今回は軽め。
むかしむかし。とある国の丘の上に、白亜のお屋敷がありました。豊かな黒髪と黒曜石の瞳を持つ妙齢の女傑がそれを治めておりまして、“ミレディ”とか“美城のご当主”と呼び慕われていました。ミレディには一四歳になる一人娘がいらっしゃいまして、銀糸の髪と紅玉の瞳をもつこのご令嬢は“お嬢さま”とか“茨の公主”と呼び親しまれています。
お屋敷を囲む美しい薔薇園は、だれよりも薔薇が好きだと公言してはばからない“ユリユリ”という庭師と、その妹“ヒナヒナ”“ナオナオ”の三人が中心になって、毎日心をこめて手入れしていました。
きょうはハロウィン。こちらの世界とあちらの世界の境があいまいになって、さまざまなものたちがあちこちをうろつくといわれる日です。
きょうばかりは薔薇園はカボチャ園に姿を変え、三女が育てた特大カボチャだとか、次女が気合を入れて彫った“イケメン”・オー・ランタンだとかが、訪れる子供たちの目を楽しませています。
長女も友達と力を合わせ、表面の溝が広く間隔をあけたキョープキンだとか、縦だけではなく横にも割れたフップキンだとか、エクボのような溝がはいったダイデンプキンだとかの肉々しいカボチャを育てていたのですが、ミレディに見つかって畑ごと潰されてしまいました。
そんな日に、ミレディとお嬢さまは近くの森へお出かけをしていました。付き従うのはお嬢さまづきの執事“黒マント”に、新米の猟師“ぼのぼの”です。 黒マントは名前のとおりの黒く長い外套を風にそよがせて、四人の馬車を走らせています。ふだんは黒マントの下の戦斗服はダークグレーのスーツなのですが、きょうは真っ黒な鎧兜を着込んで戦士の中の戦士といった装いです。
ぼのぼのの名前は“のののの”とか“ぼのの”とかの案もあったのですが、いいづらいなとか、わけもなく法則から外れてはいけないなということでこのような名前になりました。カタカナで書くべきかもしれませんが、それだと類人猿みたいでかわいくないのでひらがなです。これなら、ラッコみたいでかわいいですね。
ぼのぼのの服はというと、ふだんの恰好はわかりませんが、きょうはしゃきっとした緑の銃士服です。
「ミレディー……。もりくぼにはこんなのむーりぃー……でーすー」
もりくぼではなくぼのぼのです。しゃっきりしているのは服だけで、本人は目に涙をたたえてぐにゃぐにゃでした。
後回しになってしまいましたが、ミレディはシックな黒のロングドレスにカボチャ色のとんがり帽子で魔女の仮装。お嬢さまはいつもの黒い服ではなく、ドレープたっぷりの真っ白い衣裳とふわふわの翼で天使の恰好をしています。
二人とも、森をなんだと思っているのでしょう。
お二人の家には、それはそれは古いしきたりがありました。ハロウィンの日には、森でクマを一頭仕留めてきて夜のごちそうに使う、というものです。本来は一族の男がおこなう行事だったのですが、いまはミレディとお嬢さましかいらっしゃらないので、こうして従者を伴ってのクマ狩りです。
もともとは“すぐれた統治者は武勇にも秀でていなければならない”というマッチョイズムにもとづいたものでしたので、狩るのも獅子だったわけですが、いつのころからか“どうせなら食べられる猛獣にしよう”となりまして、クマに白羽の矢が立ったというわけです。
クマと闘うことになる黒マントは鎧兜に槍と剣でもって備えておりますし、ぼのぼのが猟銃を用意して助太刀、いえ助鉄砲をするようになっていました。
なっていたはずなのですが。
「帰りましょうよ……。もりくぼにおじいちゃんの代わりなんか務まりません……」
ぼのぼのですってば。
彼女はすっかり怯えて、どんより曇った顔をしていました。去年までこのクマ狩りに参加していた祖父は先の冬に天寿をまっとうしてしまいましたので、孫娘にあたる彼女が銃を取ることになったのです。
「ぼのぼの、あなたは無理に闘うことはありません。クマは私がなんとかしますから、お嬢さまとミレディをお守りすることだけ考えていてください」
黒マントは紳士でした。
ぼのぼのの表情が少しだけ晴れます。ちょっとやきもちを焼いて片方の頬を膨らせるお嬢さまを、ミレディは目を細めて見ていました。
「しかし、お嬢さまが傷のひとつでも負うことになれば、私はどうするかわかりませんよ」
黒マントは過保護でした。
ぼのぼのの表情は暴風雨です。お嬢さまはほくほく顔になりましたが、ミレディは眉間を押さえてしまいました。
「黒なる神獣/模糊夜の贄は/白黒森の/いずこに眠る……」
お嬢さまの即興の詩が、森にうっすらかかる霧のなかへ溶けていきます。クマ狩りの馬車はごろごろと、森のなかを進みます。ミレディが金色の懐中時計を開けてつぶやきました。
「例年ならば一頭くらいは出てくるころだが」
ミレディを待たせてはいけないと思ったのかはわかりませんが、向こうの茂みから小さい黒いものが飛び出してきました。
「月影を秘めし神獣!」
待ちに待ったクマです。まだ小さいのですが、お嬢さまの瞳が輝き、ぼのぼのの顔に嵐が吹きます。黒マントとミレディは表情を変えませんでしたから、四人を合わせてプラスマイナスでいうとマイナス気味です。
と、大人二人の表情も険しくなりました。子グマを追いかけて、茂みから野犬の群れまで飛び出してきたのです。
「ひいい、子グマより馬のほうを襲ってきそうなんですけど!?」
「恐れは二つの克服がある。未だ知らぬか、勇気かだ」
「我が下僕よ、地を這うあぎとを馬蹄にかけよ!」
装いこそ可愛い天使ですが、いうことは魔女王のごとしです。
黒マントがお嬢さまの御意に従って馬に鞭をいれると、ぼのぼのが悲鳴を上げました。ごうと音をたてて馬車はまるまる太った子グマに突進します。
子グマはすんでのところで、出てきたのと反対の茂みへ飛びこみました。野犬たちはお嬢さまの言葉どおり蹴散らされ、森のなかへ隠れます。
「はしこいな」
ミレディが少しつまらなそうに鼻を鳴らしました。
「か……、狩るのはあの子グマでいいと思いますけど……」
子グマでもじゅうぶん怖かったぼのぼのは、おとなのクマに立ち向かう元気をすっかりなくしていました。しかしお嬢さまにかわいそうだとか、食べるところが少ないとか、黒マントのかっこいいところが見られないとか、そういった内容のことを滔々とまくしたてられたうえ、ミレディにしきたりはしきたりと一喝されてしまいました。
「お嬢さまの御意のままに」
手綱を握りなおす黒マントの声は少し高揚しています。お嬢さまの期待が嬉しいのです。なおさら、自分は来なくてよかったんじゃないかとぼのぼのは膝を抱きました。ですがいまさら帰れといわれるのも怖いので、ぎゅっと口を結んでいます。
馬が大きくのけぞって嘶きました。ミレディも眉をひそめ、荷馬車の上で構えます。霧が四人と二頭の馬の鼻に、異様なニオイを運んできたのです。
「野犬だ!」
黒マントは怯える馬を走らせようとしましたが、ミレディの声とどちらが早いか、ふたたび野犬の群れが飛び出してきたのです。
彼らはずっと空腹でした。親とはぐれた子グマをやっと仕留められるところで、邪魔をされた怒りがありました。そしてそれ以上に、立派な二頭の不自由な馬は、とても魅力的なごちそうでした。四人の人間のうち黒い二人のことは獣なりに恐ろしく感じていましたが、もはやそれどころではありません。群れは夢中で馬に飛びかかりました。
噛まれた馬は走りだし、お嬢さまは馬車に必死の思いでつかまっていました。道なき道をがたがたごろごろ、川を渡って木立を抜けて、ようやくのことで止まります。お嬢さまがおそるおそる目を開けると、そこは湖のほとりでした。
夕陽を映して輝く湖面。さざなみを受けて静かに揺れる浜辺の流木。山も森も、天と地からの金色の光が美しく染め上げていました。
お嬢さまは馬車を降りて、その光景に見惚れます。
「天上の絵画のごとく……」
いいさしてお嬢さまは大変なことに気づきました。お母さまもぼのぼのも、黒マントまでいないのです。
かわりに、湖のほとりに黒く大きいずんぐりした影が、ひとつ。
黒マントたちは重たい脚を急かして、森の道を歩いていました。野犬は数秒のうちに長槍の露と消えたのですが、お嬢さまが馬車から飛び降りそこねてしまったのです。
これには過保護でないミレディも困った顔になりました。
薄かった霧は日暮れが近づくにつれて濃さを増し、三人はお互いの顔もよく見えません。これは、ぼのぼのにとっては幸運なことでした。なにせただでさえ泣きそうなのを必死にこらえて、銃を支えにしてやっと立っているのですから、お嬢さまに過保護な黒マントの形相を見てしまえばもうどうなるかわかりません。
轍を追って歩いて歩いて、小さい川にさしかかりました。夕陽が水の流れにそって差しこんでいます。金にきらめく光のなか、黒マントは木立に見知った影をみとめました。銀色の髪に赤い瞳、薄紅のさした白磁のお肌。間違えようもない、お嬢さまの姿です。しかしなんということか、その装いは純白の天使ではなく、暗い色のあられもない服に黒く汚れた翼を背負っていました。
そしてその瞳の先には、変わり果てたお嬢さまに笑顔で迫る大男……。
黒い翼のお嬢さまが気づいて発した短い悲鳴に、黒マントの足は一瞬すくみました。すぐに気を取り直して大男めがけ長槍を繰り出したのですが、二人の姿は薄金色の霧にとけて消えてしまいます。焦りが霧のなかに見せた幻だったのか。かぶりを振ると、重くなったマントをなびかせて森の奥へと急ぎます。
どんなに探しても、二人は気配さえありませんでした。歯噛みをしていると、絹を裂くような悲鳴がこだましました。
その瞬間、大男は甲冑など着ていないかのように、黒い風になっていました。
湖に佇んでいた黒い影は、縦にはお嬢さまの倍、横なら四倍ほどもあるクマでした。こんどは正真正銘の大人のクマで、頼みの執事もお母さまもいない女の子は悲鳴をあげるしかできませんでした。
もちろん、そんなことをすれば猛獣に気づかれてしまいます。
ゆっくりと様子をうかがいながら、ヒグマは歩いてきました。お嬢さまにはその一歩一歩が、ずしんずしんと地の底から響くように聞こえます。
馬車から降りたのを後悔してももう遅いのでした。すぐ目の前で立ち上がるその威容にへたりこみ、震えながら執事の名前を叫びました。
「お嬢さまァーッ!」
最期に聞きたかった声が聞けてよかった。そう、お嬢さまは涙をこぼします。その涙の粒は、どすんと大きく地面が揺れた拍子に、頬から金色の光のなかへ躍り出ました。猛獣の唸る声と、ガチャガチャという鋼の音に目を開けば、黒マントが、肩に折れた槍を突き立てられたヒグマと取っ組み合っていたのでした。
「離れていてください! じき、ミレディたちもおいでになります!」
ヒグマの片腕と首をおさえて、黒マントがいいました。槍で刺した片腕は動かなくとも獣の力はとても強く、お嬢さまを振り返る余裕はありません。
それでも駆けつけたときに、白い天使の恰好のままでおいでなのは見ていましたから、きっとさっきの幻はこれを伝えようとしていたのだと、黒マントはひとり納得して不届きなヒグマを誅せんとします。
こういうとき、お嬢さまはなにもできない自分がとても悔しいのでした。せめて素直に、でも心配で、湖畔の木立の影で彼の闘いを見守ります。
黒マントとヒグマは上になり下になり、湖畔を転がって格闘していました。執事がお嬢さまより大きいといったって、やはりヒグマと比べたら横は二倍くらいちがうわけですから、見ているお嬢さまは気が気ではありません。
ついに、ヒグマは黒マントを振りほどいて放り投げ、流木の上に叩き落としてしまいました。こうなっていいつけを守っていられるお嬢さまではありません。また執事の名前を呼びながら、ぐったり横たわる彼に向かって走ります。ヒグマもまた、ずしん、ずしんと二人に迫っていました。
ちょうどそのとき、ミレディとぼのぼのがようやく湖畔にたどりつきました。娘主従の危機に、ミレディはいよいよ気色ばみます。
「ぼ、ぼのぼのがやります……。う、ううう撃ちますぅ……」
ぼのぼのもついに意を決して、担いでいたマスケット銃を構えました。けれど手も指も、もう全身震えてしまって、引き金を引くどころか照準をのぞくこともままなりません。歯の音なのか引き金なのか、銃床と服の飾りの音なのか、がちがちがちがちとうるさいくらいに響きます。
「撃ちます、撃ちますよ!」
ぼのぼのが放った銃弾は、なんと見事にヒグマのしっぽに当たりました。しっぽを刺したなにかを一瞬ちらりと気にしたものの、その歩みは止まりません。
ぼのぼのは次の弾をこめて、震える銃をもういちど構えます。
「ぼのぼの、つぎはわたしが撃つ」
いうが早いかミレディは震える手からマスケット銃を取り上げて、ヒグマに向けまっすぐに引き金を引きました。
起き上がった黒マントが見たものは、迫るヒグマの腕を射抜く銃弾。そして、自分の顔にこぼれるお嬢さまの涙。刹那、黒マントは双眸を見開いて体を跳ね起こし、ヒグマに躍りかかっていました。
「お嬢さまを泣かせたな!」
こんどこそ振り向いて足を止めていたヒグマは、漆黒の鬼神が怒気とともに振りぬいた白刃によってその首を刎ねられ、湖岸に散ったのでした。
四人は互いの無事を喜んで、大きいクマもみごと狩ることができ、これにて一件落着……とは問屋がおろしません。馬が怯えて逃げてしまっていたたので、重たいヒグマを四人で引きずって帰らなければならなかったのでした。
四人一様におなじ一言が胸に浮かんでいたのですが、この寒い日没ごろに口にするのははばかられたので、押し黙ったままだったということです。
(了)