最初の段落のとおり2016年の作なので、いまだとやってないコーナーが……。
二〇一六年の秋は紅葉にのみその影を残して、風の冷たさが冬への移ろいを感じさせる。きょうは一一月一四日。東京都下、とあるキー局のスタジオに、少女たちが花と笑顔を咲かせている。
「もうすぐクリスマス! というわけで、きょうのテーマは!」
「クリスマスツリー!」
一年目を越さんとする番組・“とときら学園”の幼い出演者が声を張った。台車に載った植木、草花が彼女たちを囲むように到着し、さらに歓声を誘う。
「もみの木をみんなで飾りつけて、すてきなクリスマスツリーを作ろー!」
少女たちがはしゃぎ、つつがなく進行する収録を、スーツ姿の大柄な青年が静かに見守っていた。初対面のものは気おくれするような鋭い三白眼も、このときは柔和な光をたたえる。
新人アイドルの発掘・育成計画“シンデレラプロジェクト”の二期生である少女たちの、先輩に引けを取らぬさまは、去る年もいまも、青年の黒く小さい双眸にたのもしく映るのである。
「おねえさん、きょうのお花はカサカサしてるね?」
「うん、きょうはドライフラワーがメインだよ。クリスマスツリーはモミの木。モミの木の花言葉は永遠。ってことで、きょうのお花たちは、みんな花言葉が“永遠の〇〇”になってまーす」
そういった花々は春先に咲くものが多く、ドライフラワーでなければ調達が困難であった。飾りつけに使う以上、生花では少々可哀想だという意見も多少はある。
「ヒイラギが“永遠の輝き”。白くて小さいヘリクリサムは“永遠の思い出”」
「この、カラフルな春菊みたいなのは?」
「それはスターチス。“永遠に変わらない心”だよ。で、やっぱりカラフルで大きめのこれはストック。アイビーと合わせて、“永遠の愛と恋”」
「噴水みたいになってる白い花は?」
「それはホトトギスっていうんだよ。花言葉はモミの木とおなじで“永遠”。それから“私はずっとあなたのもの”……!」
「うわあ」
「ロマンチックでしょ!!」
ときに真面目に、ときにコミカルに、収録は予定より早く完了した。青年はアイドルたちを帰らせると、次の撮影の打ち合わせに向かう。途中、完成したツリーを運ぶスタッフとすれちがった。
黒っぽい緑のモミの木は、頭に白い花冠を頂いて、幼い少女たちの仕立てたドレスをまとっている。ふいりのアイビーをフリルに見立て、青、赤、黄色に紫の花輪をリボンにして、各種のオーナメントが添え物に見えるほど賑やかだ。
ふと、その姿に、青年はなにか郷愁のようなものをかきたてられた。運搬の若いスタッフが彼の視線に気づいて、足を止める。
「どうかしました?」
「すみません、なにか……懐かしい気がして」
「あー、なんかわかりますよ。小さいころ、教会の学童で作らされた、天使の人形っぽいんですよねー」
いわれれば、ワタの雪のかたまりが二つ、不恰好な翼に見えなくもなかった。“そちらも、学童が教会でした?”と問われ、まだ思索の波打際にいた青年は変に強く否定してしまい、慌ててフォローをいれた。
「そういうわけではないんですが、大事なひとを思い出してしまって」
雑談を二つ三つしてツリー運搬のスタッフと別れ、別番組の打ち合わせも順調に終えた青年は、生放送の天気予報コーナーの収録を見かけた。
「今宵の月は格別ぞ!」
フリル豊かな漆黒のベルベットをまとい、ゆるく巻いたツーサイドアップの銀髪を軽やかに揺らして、一人の少女が見得を切る。
五分ほどの天気予報コーナーのアシスタントである彼女は、今年の春に無事彼の許から巣立ったシンデレラプロジェクト一期生、神崎蘭子である。眼鏡のベテラン気象予報士とマスコットのきぐるみ、観覧に来た一般人たちとともに番組の一角を支えている。
「今夜はスーパームーンです。地球にぐっと近づきまして、その距離、なんと三五万六一二キロ。ここまで接近するのは、実に六八年ぶりのことだそうです」
「怜悧なる光は夜天も満たすか?」
「大きさは一四パーセント増しといったところなんですね。イマイチに感じるかもしれませんが、あっ、映像来ましたね。明るさは三割ほど強くなります。ご覧のようにね、カメラちょっと引いてもらえますか? 肉眼で見ると、このくらいなんですが……。模様がね、すごくはっきりご覧いただけると思います。日本では二三時前後に最も大きく見えます。ちょっと遅いお月見をされるのもいいかもしれませんねー」
「あまねく命を魅了する女王の輝き……。魅いられし魂は啖らわれ、現し世に焦がれる黄金の牙城の虜囚となろう」
「満月や新月の日は事故が起きやすいといわれていますからねー。みなさんも歩きスマホ、歩き月見はお控えになって、良い一週間をお送りください。では」
「闇に飲まれよ!」
……蘭子の語彙ではねぎらいを意味するこのフレーズが、夕刻の天気予報に合うとして抜擢されたのは夏のことだ。特殊な語彙で話す彼女でも、気持ちはほかのアイドルたちと変わらない。コーナーに溶けこむまで、三ヶ月の時間はじゅうぶんな長さであった。
青年はかつて担当した、懐かしい少女に一声かけようかとした足を止めた。彼女にはもう、いまの担当者がつき、やさしい共演者が見守り、ファンがいる。白く可憐な少女の顔に浮かぶ、翳りのない笑顔に遠くから微笑むと、踵を返し、珍しく日付の変わる前の家路についた。初冬の風は彼の鼻に少女の香水を思い起こさせ、胸の奥でひと暴れしてから、いずことなく去っていった。
そして蘭子も、ふとスタッフに走らせた視線の奥に懐かしい大きい影を見た。去っていく背中に、声の届かぬことを知って、短い眉根を寄せるのだった。
青年は独りの部屋で、ひときわ大きくかがやく満月の登極を眺めていた。
「格別の月……か」
一四パーセント増しの魔力に惹かれる前に、カーテンで月光浴を打ち切ると、青年は冷えたベッドにもぐりこんだ。……はずであった。
深い眠りから浮き上がって、青年は、夜の野に身を横たえる自分に気づいた。いつものようにスーツ姿で、左手首には腕時計の重みもある。吹きつける風は、乾いて痛い冬の風ではなかった。煌々とした月の明かりで文字盤を読むことができた。零時である。
「たしか、明晰夢、とか……」
頭は論理的に動いていて、これは夢のなかなのだと結論を導いた。示された零時は、きっとちょうど眠りに落ちた時刻だと。
「スーパームーンの光にあてられたかな」
満月は眠る前と変わらぬ大きさで、夜空を縁まで濃密な青に照らしている。この無限とも思える野原を歩いてみようと腰を上げた青年の目に、銀色の光が飛びこんできた。
「……神崎さん?」
「わ、我が友!? な、なぜ我が禁断の領域を……あれ? ここは?」
すぐとなりで眠っていたらしい少女に気づかなかった非礼を、青年は詫びた。もちろん夢のなかのできごとである。自分が起き上がる段になって、はじめて蘭子がここに現れたのだろう。あの天気予報コーナーがそれほど心に残った、ということだろうか。
ちがうな、と青年は苦笑した。会って語らう時間が欲しかったのだ。半年前、積極的に話しかける大義名分を失ったときから。……積極的にしたことなど、いちどもなかったくせに、と口許の苦笑が深くなった。
「つ、月の女神の導きか……」
「七〇年ぶりの大接近でしたか」
「六八年よ」
蘭子は得意気に、豊かな胸のフリルを波打たせた。
「ふふ……。冴え渡る女王の威光は、闇をこそ深める」
月光にかざした小さい手が回るにつれて、黒々とした影がその白い肌の上に踊る。青年の目は、可憐なモノクロームの蝶ではなく、月明かりに妖しいほど美しい、紅玉の瞳に釘づけになった。
どこか冷たい金の光と夜の闇が織り成す陰影は、少女の顔から幼さを隠す。紅玉を覆う水晶には長いまつげの影が落ち、見つめていた青年は、肺の深くに夜のしじまを行き渡らせた。
宙空でやわらかく小さい手を握り、蘭子が微笑みかける。
「この地上でも、女王の赦しの許なれば、其方も真なる闇を手にできよう」
どきりとして逸らした視線に、白い手のなかが欠けて見えた。あらゆる光が身を引いた、真実に黒い空間と思えた。
青年が真似て、より大きい漆黒を作ってみせると、蘭子はそこへ小さい手をもぐりこませた。細い指先の、淡く色づいた爪が黒のなかに浸る。
「くすぐったいですよ」
「闇に飲まれた!」
寂廖とした風景のなか、金の光が照らす屈託のない笑顔に、青年は息を飲む。太い指が華奢な指に触れた。くるみくるまれて、丸くなった二つの手が下りる。
「安らぎの日だまりね……」
手の甲をなぞる白魚の心地よさに、しばし集中していた青年は、ゆっくりと口を開いた。
「少し、座ってお話をしませんか」
少女に断る理由はなかった。短い草の野に……彼は膝を勧めたが、細い首を振ると、敷いてくれたハンカチの上に腰を下ろした。
立っているときとちがう、座って少しだけ見上げて見る彼の横顔が、蘭子は好きだった。彼の許を巣立って半年を過ぎても、それは変わらない。膝の上で眺めるのも、抱えられて上目づかいに見るのも、ならんで歩いて振り仰ぐのも、もちろん好きな顔である。しかし彼女がはじめて、しっかりと見たこの青年の顔は、となりに座ったときの、真剣な横顔であったのだ。
彼女の特殊な語彙を理解できるようになった青年でも、おくびにも出さずに過ごしてきたことであるから、いまもって気づいてはいなかった。それだから、ためらいがちにそれを伝えられたときは、尋常の語彙であったにも関わらず、理解に数秒を要した。
「太陽の断末魔より、月の恩賜こそ其方にはふさわしい」
太い腕の影に顔を半分隠して、蘭子は自分の言葉を押し流した。
「神崎さんの……白い肌も、お髪も、月明かりの方ほうがきらめいて……際立って見えます」
「むう、太陽の許では我がかがやきが褪せるというのか」
「どんな明かりでも、神崎さんはおきれいです。あなたの裡なる光は、真夏の太陽にもひけをとらないと信じています」
「その心は高潔か?」
「……どう、なのでしょう」
青年の目許から下へ、黒々と影が落ちた。
「私がお褒めすればあなたが喜んでくれるという……。おためごかしなのかもしれません」
「なにをいうのだ!?」
「私の手によらず、あなたがかがやきつづけることに、私は少なからぬ嫉妬を抱いています。あなたに必要としてもらえないことが、恐ろしくて……」
交流は絶えていない。新しいシンデレラは、つねに彼の助けを必要としている。それでもなおぽっかりと空いた穴の口を閉じるように、青年は胸をつかんだ。
「あなたが見せてくれた、あの笑顔が……。あの日の、夕暮れの、噴水での、あの笑顔が忘れられないのです」
蘭子が青年の両肩をつかむと、影はいちだんと濃くなった。
「あなたの魂はかがやいている。いつだって笑っていることができる。ほかのみなさんとおなじてす。それで満足なはずなのです」
蘭子は、笑顔でいられぬときもあるのだと、胸の奥底にしまっていたものを吐き出そうとしたが、細い喉は詰まって、瞼と耳朶が熱くなるばかりだった。
「笑うあなたを見るたびに、胸に冷えたものを感じました」
ほとんどすがりつく恰好で、銀の髪が縦に揺れた。気持ちのおなじことを、重なる心音が伝え合う。
「あなたの笑顔を見たい……。私が、私がしてあげた笑顔を……。ファンや、ご友人や、ほかのだれのためでもなく、私があなたを笑顔にしたい」
細い肩は、触れるか触れまいか迷う手の震えを感じた。
「私のためだけに笑ってほしいと、ずっと……」
大きい両手はそっと蘭子の肩を抱き、そして手の持ち主から引き剥がした。
「すみません、夢のなかとはいえ、このようなことを……。ですが、話せて、スッキリしました。神崎さんも、いっておきたいことがあれば……」
いいさして、青年は自嘲した。自分の夢のなかである。この蘭子は、自分に都合よく動く人形のようなものだ。甘い言葉しか、きっといわないだろう。
「我は永遠の淵で待ちつづけている。翼の還るときを……。ふたたび我を空へ、だれにも導けぬ高みへ引き上げる、漆黒の大いなる翼を」
白い手が力強く、両肩に添えられた手を握った。背負った満月よりも鮮烈に紅玉が光を放つ。
「いまは忍耐のとき。翼は雛鳥を育まねばならぬから……。で、でも、だけど、赦せぬ。その翼は私のものだとだれも知らぬ。我がためにこそあるというのに」
熔けそうなルビーの光が、青年の目を満たす。
「神崎さんのことを、ほんとうに天使なのでは、と疑ったこともありました。まだうまく飛べない幼い天使が、天国から足を踏み外して……。堕天した、と強弁しても、じつは神様が捜しているのかも、なんてことを」
そうして彼女を神聖視して、遠ざかろうとしたのは再三ではなかった。いま、もういちど、揺れすぎた心はバランスを取ろうとしている。
「……歳の差もさることながら、人間が天使に恋をしてはいけませんね」
さびしそうな笑顔だった。
「それがどうした!」
真紅の光は揺れるのをやめて、桜色の唇を噛み締める。
「わたしだって、好きなんだから!」
ためらいは一瞬だった。一息に叫び、蘭子はうつむいていた顔と短い眉とを跳ね上げた。
「我が堕天は、粗忽などではない。……其方に逢いたいがためよ!」
いよいよ青年は自分が情けなかった。夢のなかで、自分への慰めに、蘭子にこれだけのことをいわせているばかりでない。その甘さに、溺れてしまいたい……どうせ夢なのだから構わないじゃないかと、思ってしまったのである。
「私もあなたに逢いたかった。……なんと罵られようと、真実です」
黒曜石の矢じりが、ついに紅玉を射抜く。
「いまは離れていますが、きっとあなたの許にかえります。ですから、ずっと私を必要としていてください」
「高潔なる心、穢すでないぞ」
蘭子は袖から真紅の繻子織りのリボンを引き抜き、青年の左の薬指に結んだ。
「これは友、赤き組紐の女神よりもたらされし契り。永遠なる契約の証よ」
なにかを期待して見上げてくる目に、青年の手は地を這った。おなじように着ているものを使いたくても、男の服に手ごろな紐もリボンもない。
手が体の横まで来たとき、みずみずしい感触があった。草が一本伸び上がり、小さい花をいくつも連ねて咲かせている。この白い、噴水のように広がる花弁は、きょう知ったばかりの花だ。青年は目を閉じた。夢のなかとは、かくも……。
摘み取り、きょとんとする蘭子の前で小さい指輪に仕立てた。緑の環についた白い一輪は、玉石の光に似ている。
「ほう、其方にそんな技量があろうとは」
「門前どころか真正面でいろいろと見させていただいていますから、小手先の経くらいでしたら」
夢のなかでは現実以上に器用になれますね、と心のなかでつづけた。
「いかな妖精の化身か」
「ホトトギスという花です。“私は永遠にあなたのもの”……そういう意味の花だそうです」
赤い瞳はうっとりと指輪をためつすがめつし、桃色づいた鼻を近づけてから、澄ました顔で柔らかな胸を反らし、左手を差し出した。
「真なる儀は其方の蔵するより小蛇と成して互いの指を食むもの……。だが、我は鷹揚なるぞ」
「私の夢に生えた花ですから、私のもののようなものではあります」
いいながら、白い指に小さい紫の指輪を通した。愛おしげにそれを見つめる蘭子の、笑顔とくくってしまうにはもったいないとさえ感じる表情に、青年は目許の熱くなっていくのを感じた。
叶うことなら、現実の世界でこんな顔をしてほしい。願いを胸に押しこめるように、青年は蘭子の細い体を抱きしめる。月光のなかに、二人の影は一つに溶け合った。
「幸せ……。このまま、醒めなければいいのに……」
朝は平等にやってくる。幸せな夢に浸っていても、悪夢にうなされていても、太陽はひとびとを引きずり起こしにかかるのだ。
三五万キロの彼方から月光の祝福を受けていた青年も、アラームの鳴るのと同時に、鋭い目を開いていた。ぼんやりと起き上がり、見た夢を反芻する。
「あんな夢を見るとは、なおさら神崎さんにあわせる顔が……」
苦りきってため息をつき、ふとして首を傾げる。蘭子がしていた婚約指輪のおまじないは、友達から聞いたといっていた。あの二つ名は佐久間まゆである。しかし、彼女とはあまり話したことはなく、そんなおまじないを聞いた記憶もない。
ロマンチックが行きすぎて乙女チックになってしまったか。我がことながら呆れたものだ……。掻いた頭に違和感を覚え、青年は左手を見た。
「これは……?」
薬指に結ばれた真紅の繻子織りのリボンに瞠目したとき、スマートフォンが鳴った。掴み取った画面の着信表示は、神崎蘭子であった。
(了)