだろ!!」

 

 だろうな、と紫緒は頷き「ある人の受け売りなんだけどな」と炭治郎に説く。

 

「『戦いにおいて冷静さを失った奴は死ぬ』そんで『人間の力は、感情と能力が一体となった時に全開して発揮される』って教わった。つまり『冷静に想いを燃やせ』ってことだ。今の炭治郎は、感情だけが先走って視野が狭くなってんだよ。あいつに何を言われたか知らないけどさ、挑発されてそれに乗って死んじまったら今までお前に投資してくれた人と努力してきた自分への最大の裏切りだろ。師範たちはお前をここで殺す気はない」

 

 炭治郎の丸く大きな目が紫緒を見つめる。自分の言葉が炭治郎の心に響いたことが紫緒にはわかった。

 

「鱗瀧さんたちはどんな人たちなんだ。どんなことを教えてくれたんだ?」

 

 優しい声に、炭治郎は素直に育手である鱗瀧左近次と真菰を思い浮かべる。

 

「鱗瀧さんが俺に呼吸や戦い方を教えてくれて、真菰が呼吸の使い方を教えてくれたんだ。あ、真菰っていうのは鱗瀧さんの弟子で鱗瀧さんのお手伝いをしてる人なんだ。ここに来る前に『ただいま』を言いに帰ってきてって送り出してくれた優しい人なんだ」

 

 二人のことを話すにつれて、炭治郎の表情は柔らかくなっていったが、それは次第にこわばっていった。

 

「だからあいつの言ったことが許せなかったんだ。鱗瀧さんを悲しませるために鱗瀧さんの弟子を狙って喰ったことや真菰の手足を楽しそうに喰ったことがっ!! 真菰は今も、夜になると喰われた手足の先が痛むって魘されてるのに!!」

 

 理路整然としていない炭治郎の話は理解しづらかったが、彼がどれだけ二人の事を大事にしているかは紫緒にも十分に伝わった。

 炭治郎の怒りに自分の鬼に対する憎しみが重なり溶け合っていく。話をすべて聴き終えた時には、仇に手を借したいと思う自分がいた。

「善い人たちだな」本心からこぼれ落ちた紫緒の言葉に、炭治郎は自分が褒められたような気持ちになる。

 

「おれも炭治郎とちょっと似てて、両親を鬼と鬼に協力する人間に殺された。唯一救いなのが姉が生きてること。4年も目ぇ覚まさねぇけど」

 

 紫緒は仄暗い思いを目に宿して炭治郎を見た。

 

「だからおれは怒ってるんだよ。鬼も協力者も、人の不幸を飯にして嗤ってる奴らが憎くて憎くてたまらない。人を害する奴らをどんな形になってもおれは殺し続けるって契約したんだ」

「けい、やく……?」

「炭治郎、おれはその復讐に、手を借すよ」

 

 初めて見る底のない笑みに、炭治郎は背が震えた。

 

 

 

 

 

 炭治郎を先頭に、手鬼を目指して二人は森の中を駆けていた。

 空中に鼻をひくつかせて炭治郎は鬼の臭いを辿る。

 

「こっちだ!!」

 

 臭いの濃さからしてあと少しで鬼の元に辿り着く。吐き気がする臭いに、虫が胸の上を這うような不快な感覚を覚えた。

 炭治郎は、鬼に喰われた子供たちを想い闘志を燃やす。

 

 戦うんだ。子供たちみんなの仇を打つんだ! みんなの魂が帰るべき元に帰れるように! 戦え! 

 

 自分を鼓舞し使命に燃える。少しずつだが炭治郎の走る速度が上がっていく。

 逸る思いに「冷静になれ」と後ろから紫緒の声が聞こえた。

 炭治郎は、走りながら息を深く吸い、吐き出す。師である鱗瀧の青い刀を握りしめ、心を落ち着かせる。

 冷静に心を燃やせ。紫緒の言葉が胸に染みわたるのを炭治郎は実感した。

 

 

 鬼を追う前、紫緒は炭治郎と戦術を練った。

 戦術を立てるためには、自身の情報を相手に伝えなければならない。紫緒は連撃に特化した花の呼吸と突きに特化した蟲の呼吸が使えることを伝え、炭治郎の擬音だらけで理解できない説明に苦労しながらも水の呼吸と彼の特殊な嗅覚について理解した。

 

「意味わかんねぇけど、匂いだけで隙や感情が分かるって凄い才能だな」

 

 本心からそう思う程度には、紫緒は炭治郎の能力を理解はしても実感はしていなかった。

 

 紫緒が分析した鬼の血鬼術は腕の伸縮である。同時に最大6本の腕を伸縮させて相手を物理的に攻撃する。

 推測となるが、腕一本の伸長には限度がある。それを超えるためにはいくつかの腕を一本に合体させることが必要となる。また、鬼の腕は新たに生成されない。巨体を守っている腕の数が、現在あの鬼が発現できる最大の数であると考えている。

 

「つまり、襲ってくる腕の長さと数には限度がある。腕の数が減ったら腕を合体させて伸ばしてくる可能性があるってことだ」

「なるほどな。紫緒は賢いんだな」

 

 心の底から褒め称える炭治郎に紫緒はいたたまれなくなる。炭治郎を囮にして鬼の能力を引き出したとは口が裂けても言えない。

 

「炭治郎はまず、鬼の注意を引きつけてくれ。炭治郎に伸びた腕をおれが斬り落としていくから、その間に炭治郎は鬼の死角に入って頚を斬る」

「わかった」

「くれぐれも鬼の前で跳躍しないこと。滞空中は身動きが取れないからな。鬼の腕に捕まるか潰される可能性が高くなる」

「わかった。紫緒、色々考えてくれてありがとう」

「……どういたしまして」

 

 照れたように目を逸らす紫緒に、炭治郎は弟の竹雄を思い出して笑みがこぼれた。

 

 

 

 炭治郎は高く跳躍し、土中から伸びる血鬼術(鬼の手)から逃れる。

 

「あいつっ! 目の前で高く飛び上がるな()ったろっ!」

 

 空中で動けない炭治郎に向けて鬼の拳が豪速で殴り掛かる。

 紫緒は素早く短刀を抜き、炭治郎を襲う腕へ投げ放った。

 短刀は腕に刺突し、拳の速度を僅かに落とす。

 炭治郎はその隙を見逃さず、鬼の腕を駆け上がり間合いに入る。

 炭治郎の刀から隙の糸が繋がった。炭治郎は刀を振り、鬼の首を一閃する。

 

 水の呼吸──壱ノ型 水面斬(みなもぎ)

 

 血飛沫と首が宙を舞い、地面に落ちて転がる。

 鬼の体は次第に崩れ始め、腕に刺さっていた短刀も落下した。

 紫緒は短刀を拾い上げて笑みをこぼした。短刀を腰に差し、視線をさ迷わせて炭治郎の姿を探す。居た、と炭治郎を見つけた瞬間、紫緒は呪いたくなるような光景を目にした。

 炭治郎は崩れ行く鬼の手を握り、祈るように瞳を閉じていた。

 

「神様、どうか……。この人が今度生まれてくる時は鬼になんてなりませんように……」

 

 ぽとりと、濡れた紙に墨汁を落とした様に、紫緒の心に黒い染みが広がっていく。

 鬼と戦っていた時は気にも留めていなかった心臓が、痛いくらいの速さで動き出す。

 

 ……何やってんだ? なんで鬼に慈悲なんてかけてんだ。なんで祈って、こいつを人間扱いしてんだ。

 お前もこいつが憎いから殺したんだろ。こいつがどれだけ沢山の人を喰ったと思ってんだ。消える間際までこいつに残虐の限りを尽くし、こいつが作り上げた怨恨をその身と魂に刻むべきだ。

 

 黒くどろどろとした沼に浸かる自分が、お前もこっちの人間だろと炭治郎を睨みつける。

 紫緒は、視界から炭治郎を消した。絶えず吐血するように、姿を見ると止まらない誹謗の嘔吐が始まる。

 嵐のように暴れだす感情に、紫緒は襟を握りしめてその場から消えた。

 

 

 

 

 

 ──おめでとうございます。ご無事で何よりです。

 

 

 8日目の朝、紫緒は最終選別が始まる前の地点で炭治郎と再開した。

 炭治郎は眉を吊り上げて紫緒を叱る。

 紫緒がいなくなった後、炭治郎は暫くの間、一人で紫緒を探し続けていた。

 心の底から心配したという炭治郎の表情(かお)に、紫緒は素直に申し訳なくなった。

 

「ごめん、気をつけるよ」

「わかってくれたのならいい。もう勝手にいなくならないでくれ」

「……悪かった」

 

 隣にいたカナヲは紫緒を見た。

 捻くれた紫緒が同年代の子供に対して素直に謝る姿に、カナヲは凝視せずにはいられなかった。

 話の区切りがついたのを見計らったように、産屋敷家のご息女とご子息は鈴のような声で紡ぎ始めた。

 

 

 

 

 

 町に入り、歩き続けると蝶屋敷の屋根が見てくえる。

 紫緒はほっと息を吐いて隣を見た。

 カナヲはいつもと同じように微笑みを浮かべているだけで、何を考えているのか全くわからない。

 だが、カナヲがこの最終選別を受けたという事実は変わらない。それはカナヲが現状の何かを変えたかったのだと紫緒は推測する。

 

 紫緒は、要点のまとまっていない話は嫌いだ。聞き手がだから何? と聞き返さなければならない話は辟易とする。

 紫緒は炭治郎の顔を思い浮かべた。彼の話はまとまってはいないが思いは伝わる。

 カナヲが求めているモノを的確に言い当てられる自信はない。それに加えて言いたいこともまとまっていない。それでも紫緒は、今のカナヲに伝わってほしいと口を開く。

 

「カナヲはさ、ちゃんとした蝶屋敷の一員だから、安心しろ。例え、何かできてもできなくても、屋敷の人はみんなカナヲの味方で追い出したりしない。カナヲが負傷して剣を握れなくなったとしても、治療が苦手だったとしても、手伝いも何もできなくなったとしても、誰もお前を見捨てない。お前はもう胡蝶家の人間だ。みんなから愛されてるって自信を持てよ」

 

 眉を垂らしながら紫緒は無理やりほほ笑んだ。

 

「お前がいないとみんな心配する。勝手に黙って消えんな」

 

 回し者のおれとは違うんだから。

 最期の一言を心の中に押し留め、紫緒はもう一度カナヲを見た。

 屋敷の前にはカナエやしのぶ、アオイ、なほたちが顔を出して待っている。

 

「カナヲ、帰ろう。ほら『ただいま』って言って帰ろうぜ」

 

 紫緒は掌を差し出すが、カナヲはそれをとろうとしない。それは何だというカナヲの視線に、紫緒はため息を吐きながらカナヲの細い腕を掴んで門へと歩き出した。

 

「ただいまっ!」

 

 




大正コソコソ噂話
藤咲紫緒は最終選別の際、蟲柱、胡蝶しのぶから毒の使用を禁止されていたらしい。
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