──鬼のような人を初めて見た
ドン──っという音と揺れに目が覚めた。
地面が大きく揺れて地震かと思ったが、揺れ方が違う。花火のような焦げた匂いも鼻につく。
一体何なんだ。
部屋の外に出ると女医が走ってきた。
いつも院長を支え、優しい笑顔を浮かべている女医の目が血走っている。
「襲撃よ!! 備えて!!」
彼女は甲高い声で早口に命令した。
「院長を狙ってるやつが襲撃してきた!! 戦って!! 武器をもって!!」
キャンキャンと叫ぶ声は周囲に響き、それにつられて多くの人が部屋から顔を出す。
しゅうげきって、襲撃?
言葉を理解するのに時間を要した。隣にいた人と目を合わせるが、相手も目を丸くしたことから自分と同様に状況を理解していないことが分かる。
ドン──っと再び大砲を撃つ様な音がした。直後に揺れと物が壊れる音がし、襲撃という言葉を実感する。
ずんと心が沈んでいく。破壊音と共に、この幸せな生活が崩れるのではないかという底知れぬ恐怖が、胸の内からじわじわと広がっていった。
親に売られ、人買いにも売られ、更に売られてこの病院に来た。最後に自分を買ってくれたこの病院での暮らしは、涙が止まらない程幸せに満ちていた。人は死んだら天国へ行くと聞くが、生きているにもかかわらず、自分は天国にいる。
衣食住を与えられ、優しい人達と会話し、患者さんの身の回りの世話をして、戦闘の訓練をする。十分すぎる生活だ。
全て慈悲深い、院長のおかげだ。
院長は、どこの医者も匙を投げた助からない患者を受け入れる。また、自分のように売られた人間も買い、奴隷ではなく普通の人の様に扱ってくれる。
神様がいたら、その座を院長に明け渡すべきだと自分は思う。
だから、そんな優しい院長に仇をなす奴、こんな幸せな生活を奪う奴を、絶対に赦さない。
玄関が見える廊下で身を隠す。
女医の号令に従い、爆破された正面玄関へ四人一組の隊が複数向かう。
白で統一された神々しい嘗ての玄関は、瓦礫の山へと変わっていた。粉砕された扉の破片は散乱し、四方の壁は黒く煤け、瓦礫が壁を砕き新たな瓦礫を生み出していた。
神聖な建物を汚されて憎しみが胸を歩き回る。その不快感に、薙刀を握りしめる手に力が籠る。
自分達が襲撃者に立ち向かい、その間に院長と患者を逃がす。足の速い奴が山を下り、麓の人を呼んでくる。要は時間稼ぎだ。
自分達は院長の盾だ。一人じゃ耐えられないかもしれない。だが、ここにいる奴らであれば、襲撃者を迎え討つことができる。
足音も立てずに、そいつはゆっくりと入ってきた。
4人でそいつを囲み、じわじわと距離を詰める。訓練通り調子を崩さずに攻撃を仕掛ける。一人目が足元を蹴り、二人目が刃物を突き刺し、三人目が裏拳からの回し蹴りをし、自分が薙刀で斬りかかる。間髪入れずに次々とそいつを狙う。
連携して致命傷を狙い続けるが、そいつは涼しい顔で全ての攻撃を躱していった。
気がつくと、有利だった自分達が、いつの間にか不利になっていた。
長い時間、全力で闘い続けて息が切れる。薙刀を振るう腕が重くなり、腕が上がらない。
そんな体の変化が隙を作り、相手を有利にした。
そいつは一瞬で仲間の懐に飛び込み、鳩尾を殴って気絶させ、それを盾にしながら他の二人を昏倒させた。
えっ、と思った時には手遅れだった。顎への衝撃と共に目の前が真っ暗になり、立つことができず倒れていた。
顎が痛く、頭をかき混ぜたように気持ち悪い。吐いて楽になりたいのに、胃の中に何もなくて吐くことができない。気持ち悪さが頭の中で円を描いて走り回っている。
目の前にあるそいつの足を睨む。掴む前に手を踏みつけられ、それは叶わなかった。
こいつに殺されるかもしれない、そう思うと怨念のように勝手に言葉が出てくる。
「赦さねえぞ……。院長を狙うとか、赦さねえぞっ! あの人はなあ! 自分達の神様なんだよ。どんな難病な患者も、自分達みたいな売られた人間も、あの人は絶対受け入れてくれるんだよ!! そんな人を、お前は何で狙うんだよ!! お前はそれでも人間かよ!!」
見上げて、睨みつける。下からはそいつの顔がよく見えた。
無表情で、温度の無い残酷な瞳が自分を見る。どこまでも不安を煽る真黒い視線に、体が震える。
「残念ながら、オレは人間だ」
そう言ってそいつは歩き出した。歩く先には院長がいた。
幼い頃の話だ。初めて
そんなオレの訓練は、幼い頃は祖父のゼノが面倒を見ていたが、キルアが訓練に加わるようになってからは、イルミに変わった。
ゼノとイルミは仕事の考え方が違った。ゼノは可能な限り堅気の人間の命を奪わないことを心がけていたが、イルミにはそんな信念はなく、ターゲットと自分の直線上に邪魔があれば、排除して仕事を全うしていた。それは一般人であっても変わらなかった。
イルミはゼノの教えを上書きしていった。
クルイは、初めてターゲットとは関係のない者を手にかけた時、珍しく鼓動が増した。
それを期に、メンタルが崩れるということはなく、数え切れないほど邪魔を排除した時、慣れからか鼓動が増すことすらなくなっていた。
──宇髄に出会うまでは、そうだった。
目の前に立つ、白衣を纏う鬼を挑発する。
「随分慕われているんだな」
「どん底を経験した人間は、少しの優しさで最大限の恩義を感じるものさ」
「人心掌握を心得ているわけか」
「人望は、時に現実をねじ曲げる都合の良い絵画だな」
「鬼のアンタが人望とはねえ」
「人間は、見たくないものは無かったことに、良いものは誇張する。人ではない私よりも、人である君の方が人望が欠乏しているようにみえるな」
鬼はクルイを観察しながら、自身の見立てが的を射ていることを確信し、頷いた。
クルイは先程戦った人達を思い浮かべた。
結局人は認識で動くものであって、真実なんて後回しだ。そいつを盲目的に祭り上げた時には、真実は仮面をかぶって現実に胡座をかいている。
ならば、
「その人望が絶望に変わる前に消滅しろ」
「そういう訳にはいかないさ。彼らもまた、信望ある私を襲撃者から助けたいと所望している。幸薄い味気の無い人生に、最後に花を添えてあげて何が悪いのさ。彼らの死後に花を添えてくれる人はいないのだから」
「最期は鮮やかに散らせてあげたいと、私は切望している」鬼は穏やかな表情から唇を舐め、鋭利な牙を見せた。
掌から粉末を出現させ、それを空気中に撒いた。
粉末の血鬼術か。それとも能力の一部か。
粒子は鬼のオーラを纏っていた。
クルイは入り口へ後退し、粉末を見つめる。
粉は倒れている人間に降りかかり、体内へと吸収された。粉を吸った者は、呻き声と共に姿形が変わっていく。
クルイは、個々人の生命エネルギーと血鬼術が混ざり合い、眷属へと変わる様を視ていた。
研究者が結果から得られたデータを考察するように、クルイは結果から鬼の能力を考察する。
毒と同類の能力。恐らく眷属化のみならず他にも作用がある。
鬼は眷属を見て、鼻で笑った。
「体は常に全力を出し続け、脳は疲労を感じない。彼らの頭の中は常にお花畑になっている。たとえ彼らが死んだとしても、彼らは鬼血術によりこのまま私に吸収される。君は彼らを助けることはできない。君たち鬼殺隊は、鬼を殺し、人を助けることが役目のようだが、こいつらはもう助からない。目の前の人間がみすみす殺されてしまうようでは木偶の棒もいいところだ」
「勘違いしている様だが、鬼殺隊の役目は人を助けることじゃない。鬼を殺すことだ。経験上、人を操作する奴は総じて執着心が歪んでんだよ」
クルイの淡々とした返しに、鬼は「確かに」と手を鳴らした。
「だが残念ながら、私は彼らを操作していない。私のために戦うのが彼らの意志なんだ」
鬼の言葉に呼応するように、倒れていた眷属達がゆっくりと起き上がる。眷属達は身体が動くことに満足し、再び闘志を宿らせた。
操られていない、まっすぐな目でクルイを睨みながら彼らは言った。
「院長! ここは自分達がやります。今の内に逃げてください!」
「感謝するよ。君たちは私の恩人だ」
鬼は彼らを鼓舞し、用はないと背を向けて歩き始めた。
何処からか、イルミの声が頭に鳴り響く。
──何やってんの。クルイは任務完了が第一。命は第二。
音の呼吸──壱ノ型 轟
クルイはその場から消えた。双刀を交差して前を塞ぐ集団を斬った。
『轟』という名前とは対照的に、クルイの放った技には音が無かった。ただ、斬りつけられた眷属達の轟くような叫び声が建物に響き渡り、血が派手に飛び散った。
技自体が轟音を鳴り響かせる宇髄の壱ノ型とは異なる、技を受けた者が轟音を発する壱ノ型へと変化した。
癇癪が玄関を爆破する──。爆発音は森の中まで響き、建物は扉だけでなく壁も砕け散った。
癇癪に巻き込まれた男達は、そのままピクリとも動かなくなった。
隠の一人が望遠鏡を覗き、その光景に息をのんだ。「嘘だろ……」体が次第にガタガタと震え、思わず呟く。人が死ぬ瞬間を初めて見て戦慄した。
自分たちは今まで、戦いが終わった後しか知らなかった。亡骸はいつも剣士の方々が埋葬した後だった。悲惨な光景を緩和してくださっていた優しさを、深く理解していなかった。
脳内に焼き付いた光景が、再び映し出され体が小刻みに震える。森の奥へ駆け込み、胃の中身を吐き出した。
大きな病院が見える森の中に、カナエの隊は待機していた。カナエを含む剣士二名に数名の隠という構成だ。
クルイが派手に正面から突入することで、敵の戦力をクルイ一点に集中させる。その間に、カナエ達と同様に、建物内の人を救出する隊が裏口から突入する。
クルイは再三、隊に釘を刺していた。「患者を救助するためにオマエ達を呼んだ。それ以外は求めていない」柱の命令に、カナエ達は100%の力を救出に向けていた。
誰も意見する者はいなかった。彼の存在感は圧倒的だった。温度を感じさせない、無機質な表情がより不気味な力を際立たせていた。
爆発から暫くした時、カナエはクルイの事が気になった。ここに来る前に、屋敷でしのぶを説得してくれたことを未だ気にしている。
──直接役に立つことはできないだろうか。
微力ながらも補助できないかと思い悩むが、邪魔だと釘を刺されたばかりである。確実に足手まといになると断言できる。だが、それでも役に立ちたいという気持ちがある。
望遠鏡を覗いていた隠が森の奥へ駆けた。それに気がついたカナエは後を追った。
「大丈夫ですか」
「おえ、……ありがとう、ございます」
カナエは背中をさすりながら声をかける。
「体調が悪いのでしたら、帰った方がよろしいのでは」
体調が悪い人間を連れて突入することはできない。突入後は、守るべきものが増える。鬼殺隊の隊士が守られる側に変わることは望ましくない。
「いえ、大丈夫です」
「ですが……」
「さっき、爆発で、人が死ぬ瞬間を初めて見ました。自分たちは、剣士の皆様が闘った後その地へ向かいます。そこで亡くなった方々の亡骸は、自分の場合はいつも、剣士の方が埋葬された後でした。戦いの痕跡を見て、すごい戦闘だったんだろうなとか、亡くなられた方や隊士の遺品を見てやるせない気持ちになりましたが、でもそれは、ただその結果を見ているだけでした。数字を見ているようなものです。自分たちは、直接その瞬間は見ていません。その感触も知りません。人が死ぬ、あの心を抉り取られるような感覚を自分は知りませんでした」
隠は泣いていた。目の前で涙を流す彼と同じく、カナエの瞳も涙に濡れていた。
「あなたは、お優しいのですね」
隠は、カナエの涙と柔らかい声音に、黒く燻っていた感情が浄化されていった。本当に優しい人間というものを初めて見た気がした。
「違うんです。自分はただ、人が死ぬということを実感していなかっただけなんです」
「実感して、自分に嫌悪感を抱いて、抗って、涙し心に刻むあなたは、十分優しい人ですよ」
隠が大丈夫であることを確認すると、カナエは背中をさするのをやめて立ち上がった。「救護場所で私たちの帰りを待っていてください」そう言葉を残し、仲間の元へ歩き出した。
カナエは隊に正面玄関の様子を見に行くことを告げ、他の隊員達とは離れてクルイの元へ向かった。
隠は先程『爆発で人が死ぬ瞬間を見た』と言った。クルイの作戦は『敵』を爆破するはずだった。
カナエの中で悪い想像が膨らんでいく。クルイが爆破に巻き込まれたのか、もしくは『敵』は鬼を指していなかったのか。
焦る気持ちが足を前へ前へと突き動かす。
正面玄関は爆発により火薬臭く、他の生臭い匂いと混ざり合い、死臭を充満させていた。熱い風に乗って、匂いを辺り一面にまき散らしており吐き気を催す。
カナエは玄関の入り口に立ち、愕然とした。建物の中に、多くの人が倒れていた。声をかけながら近づくと、その人たちは血にまみれていた。
風に乗って流れてきた生臭い匂いの理由をカナエは理解した。
血だらけで倒れている一人の男性に近づいたが、呼吸はなく動いている様子もない。声をかけても反応は見られない。男性の頸動脈に触れるが、やはり脈は感じられなかった。
周りを見渡してもクルイの姿が見当たらない。だが死体からは刀傷が見られる。
これはどういうことなの……。どうして、こんなにも多くの人が亡くなっているの。これは──誰がやったの。
耳元で、自分の鼓動が早鐘を打つ。頭では、回答は導き出されている。
先陣をきって乗り込んだクルイの顔が浮かんでいるが、カナエはその考えを拒否した。
彼であってほしくない、そう願いながら一人で生存者がいないか探し始めた。
惨状を見るにつれ、カナエの心が悲鳴を上げていった。